そのご 読み違い
ゼンチさんは全知でありながら、知らないものが三つあるという。一つは人外の知、一つは人の内側あるいは心、そしてもう一つが未来。
ただ、ゼンチさんは未来が見えないことを認めない。曰く「私にとって未来は一つじゃない。だから、私が知る未来は知ろうとするたびに変わる。」だとかなんとか。
「あるいはこう言えるのかもしれない。私が知っているのは、未来の可能性だけだって。」そう言うゼンチさんはいつもどこか誇らしげなのだった。
猫と猫缶を連れて事務所に戻ってくるころには、もう日も暮れ始めていた。事務所ではゼンノーさんがカメラのメンテナンスをしていた。
「あれ、ゼンノーさんも仕事が入ったんですか?」
「ん?ああ、この週末に浮気調査だ。」
スケジュール表を見ると、週末は近くの温泉街に行くらしい。旅行の付き添いか。大変だな。ん?
「ゼンチさん、明日って土曜日ですよね。」
ゼンチさんは露骨にいやそうな顔をした。
「優月ちゃんと約束したのって、明日でしたよね。」
「えぇえぇそうですよ。どうせ私は曜日の管理もできないへっぽこですよ。」
なんだかゼンチさんはすねてしまっているようだ。どうもゼンノーさんと似たようなやりとりをした後らしい。大体こういう反応してるときはそんなもんだ。
機嫌を直すため……に苦手なものを出すのもどうかと思うが、まあ気にせずコーヒーを淹れる。
「はいどうぞ。ゼンノーさんの分、テーブルに置いてますから。」
ゼンチさんは眉間に皺を寄せながらもコーヒーをすすり、重たげに口を開く。
「普賢くん、悪いんだけど明日も来てもらえる?もちろん給料は出すから。」
「え、まあいいですけど。でも猫の受け渡しだけですよね。」
「まあそうなんだけど……。」
「無能の千枝ちゃんだけだと心配だからな。猫が。」
ゼンノーさんが口を挟んで、またゼンチさんの顔が険しくなる。ちなみに無能というのはそのまんまで、実はゼンチさんは非常に鈍くさい……おっと。ゼンチさんの睨みがこっちにも向いてきた。心は読めないはずだけど、ちょっと見透かされた気分。
「ま、いいわ。脳無しアキラにしてはそれほど間違っちゃないアドバイスだし。私は私を分かってるから。」
……よくは知らないけど、子どものころから二人はこんな感じだったんだろうか。
それで土曜日。ゼンチさんに言われた通り、いつもよりは遅めに出勤。
「あ、普賢くん!?早く来て!?あバカ!そこは!」
猫がふしゃー!となく声が聞こえる。……うん、ゼンノーさんは正しかったようだ。
どういうわけかケージから出ていた猫をなんとか戻し、依頼人を待つ。
「でもどうしてケージを開けたんですか?」
「だってお腹すいてるんじゃないかって……あ、普賢くん。」
「はーい。」
言われたタイミングで看板を変えに行く。看板をOPENにして戻ろうとすると、ちょうど優月ちゃんが現れた。一緒に連れている人は、たぶん父親だろう。
「いらっしゃいませ。中へどうぞ。」
優月ちゃんは、父親のサインの入った契約書と契約金とを引き換えに猫を連れて帰っていった。
「結構厳しいお母さんだったみたいですから、どうやってサインもらってくるのかと思ってましたけど、その手があったかって感じですね。」
「まあ探偵に頼る頭があるんだから、その辺の機転が利くことはすぐに分かったんだけど……。」
ゼンチさんはコーヒーを飲みながら目を瞑る。これは……コーヒーが苦手だからってだけじゃないような。
「ゼンチさん?」
「普賢くん。悪いんだけどもうちょっとかかりそう。とりあえず、紅茶を用意しておいて。」
「え?でも優月ちゃんの件はこれで終わったんじゃ。」
ゼンチさんはため息を一つついて、引き出しから出したチョコをかじる。
「低目を引いたってわけね。ほとんど見えなかった筋だったけど……。」
ゼンチさんがまたため息をついたのと同時にドアがノックされた。
ドアを開くと優月ちゃんとその父親、それともう一人。いかにも気の強そうな、不機嫌なゼンチさんがそのまま大きくなったような女性が立っていた。
ひとまずは客間に連れて、紅茶を出す。優月ちゃんはすっかり萎縮してしまっている。
「それで、どういったご用件でしょうか。」
ゼンチさんの言葉に父親が口を開こうとするが、母親が止める。
そして唇を湿らせ、その切れ長の目をゼンチさんに向ける。
「申し訳ありませんがこちらの契約、取り消させていただきます。」