飛べない心
部屋に戻るとファラは即座に寝てしまった。多分…緊張の疲れとか、明日への備えとか、ファラはファラなりに色々考えているのだ。そう思うと、私は逆に眠れなくなった。明後日の大会が、自分のことのように思えるのだ。
○
翌日は午前に高等科、午後に特別授業があり、入れ違いでファラに会うことはなかった。午前はシュクジン先生も高等科の授業なので、昨日と同じ竜堂にてレア先生に竜の扱い方を教えてもらった。レア先生は保険員だけれども、ムガル帝国との戦時中は第一線の戦場病院で働いていた歴戦の勇者であり、人類医学だけでなく竜医学も知っているので竜の扱い方にもとても詳しかった。
レア先生はこう言う。
「竜医学は医学じゃなくて…哲学みたいなものさ」
「何故なんですか?」
私が訊ねると、彼女は首を傾げた。
「多分…竜は人間なんかよりもよっぽど高貴な生き物だから、人間の医学とか、科学みたいなのはまるっきり通じない。寧ろアニミズムと言った方がいいかもしれない。竜とは心で繋がるものなの…不思議よね」
大人びた、可愛らしい声が竜堂の中に響き渡った。昨日のレア先生と今日のレア先生はどうしてこんなにも違うのだろうかと、ふと思った。
「だから、心から竜を愛しなさい」
ニカっと笑い
「じゃあ、あの子に近づいてみましょう」
と、一頭の翼の竜を指差した。体長五メートルで、そのマダラ模様のトサカは正に万人の脚光の的。神経質だし小さいし不安定だし…寧ろトサカ以外に需要があるのか…と疑わしい竜、タペヤラを指差した。
「はい…怖がらず、竜を心から愛するのですね」
「そうよ、グッドラック!」
私は心の中で“タペヤラさん愛しています”を数十回唱えた。ファラがクリアしたこの試験…私もクリアしないといけない。そう意気込んでいた。しかさ
「ギャア!」
という汚い鳴き声と共に私はタペヤラに跳ね除けられた。
「駄目ね…固い!」
レア先生が言った。
「固すぎる!」
「…どういうことですか?それ」
「動きよ、心と体の動きが固いの」
レア先生は私の目を見て、大きく深呼吸をした。私も深呼吸してみる…だけど、体は落ち着かない。寧ろ体の波長と呼吸の波長が合わないから更なる混乱に突入しそうだ。
レア先生は私を見かねて言った。
「心なの…あなたが記憶を無くした時。記憶を無くしたのにプティに乗って飛んできたから、私たちはとても驚かされたわ。本来、竜に乗るなんて一日でできることじゃない…だけどあなたはやってのけた。その時…どんな心持ちだった?」
レア先生は好奇と感嘆が入り混じった目で私を見た。
「…心持ちですか」
訊ねられた私。そういえば色々なできごとがあったけれど、ここに来てまだ一ヶ月も経っていない。なのに、プティと飛んだマランバの空の記憶はあまり無い。
「…楽しかったことくらいです」
私は言った。
「空を飛べて、それが気持ち良くて、とても楽しかったことくらいです」
「その時、あなたはプティとどんな会話をしていた?」
レア先生は同じ目で訊ねた。
「会話ですか…」
「そう、心の中で思ったことでもいい…言葉でもいい…何かプティに話しかけたり、心から何か思うようなこと、あった?」
私は熟考した。心当たりはあるものの、言葉に出る寸前に口をつぐんでしまう。
「何でもいい。私は何も言わないから…」
薔薇の声が優しく私に語りかける。先生は笑顔だった。
「…楽しいね、プティ……そう語りかけました」
「それがヒントよ。あなたが翼竜使いとしての輝きを取り戻す為の…大切なヒント。だから大切にしなさい」
先生に言われるまでもなく私は理解はしている。竜と心を通わせければならないことなんて、とっくの昔に承知している。だから、私も心を込めて竜に近づく…だけど、私がどれだけ尽くそうと竜は振り向いてくれないのだ。
私のせいではない、竜のせいだ…そう毒を吐きたくなった。
○
部屋に戻ってもファラは見当たらなかった。私と入れ違いで竜堂に行ったのだろう…なにしろ明日は大会、ファラの…大一番だから。
竜の手綱は純粋無垢な気持ちそのものです。
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