プロローグ
「お前なぁ――……、毎回毎回、どうやったらこの屯所の中で迷子になるんだ? 俺への嫌がらせか?」
その男は腕を組んで眉を寄せ、さも迷惑そうに俺を罵ってくる。
最初の頃は「馬鹿野郎」と怒鳴ってきたが、七回目となると怒鳴る気も失せたのか、呆れられ溜め息をつかれた。
「まさか、そんな……、壬生浪士組副長の土方さんに嫌がらせなんて……、あはは……」
そんな怖い事などできる筈もなく「へらっ」と笑ったのが災いして、結局「ふざけんじゃねぇ! 馬鹿野郎」と雷が落ちた。俺は自分が方向音痴だとこれまで自覚したことはなかったが、さすがに家の中で迷子になると俺もひょっとしてとは思ったが、そもそもこの〈屯所〉とやらが広すぎるのが悪い。
俺の名前は工藤貴之、年齢十七歳。ごくごく普通の高校三年生である。つい、この間までは。
目の前でお怒りなのは、壬生浪士組副長・土方歳三という人で、着物と袴に長い髪を纏めてポニーテール、
申し分のないイケメンだが、精悍な顔に、整った鼻梁に意志の強そうな目、その眼光は、そこにいる者を動かせなくなるほどの迫力だ。睨まれたら、蛇の前のカエルとなるのは間違いなし。
上背があり無駄な肉もついておらず、引き締まった躯をしている。
信じて貰えないだろうが、俺は現在、幕末の京都にいる。正確には、後に新選組となる壬生浪士組に。
「お前のお陰で仕事が捗りゃしねぇ」
土方さんはそのうち、ぶちぶちと愚痴り始めた。
「迷惑をかけるつもりも悪気もないんですよぉ。もう不運というしか……」
また「あはは……」と笑ったら、土方さんは何とも言えない顔で言った。
「俺は、お前を拾った事が不運だぜ。今からでも捨ててくるか」
「そんな、いたいけな若者を荒れまくりの町に放り出すなんて」
「知ったことか。第一、何処が〈いたいけな若者〉だ。茶一杯も煎られねぇ奴が」
酷い。酷すぎる。神様、あんたどうしてよりによってこの世界に俺を飛ばしたんだ。
俺はいわゆる、タイムスリップというやつでこの世界にいる。神様などと言っているが、俺はクリスチャンでもないし、どこかのカルト信者でもない。神社など気に向いた時にふらっと行くだけだ。
要するに俺の神様に対する扱いは困った時に頼り、災難に遭えば愚痴るという罰当たりもいい不心得者なのだ。
その所為かわからないが、よく災難に遭う。「良運」というものに恵まれた例しがない。
しかし――、タイムスリップはないだろう!?
俺が何故タイムスリップなどしたのか話せば長い話になるが、きっかけはスマホで何気なくネットサーフィンしていて、如何にも怪しいサイトに辿り着いたのが始まりだ。
『迷える貴方へ。幸運の神様が貴方をお助けします』
俺はこの手のやつには、引っかからない。第一〈神様〉とやらがネットとか使う字体怪しい。こういうのは、まさに何処ぞのカルトの勧誘だったりする。だから俺は無視をした。
部活もバイトも経験ゼロ、何が楽しくて躯を動かさないといけないのか。将来、ニート確定となりそうだが、さすがに大人になれば食うためには働かないといけない事は俺にもわかる。
しかし、今は高校生で十七歳。好きな漫画を読んだり、ゲームをしたり、友人とLINEしたり、それなりに楽しくなって行きたい年頃なのである。
「俺だって早く向こうへ帰りたいんです」
「帰れ」
「それが出来るものならとっくにしていますよ。土方さん」
こんな不便な世界、さっさと出たい。だが、帰り方がわからないから困る。
道に迷ったら地図アプリと言う便利なツールがあるが、この世界では全く役に立たない。
いろいろな情報が載っている検索サイトでも、タイムスリップしてからの帰り方など載っているとは思えないが、この世界ではネットなどというものはなく、電話本体でさえ登場するのはここからずっと先の未来である。
まさか、ずっとこのままこの世界とか……?
そんなの絶対、嫌だ!!
「俺はお前の不運を背負うなんぞ、まっぴらごめんだ。何とか帰る方法を考えろ。俺の手を煩わせるんじゃねぇ。近藤さんが預かれと言うから側に置いてやっているが、お前みたいな面倒な奴は即刻捨てたい。甘えるな、働け。うちにいるのなら頭も使え」
土方さんは容赦がない。働くのも頭を使うのも苦手な俺にここでの役割は何と、土方さんの世話係。
お茶出しに簡単な片付け、掃除に布団敷き。家ではした事がないものばかりだ。
だが捨てられたら困るので、俺は「うっす……」と返事をした。
「はい、だ! 馬鹿野郎」
ほんと、良く怒る人である。
今日一番の仕事は、土方さんの手紙を飛脚問屋という所に持っていく事だ。
この時代は電子メールもないから、通信手段は手書きで飛脚問屋に持って行くらしい。郵便局みたいなものらしいが、手紙は人が走って届けると聞いた時は衝撃を受けた。
一人ではまた迷子になるからと、沖田さんが俺にくっ付いてきた。
現代では土方さんと並ぶ新選組の有名人、沖田総司という人だ。実はこの土方さんのお使い、沖田さんが巡察に出掛ける時に命じられる。だから良く目立つ。
「壬生浪や」
「あの異人、壬生浪だったんか?」
屯所を出た途端、町の人の視線が突き刺さる。
「タカくんはすっかり有名人だね」
沖田さんがクスクスと笑う。
土方さんと同じように長い髪をポニーテールにしているが、沖田さんは細面に整った鼻梁に切れ長の目、無邪気な笑みには、土方さんに怒られてばかりで凹みがちな俺には救いとなっている。
「俺は、異人じゃありませんよ」
土方さんも沖田さんも、そのほかの人も俺が百五十年以上も後の未来から来たとはまだ信じていない。頭がおかしい奴と思われているか、何処かの国からやって来た日本語ペラペラの外国人などだ。
ま、現代でも過去からやって来ましたと言われたら似たような状況になるだろうが。
俺が土方さんから預かった文を届けに行く飛脚屋は、屯所からそんなには遠くはない。何でも俺は、その途中で気を失って倒れていたらしい。
そこは至って普通の路地で、先は行き止まりとなっている。その道には、拳ぐらいの石が一つ半分ほど地に埋まっていて、普通に歩いていればきづく大きさだ。
「君は、この石に頭をぶつけたんだねぇ」
沖田さんは、まだ笑っている。
どうやら俺は、この石に躓いたようだ。つまり、ここが俺がタイムスリップした場所。
ここへ来れば元の世界へ戻れるかもと期待したが、何も変化は起きない。
まさか、こちらの世界でも災難に遭おうとは、俺ってどんだけ不運なんだよ。
沖田さんは「もう一度躓いてみる?」などと提案してきたが、痛い思いをして帰れなかったら嫌なのでそれは辞退した。
どうせ帰るのなら痛くなくて、お金もかからず、楽に帰りたい。
「以前はここに、祠があったんだけど、壊しちゃって……」
何と、俺がタイムスリップする前日に祠を壊した不届き者がいたという。
「こ……わ……した……?」
「もしかしたら、君がいう〈みらい〉への入り口だったのかも知れないね」
沖田さんはにっこりと笑ったが、俺はどん底に落とされた気分だ。
「どこのどいつなんですか? その罰当たり」
「今の君じゃ適わない相手だよ。はっきり言って――、君のような人間はうちでは生きてはいけない。タカくんの育った所がどんな所かわからないけど、このままじゃ君は死ぬよ」
以前、土方さんにも同じ事を言われたが、土方さんや沖田さんが何を言いたいのか、俺にはわからない。
俺の頭の中は、帰る事ばかり考えていたのだから。