第一話「平凡な隊長とよく出来た副官」
この事件の犠牲者を以下に示す。
一人目、妙齢の少女。
名家に生まれ、何不自由なく暮らしていた。
二人目、中年の女性。
貴族の屋敷で、真面目に働いていた。
三人目、健康な少年。
貴族の少女への恋慕を隠しながら、彼女に仕えていた。
――
【皇紀五十六年、九月二十三日、初秋、早朝】
皇都の北西、『貧者の森』。
さわやかな朝焼けに照らされた木々の中、森の中心部では巨大な炎が轟々と上がっていた。
もう夏も過ぎ去ったというのに、三十間(五十四メートル)以上も離れたところに立つ少年の顔にも、火焔に焼かれた灼熱の風が吹き付けている。
少年の名は平間京作という。
身長は五尺半(一六五センチメートル) より少し高いくらいで、顔だちは醜くはないが、決して美しくはない。
つまり外見に関しては、彼は凡庸な少年だ。
彼の纏う淡い色合いの木綿は役人用の服で、色ごとにおおよその階級を現している。
平間の若草色は下位の役人が使う色だ。
今はその上に、胸から腰を覆うだけの簡素な鎧を付けている。
平間は齢十七という若年ながらも、一カ月ほど前から右近衛府の一部隊六十名あまりを率いていた。
近衛府とは皇国に設けられた部署の一つで、このうち右近衛府は皇都周辺の治安維持を担う組織だ。
そして平間の目の前で炎上しているのは、近頃急速に規模を大きくしていた野盗の根城で、彼の一隊が火を放った。
「初陣おめでとうございます、京作さま」
「……やめてくれ、紬。下の名前は慣れてない」
「これは失礼しました、隊長殿」
そういって、紬と呼ばれた少女は慌てて言い直す。
小動物のようなその反応に、平間は申し訳なさが込み上げてきた。
顔を上げた紬の肌に、炎が放った赤が映る。
彼女、巻向紬は、平間京作の副官だ。
歳は平間の一つ上の十八で、たれ気味の大きな目に、丸っこい鼻と薄い唇。
長く伸ばした黒い髪は、邪魔にならないように後ろで団子にして留めている。
身長は平間よりも拳一つ分小さいくらいで、すらりと伸びた手足は細くしなやかだ。
副官の役目は、士官のそばに付いて身の回りの世話をし、補佐をすることだ。
多くは貴族の子弟が務めることが多いが、中~下流の中年女性がその経験を生かしてよく仕えることもある。
とはいえ、紬のようにまだ年若い娘が副官を務めることは珍しい。
平間の副官として従軍している紬の武装は、弓と短刀のみ。
彼女いわく、重い刀や槍は、動きにくくて性に合わないのだという。
平間は腕を組みながら、副官である紬に目を向けて苦笑する。
「……で、捕らえた野盗たちは?」
「第二小隊のおじさん達が連行しているところです。ただ、少し時間がかかるかと。捕らえた野盗は百人くらいで、アタシたちの倍近くいますし」
「そうか。死んだのは?」
「野盗が二十五人です。こっちの損害は、手にかすり傷を負った新兵が一人だけ。慣れない剣で切っちゃったみたいです」
「分かった。様子を見に行くから、あとで名前を教えてくれ」
「相変わらず律儀ですね。了解しました、隊長殿」
紬は業務的な笑顔を作ると、炎を噴き上げる砦に目をやる。
彼女の耳にかかる髪の一房を、火の粉を含んだ風が揺らした。
「ところで、貧者の森のことはどれくらいご存知で?」
「いや、あんまり」
「ならちょうど良かった。“元”住人として、この森の歴史をお話ししましょう」
紬は視線だけ平間に向けて、目を細める。
その意図が読めずに、平間は曖昧にうなずいた。
「珍しいな、紬が仕事以外の話をするなんて」
「お言葉ですが京作さま、野盗の砦の燃える勢いを記録することは、実は副官の仕事ではないのです」
「どういう意味だ?」
「眺めているのも暇だってことですよ」
紬は白い歯を見せて悪戯っぽく笑うと、切り出した。
「ではまず、何故ここが『貧者の森』と呼ばれているか、ご存知ですか?」
「そりゃあ、昔から貧しい人が多く住んでいるからだろ」
「なんと、驚きました。その通りです」
「……おちょくっているのか?」
「まさか。アタシは誰よりも忠実な副官ですよ? 京作さま」
わざとらしく紬はうそぶいて、目に掛かる前髪を小指ではらった。
同時に、彼女の表情が少しだけ真剣なものになる。
「そもそもの話をしますと、事の起こりは皇国が出来て数十年たったころのことです。
手狭になった皇都を見た当時の帝は、皇都を北西にある森を切り開き、皇都を広くしようとしました。
しかし財政上の問題や担当した臣の失策などもあって、計画はあえなく頓挫してしまいます。
残されたのは、各地から駆り出されたものの急に職を失った人々と、木こりたちが過ごすために作られた真新しい小屋だけ。
故郷に帰ろうにも、旅費どころかその日の食費すら無い者がほとんどだったと言います。
そうして、彼らが『貧者の森』の最初の住人となりました」
「詳しいな」
「昔、母が教えてくれたのです」
そう言うと、紬は照れ臭そうに笑った。
「貧者の森の治安は、当然のことながら最悪でした」
「まあ、貧しければ仕方ないか……」
「そうですね。森では盗みが横行し、年頃の娘が一人で中を歩こうものなら、まず間違いなく無事では帰って来られなかったでしょう。しかしそんな有様でも、彼らを取り締まろうとする者はなかなか現れませんでした。何故だか分かりますか?」
「それは……他のことで忙しかったから?」
「んー、確かにそういう部分はあるとは思いますが、実際のところは『貧者の森が帝の失策の産物だったから』ですね。貧者の森の人間を何とかしたくても、それを上奏すれば帝の失敗を揶揄したことになってしまいますから」
紬の説明に、「なるほど」と平間はうなずいた。
その反応に満足したのか、紬はさらに言葉に熱を込めて続ける。
「その結果出来上がったのが、貧しい者たちによる自治区です。さて、ここで第二問」
「よしきた」
「隊長殿は、金の無い者が最初に何を捨てるか、分かりますか?」
紬の抽象的な質問に、平間は眉をひそめてしばらく考えこむ。
が、明確な答えは出てこない。
「……いや、貧しかったら捨てるものは無いと思う。“出したもの”だって、肥料にするだろうし」
「半分正解で半分間違いです。ですが、少なくともアタシの求めていた答えとは違いますね」
「なら、紬の答えは?」
「それはね、高潔さですよ。隊長殿」
薄く笑う紬の髪が、風に揺れる。
砦から飛んできた火の粉が、平間の足元に落ちた。
それが消えるのを見届けて平間が顔を上げると、こちらに視線を向けていた紬と目が合った。
「もともとは清く正しくイイコに生きてきた人たちも、お金が無いとそうも行きません。だから彼らはまず、高潔さを捨てるのです。そして捨てたら最後、二度とその手には戻りません」
「……実感は無いけど、分かる気がするよ」
「機会があれば言ってみてください。いいところですよ。盗んだり殺したりは日常茶飯事だし、男たちは意気揚々と旅の商人たちを襲います。幸いアタシはご縁が無いですが、森の中にはさらわれた女たちが働く娼館もあります。行ったことは?」
「あいにくだけど、無い」
「懸命ですね。運が悪ければ一発で梅毒や疣をもらいますから」
昨日の夕食を話すような気軽さで紬は言うが、平間は素直に顔をひきつらせた。
その反応を十分に楽しんでから、嬉しそうに笑って紬は再び口を開く。
「森に人が住み始めた当初は、良くも悪くも混沌としていました。しかし貧者たちは他の社会と同様、次第に序列化され、長が現れるようになります」
「話の流れからして、あまり良い予感はしないな」
「良い勘です。実際、序列化に伴って、犯罪も巧妙かつ凶悪になっていきました。しかし、森の住人全員が犯罪に手を染めているわけではありません。中には、運よく真っ当な職に就いた者もいます」
「それは、紬のように?」
「胸は張れませんけどね」
そういいつつ、紬はどこか誇らしげな笑みを浮かべる。
紬の口調は丁寧で理路整然としているが、どこか茫洋としている。
正直、彼女が何を考えているのか分からないことも、平間にはしばしばだった。
笑みを崩した紬は、今度は困り顔を作って肩をすくめる。
「しかし性質が悪いのは、大っぴらに悪事を働く者たちが、そうでない者の中に紛れるということです」
「どういう意味だ?」
「比較的善良な森の住人に、悪人が匿ってもらうんですよ。森は広く、無秩序ですから、隠されたら見つけられません」
「それは、確かに性質が悪いな」
「でしょう? そして匿われた悪人は、見返りに謝礼を渡すのです。ズブスブです。取り締まりようがありません」
そう言って紬は小首をかしげるが、やがて燃え盛る砦に視線を移す。
「そういうわけで、帝の御前でありながら、この森には他の衛府も手を出せませんでした。その象徴が、あそこで燃えている巨大な昼行燈です」
「砦のことか。詩的だな」
「ありがとうございます。そして、それを見事壊滅に追い込んだのは隊長殿、貴方です。大手柄です。アタシも夕食を食べられる日が増えます」
「まあ、そうなのかな」
「あれれ、何か気がかりでも? 誰が見ても非の打ち所の無いご活躍と思いますが」
きょとんとする紬の言葉に、平間は浮かべていた笑みを一層苦々しくした。
そして腰に差した真新しい刀と傷一つない胴当てを撫でながら、小さく息を吐く
「……僕の力じゃない。今日だって、見ていただけだ」
「でも、アタシは名案だったと思いますよ。野盗の頭の息子が結婚するので、それに合わせて囮の隊商に眠り薬入りの酒を持たせるなんて」
「だけど、そんなの武官らしくないじゃないか」
「らしくなくて結構です。婚儀に出るのは野盗の中心人物だけ。眠らせた後はそれを一網打尽に。素晴らしい指揮です」
「……それに、婚儀の日程を掴んだのは紬だろ」
「あ、嬉しいことを言ってくれますね。ま、伊達に貧民の森の出身じゃないってことです」
紬は得意げに胸を張るが、平間の表情はなおも硬い。
煮え切らない平間の心境を解きほぐそうとしているのか、紬は明るい声を作って言った。
「元気を出してくださいよ、隊長殿はするべきことをしました」
「でもこの通り、剣も新品同様だ」
「何を言っているんですか、あなたは隊長ですよ? 大して強くもない隊長が最前線で戦う羽目になったら、それこそ無能の証明になります」
「まあ、そうだけど……」
「隊長には先陣を切る者と、後ろでドンと構えている者の二種類がいます。そして、あなたは後者です。それに、『有能な指揮官はみな怠け者だ』とも言いますし……あ、別に隊長殿が怠け者って訳じゃないですからね」
平間が何も言っていないにもかかわらず、紬はあたふたと焦り始める。
それが本心ではないことを察した平間は、何気ない風を装って紬に尋ねる。
「ところで、野盗たちはこの後どうなる?」
「ああ、賊を捕らえたのは初めてでしたね。捕らえた後はアタシたち近衛府ではなく、刑部省の管轄になります。ですが物を盗み、人を殺した者の末路はだいたい決まっています」
「絞首刑か」
「残念ですが、仕方ないですね。法は守るためにありますから。彼らも、アタシたちも」
そう言って、紬は寂しそうに笑う。
もう離れたとはいえ、貧者の森という故郷を同じくする野盗には、多少の同情心があるのだろう。
もしかしたら、捕らえられた野盗の中には、彼女と顔見知りの者もいたのかもしれない。
平間が炎を眺めながら物思いにふけっていると、紬がこちらに視線を送っていることに気付く。
目を合わせると、紬は困ったように笑った。
何となく、嫌な予感がした。
「……何か問題でも?」
「実は、我ヶ丸さんが……『褒美が少ない』って漏らしているらしくて」
紬の言う我ヶ丸とは、平間の部下の一人だ。
しかし何かと問題行動が多く、平間もその扱いに手を焼いている節があった。
「なるほど。僕から話に行く」
「ですが――」
「その必要は無えよ、隊長サマ」
平間が部隊の方へ戻ろうとすると、横から野太い声が響いた。