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main_6_災禍の爪痕

「――僕は、生きているのか」

 微かに頬を撫でる風の感覚で悠月の意識は戻った。

 目の前には虫食い穴のような模様の白い天井がある。

 傍らにはカルディオグラフ――心電計が悠月の心拍数を絶え間なく測定している。

 どうやらここは病院の中らしい、と悠月は結論づけた。

 何故、こんなところに自分は眠らされているのだろう。

 悠月はハッキリとしない思考をフル回転させて理解に努めた。

「そうだ。僕は……あの怪物に!」

 あの夜の惨劇をどうしたら忘れられようか。

 こうして眠っている場合ではない。

 ハッとして悠月は身体を起こした。

 あの仇敵はどうなったのか。家族は、アルメリアは、被害者たちはどうなった。

 急いで現状を確認しなければならない。

 だが、焦る気持ちとは裏腹に身体は全くいうことを利いてはくれなかった。

「うぐっ!?」

 腹部に感じる激痛で悠月は再びベッドへと倒れこんだ。

 あの怪物に与えられた傷はどうやらまだ癒えてはいないらしい。

「こんなことをしている場合じゃないのに」

 苛立ちをぶつけても現実が変わるわけじゃない。

 そんなことはわかっていてもつい、ごちてしまう自分がいた。

 さてどうしたものか。

 これからのことを考えようとしたとき、運よく悠月の病室を訪れる陰があった。

「……ユウ?」

「……天音?」

 扉を一枚挟んでいるから、悠月の声はあちらへは届いていないだろう。

 けれど、髪の長いシルエットは躊躇なく病室の扉を開けた。

「あ……ああぁ……」

 悠月の姿を見た途端。天音は口元を手で抑えた。

 声は震え、瞳からは大粒の涙が零れ出す。

 なんとか言葉を出そうと喘いでいるが、それは声にはならず嗚咽となって漏れていた。

「ユ……ユウ……良かった……このまま目を覚まさなかったらどうしようって……私、わ

たし……ずっと、ずっと……!」

 泣き崩れる天音の様子を見るに、恐らく彼女が悠月の看病を続けてくれたのだろう。

 何日眠っていたのか。それすらもわからないが、ともかく感謝はしなければならない。

 ただ、不器用な悠月には気の利いた言葉など思い浮かびはしないから。

 結局は在り来たりの、いつもと変わらない口調で幼馴染との再会を喜ぶしかなかった。

「ごめんね、天音。心配、かけたかな」

「本当だよ……ほんっとうに……心配、したんだから……!」

 天音の言葉は荒く、口調からは怒りの感情さえも窺えた。

 けれども彼女は、涙を浮かべながらも笑顔で悠月の回復を祝ってくれた。

「でも、ちゃんと元気になってくれたからオールオッケー」

 柔らかな彼女の笑顔に釣られて、悠月も自然と笑みを浮かべていた。


 しばらくして訪れた男性主治医に悠月は事件の詳細を聞いていた。

 傍らには天音も居る。

「二週間、ですか」

「そうです。今は十一月十四日。貴方はハロウィンの日の夜、腹部に重症を負って今日ま

で意識を取り戻さなかったんです。正直驚きましたよ。この病院に運び込まれた患者の中

で、貴方は間違いなく一番の重症患者だった。率直に言いましょう、貴方はあの日死んで

いてもおかしくなかった。助かったのは奇跡としていいようがありません」

 奇跡、と聞いて悠月は重い表情を浮かべる。

「悠月くん。失血による人間の致死量はいくつだと思いますか?」

「半分くらいですか」

 主治医は頷いて。

「状況によりますが、君はここに運ばれた次点で既に半分近くの血液を失っていました。

止血しようにも傷が深い。仮に目を覚ましても後遺症が残る可能性はあった。驚異的な回

復力ですよ。素直に脱帽です。人間にこれほどまでの生命力があるとはね。ともかく無事

でなによりです。しばらくは経過観察が必要でしょうがその様子ならすぐに退院できるで

しょう」

 一通り伝えなければならないことを言い終えた主治医は笑顔を見せた。

 混じり気のないその笑みは悠月を心から安心させるものだった。

 自分が死の淵を彷徨っていたことは悠月自身が一番知っている。

 あの時の痛みと失われていく意識は確実に死を感じさせるものだった。

 ただ、自分が一番の重傷者であるということには違和感がある。

 あの日の夜はもっと多くの犠牲者がいたはずだ。

 二週間の眠りの間。自分の知らない空白の期間に世界がどう動いたのかは聴いておかな

ければならないだろう。

 特に、身内のことに関しては最重要事項だ。

 悠月は緊張で喉が渇くのを感じながらも意を決して主治医に尋ねた。

「あの……家族は、僕の家族は無事でしょうか」

 問いかける悠月の声は小さい。

 半ば、諦めていたのだ。

 あの日、父は目の前で命を失った。

 母も妹も怪物の手にかかったのは悠月も知っている。

 けれど、いずれはこの現実と向き合わなくてはならない時が来るから。

 視線は白いベッドシーツに向けながら、悠月は主治医の言葉を待っている。

 そんなことだから天音が悲しそうに視線を逸らしたことにさえ悠月は気づけなかった。

「家族?」

「妹の鷲宮玲愛と母親の杏華です。もしかしたらこの病院に運ばれてるんじゃないかと」

 主治医は表情が曇ったのをごまかすように眼鏡をかけなおしてから告げた。

「いいかい、悠月君」

「はい」

 先ほどよりもトーンを落とした声で主治医は口を開いた。

「結論から言えば、君の家族は――生きている。無事だ」

「本当ですか!?」

「ただ、まずは自分の体をしっかりと治しなさい。ご家族が心配なのはよくわかる。けど

病み上がりの体で妹さんやお母さんに会いに行くつもりかい。却って無用な心配をかける

とは思わないか」

 主治医の言うことは尤もだった。

 事実、悠月はまだ立ち上がることすらできないのだ。

 こんな状況で会いに行っても互いにかける言葉を見つけるのに苦労することだろう。

 沈黙を肯定と受け取った主治医は最後の一押しと定型文じみたことを口にする。

「大丈夫です。焦らなくても時間はあります。余計な考え事やストレスは肉体にも相応の

負担をかける。今の悠月君がするべきことは充分に休養をとって身体を回復させることで

すよ。ご家族との再会を喜ぶのはその後でも遅くはない」

「わかりました」

 悠月は頷いて主治医の意向に従うことにした。

「それと、これはお節介になるかもしれないが」

 主治医は横目で天音を一瞥してから。

「彼女には感謝した方がいい。君が目を覚ますまでの間、ずっと看病をしてくれていた。

もう一人の男の子は最近姿を見ないが……まぁ、いずれにせよ大切にしなさい。こういっ

た友人は生涯に渡って貴重な存在だ。仲良くしておいて損はないよ。特にキミのように優

しい女の子はね」

「ちょ、先生っ!? 止めて下さいよ。私、別にそんなんじゃないですから!」

 かぁーっと顔を紅潮させて天音が抗議の声をあげる。

「ユウは……その、私の幼馴染だから、私が面倒見てあげなくちゃって思っただけで!」

「どんな理由なの」

「ククク、それだけ元気ならもう僕が気にかける必要はないね。よし、経過を診て可能な

ら明日からリハビリを始めてもらおう。ちゃんと動けるようになれば晴れて君は自由の身

だ。ご家族に会えないのは辛いと思うが、もう暫く辛抱をしてくれ。いいね」

「はい」

「じゃあ僕はこれで失礼するよ。他の患者さんも診ないといけないからね」

 主治医はそれ以上なにも言わずに部屋を後にした。

「私も今日は帰るね。ユウが目を覚ましたって早く皆に報告しなくちゃいけないから!」

 天音は病室を出て行こうとして、部屋の扉に手をかけたところで何かを思い出したよう

に引き返してきた。

「病み上がりなんだからちゃんと寝てるんだぞ。病院、抜け出したりしたら怒るからね」

「子供じゃないんだから大丈夫だよ。大人しく寝てる。身体もまだ痛いしね」

「そう。じゃあまた明日来るから。なにか必要だったら連絡して。一緒に持ってくる」

 悠月が頷いたのを確認して、天音は今度こそ病室を出た。

 後ろ手で扉を閉めた天音は明るかった表情を一変させる。

 大きく息を吸い込むと、複雑に渦巻く幾つもの感情と共に深く吐き出した。

 その表情は酷く重い。

 暗い表情を浮かべる彼女は今にも泣き出しそうだった。

「駄目だな、私。ちゃんと伝えなきゃいけなかったのに……できなかった。玲愛ちゃんの

ことも。お母さんのことも。なにも、言えなかった。ただ笑うことしか、できなかった」

 溢れ出す感情が天音を自棄へと追い込んでいく。

 壁一枚挟んだ先には悠月がいるというのに、天音は耐え切れなくなってしゃがみ込む。

 震える体と声を殺して泣く彼女の姿からは、先に待ち受けている現実が決して喜ばしい

ことではないということを物語っていた。


 悠月が全快したのはそれから一週間後のことだった。

 窓際から差し込む朝日を全身に浴びながら、悠月は私服に袖を通す。

 天音はわざわざ学校を休んで悠月の退院に付き合っていた。

 しかし、本来は喜ぶべき悠月の回復を天音は素直に喜べないでいた。

 仮にあと数日、数週間退院が後ろに延びていたとしても彼女が胸の内で抱く感情に変わ

りはなかっただろう。

 いつかは知る事実だとしても、時間さえ稼ぐ事ができたなら、万に一つ奇跡が起こる可

能性があったからだ。

 しかし、悠月の驚異的な回復力はついにその望みを絶ってしまった。

「ねぇ、天音。一つ、質問いいかな」

「な、なに?」

 不意の問いかけに天音はハッとして顔を上げた。

「せっかくの退院だっていうのにどうしてそんな悲しそうな顔してるの?」

「……ッ!?」

 見破られた。

 普段の悠月なら気づかないはずの僅かな変化を天音は運悪く悟られてしまったのだ。

「べ、別に! なんでもないから。気にしないで!!」

 この期に及んで誤魔化しなど通用しない。

 そんなことは解っていても彼女は必死に抵抗してみせた。

 全ては悠月のためを思ってのことだ。

 だが、悠月とて彼女のことを知らないわけじゃない。

 いくら隠し事をしていても友達の些細な変化くらいは解るのだ。

 それが古くからの幼馴染であれば尚のことである。

「いいよ、無理に隠さなくたって。覚悟くらいはできてるから」

「……ごめん。ごめんね、ユウ」

「ううん。天音が謝ることなんてないんだよ」

 悠月は天音と共に病室を後にした。

 向かう先は母親が居る病室だ。

 既に妹の玲愛が居る病室も聞いてある。

 どうやら妹と母の病室はそれぞれ離されているようだ。

 詳しい理由については聞いていない。

 ただ、忙しなく行き交う看護師たちを観察していれば原因はそれとなく察せる。

 あのハロウィンの日。あの紅い月の夜。

 あの怪物に襲われた被害者は悠月の想像を遥かに超えていたのだ。

 各病室の脇にはめ込まれている入院患者のプレートは全て埋まっている。

 一体どれだけの被害規模なのか。

 確認しなければならないことが積みあがっていく中で、悠月は母の名前がある病室へと

足を踏み入れた。

 母の惨事を目の当たりにして悠月の双眸は怒りに燃えていた。

 そこには点滴を打たれたまま身動き一つしない母、杏華の姿があった。

 傍らに設置されている心電図は絶え間なく杏華の鼓動を感じ取っている。

 確かにこれは主治医の言う通り〝生きている〟状態だ。

 しかし、眠り姫の如く昏睡状態に陥っている彼女の姿は死んでいるも同然であった。

 悠月は飛び出すように母の病室を後にした。

 この様子では妹も決して無事ではないはずだ。母のように〝生きている〟だけの状態で

はないかと焦りを感じたのだ。

 玲愛の居る病室は此処から数分歩いた別棟にある。

 悠月が居た病棟を新棟とすれば玲愛がいるのは旧棟と呼ばれる場所だ。

 敷地面積はおよそ半分程度で、ともすれば自然と部屋の広さは半分になる。

 病室のスライドドアを開けると視界には白いカーテンが飛び込んできた。

 音に反応したのかカーテンの奥で揺らりと動く人影があった。

「玲愛?」

「――悠月?」

 カーテン越しに懐かしい声がした。

 悠月からしてみれば昨日の今日のような感覚なのだが、あの日から計算すれば二人の再

会は実に三週間ぶりになる。

 父は死に、母が意識不明となった環境において唯一、妹だけが悠月の救いとなった。

 口調もハッキリしているし対話も正常にできている。

 大丈夫だ。妹だけは大事に至らなかったのだと悠月は胸を撫で下ろした。

「良かった。玲愛は無事だったんだね」

「まぁなんとかね。そっちは随分酷い目に遭ったって聞いてたけどもう退院できるんだ」

「〝もう〟ってことはないだろう。三週間も入院してれば十分重症だって」

「あはは……そう、だよね。アタシも早く退院したいのは山々なんだけど……」

 僅かな間があった。何かを迷うような、戸惑うような間が。

 再会を喜んでいいはずのこの状況で玲愛だけは素直に喜べないようだ。

「まだ、どこか悪いのか?」

「ちょっとね。実際に見てもらえばわかるんじゃない」

 後ろを振り向く。

 病室の入り口に立っていた天音は視線を下に落としていた。

 どうやら自己責任で、ということらしい。

 悠月は一瞬躊躇したものの足を踏み出した。

「その代わり覚悟して。見たらきっと驚くよ」

 とうに覚悟だけはしていたつもりだった。

 どんな事情であれ、命を失うよりも重いものなどあるはずがない。そうしてこれまで暮

らしてきた悠月だ。命さえあれば何度だってやり直せる。およそ人の持ちうる標準的な価

値観で以って人生を生きてきたものだから、いざ身内にそれ以外の不幸が降り注いだとき

にことの重大さに気づくことになる。

 人の一生において、どこに重きを置くかなど結局のところは人によるのだと。

 それらは一様に天秤にかけて等価値ではないし損得で測れるものでもない。

 全てが不均衡であり、事と次第によっては全てを擲ってでも守らなければならない大切

なものなのだ。

 特に鷲宮玲愛の場合、それは――『目』であった。

「……ッ!!」

 カーテンを開け放った先に居たのは目元を包帯で巻かれた病衣姿の妹であった。

「よっ、久しぶりだね悠月。元気にしてた?」

「元気にしてたってお前……その目はッ!?」

 悠月は妹の変わり果てた風貌に言葉を失った。

「さぁね。アタシにもなにがなんだかよくわかってないんだ。ただ、目が覚めたら何も見

えなくて。結局、今日までこの通り。有り難いことに暗いか明るいか程度は判断できるみ

たいだけど」

 気丈に振舞う玲愛に対して、悠月は冷静ではいられなかった。

「ッ、ふざけるな!!」

「ユウ、落ち着いて」

 割って入ったのは天音だった。

「落ち着けるかこんなこと! だって、目が見えないって、こんなの……これじゃあまる

で……!!」

「失明してるみたい?」

 心中を射抜かれて、悠月は言葉を詰まらせた。

「ははは、おかしいよね。目が覚めたらこれだもん。アタシもうどうしようかと思って」

 玲愛は不気味に口元を釣り上げた。

 無理をして笑っているのは誰の目から見ても明らかだった。

 きっと、理解できていないのはとうの本人だけだろう。

「いつからだ」

「ハロウィンの日からだよ。悠月だって被害に遭ったんでしょ。どうやってあの場所まで

来たのかしんないけど……とりあえず、良かったよ。悠月だけは無事でいてくれて」

「なにが……なにがいいもんか! こんな状況のどこが!」

「ユウ!!」

 悠月は玲愛に駆け寄って視線を合わせた。

 手を伸ばして、指先で労るように目元を撫でる。

「だって……だって、お前……目がいいことが自慢だったじゃないか。この前だって弓道

の大会で優勝して……それで、次は高校で活躍するつもりだっただろう!?」

「うん、そのつもりだった」

「こんなの……お前の方がよっぽど酷いじゃないか! こんなことなら僕が……お前の代

わりなった方が、ずっと……ずっと……!!」

 知らず、悠月の瞳から涙が溢れていた。

 妹には未来があったのだ。力がある。その才能は世間にも広く認められるはずのだ。

 なのに、その結末がこれか。

 間違いなく、犯人はあの黒衣の怪物だ。

 アイツは理由もなく妹を襲い、挙句の果てに妹が最も大切にしていたモノを奪っていっ

たのだ。

 奴が犯した悪行は断じて許せるものではない。

 悠月は立ち上がると足早に病室を出て行く。

「ユウ、どこに行くの!」

 天音の問いかけに悠月は答えない。

 目的地など決まりきっていたからだ。

「ユウ! ねぇ、ちょっとユウったら!!」

 辿り着いた先は主治医の居るナースセンターだった。

 悠月は主治医を見つけると周りの状況も省みずに掴みかかった。

「お前、僕に嘘をついたな。家族が無事だなんて全くの出鱈目じゃないか!」

 普段の彼らしからぬ横暴な態度に天音は慌てた。

「やめてユウ! 暴力はダメだよ!」

「黙れッ!!」

 悠月は深い怒りを双眸に宿らせていた。

 もしかしたらこの怒りは他でもない非力な自分自身にこそ向けていたのかもしれない。

「ちゃんと……ちゃんと説明をしてください。そうでなければ僕は貴方を許さない!」

「ここでは話せない。場所を移そうか、悠月君」

 主治医は悠月のただならぬ剣幕に一度は驚いたものの、こうなることは予想していたよ

うで至って冷静に対処した。

 主治医に促された先は隣の使用されていない診察室だった。

「さてと、どこから話したものかな」

「全てです。貴方の知っていることは残らず話してほしい」

 主治医の勿体振った言い方に悠月はぴしゃりといい放つ。

「では、まずはこれを見てもらおうかな」

 これ以上話しても無駄と察したのか、主治医は悠月に数枚の新聞を渡した。

「例の事件だ。君はどれだけ彼女から話を聞いた」

「目が見えなくなったということだけです。それ以外は何も」

「そうか。では最初から話さなければならない。それはプレゼントしよう。快気祝いだ」

「あまり嬉しくないです」

 文句を言いながらも悠月は新聞をしっかりと受け取った。

 いまはあの日の真相に至り得る手がかりならば喉から手が出るほど欲しいからだ。

「では、話していこうか。いいかい悠月君。あのハロウィンの日。正確には皆既月食も同

時に起きていた日か。あの日は月見ノ原駅前でハロウィンイベントが行われていたね」

「はい」

「どうもね、情報を聞く限りはあの日、あの時刻。時間にして約二時間弱の間。駅前から

は居たはずの人間は全員姿を消してしまったらしいんだ。それも忽然と、まるで神隠しの

ようにね。目撃者の証言をまとめるとこうだ。丁度中央の線路を跨いで東側。つまりこの

新都側の駅前周辺で被害者たちは一定時間、一斉に姿を消していたことになる」

 主治医はさらさらと白紙の上に図面を書いていく。

 図式化することで悠月もすぐに理解することができた。

「その間、警察や他の人たちは何をしていたんですか。まさか黙って見ていたわけではな

いですよね」

「君はおかしなことを言うね。助けられるならすぐにだって向かっていたさ。非常事態に

役に立たなくては意味がないだろう。患者がいるなら一人でも多く助ける。それが我々の

使命だよ――話を戻そう。だが、実際の状況は違ったんだ。通報を受けて来たものの被害

者たちは一向に見つからない。それどころか報告件数だけが増えていく。これはいよいよ

おかしいぞ、と我々も疑ってね。しばらく待ったのさ。そうしたら時刻が変わった途端に

君のような被害者が見つかり始めたってわけさ」

「本当に? 随分と現実離れした話ですね」

「信じるかどうかは君次第だよ。警察はまだ真相を追っているようだけど、メディアでは

もう手を引きはじめているらしい。やっぱり神隠しだのなんだの、そんな非科学的なもの

は扱いづらいんだろう。いま時、テレビじゃ受けないし過去にその手の類を面白半分で使

って痛い目に遭ったって話も聞くからね~」

 さて、今度はこちらから質問だ。と、主治医は話題を変えた。

「悠月君、ここまで聞いて何か思い出したことはないかい?」

「なんの話ですか」

「なに、言葉通りの意味さ。こちらも困っていてね。率直に言ってしまうと、被害に遭っ

た方々には申し訳ないが、これ以上我々にも手の施しようがないんだ。君の妹さんも意識

を失くした人たちも共通して原因が不明ときている。我々としては、引き続き可能な限り

処置はしていくつもりだが、ヒントも無しに治療をしたところで良い結果は得られない。

むしろ人体にとっては悪影響を及ぼす可能性すらある」

「そんな!」

 悠月の反発を手で制して主治医は続ける。

「だからこそ、君が頼りなんだ。妹さんはお母さんと一緒に意識を失っていて当時のこと

を覚えていないらしい。他の患者は未だに意識を取り戻していない。中には亡くなってし

まった方もいる。となれば事件の真相を知っているのは君くらいなんだよ、悠月君」

 この事態を打開する唯一の希望が自分しかないと知って悠月は身が凍った。

 何か。何か手がかりはないだろうか。

 悠月はこの事件を解決する方法を脳内で必死に模索した。

「ユウ、無理しないでね」

 傍に居た天音が悠月の身を案じて声をかけてくる。

「それでどうだい?」

「……」

 思い当たる節はあった。

 恐らくは。いや、この事件の原因は確実にあの黒衣の怪物が握っているはずだ。

 だが、こんなことを話したところで相手が理解を示すハズがない。

 第一、非科学的な事情が要因であるのなら、この事態を終息させるには等しくイレギュ

ラーな解決策。つまりは魔法のような奇跡に縋るしかないのではないだろうか。

 可能性はある。

 万に一つ、事態を好転させることができそうな人物に悠月は心当たりがあった。

「すみません。僕も記憶が曖昧で」

「そうか。いやこちらこそ失礼した。病み上がりに変なことを聞いたね、忘れてくれ」

「こちらこそ、失礼なことをしてすみませんでした」

「気にしないでくれ。君くらいの歳ならあれくらい元気な方が丁度いいよ。それだけ家族

を大切にしているってことだからね」

 主治医が診療室を出て行く。

「まぁ、何か思い出したら情報提供をよろしく。僅かな可能性があるだけでも希望が見え

るからね。0か一ならやっぱり一ある方が有り難いからね。あっ、妹さんたちのことは引

き続きこちらで診ちゃっていいのかな。できる限り力にはなるつもりだけど」

「はい、お願いします」

「りょーかい。ともかく、退院おめでとう鷲宮悠月君。またどこかで会おう」

 去っていく主治医の後ろ姿を悠月は黙って見送る。

 この時、悠月は心に固く誓った。

 父の亡きいま、真実を知るものは己しかいない。

 家族の為に。たとえ孤独になったとしても――事件の真相を明らかにしよう、と。

 まずは状況証拠と記憶の整理から始めよう。

 そして、あの女と再会を果たそう。

 あの冷酷にして冷淡な魔女――アルメリア・リア・ハートと。

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