夜空の光、抱擁
マランバ市立大学竜学部竜学科において、朝昼晩の三度の食事は調理員さんが健康に気を使って作ってくれるらしい。購買など、食事以外で食糧を手に入る手段がない為、マランバの学生の健康水準は素晴らしい数値だという。
プティに乗って初めてマランバを訪れ、はじめての夕食はシュクジン先生と一緒に食べた。他の生徒と同じ場所に集まって触れ合うのも、夕食を食べるのは初めてだ。だから、周りの目線を気にして中々食べられなかった。ジロジロと見られている気がして、お腹が痛くなった。
「フィーは有名人だからね、仕方ないよ。ほら、私のパンあげるから元気出しな」
シュクジン先生は二つあるパンのうち一つを私にくれた。シュクジン先生は優しいから、緊張している私にパンをくれたのだろう。しかし、シュクジン先生が私の為にパンをくれたことが嬉しくて、罪深く感じた。
「すみません…」
私が言うと、先生ははにかんだ。
「すみません、だったら何もあげないよ?すみませんじゃなくて、“ありがとう”だよ」
「はい…」
「…浮かない顔してるね」
「まあ、大丈夫です」
シュクジン先生は何も心配してくれなかった。だけど私は気づいていた。きっと、これは自分で解決しなければいけないことなんだ。シュクジン先生はちゃんとそれを分かっているんだ。
私はフィー、フィーは天才、私も…天才にならなくちゃいけないのかな…
○
「おやすみ」
夕食後、シュクジン先生と別れて私は一人部屋に入った。何もやることがない…退屈な夜だ。何となく部屋の電気を消して、私は夜空の星々を見た。だけど…何も感じない。
「あれ…」
日本のことを思い出そうとしたけれど、この日は何故か思い出せなかった。私の名前は…何だったっけ。思い出そうとすればするほど、記憶を絞れば絞るほど、中身が勢いよく漏れ出している感じがして、思い出すこと自体が怖くなった。
気づけば、目には涙が浮かんでいた。
泣きたい…心からそう願った瞬間だった。
「フィー、起きてる?」
ファラの声だった。
「起きてるよ」
「開けていい?」
「うん」
ファラはゆっくりと部屋を開けると、お人形さんみたいな顔に大きな笑顔を浮かべた。
「私、今日からここに住むことにした」
「え⁉︎」
「大丈夫よ。もうシュクジン先生には許可取ってあるし」
「…ならいいけど」
「うふふ」
部屋には星の光が差し込み、ホタルイカの沖のように鮮やかに、荘厳に光っていた。ファラは部屋に入ると、私めがけて一直線に飛びかかってきた。そして、私をベッドに押し倒した。
「ちょ…ファラ?」
私は困惑しながらも、ファラの温もりを手で包み込んだ。ファラはそのままじっと動かずに、私に抱きついては離さなかった。
「どうしたの…ファラ?」
「フィー、私はフィーの温もりを感じたかったの。フィーが居なくなって、私は本当に寂しいの。ついこの間までは、一緒のベッドで寝て一緒に起きて、一緒にご飯を食べてた。だけど、神様は残酷よね…嵐の夜みたいな気分よ」
ファラの温かな体と、冷たく薄暗い声。そのシンメトリーが私を包み込んだ。
「だから、こうやってずっと抱いてたい。フィーは、私の…大切なものだから、手離したくない」
「…ファラ……」
どうすればいいのか分からなかった。私の体を抱擁するファラの手に応えるべきなのか、応えないべきなのか…フィーならどうしていたのだろうか、私の体を抱くファラの背中に手を当てて、抱き寄せただろうか。それとも、ファラの抱擁を一身に受け続けたのだろうか。
「ごめんね」
ファラは言った。
「明日からまたいつもの学校生活。フィーは…特別授業なんだね。一旦離れ離れになるけれど、私は精一杯あなたをサポートする。だから…これからも私を頼ってね」
星の光に照らされたファラの顔はとても頼もしかった。フィーも、こんな風に逞しい人だったのかもしれない。だけど、フィーはもう…何処にもいない。フィー、お願い…戻ってきて。