第四話「愛でる姉とドン引く妹」
壱子は平間の肩越しにひょっこり顔を出すと、眉をひそめ、同意を求めるように平間を見つめる。
反応に困った平間が半笑いで首をかしげると、壱子は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
壱子は平間の反応が気に食わなかったのか、羊羹をひときわ大きく切り分けると、竹の楊枝を突き刺して口に運んだ。
「で、どうして呪われた館なぞに行かなければならんのじゃ。呪われているなら、そっとしておくのが最善じゃろう」
「あら、怖がっているの?」
「まさか。私が怖いのは山盛りの菓子くらいなものじゃ」
「あら残念、私は壱子ちゃんを怖がらせようとしているわけじゃないわ。それに『呪われた館』って言うのは、文字通り過去の話。今は何ともない、ただのお屋敷よ」
「だったら、始めからそう言えば良いじゃろう」
「ごめんなさい、壱子ちゃんの反応を楽しみたいのよ。私は」
悪びれずに言う梅乃に、壱子はあからさまに憮然とする。
確かに、平間としてもコロコロとよく変わる壱子の表情は、見ていて飽きない。
妙なところで梅乃との共通点を見つけてしまった平間は、なんとも複雑な感情にかられた。
と同時に、平間はふと、ある疑問が浮かぶ。
梅乃は「呪われた館」を過去の話だと言った。
ならば、呪われた一族と言うのはどういう事なのだろう。
これも梅乃の戯れなのだろうか。
なんてことを考えていると、梅乃がおもむろに口を開く。
「壱子ちゃん、水臥小路家は知っている?」
「知っているも何も、義母上の実家ではないか。皇族に近い家柄の貴族で、領地は狭いが位階は高い一族じゃ」
「よく知っているわね。そ、壱子ちゃんの言う通り、家長の水臥小路惟人様は、帝の従弟で正二位右大臣、実質的にこの国で二番目に偉い方です」
「臣下の中ではな。そして一番偉いのは皇弟殿下で、三番目に偉いのは我らが父上じゃ。……で、梅乃、何を考えておる?」
「私が考えているのは、いつも佐田の家のことだけよ」
梅乃は柔らかく微笑むが、壱子の表情は硬い。
いま、壱子は平間の肩にあごを載せているから真剣みは感じられないが、おそらく彼女の頭にあるのは「暗殺」などの薄ら暗い言葉だろう。
壱子の言葉を借りれば、臣下の序列第三位である佐田氏にとって、第二位の水臥小路家は目の上のタンコブだ。
ただ、佐田氏の長である佐田玄風の正室である佐田天月は、梅乃の母親であると同時に、水臥小路惟人の姉でもある。
血の繋がりは何よりも強い、とはよく言ったもので、表立っては敵対しにくい。
しかし平間の知っている限りでも、梅乃はあれこれと手をまわして水臥小路家をさんざんに利用してきた。
佐田家当主の玄風が今の地位にいるのだって、水臥小路家の影響力を使ってのことだ。
だが、格式だけ高く領地の狭い水臥小路家から佐田氏が得られるものは、もうほとんど残っていない。
もはや佐田氏には、水臥小路家は目障りな搾滓のような存在だった。
そういった事情を平間が理解しているがゆえに、梅乃がこの一族の名を出すと、不穏な雰囲気が漂ってくる。
そして壱子も、同じようなものを感じ取ったらしい。
「壱子ちゃん、そんなに怖い顔をしないでちょうだい。まだ用件も言っていないでしょう?」
「ならば、その水臥小路家が呪われておるから、助ければ良いのか? 私は陰陽師じゃないぞ」
「もちろん知っているわ。こんなに可愛らしい陰陽師がいたら、妖怪に食べられてしまうもの」
そう言って梅乃は唇を舐めると、うっとりと壱子を見つめる。
視線を受けた壱子は飛び上がり、平間の背中に引っ込んだ。
梅乃は楽しげに微笑むと、平間と目を合わせる。
「ところで平間君、お仕事は順調?」
「ええ、なんとか」
「当然ね、壱子ちゃんの入れ知恵があるんだもの」
「否定はしません。賊の砦を焼けたのも、壱子……様の情報があってこそです」
「『野盗の頭の息子の婚儀が、九月下旬に行われる』でしたっけ。素敵な結婚式になったでしょう」
「はい。十里先からでも見える、盛大な式でした」
平間は平静を装って冗談を言うが、内心では戦々恐々としていた。
梅乃の表情は微笑んでいるが、その黒い瞳の奥に潜んでいるものが何なのか、皆目見当がつかない。
怒っているようにも見えるし、からかっているようにも見える。
ささくれだった平間の心境を察したのか、梅乃はこらえきれず噴き出した。
「そう警戒しないで。平間君、貴方のことは買っているし、良くやっているわ。壱子ちゃんのことも、普段通り呼んで構わない」
「それは……助かります」
「助かるついでにもう一つ。あなたの副官さんは優秀らしいわね。名前は確か、巻向……」
「紬です」
「そう、その娘。明らかに偽名だけど、一週間くらいなら貴方の代理は務まるでしょう」
「……なんですって?」
平間が思わず聞き返すと、梅乃は微笑みを崩さずに続ける。
「平間君、貴方は壱子ちゃんに付いて動いてちょうだい。近衛府に手は回しておくし、空いた時間は職務に戻っても構わない」
「まだ近衛府に所属してひと月程度しか経っていません。そんな状態で離れるわけには……と言うか、一人では危険なことを壱子にさせようとしているのですか?」
「ある意味ではね。でも、貴方が付いていれば問題ないでしょう」
「なら、もう少し詳しく話を聞かせてください」
「もちろんよ」
平間の問いに、梅乃は懐から一枚の四角い封を取り出した。
気になったのか、壱子も背中越しに顔を出す。
梅乃は手際よく封を切ると、中の手紙を平間に差し出して、にっこりと微笑んだ。
「水臥小路の双子姫の、家庭教師をしてきてちょうだい」
その言葉に、平間と壱子は思わずお互いの顔を見合わせた。
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