第六話「少女の優越と困惑の少年」
平間の視線の先にいたのは、巻向紬である。
彼女は平間たちが到着したとき、まるでここに来るのを知っていたかのように、屋敷の前で待ち構えていたのだ。
「もう一度聞くけど、紬はどうしてここにいるんだ」
「アタシは隊長殿の副官ですので。いかなる時も、病める時も、健やかなるときも、傍にいるのが役目です」
「言っていることは事実だけど、今は違うだろう。言い回しが気になるし、それに野盗討伐の事後処理だってあるだろうに」
「ああ、それはもう終わりました」
「……本当に?」
「ええ、一定期間だけ隊長殿の業務を代行するようにと、昨日の夕暮れに少将殿から申し付けられましたので」
紬の言う少将とは、平間の所属する右近衛府を統べる貴族・伊和佐少将のことであろう。
彼と平間は数回面識があるが、人当たりの良い老人といった印象だった。
紬と面識があるのかはわからなかったが、快活で明るい紬であれば、彼に気に入られてもおかしくは無い。
褒めて欲しそうに平間を見つめる紬の瞳は、まるで子犬のようにきらきらと輝いていた。
その姿に、猫のように自由気ままな壱子とは対照的だと平間は思う。
紬は先日行った野盗退治のときとは違い、髪を下ろして、うなじの辺りで一つにまとめている。
落ち着いた髪型だが、きらりと光る茜色の髪留めがささやかな可愛らしさを醸し出している。
平間は素直に、彼女の品の良さと隙の無さに感心した。
それと同時に、平間は二つの事柄に驚いていた。
すなわち、梅乃が手を回す速さと、紬の有能さだ。
一つ目は以前から知っていたことだが、二つ目はそうではない。
昨日の野盗討伐は百名を超える大捕り物になった。
その事後処理は、とても一晩でこなせる類のものでは無い。
彼女が平間の副官となって一か月ほど、たびたび彼女は有能さの片鱗を見せていたが、まさかここまでとは。
「ところで、あの可愛らしいお姫様が何度かこちらを睨んでいるんですが、隊長殿が何かしたんですか?」
「……え」
紬の言葉に平間が目を凝らしてみると、ちょうどお辞儀を済ませた壱子がこちらに鋭い視線を送ってきていた。
平間は溜息を吐くが、紬はどこか楽しげだ。
ここは、水臥小路家の屋敷の西館に面した庭の一角だ。
庭に面した部屋の障子は開け放たれていて、庭からでも中の様子をうかがうことが出来る。
部屋には壱子と、品の良い着物の中年の女性、そしてその女性に抱きかかえられるようにして座っている若い姫の姿があった。
おそらく、若い姫は壱子が面倒を見ることになっている依織姫で、中年の女性はその母親だろう。
「もしかして、あの方が、京作さまと噂になっている姫君ですか? 聞いていた通り、凄まじく可愛いですね……」
「可愛らしいのは同意するけど、一体、どんな噂か聞いても良いかな」
「決まっています。後ろ盾として、隊長殿をすごく気に掛けているとか。まあ、それ以上の“下卑た話”もありますけど」
「下卑た話?」
「まあ、アタシの口からはちょっと」
平間が聞き返すと、紬は器用に片方だけ眉をひそめてみせた。
「……なるほど。でも前半は事実だけど、後半は違う。何もない」
「本当ですか?」
「ああ、天地神明に誓う」
少し苛立ちながら平間が言うと、紬は首を傾げて微笑む。
その反応にもやもやするものを感じながらも、平間は反論を諦めて、壱子のいる方へ視線を戻した。
ちょうどその時、何やら妹姫に話しかけていた壱子が、平間の方を向いて小さく手招きしているところだった。
「お姫様が呼んでいますよ、京作さま」
からかうような紬の言葉を無視し、平間は足早に壱子のもとへ歩を進める。
近づくにつれ、壱子が満面の笑みを浮かべていることに気付く。
平間は経験則で、こういう時の壱子は非常に不機嫌であるということを知っていた、
嫌な予感しかしない。
ここが貴族の館であるということを踏まえて、平間は普通の侍従と同じような口ぶりで壱子に話しかける。
「何か御用ですか、壱子様」
「あの娘は誰じゃ」
「僕の副官です」
やはりそのことか。
平間が短く答えると、壱子は少し考え込んでから口を開く。
「ああ、あの巻向某とかいう……お主が呼んだのか?」
「いいえ、勝手に付いてきました」
「なぜ?」
「知りません。『どこにでも付いて行くのが副官の務めだ』と言っていましたが」
「……まあ良い、ならば紬も呼んで来い。依織姫に紹介する。そちらの方が下手なことは出来ぬじゃろう」
「分かりました」
「下手なこと」という言い方が引っかかったが、平間は素直に頷く。
壱子の意図は分からないが、なぜか紬に興味を持ったのは確からしい。
平間は、足早に紬のもとへ戻る。
「壱子が向こうへ来るように、だって」
「アタシもですか? どうして?」
「分からないけど、副官はどこでも一緒に行くんだろ」
「!! ええ、その通りです。お供致します」
貴族の席に呼ばれるのは予想外の出来事だろうに、紬は笑みを崩さず、嬉しそうにうなずく。
どうしてそういう反応をするのか、平間にはイマイチ理解できなかった。
平間は自分が小物だと自覚している。
そんな小物に媚びても、紬に労力以上の報酬が得られるとは思えない。
壱子しかり、梅乃しかり、紬しかり、女性と言うのは何を考えているか分からないことが多過ぎる。
むしろ平間にとっては、頭の中が読みやすい分、まだ我ヶ丸の方が得意だとすら思えた。
紬は平間の後に続いて部屋に上がると、侍女に勧められるがまま、平間と共に壱子の後ろに置かれた座布団に腰を下ろした。
壱子の向かいの上座には、姫と母親が腰かけている。
平間と紬がたたずまいを正したのを見て、壱子は姫と母親に目を向ける。
「ここな二人は私の従者を務める者たちじゃ。依織様ともよく顔を合わせることになると思い、紹介を。まずは平間から」
「平間京作と申します。普段は近衛府で一隊を率いております。以後お見知りおきを」
無難な自己紹介をして、平間が頭を下げる。
頃合いを見計らって顔を上げると、平間のことをまじまじと観察する依織と目が合った。
依織は、水臥小路家の双子姫の妹だ。
単に妹姫とも呼ばれる彼女は、貴族の娘の正装である五重単衣を身にまとい、その手には大きな煎餅があった。
その滓が、口の周りだけでなく、畳の上にも落ちている。
それとは対照的に、部屋を彩る調度の数々には埃一つ無い。
平間を見つめる依織の顔立ちは、端的に言って美しかった。
太めの眉に、小動物を思わせる丸っこい大きな目。
鼻筋は柔らかな曲線を描いていて、桜色の唇は表情豊かに良く動く。
さすがに手入れもしっかりしているのだろう、長く伸ばした黒髪は、壱子と負けず劣らず艶やかで美しい。
しかし。
その外見とは似つかわしくない違和感が、猛烈に平間に襲い掛かる。
依織の挙動が、そわそわとして落ち着きがないのだ。
ぼんやりと窓の外を眺めたかと思えば、突然立ち上がって侍女の服の裾を引っ張ったりしている。
自宅だということを差し引いても、貴族の娘らしからぬ振る舞いだと言っても良い。
さらに気になるのが、その一連の行動を。母親が一切咎めようとしないことだ。
壱子の話では、姫は十七歳ほどのはずだ。
が、その内面は平間の見る限り、年齢よりもずっと幼いように見える。
言いようのない歪な感覚を覚えた平間に、依織がはしゃいだ子供のように言う。