そのきゅう 内輪話
ゼンチさんは人の心の内を「知る」ことはないが、例外があるらしい。それは、これまで「全知」だった人たちの心。あまりその話をすることはないけれど、ゼンチさんにとってそれは大事な記憶らしい。
ただ、ゼンチさんは時々遠くを見て何かを考えている。そういうときはたぶん、何かを思い出してるんだと思う。ゼンチさんじゃない全知さんのことを。
次の日。事務所に行くとゼンノーさんが戻ってきて、ナキちゃんに餌をあげていた。
「おーお疲れ。なんか週末大変だったらしいな。」
「結局休み無しですよ。まあ解決したみたいだからいいですけど。」
「ま、私の力をもってすれば家庭問題のひとつやふたつってね。」
ゼンチさんは相変わらず眉間に皺を寄せてコーヒーを飲む。
「ゼンノーさんはどうだったんですか?」
「ん?おお、バッチリ。隅から隅まで激写よ。見るか?」
「アキラ。」
「分かってる。冗談だよ。」
ゼンチさんに言われて肩をすくめる。まあ、僕としても他人の不貞の瞬間なぞ見たくもない。
「まあ俺もどうせならそういう猫探しとかみたいな感謝しかされない仕事がいいわ。」
「そう言わずに。アキラがそういう仕事をやってくれるおかげで他の仕事も回ってくるんだから。」
ゼンチさんは食事を終えてまたPCの前に戻っていった。ゼンノーの方はナキをカゴに戻し、またゲームの準備を始めた。
「よし、やるぞ。」
それでコントローラーを僕に向ける。あ、僕もやるのが決まってるんだ。まあいいけれど。
*****
事務所を開いてもしばらく人が来ず、暇になった。ゼンノーさんは報告書の方をまとめている僕はソファに座ってテレビを眺めているが、この時間はどうも面白い番組をやっていない。自然とPCの向こう側にいるゼンチさんと他愛もない話をすることになる。
「そういえば、ゼンチさんってどこまで分かってたんですか?」
「ん?何の話?」
ゼンチさんはひょこっと顔をモニターの横から出した。
「美保さんの話ですよ。どうしてナキちゃんを逃がしたのか、全部分かってたみたいでした。たしかゼンチさんは人の心は読めないって。」
そう聞くとゼンチさんはため息をついて水を飲んだ。
「いい?人の心の中っていうのはどうしても行動や表情に出てくるものなの。そこをじっくりと読み解いていけば、完全とは言えないけど類推はできる。その想いが強いのならなおさらね。」
「なるほど……。」
分かったような顔でなるほどとは言ったが、正直のところ僕には受験のために余命短い猫を逃がすということは思いつきもしないと思う。ここは人生経験の差……なのかな。
「亀の甲よりなんとやらって奴ですね。」
「……一応言っておくけど、私達普賢くんとそんなに年離れてないから。」
ゼンチさんはなんだか呆れているようだ。まあ確かに四歳差はそれほどの差ではないか。ちなみに、ゼンチさんとゼンノーさんは同い年だ。
「ともあれ、それに私に限って見落とすと言うこともないわけだから、表に出ていることことを見れば何を考えているかはなんとなく分かっちゃうものなのよ。」
なるほど。ちょっと試してみよう。どうでもいい話だが、ゼンチさんはデスクに座ると足が床に付かない。一番低くして、ようやくつま先が届くくらいだ。
だから椅子から降りるときはああやってひょいと飛び降りる。流石にソファに座った僕よりは高くなるから、近づかれると僕が見上げる形にーー。
「あだぁ!」
いきなりすねを蹴られた。まさか、本当に何を考えていたのか分かったのか。
「視線。表情。後は統計。次私が小さいとか考えたら。」
「考えたら?」
すねをさすりながら見上げると、ゼンチさんは首をかっ切るポーズをして、きびすを返す。後ろから見ると腰までかかる黒髪と黒いスカートで真っ黒だ。黒い悪魔、いや小さいからーー。
と、またゼンチさんがこっちを睨んでくる。うん、悪魔でいいや。
「まあ見落とさないって言うけど、本当に見落とさないならシンも休出なんてしないでよかっただろうにな。」
ゼンノーさんが座り直したところで報告書をまとめ終えたのか、ゼンノーさんが戻ってきた。
「それってどういう。」
「ん?いやほら、母親が逃がしたのを知ってたならそのまま返してもこじれるなんて想像つくだろ?その対策もしないで安請け合いしてたんだから、きっと依頼受けたときにはそこまで見てなかったんだろうよ。」
なるほどなぁ。たしかゼンチさんって、見ようとしてないところは見えないんだっけ。
「ほら普賢くん、お客さんが来るから早くお茶の準備をして。」
どうやらゼンチさんはこの話題には触れられたくないらしい。モニタの向こうで表情は見えないが、僕にだってそれくらいなら声で分かる。