25話 動物園デート
「奈央にずっと会いたいと思ってたんだ。」
「…八神、さん。」
その名前を口にすることはもう二度とないと思っていたのに。
「…もう、翔とは呼んでくれないんだね。」
そうゆう彼の顔には寂しげな笑顔が浮かんでいた。その表情はまぎれもなく、彼との最後の会話で見た笑顔だった。
「……。」
その表情を見た途端それ以上何も話せなくなってしまった。あれは自分の選択だった、後悔はしないと決めた。でも…。
「あれから奈央に何度も連絡取ろうとしたんだけど、番号変わっててアパートも引き払った後だったし。そうだ、これ僕の連絡先。」
そうゆうと彼が名刺を差し出した。私が受け取ろうとしないのを見ると、私の手を取り優しくその手に名刺を乗せた。その手の感触も、俯いたとき前髪から見える長いまつ毛も、何一つ忘れることができなかった。
「ずっと後悔してたんだ。あのとき、奈央の話をちゃんと聞いてあげられていたらって…。」
「三崎さん、お待たせしました。」
名前を呼んだ一馬くんの声に一瞬心臓が止まるかと思った。
「三崎さん?」
私の様子に違和感を感じたのか、一馬くんが八神さんの方を見る。
「…彼女に何か用ですか?」
「あの、…。」
喉の奥が詰まってうまく話せない。
「こんにちは。三崎さんの元上司の八神と言います。今日はデートだったんだね。僕はこれから近くで打ち合わせなんだ。そろそろ約束の時間だから失礼するよ。三崎さん、また。」
そういうと彼は私に背中を向けてその場を離れて行く。最後に別れたあの日のように。
「……。」
「三崎さん、大丈夫ですか?」
「…あ、うん。なんでもないよ。」
私は首を振ると、何事もなかったかのように握っていた名刺を鞄にしまう。今、ちゃんと笑顔を作れているだろうか。とにかく今は一馬くんとちゃんと向き合いたいと思っているのに。
「10時半からキリンのエサやり体験あるって書いてあったよ。行ってみる?」
そう言って私は一馬くんにスマホの画面を見せる。スマホを覗き込む一馬くんの顔が思いのほか近くてドキッとした。それなのに私の頭の中はすぐに今ここにいない八神さんのことでいっぱいになった。それから1時間ほど園内を回りようやく半分ほど見終えた頃。
「三崎さん、お昼食べたらあれ乗りませんか?」
一馬くんが指した先には園内にある遊園地の観覧車があった。観覧車とかいつぶりだろう。
「うん、いいよ。お昼はどこで食べようか?新しく出来たフードコート施設もあるみたいだよ。」
ベンチに座って2人で動物園のHPを見ながらお昼の相談をする。園内には先ほどのフードコート施設の他に、手軽に食べられるキッキンカーなどもあるようだった。
「んー、迷う!どれも美味しそうだね。」
「あ、俺これ食べたいかも。」
「どれどれ?」
一馬くんのスマホを覗き込もうとしたとき、
ポツ、ポツポツ…画面に水滴が落ちてきた。
「え?雨降ってきた?」
「あ、ほんとだ!とりあえず屋根のあるとこに。」
一馬くんが自然と私の手をとり走り出す。手を引く一馬くんの背中を見ると何故か安心する。時々振り返りながら私のことを気づかってくれる。
「大丈夫ですか?あとちょっとなんで。」
今日は曇りの予報だったのにさすが梅雨、天気予報もほとんどあてにならない。少し先にある休憩スペースに移動した。イベントスペースも併設されていてステージがあり、結構広めの場所だった。急な雨でちらほら同じように雨宿りをしている人がいたが、広さのせいかさほど気にはならなかった。
「ちょっとしたらやみそうですね。」
私の手を離して空を見上げながら一馬くんがつぶやく。離した手が少し寂しく感じた。一馬くんは雨に濡れた眼鏡を外すと水滴を払っていた。眼鏡の一馬くんもカッコいいけど、眼鏡を外した顔もやばい!って、それ以上にこんなに走ったのいつぶり!?も、もうこれ以上走れない。
「はぁ、い、急いでないし、ちょっと雨宿りしてこうか。」
息も絶え絶え提案する。一馬くんが私の方を振り返ると、少し焦った様子で上着を脱ぐと私の肩にかける。
「ちょっと濡れてるけど着てください。」
はっ!として、自分の服を見ると雨に濡れて白のシャツから下着が透けている。白のシャツに合わせて薄めのブラにしたけど、それはそれで何か恥ずかしい。上着のまえをぎゅっと合わせる。
「…あ、ありがとう。」
そんな一馬くんのこと大切にしたいし、もっと知りたいと思ってる。どんどん好きになっていて、側にいたいとも思う。なのにさっきからずっと八神さんとの思い出が次から次へと蘇ってきて私の心を侵食していく。
奈央の前に現れた八神翔。彼は奈央の過去に大きく関わる1人です。
一馬とは順調に?デートを重ねているようですが…今回は動物園。梅雨なら水族館がオススメですが、一馬らしい選択です。
そしてハプニングも…!?