魔が差す
昼を費やし、私は特訓した。
早くも空には夕焼けが広がっている。
結局、私はタペヤラに乗れずじまいで終わってしまった。プティや他の竜にはやっと触れるようになったのだが、タペヤラにはどうしても及ばなかった。
あと一週間もない…私はまだ固定具の扱いにも慣れてなけりゃ、竜に乗って舞うこともできない。そう思うと火のついたような焦燥に襲われ、空がより赤く見えた。
「…ふぅ〜」
震えた息を吐くことしかできない私は、瞳孔を思いっきり開いたまま夕焼けを眺めていた。今更だが…怖くなったのだ。
私は保健室に行った。
「あら、フィーじゃない?」
外は既に暗くなり、白い光で照らされた部屋。レア先生は私を快く迎え入れてくれた。
「どうしたの?」
「…ちょっと、しんどいんです」
私はほぼ仮病だった。大会のことを深々と考えてしまうと、何も喉を通らなくなった。きっとレア先生も気づいているだろう…私は暗澹とした顔を隠せている自信がなかった。
「部屋に戻って寝るだけでも…駄目?」
レア先生は私に言った。しかし
「駄目です」
私はきっぱりと言うことにした。
「レア先生と、ゆっくり話したかったんです」
「…私と」
「はい」
「…そうなのね」
レア先生は妖艶な微笑を浮かべた。
「じゃあ、こっちにおいで」
レア先生は優しい声で手招きをした。その手招きに連れられて辿り着いたのは木造りの個室だった。机と椅子が一つ一つ、白い壁で辺り一面が覆われ、正方形の部屋の大きさは四方僅か約二メートル半の小さなものだった。
私とレア先生は机を挟んで座った。
「どうしたの?」
「あの…怖いんです」
「怖い?」
先生はやや顰蹙した。
「はい…決勝まであと一週間しかないのに、私、飛ぶことすらできなくて…」
「なるほどね…」
私は唐突に、思いの内を吐露したくなった。
「先生は…気づいていますか?」
「何が?」
「私が…フィーじゃないってこと」
先生はまた顔をしかめた。
「どういうことかな…確かにフィーは記憶を失った。だけど、今私の前にいるじゃないか。君はフィーだろう?」
「…そうなんですけれど」
私は言葉に迷った末に
「自分の中で、記憶がごちゃごちゃになっているんです。初めてプティに乗ってマランバの空を飛んだ時、私の中で…私とは違う誰かがいた気がするんです。あれは私じゃない誰かが空を飛んでいたって…おかしいですけれども」
「なるほど…確かにそりゃ難しい」
先生はアルカイクスマイルを浮かべながら続けた。
「君と似ている人がいる」
「…本当ですか⁉︎」
私はつい声を荒げた。
「一人は…“らあめん”屋の店主。彼は一見とても怪しげな人に見えるだろう?」
「はい。とっても」
私はきっぱりと言った。
「彼実は…元々は竜医師だったのよ?」
「…本当ですか?」
「本当よ」
私の中には懐疑しか無かった。
「元々私の先輩で、あんなんじゃなかったんだけど…ある日急に、まるで誰かに乗っ取られたかのように変貌しちゃってね」
「…それ私と似ているのですか…?」
「似ているよ。彼も“記憶を失った”って言ってたしね」
“似ている”…彼に⁉︎私は少し落胆した。
「あとは、ゴードンかな」
「え…⁉︎」
それを聞いた瞬間、私は霹靂に打たれた。
「ゴードンが⁉︎…ですか?」
「うん。彼も急に変わっちゃったよ…中等科の時は皆んなから愛されて、いじられていたのに…高等科になってから体が大きくなったと思いきや、ああなっちゃったよ。まあ彼の場合は原因が原因だと思う…」
「原因って…?」
「親だろうね。ほら…学長」
私は呆気に取られた。ゴードンが…良い奴だった⁉︎
「ちょっと…信じられませんが」
「でしょ?まあよく聞いておきなさい」
「はい」
「彼はまあ…出来が悪い息子だったの。だから学長は彼のことを嫌煙していた。父親に認めてもらおうとして彼は彼なりに凄く頑張ったわ。中等科の時は、みんなその頑張りを認めていた。だけど、高等科になってからああいう風に捻くれてしまったの」
「そんなことがあったんですね…」
「学長自体は良い人よ…ただ少しがっかりだわ。人間誰でも、支配する側になった途端に威張り出すでしょう?馬鹿よね、本当」
レア先生の言葉には、どことなく怒りがあった。その気迫に、怖さすら感じた。
「スッキリした?」
「はい」
「ごめんね。何か…私の愚痴になっちゃった。とにかく言えることは…フィーはフィー、私の大好きな人よ」
「…ありがとうございます」
私はペコっと頭を下げた。しかし、翼竜使いの大会への不安は晴れなかった。練習しかないのだろうが…だけどあまりにも練習期間が短すぎる。
いっそのこと、逃げ出そうかな…
己に魔が差した。
小説は時々、“書きたい”と魔が差したり
“書きたくない”と魔が差したりする




