そして、気付かないまま
扉の向こうでは、殺すべき相手がのうのうと眠っている。
片手には、キッチンから取ってきた麺棒。
復讐に燃える握力が、凶器を固く握りしめたとき――――少年の手に、手が重なる。
「!」
「クラウス。何するの」
悲しそうな、兄の顔。
「...殴ってやるんだよ。起きなくなるまで、ぶちのめすんだ」
「そんなことしたらダメだよ」
「あいつらはやった!」
小さな声で少年は怒鳴った。
「昼間、あいつらはコレで兄さんを殴った!悪魔の子だって、わけもわからないような理由で、兄さんを何回も殴ったよ!?」
麺棒を見せつける。
顔に大きな痣の残っている兄は、それでも懇願するように言ってくる。
「仕返しはやだよ。やめて」
「なんでさ」
「誰も嬉しくならないよ」
「あいつらがいなくなれば、兄さんを虐める奴がいなくなる」
「だとしても、僕は嬉しくならないよ」
「...っ」
「ねえクラウス、やめて」
やめて、と兄は繰り返す。
どうして僕を止めるのさ。
どうして奴らを庇うのさ。
そんなんじゃ、何も変わらない。何も変えられない。
あいつらは兄さんを傷つけるよ。
人間は母さんを傷つけたよ。
他にどんな道があるっていうのさ。
「クラウス...」
それでも兄が頼み込むから、もう自暴自棄になって、少年は寝室のドアに背を向け歩いていく。
許さない。絶対に、許してはいけない。
大切な人を苦しめる彼らを。
...少年は、ある重要なことを失念していた。
人間たちから救済されるべきは、彼の母であり、兄であり――――彼らの大切な存在である、自分自身の幸せなど、頭に浮かんですらいなかったのだ。