第九話「おしゃべりな娘とお手軽な聴取」
屋敷の厨房は、西館と東館の間の母屋にあった。
案内してくれた侍女によると、東西館には調理場は無く、厨房と呼べるものは母屋にあるものだけである。
それゆえにこの厨房では、西館に住まう妹姫・依織に出す食事の他に、母親や姉姫、それに十五人ほどいる侍女らの食事もまとめて用意するのだという。
実際、厨房は広く、土間の上に設けられた六つの竈を中心に、普通の家にしつらえられる厨房の四倍ほどの大きさがある。
その大きさに平間が感心していると、壱子は「うちの調理場も同じくらい大きいぞ」と不満げに漏らした。
壱子は厨房に到着すると、しばらく周囲を観察し、案内してくれた侍女と二言三言、言葉を交わした。
話しかけられた侍女は不安げな表情だったが、すぐに頷いて厨房に面した部屋に消える。
侍女は間もなく戻ると、壱子にあるものを手渡した。
それは、端々から紙が飛び出した一冊の書物だった。
その書物はかなり大きく細長い長方形で、長い辺は二尺(六十センチメートル)ほどもある。
構成する紙は茶色く変色していたが、経年劣化と言うよりも、そもそもの紙の質が悪いようだった。
綴じるための紐の通し方もどこか雑で、書物と言うよりも冊子と表現した方が的確かも知れない。
ひときわ小柄な壱子はその大きな書物を手に余らせながら、一枚一枚目を通しながら、懸命にぱらぱらとめくっていく。
そんな壱子に、平間は顔を寄せて声をかけた。
「その本は?」
「依織の献立表じゃ。毎日朝夕の二食、姫に何を出したのか記してある。見よ、間食で何を食べたのかも書いてあるぞ」
「すごい……料理だけじゃなく、材料の仕入れ先まで書いてあるね」
「丁寧なことじゃ。佐田の屋敷でもここまではしておらぬ。それだけ姫の体調に気を使っておるのじゃな」
その時、背後から若い女の声が響く。
「あ、あの! ……何か変なことでも書いてあっただか?」
不安げな声に顔を上げると、そこには浅葱色の着物をたすき掛けにした侍女が、こちらに目を向けていた。
見たところ、侍女の歳は十五くらいか。
まだ年若いが、髪はパサついていて、凹凸の少ない顔にはぽつぽつとソバカスが目立つ。
浅黒い肌と赤みがかった髪色、茶色の瞳から察するに、異国の血が少なからず混じっているのだろう。
平間の第一印象は、垢抜けない少女といったところだろうか。
侍女の不安を解こうとしたのか、壱子は一瞬で笑顔を作って見せる。
こういう切り替えの速さはさすがだ、と平間は思う。
「何もおかしくはない。お主は?」
「あては妹姫さまの厨房担当をしている、初という者でごぜえます。献立のことでしたら、あてに聞いてくださいまし」
「そうか。美しい目をしておるな。出身はどこじゃ?」
「とんでもねぇです。生まれは大笠っていう、南の港町でごぜえます。母は旅籠の娘で、父は船乗りだったそうで」
「ほほう、なるほど。巡りあわせじゃな」
壱子は何事もなかったように微笑むが、旅籠の娘ということは、つまり初の母親はそういう商売をしていた女性なのだろう。
一般常識に疎い壱子がそのことに気付いたかは分からないが、特に表情が変わった様子は無かった。
おどおどとした初に向けて優し気に接していた壱子は、突如その瞳に鋭い光を宿らせる。
「ときに初よ、お主は『妹姫さまの』厨房担当と言ったか?」
「へ、へぇ、左様で」
「では、姉姫殿の食事は別の者が用意する、と言うことか」
「そうです。ここだけの話、姉姫様と妹姫様は、あんまり仲がよくねぇです。調理する女官だけでなく、身の回りのお世話をする女官も別々におるんです」
ここだけの話と言いつつ、初は軽妙に口を滑らせていく。
初対面の壱子に情報を漏らす初は、相当に口が軽いらしい。
この様子だと、依織の輿入れの話も、既に外に漏れていると考えた方が良いだろう。
「なるほどのう。ところで、姫らの仲が悪いのは何故じゃ? せっかく同じ屋敷に住んでおるのに」
「さぁ……お偉い方々の考えてらすことは分からねぇですが、歳の近い兄弟姉妹っていうのは、何かと張り合うことが多いんでねぇですかね。お二人は性格も真逆ですし、お互い面白くねぇんだと思います」
「真逆? そんなに性格が違うのか」
「へぇ、左様です。妹姫さまは見てのとおり子供っぽ……いえ、テンシンランマン?な方ですが、姉姫さまはすっごく大人びてらっしゃいます。二卵性……って言うんですかね。あては難しいことは分かりませんが、少なくとも瓜二つではねぇです」
その言葉に、平間はふと壱子の言葉を思い出した。
牛車で移動中、壱子は幼いころの双子姫について「姉はやんちゃで、妹はおとなしかった」と言っていた。
しかし初の言葉を信じるなら、性格が入れ替わっていることになる。
よく似た双子なら、誰も気付かずに二人が入れ替わっていた……なんてことも考えられるかも知れないが、似てないのならそれも無いだろう。
妙に引っかかったが、平間はその違和感を間もなく忘却してしまった。
ぺらぺらとよく話す初の言葉を、壱子は相槌と世辞を混ぜながら引き出していく。
「なるほどのう。初、お主はなかなか良く人を見ておるな。侍女の鑑じゃ」
「もったいねぇお言葉です! そういえば、姫さま方の仲が悪いのは、お母上さまが原因だって噂もあるんです」
「何、どういうことじゃ?」
「へぇ、お気付きになったと思いますが、お母上様は妹姫さまのことが可愛くて可愛くて仕方ねぇみてぇです。手のかかる子の方が可愛いのかも知れねぇですが、やっぱり姉姫さまもお寂しい思いをしてらすんじゃないですかね」
確かに母親のあの溺愛ぶりでは、姉妹で愛情が偏っていてもおかしくはあるまい。
その結果として、姉姫が嫉妬するのも分かる。
もしかしたら、双子姫それぞれに別々の侍女を付けているのも原因の一つかもしれない、と平間は思った。
さきほど初をおだてていた壱子は、聞けるものは全て聞いてしまおうと、恐ろしく愛想の良い笑顔を張り付けて初に尋ねる。
「ところで、お主はここに奉公を始めてどれくらいじゃ?」
「七年です。来たのは、あてが七つの時でしたんで」
「では、双子姫はその頃から仲が悪かったのか?」
「そうだったと思います。今ほどではねぇですが、お母上さまは相変わらず妹姫さまの方を気にかけていて、逆に姉姫さまは一人だったのに、すごく落ち着いてらしたのを覚えてます」
と言うことは、壱子が十年前に「姉はやんちゃで、妹はおとなしかった」と評した双子姫の性格は、七年前には既に入れ替わっていたことになる。
やや考えにくいが、壱子の記憶違いなのかもしれないと平間は思った。
興味深そうに聞いていた壱子は、次に手元の献立表に目を落とす。
「ちなみに、依織殿は食べ物の好き嫌いが多いのか?」
「な、なぜ分かったです!?」
「何、献立を見て、そうなのではないかと思っただけじゃ。それに……いや、何でもない」
気まずそうに言う壱子を見て、平間は彼女が何を言おうとしたのか察した。
それはおそらく「依織の様子からすれば、これくらい想像がつく」ということなのだろう。
しかし相手がおしゃべりな侍女となれば、言わない方が賢明だ。
壱子は小さく息をついてから、改めて献立表に目を落とした。