第七話「純真と醜悪」
「そちが貧者の森を焼いたという男か! 話は聞いておるぞ」
「……ええ、まあ」
「であれば、賊をたくさん殺したのか? どうやって殺した?」
依織の持ち出した話題に、平間は面食らう。
しかし、何とか話題を逸らそうとする。
貴族の話題には決して詳しくない平間だが、賊討伐が話題としてふさわしくないであろうことは分かる。
「……お言葉ですが、これはあまり姫様にお話しするようなことではありません」
「そうか?」
「そうです」
平間がうなずくと、依織は少し考え込んでから、かたわらに佇む母親に目を向ける。
母親は三十代半ばか四十くらいだろう。
まるで貧しい者のように痩せていて、皮膚は乾燥している。
長い髪は、多くの貴族女性と同じように真っ直ぐ後ろに垂らされていたが、ところどころ白髪が混じっていた。
全体的に老けた印象だが、その反面、依織を見つめる眼はぎょろりと大きく、力がみなぎっていて、やや飛び出ているようにも見える。
ごく短い観察だったが、平間は直感的に「関わり合いたくないな」と感じた。
「かかさま、こう申しておるが、私が聞いてはいけないことなのか?」
不安げに言う依織に、「かかさま」と呼ばれた母親は、表情をこわばらせて首を振る。
「いいえ、そんなことはありませぬ」
「そうであったか! ではまた後で聞かせてくれ。また来るのじゃろう?」
「その予定ですが、賊討伐のお話は――」
「して、横の娘はだれじゃ? 平間の妻か?」
依織は平間の言葉をさえぎって、紬に目を向ける。
姫の無邪気な一言に、平間と依織の間に座る壱子の耳が、ピクリ、とかすかに動く。
それを見た平間は、慌てて首を横に振る。
「違います。断じて!」
「む、そうなのか?」
「はい、この娘は巻向紬と言って、私の副官、つまり同僚で――」
「つまるところ、妾のようなものです」
「は?」
割り込んできた紬に、平間は口をぽかんと開ける。
妾とは、いわゆる愛人のことだ。
そして紬は平間の副官だが、もちろん愛人などではない。
さらに言えば、近衛府での仕事上の付き合いしか無く、平間が知っているのは顔と名前くらいだ。
平間は何とかして否定しようとするが、混乱して言葉が出てこない。
振り返った壱子の目が、邪悪な色を孕んでいる。
怖い。
平間は口を開いたり閉じたりしていたが、依織は子供っぽく目を輝かせていた。
すると、壱子がおもむろに口を開く。
「このように、冗談好きな男での。紬も自己紹介をせよ。今度は“真面目に”じゃ、良いな?」
「かしこまりました」
語気を強める壱子に笑顔で答えて、紬は流麗な所作で頭を下げる。
「私は“京作さま”のおそばに仕えている巻向紬です。京作さまとはいつも、いかなる時も共におりますので、お目に掛かることも多いかと。どうぞよろしくお願いいたします」
「うむ、よろしく頼む」
依織は短くそう言って微笑む。
壱子が再び振り返る。
目が怖い。
それにしても、見たところ紬は、貴族社会で求められる諸々の所作をしっかり身に着けているようだ。
以前彼女は自らを「貧者の森の生まれだ」と言っていたが、どこで習得したのだろう。
そんなことを考えていると、依織が再び平間に視線を向ける。
「時に平間とやら、賊を殺して焼くと正体を現し、醜い獣の姿になるというのは真か? 私も見てみたい!」
「……失礼ですが、今なんと?」
「賊を焼くと獣の姿になるのか、と訊いたのじゃ」
聞き間違いではなかった、と平間は内心で頭を抱える。
立ち居振る舞いこそ幼いものの、依織の外見は貴族の姫君そのものだ。
だがやはり、その中身はあまりに子供じみている。
壱子や梅乃の影響で、平間は貴族の娘はみな大人びて賢いと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。
平間は姫の間違いをやんわりと正そうと、慎重に言葉を選んでいく。
「姫様は、どなたかのご葬儀に参列されたことがありますか?」
「弟のに出たことがあるぞ。骨も拾ったが、やはり獣にはならず、残念じゃった」
「そうですか……実のところ、彼らも私たちも、身体のつくりは全く変わりありません」
「そうなのか?」
「ええ。死んでしまえば、賊も私たちも等しく灰に――」
「なんと不遜な物言いですか!!」
平間の言葉を、神経質そうな金切り声が遮る。
声の主は、依織を抱きかかえた母親だ。
その表情は般若のようで、見る者に会話しようという気持ちを一気にそぎ落とす類のものだった。
「あの親にしてこの子あり」という言葉が、平間の脳裏に浮かぶ。
そもそも、十七にもなる娘を幼子のように抱きかかえるのは普通ではない。
平間が返答に困っていると、壱子が何事もなかったかのように口を開いた。
「お許しを。平間は根が正直すぎるきらいがありまして」
「そんなことはどうでもよろしい! 夫が娘の教育係に、と選んだ者だから、仕方なく迎え入れてみれば――」
「分かりました。では、こう致しましょう」
まくしたてるような母親の言葉を遮って、壱子は不敵に笑う。
そして平間の方を向き直ると、真剣な表情で言った。
「平間、賊の中には生け捕りにした者もおるな?」
「……ええ、確かに」
「であれば依織殿、百聞は一見に如かずと申しますゆえ、実際に見るのが一番じゃろう」
「何をじゃ?」
「『賊を焼くのを』です。平間に申し付ければ、賊の一人や二人、すぐにでも連れてくることが出来ます。見たいのであれば、焼きましょう」
「そんなことはさせません!!!」
背後から突然の大声を上げた母親に、依織は飛び上がる。
母親はそれに気付かずに、凄まじい剣幕で壱子に食って掛かろうとする。
このとき、平間は壱子の意図を気付いた。
母親を怒らせ、帰りたいのだ。
もとより壱子は双子姫の“家庭教師”をすることに乗り気ではなかった。
しかし梅乃から頼まれた手前、それを無下には出来ない。
だから意図して母親を煽り、その任を解かれるのを狙っているのだ。
平然と構えて身じろぎ一つしない壱子に、母親は目を吊り上げて威嚇する。
「さきほどから黙って聞いていれば……な、なんて野蛮な!」
「『黙って聞いて』などおらぬじゃろうに。それに野蛮なことを言い出したのは姫君じゃ。それを咎めないでおきながら、私たちには慎めと言う。筋違いも甚だしい」
「……分かりました、ではもうお帰りなさい! 顔も見たくありません!!」
「依織殿に会えたのは嬉しかったが、そう言われては仕方ない。平間、帰るとしようか――」
「いや、良いっ!」
壱子が腰を上げかけると、依織がにこにこしながら制した。
さすがに壱子も予想外だったらしく、ぽかんと口を開け、いぶかしげに依織の様子をうかがう。
依織は母親の膝から立ち上がると、童女のように壱子の前に座り込んだ。
「そちは面白いのう。かかさまや侍女らは、退屈な話しかしてくれぬ。ととさまがそちを選んだのも分かる。どうか帰らんでたもれ」
「しかし――」
反論しようとする壱子だったが、依織はすぐさま平間に目を向ける。
その口元には、まだ煎餅の食べかすが付いたままだ。
「かかさま、私は平間の賊退治の話を聞きたい。良いじゃろう?」
「……あなたが言うのなら」
「そういうわけじゃ。壱子、平間、それに紬。こちに仕えよ!」
満面の笑みで、依織は高らかに宣言する。
「……は?」
ぽつり、と壱子が小さく漏らす。
この時ほど笑顔を引きつらせる壱子を、平間は見たことが無かった。
――
エイプリルフールネタで何か書いてみたいなあ……とか思いますよね(思うだけ)