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きみと6月の雨  作者: 藤井 頼
第二章
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10.5話 高嶺の花

「はい、四つ葉書店出版部、蓬莱ほうらいでございます。……はい、はい……では、14時に、失礼します」


その人は他を寄せ付けない雰囲気をまとった人だった。


「伊東、14時の真崎先生に渡す資料持ってきてくれる?」


「あ、はい。これです」


パラパラと資料に目を通すその綺麗な所作一つ一つに目を奪われる。


「いいわ、ありがとう」


四つ葉書店出版部企画リーダー、蓬莱ほうらい咲子さきこ。俺よりも8つ上で御歳32歳、独身。32歳には見えない若さとは裏腹に、仕事の鬼と言われる完璧な業務遂行。入社当時から俺の目指す目標であり尊敬する上司である。


「おい! 咲子、またこんなになるまで飲んで!」


「いーの、勇吾がちゃんと見てくれるから、へへ」


それと俺の彼女でもある。彼女を支えて部屋の前まで行くと、俺はマンションの合鍵を使う。部屋に入ると吹き抜けの天井に眼下に広がる夜景に目を奪われる。ソファに座らせるとほとんど食べ物の入っていない冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。


「ほら、水」


「んーありがと、勇吾」


彼女が俺の名前を呼ぶたびに、これは夢なのではないかと不安になる。そんなときはいつも彼女を抱くことで、少しでも現実であることを実感したくなる。


「咲子……」


「ん、……勇吾、だめだって」


「だめって、なにが?」


彼女はどこかの偉い政治家の娘だと風の噂で聞いた。仕事が出来て、いいとこの令嬢。俺との境遇の差にいい印象はひとつもなかった。


だけど彼女の素を知っていくうちに、彼女の完璧主義や必要以上に関わらないのは、いつも大きくのしかかってくる父親の存在から自分を守るための壁だということに気づいた。


彼女は幼い頃から厳しい父親の元で失敗の許されない生活を送ってきた。弱みを見せることは負けるのと同意だと。だから俺はどんな仕事でも彼女ためにサポートしてきた。


「は? 見合いってどうゆうことだよ!」


「しょうがないでしょ、家が決めたことなんだから」


少しでも俺とのこと迷ってくれたのか? なんでそんな冷静でいられるんだよ。


「相手は?」


「聞いてどうするの? 問題はごめんだからね」


「咲子にとって俺はその程度のだったってことか?」


そう冷たくあしらう彼女に怒りすら湧いてきた。


「だったら俺のこと忘れられないようにしてやるよ」


自暴自棄になった俺は最後の夜、彼女をこれでもかってくらいに乱暴に抱いた。彼女は最後まで涙ひとつ見せることはなかった。


「蓬莱部長、結局お見合いの話なくなったらしいよ。何か、相手が元カノ忘れられないとかで」


「えー、なにそれ。相手って東文とうぶん社の八神翔でしょ!? あんな出来る人が元カノ忘れられないとかあるの?」


もう、俺には関係のない話だ。仕事終わりでいつものバーのドアを開けるとカウンターで突っ伏している客が目に止まった。


「……咲子」


俺は気づかれないように少し離れた席に座った。


「マスター、これと同じの」


「咲子さん、今日はもう終わりにした方がいいですよ。最近毎日じゃないですか?」


「飲んでないと、やってられないことばっかで……やんなっちゃうの」


咲子はマスターに絡むと、また酒を煽る。


「勇吾くんのことですか?」


俺の名前に一瞬ドキリとする。咲子が俺のことで酒を煽るはずはない。最後なんてあっさり終わってしまったのだ。


「……私が、傷つけたの。こんな私のこといつもちゃんと見ててくれて認めてくれたのに、最後の最後にあんな別れ方させて……」


あのときは見合いのことで頭がいっぱいだった。だから気がつかなかったのか? 今カウンターで飲んでる彼女は俺とのことをちゃんと後悔してくれている。


「でももう終わりにしたの。これからは甘えてばっかじゃなくて自分の力を試そうと思ってる。私のわがままに付き合わせた勇吾のためにも。」


俺のことそんな風に思っててくれたなんて。これ以上彼女を見ていられなくて店を後にした。俺は彼女のことわかったつもりでいたのに、何もわかっていなかったのだ。


あの日のことを後悔しても今更遅い。だったらこれからは仕事で返していくしかない……そう思っていたのに。


「異動!? こんな時期にですか?」


「そう、伊東には3年間支店でのマネージャー業務に携わってもらうつもりよ。必ず今の仕事の糧になるはずだから」


「支店で3年って……」


「話は以上よ。仕事に戻って、私は打ち合わせでもう出ないといけないから」


そう言ってエレベーターへ向かう咲子を追った。エレベーターに乗り込んだ咲子にギリギリのところで追いついた。エレベーターには俺と咲子の二人しかいない。


「そんなに俺を遠ざけたいのかよ!」


「仕事に私情を挟むつもりはないわ」


そう淡々と話す咲子の手を取り壁に押さえつける。


「俺は考え方も子どもだし、咲子のこと何もわかってなかった。でも、やっぱり諦められない。絶対また振り向かせてやるから」


何か言おうとした咲子の唇を塞ぐ。何度も何度も……


「……っん、や、めて。……勇吾」


俺は名前を呼ばれてはっとした。目の前には衣服が乱れ、頬は紅潮し涙目の咲子の姿があった。


「咲子は忘れられても、俺は今でも咲子のこと愛してるよ」


そう言い残し俺はエレベーターを後にした。

伊東マネージャーの過去・番外編でした!


仕事の鬼、蓬莱咲子は伊東マネの彼女であり、八神さんのお見合い相手でもありました。


今はだいぶ落ち着いてしまいましたが、若かりし頃の伊東マネは今よりもやっぱり少し幼く見えますね。

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