そのじゅう 一件落着
ゼンチさんの言うお客様は、優月ちゃんの父親だった。改めて契約書とお金を持ってこられた。
「いや、ほんと申し訳ありません。色々と家庭のごたごたに巻き込んでしまって。」
「いえ、お気になさらず。こういうのもなんですが、ウチが扱う案件の六七割は家庭内の問題に関わることですから。」
ゼンチさんの言葉に父親ーー宗介さんは「なるほど」と言葉を漏らした。まあ探偵といったら小説みたいな活躍か浮気調査かって感じだよね。
「ああ、すみません。失礼でした。それで、ナキは。」
ナキちゃんのカゴを机の上に置いて開くと、ナキちゃんは宗介さんの方にぴょんと跳びだしていった。
「よくなついてるんですね。」
「え、ああ。お昼ご飯をあげるのは僕が多いですから。ウチは妻が外で働いているので。」
いわゆる主夫というやつだろうか。あるいは在宅勤務かもしれないな。
宗介さんがナキちゃんの喉を撫でてやると、ナキちゃんは気持ちよさそうにゴロゴロと鳴らす。
「でもこの前の定期検診はちょっと僕の方に用事ができて。でもそうか、こいつともあと一年なのか……。」
宗介さんはかわいがるような、どこか寂しいような目をナキに向ける。ナキの方は気にせずみゃおと鳴く。
「妻は迷惑掛けたってちょっと落ち込んでましたよ。プライドが高いからすぐ突っ走るんだけど、それで失敗すると小さくなるんですよ。」
「のろけ話なら別料金になりますが。」
こともなげに水を差され、宗介さんは頭を掻いて謝った。きっと本当に美保さんが好きなんだろうな。
「いえ、美保から報告するように言われたことがあったんです。日曜に会ったんですよね。あの後娘にちゃんと話して、今後どうするかを決めようって。」
「優月さんはどんな反応を?」
「最初は泣いて部屋に行っちゃいましたが、夜に少し落ち着いたみたいでね。考えてみれば二人がちゃんと話し合ってるの初めて見たかもしれないなぁ。」
複雑な家庭の事情……というほどでもないか。教育ママとそれに従う子どもって言っちゃえばよくある話なのかも。
と思ってたらゼンチさんに足を踏まれた。客の前では声を出さない客の前では声を出さない客の前では声を出さない!
僕が痛みに耐えている間に宗介さんはまた口を開いた。
「ともあれ美保が優月に謝って、それでどうするか考えようってなったんです。まだ決まってませんが、まあ優月とも話し合ってゆっくり決めますよ。」
「それがいいでしょうね。一緒に考えるのが、受け入れるのにもいいでしょうし。」
宗介さんはゆっくりと頷いて、残っていたお茶を飲み干した。
「そんな感じなので、まあたぶん大丈夫だと思います。色々とありがとうございました。」
「いえ、上手くいきそうで安心しました。また何かありましたらどうぞごひいきに。」
ゼンチさんの営業文句に笑いを浮かべ、ナキちゃんを持参していた方のカゴに戻して帰って行った。
*****
宗介さんが帰ったあとの後片付けをしていると、ゼンチさんが定位置に戻っていないことに気がついた。
「どうしたんですか、珍しい。」
「ちょっと、ね。アキラの言ってたことを思い出して。」
「俺がどうかしたか?」
名前が出てきたから、休憩室からゼンノーさんが出てきたが、ゼンチさんは無視した。
「やっぱり、感謝されるっていいものね。」
「だろぉ?俺なんかもうこの後依頼人に会うのもちょっとおっくうっていうか、その後のことも相談されるのかと思うとちょっと気が重いよ。」
「ゼンノーさんもそういうこと思うんですね。」
「そりゃそうよ。どうせなら楽しい話した方が楽しいじゃん。」
たぶん報告書の入った封筒を持ったままどさっとソファに座り込んだ。ちょっとゼンチさんが跳ね上がる。
「もう!せっかく感傷に浸ってたのに!」
「なーに、飛んだ跳ねたくらいの方が人生楽しいだろ?」
「だからそういう問題じゃない!まったく……。」
少年みたいな笑顔を向けるゼンノーさんにブツブツつぶやきながらも、結局ゼンチさんも楽しそうだった。
うん、いい話だ。
普賢くんが帰ったあと、いつものようにアキラと銭湯に向かう準備をする。
「たまにはシンを誘ってもいいんじゃないか?」
「まあいつも私の代わりに動いてもらってるわけだし、たまにはそういうのもいいかもね。」
なかなかタオルが見つからない。もう諦めてあっちで用意してもらおう。そう思って玄関の方に行ったらアキラが二人分持っていた。
「絶対諦めると思った。」
「そもそも、準備してるならそう言いなさいよ。」
アキラはヘラヘラ笑ってへいへいと返事をするが、この返事は絶対聞いてないやつだ。力を使うまでもない。
銭湯から上がると当然のようにアキラが出口で待っていた。それで二人並んで事務所に帰る。
「早すぎるんじゃない?ちゃんと肩まで浸かった?」
「そんなん知ってんだろ?」
言われて銭湯での様子を思いだし、顔が熱くなる。な、何を考えさせるのよこいつは!
バシバシとアキラを叩くけど、微動だにせずちょっと混乱した様子。そのまま困ってればいい。
「でもま、よかったな。」
「はぁ!?いきなりなに!」
「今日のやつ。ちゃんと家族仲良くできそうだったんだろ?」
「……そうね。」
この商売、正直のところこういうケースの方が珍しい。アキラの担当した人みたいに疲れ切った声を出す人の方がどれだけ多いか。
「ごめんなさい。いつも嫌な仕事ばっかり振っちゃって。」
アキラからの反応がない。そっちを見てみると、目をまん丸に開いてこっちを見ていた。と、額に手を当ててくる。大きな手。
「熱はないみたいだな。千枝ちゃんが謝るなんて、明日は雨かな。」
人が下手に出て見れば……今度はふくらはぎを思い切り蹴る。避けもせずに当たって、微動だにしない。こういう男なのだ。絶対避けたりしない。
少し膨れてみせるとアキラは大きな声で笑った。オーバーな奴だ。
「俺は、いいよ。そりゃまあ依頼人に喜ばれるような方がうれしいけど、適材適所ってやつだからな。」
「……ノーナシのくせに生意気。」
不満顔のままつぶやくと、月の光をそのまま跳ね返したような笑みをこっちに向けてきた。こういう、奴なのだ。
「まぁ、次の仕事はもうちょっといいのを流すわよ。」
「え?いいって。無理しないで。」
「無理じゃない。たぶんだけど、そういう仕事が回ってくるから。」
先の未来を話すのはあまり好きじゃないけど、まあそういう日もある。
「……そっか。ありがとな。」
アキラは片手で私の髪をぐしゃぐしゃと撫でる。こいつ、どこまで分かっててこういうことをやってくるのか。
色々抜きにすれば、私の長い髪にこういうことをするんじゃないと、そう言いたい。




