ザ・ジャンクマン
「世間の奴らは儂のことをこう呼んでるよ、ザ・ジャンクマンと」
ほとんど白髪のその男は、面白そうにそう言った。
新興住宅地の中にぽつんと雑木林がある。そこの住人がゴミを持ち込んでいるという情報を得て取材に訪れた俺に、迷惑そうな顔もみせずに男は笑った。
ゴミ屋敷の住人にしてはきちんとした身なりをしている。といっても、上下色違いの作業服を身につけているが、きちんと洗濯された服だ。
雑木林の所有者かと訊ねたら、そうだと答えた。
「断っておくけど、儂はガラクタではないぞ、そりゃあ少しはガタがきてるが、こんなものはバックラッシュの範疇だ」
ジャンクマンは還暦をすぎているだろうが、声に張りがあってカクシャクとしたものだ。それに、一般的なゴミ屋敷の住人にしては朗らかなようだ。
「世間が厭らしいあだ名をつけたのはきっと、儂の家をゴミ屋敷だとでも疑っているんだろうよ。軽トラで廃棄家電を集めてくるからな。町を流してたって、軒先の粗大ごみや道具類に目がいっちゃうんだよな。だけどだ、儂にも面子ってものがあるから声を大にするぞ。絶対に手を触れたり、失敬したりはしない。捨てられた道具類が不憫で、つい、な……。まっ、そういうところをチョイチョイ見られてるんだろうな」
読者からの投書で、手のつからない家がゴミ屋敷になっているということだった。そこで取材を申し込んだところ、あっさり承諾されたのだが、ジャンクマンは臆することなく気安い応対をしてくれる。
さて肝心のゴミだが、少なくとも敷地内はすっきりとしていて、雑草が短く刈り揃えてある。ただ、母屋から少し離れたところに作業小屋のようなものがあり、その前にはビニールシートで覆ったものがいくつもあった。もしかすると、それが問題のゴミなのかもしれない。俺がそれを指差すと、彼はさも嬉しそうにニヤニヤした。
「儂は、機械と触れ合うことで生きてきた。製造現場を皮切りに、長いこと修理畑を歩いてきた。つい、職人根性というやつが頭をもたげてしまう。と、御託を並べたって埒が開かないから、現物を見てもらうのが手っ取り早くていいだろうな」
彼は無造作にシートに近寄り、パッと捲ってみせた。すると、薄汚れた掃除機や扇風機が一塊に積み上げてある。外装がヒビ割れているものもあり、粗大ゴミそのものだ。動くのですかと思わず訊ね、さぁなと彼が無責任に答えた。
これをどうするつもりだろうか、文系の自分には彼の意図が伝わってこない。
入り口の反対側に囲いがあって、そこにもシートが掛けてあった。俺の視線に気付いた彼が、それを捲ってみせると、鉄やアルミや銅に分別された金属が山になっている。
なるほど、そういうことか。彼は粗大ゴミから金属を仕分けして現金を得ているのだ。きっとそうに違いない。どうにか稼ぎを増やそうと廃棄物を頻繁に搬入している。だから住民が騒いでいるのだ。筋書きは読めてきたぞと俺は頬を緩ませた。
「金属ごとに仕分けをしているのですか」
感心したように訊ねると、彼はあっさり頷いた。
「分けておかないと、熔かしたときに純度が落ちてしまうだろう?」
頷いてみせると、彼は満足げに続けた。
「混ざりモノは熔かしたときのカスになってしまうからな、値が下がってしまうんだ」
やはり売って利益を得ようという目的だったのだ。それを突っ込んでやれば彼の本当の目的が見えてくるだろう。と、内心ほくそ笑んでいるとも知らず、彼は警戒する素振りをみせずにペラペラ喋ってくれた。
「そうですか、一ト月も貯めたら結構な金額になるでしょうね」
そう水を向けると、あからさまに莫迦にしたような目でこっちを見た。
軽トラに満載したところで三百五十キロしか積めないのだと念を押した上で、買い取り相場を呟いた。
鉄なら一キロ十円未満。アルミなら八十円程度。真ちゅうが三百円前後で、銅だと四百円くらいだと言った。だとすると、鉄を満載しても三千五百円にしかならない。アルミだと三万円弱。しかし真ちゅうなら十万円くらいになるし、銅だと十四万円になる。
「それだけの収入があるのなら、十分に生活できるではないかと思ったのじゃないのか?素人ってさ、表っ面しか見ないんだよな。洗濯機一台から回収できる銅って、これだけしかないんだよ」
彼が示した籠に、銅線がいっぱい入っていた。だけど毛玉と同じで、持ってみると拍子抜けするくらい軽い。
「ねっ。一キロあるかい? 一日五千円稼ごうとしたら、何台解体しなきゃいかんか、計算できるだろう? そんなにたくさんの廃棄品があるかな。それにさ、燃料代やら保険代やら税金。トラックにしたって拾ってきたわけじゃないよ。わざわざトラックを買ってまでする魅力がある?」
なかなか筋の通った説明だ。だが、そんな詭弁に惑わされているようでは記者など務まらない。きっと綻びがあるはずだ。蟻の一穴をさがすのが俺の務めなのだ。
「なるほど。でも、銅だけを回収するのではないですよね。だったら鉄や真ちゅうも回収できるのでは? 今の説明ですと、銅だけしか回収できないような印象を受けますね。それに、トラックはわざわざ購入したのですか?」
彼が妙なものを見るように俺を見た。反論しようと考えているのだろうか。なんとなく、自分の思い描くような取材ができそうだと思う。とにかく、この瞬間だけ見れば俺の勝ちだ。
「あんた大学出てるんだろう? 儂は中学しか出てないからわからないんだ。教えてくれないかな」
彼は、首を捻りながらボツボツと呟いた。やっぱり急所を衝かれて返答に困ったのだろう。
「どんなことでしょう、俺でわかることならかまいませんが」
よしっ、これで主導権はこっちのものだ。何食わぬ貌をして俺は秘かに拳を握ったものだ。
「たしかにトラックはわざわざ買ったものではないけど、金出したのは自分なんだよな。あんたらみたいに買ってくれる会社がないのさ。そもそも目的が違うと、買ったことにならないのかな。それとさぁ、金属部分は売れるけど、プラスティックは処分費用がかかるんだよ。その金はどこから捻出するんだい? どこで補助を受けられるのか教えてよ」
うっと息が詰まった。具体的な金額を知っていれば切り返すこともできるだろうが、さて、プラスチックの処分費用ってどれくらいの金額なのだろう。とにかく、内緒で握りしめた拳をだらんとさせられることになってしまった。それもただの一言でだ。
「では、トラックを購入した理由は?」
悪足掻きだとはわかっているが、なんとか反撃しておけと、悪魔の囁きが聞こえていた。
「あれはなぁ、掃った枝やら下草を焼却場へ運ぶために買ったぞ。業者に頼むと費用がなあ。トラックを買ったほうが安上がりだったのさ」
枝? なんのことだろう。彼は元々機械関係の職業に就いていたと言っていたはずだが、定年後の仕事に造園関係を選んだのだろうか。
「なに? また妙な顔をして」
「だって、枝とか下草って?」
「ほら、目の前にいっぱいあるじゃないの」
なるほど、家の周囲には様々な格好をして木が生えている。というより、雑木林の中に家が建っているというのが正解だ。では、雑木林の持ち主なのかと訊ねると、彼は小さく頷いた。
だとすると、何のために彼は粗大ゴミを集めてくるのだろうか。謎は深まる。
「ここは修理工場だ。まあ、何も聞かずに中を見るといい」
正面シャッターの横に小さなドアがあり、彼はそこへ俺を招き入れた。
大きな窓から陽の光が射し込む場所に木製の作業台が据えてあり、彼と同年代の小男が半田鏝で作業していた。
「儂らのしていることが気になるらしくてな、報道の……新聞かぃ? じゃあ、テレビか?」
ただ取材に訪れただけだからカメラは同行していない旨を伝えると、あっさりと納得した様子だ。
「どうせゴミ屋とか、屑屋って悪口言われているんじゃないか? だいたい、種蒔いたのはあんただからな」
小男は鏝を休めるとコーヒーカップを口に運んでニヤニヤした。
「浅野さん、あんた一部始終見てたじゃないか。どうして儂を悪者にするんだよ」
すかさず彼が言い返した。そしてわざと大きな音をさせて折畳み椅子を出すと俺に勧め、自分も大股を開いて腰掛けた。
「たしかに見たけどさぁ、大人気ないよ、あれは」
「どこがだよ」
「山下さんさあ、三千坪からの土地があるんだろう? 五十坪ばかり黙って使わせてやればいいじゃないか。なにもあんなことしなくても」
「じゃあお訊ねしますがね、ここに三千万の金があるとするだろう? そこから五十万くらい好きに使わせてやれということか?」
二人で勝手に言い合いを始めてしまった。どちらも言葉に棘はなく、じゃれ合っているようだ。その内容も気になるところではあるが、話題が反れてしまった。
「ああ、ここで何をしてるかだろう? 見ての通り、粗大ゴミを生き返らせてるのさ」
彼はそう言うと、修理の済んだ掃除機のスイッチを押してみせた。
少し音が大きいようだが、掃除機は廃棄物とは思えぬ勢いで作業台の上のゴミを吸い取ってゆく。修理の仕上がりを見せる彼は得意げだ。
「粗大ゴミなんでしょう? もう動かないのではないのですか?」
我が家でも、動きが悪くなるとゴミとして捨ててしまうことが多い。動くとしても性能が低下しているはずだと思った。
「あっあっあっあー、素人はこれだから。壊れちゃったぁって勘違いするんだよな」
彼が突然手をヒラヒラさせ、眉間に深い皺を寄せてうつむいた。
どうも彼と俺の間に価値観の溝があるように感じるのだが、こっちが素人と言い切るのなら、わかり易く説明すれば良いのにと思う。こっちだって酔狂で取材に来たわけではない。自分を擁護したいのなら誠意をつくして説明すべきではないか。
そんな思いが顔に出たのだろう。彼は指先でコメカミをポリポリ掻きながら話を続けた。
「音が大きくなった、熱くてこわい、ブルブル震える。そうなったら壊れたと思うだろうな、一般の人はな。買い替え時なんだろうと考えて新しいのを買う。だから古いのは捨てる。まぁ、そうやって経済が回っているのは確かだけど、本当は壊れていないんだぞ」
「いや、それは壊れるサインでしょう。そんなもの使い続けて火事にでもなったらどうしますか」
「じゃあ訊ねるけどな、あんただってさ、風邪こじらせて寝込むことがあるだろう? 高い熱出してさあ、鼻水ズルズルになってさあ、腹ぁ下すかもしれんわなぁ。栄養つけて、静かに寝てたら治る。けど、自分の体が治してくれてるんだよな。けどさ、そうやってウンウン唸ってる時って、見ようによっちゃ、死んだのと同じじゃないか? なのに火葬場へ送られたらどうする? 廃棄品はそれと同じでさ、ほんのちょっと故障しているだけなんだ」
この男は何を言いたいのだろう。機械と道具を同一視して話を組み立てているのはどういう理由だろう。
「機械モノってさぁ、だいたい同じところが壊れるんだよな。必ず動くところが壊れるわけさ。掃除機ならスイッチかモーター。洗濯機なら基盤かモーターか駆動系。冷蔵庫だって、基盤かモーターかコンプレッサー。仕組みなんて単純なものさ」
調子に乗って小ネジやナットを吸い込んでみせた彼は、面白くもなさそうにスイッチを切った。
「なっ、ちゃんと働くだろう? 機械が簡単に壊れてたまるか」
得意げに言って席を立ち、手招きをした。
小屋の中には、冷蔵庫や洗濯機もある。ノート型のパソコンもある。湯沸しや炊飯器まであった。
「こうして直してやればだ、機嫌よく動いてくれるんだぞ」
たしかに外観は型落ちしているが、手垢汚れなどひとつもなく、まだ十分に使えるように見えた。ということは、廃材を売るのではなく、中古品を売ってより大きな金儲けをしているのだろうか。
「どうしてすぐに捨てるのかねぇ。道具や機械にだって心があるんだぞ、と言うと、あんたたちは笑うだろうが、こいつら、もっと働きたいはずだ」
彼は、好きなように見てかまわないと言い捨てて作業台に戻り、椅子に背をあずけた。
なるほど。分解して屑鉄にするより、修理して格安中古として売ったほうが儲かるというわけだ。安物家電が幅を利かせるご時世だが、安い中古を求める消費者も少なくはないはずだ。仕入れに金がかかるわけではないから丸儲けだろうが、そんなに次から次へと注文が舞い込むのか疑問ではある。ともあれ、作業小屋はゴミの山ではないことがわかった。
「なるほど、投書は誹謗中傷の類いのようですね。……そうですか、こういう方法で生活費を得ているわけですね」
納得がいったという意味で相槌をうつと、年寄りが二人顔を見合わせた。いかにもつまらなそうにしている。
「そうなんでしょう? 無料で回収したものを売って利益を得ているんですよね。だから悪口を言われるんじゃないですか?」
いつもの癖が出た。というより、そうして相手が嫌がることをズバッと指摘しないと真実は語られない。それはどんな相手であっても同じだからだ。すると相手は怒るものだ。えてして人は怒ると、言うべきことと、誤魔化すことの区別がつきにくくなり、つい本音を漏らしてしまうものだ。しかし彼も、もう一人の浅野という男も、蔑んだような視線を俺に向けるだけで口を噤んでいた。
「あのな、言い難いんだけど、あんた俗な考えしかできんとみえるな。なんでもかでも金に結びつけようとする。恥ずかしくないか?」
ずいぶん長い沈黙の末の発言だった。二人して目だけで何か語り合っていたようだったが、嘲りや失望の色を隠そうとはしなかった。そのままの表情で彼が言葉を発したのだ。それでいい、そうすれば本当のことを言うだろうと俺は期待した。
「儂らはな、なにも金儲けしようなんて思っちゃいないさ。趣味なんだよ」
趣味といわれれば返すことができないが、それならこんなにたくさんの家電製品をどうするつもりなのかが疑問だ。それよりも、どうしてこんなことを始めたのかを知りたいと思った。
「最初か? 最初といえば、浅野さんの娘が大学へ行くことになったのが発端だなぁ」
「あぁ、あれか」
浅野は一声応じると半田鏝を手にした。修理中の掃除機から取り外したスイッチを台に固定し、半田を熔かし始めた。
「地方の学校へ行くことになったものだから下宿しなきゃいけないんだがね、入学となると物入りだぁ。なるべく金を使わないように考えるだろう? 誰だってさぁ。そいでな、型は古いけれど調子よく働く道具があったから持たせてやったのさ。卒業するまでの四年間使えればいいってくらいの考えだよ。壊れたって惜しくないんだし。それにだ、ひょっとすると一年もしないうちに腹を大きくして帰ってくるかもしれないんだしな」
「おいっ」
スイッチの端子に圧しつけている鏝を離し、浅野が一声唸った。
「すると、どうだ。ほかの学生たちも不自由な暮らしをしているのだそうだ。学費と下宿代を合わせたらけっこうな額だ。親だって不自由させたくはなかろうが、懐は儘ならないもんさ。そんなことを知ってだぞ、そ知らぬふりをしてたら男がすたる、そうだろ? どうせ退屈を持て余しているのだから、後期中年が二人で届けてやったわけさ。それでな、もしかしてと思って訊ねてみたら、どこの学校でも困っている学生がいるそうじゃないか。だからせっせと修理してるってのに、銭儲けだなんて、あんた男気がないなぁ」
また適当な言い逃れをする。そういう目で見てやったら彼は言った。
「学生課で訊ねてみな。そのかわり、金持ちが通うような学校には縁がないからな。真面目に勉強したい学生が行く学校だ」
彼が口にした学校で訊ねてみれば、彼が本当のことを言っているのかはすぐにわかる。自信をもってあんなことを言ったということは、本音を語ったからだろうか。では、どうしてあんな投書が寄せられたのだろう、新たな謎が湧き上がってきた。
そういえば、さっき気になることを言っていたが、二人はそれが発端だろうと考えているようだ。おそらく、投書した主が誰かということもおおよそわかっているのだろう。が、話してくれるだろうか。
「ところで、さきほど土地がどうとかおっしゃってましたが、そのことと何か関係あるのでしょうか?」
「さあ。逆恨みじゃないのか?」
率直に訊ねてみたのだが、彼は皮肉な笑いを浮かべただけでそれ以上語ろうとせず、折畳み椅子の背もたれにもたれかかってしまった。
逆恨みとはいったい。逆恨みが投書をさせたというのなら、その原因はなんだろう。といって、彼はその話題を歓迎していないことはよくわかった。
「浅野さんはご存知なんでしょう? 一部始終見ていたと、たしかそう言っておられましたよね」
そう振ってみたのだが、浅野は黒目を天井に向けて知らんぷりをしたばかりか、どうやら隠れてジャンクマンの足を蹴っているようだ。
「おっしゃいましたよ、間違いなく聞きましたもの」
そうたたみかけると、まいったなとぼやきながら経緯を語りだした。
「山下さんの先祖は地主でね、このあたりの土地は全部そのご先祖さんの土地だったそうだよ。そのご先祖さんからお父さんへ、そして山下さんへと相続のたびに細切れになってしまったけど、この雑木林は山下さんの土地なんだよ。山下さんの兄弟が生きていたら、こんなことにはならなかったかもしれないがね、死んで子供が相続するだろう? するとさ、もっと便利な土地へ引っ越してしまったんだと。そこを買った業者は分譲住宅を建てた。そのときにゴタゴタがあったのさ」
どこまで話していいものやらと様子を窺っているのがよくわかる。とはいえ、ジャンクマンが話を止めさせないということは、話してかまわないということでもある。浅野は、端子に新しいコードを半田で付け終えると、鏝のプラグを引き抜いた。
「宅地造成はそうでもなかったのだけど、建築が始まると問題がおこりだしたのさ。というのはね、業者が駐車場に使いだしたのさ、山下さんの土地を。そりゃあねぇ、雑木林のままだから空き地と勘違いしたんだろう。けどね、造成が始まると同時に山下さんが境界に沿って枝を掃ってしまったのさ。迷惑をかけないつもりだったんだろうが、ついでに草も刈ってしまったのがいけなかったのかなぁ。でも、持ち主のない土地なんて、あるわけないよね。たしかに開発業者は一社だけど、工事業者は何社も入ってるみたいでね、その下請けも来るから駐車場に困ったんだろう。まあ、自動車だけなら我慢しただろうけど、資材まで置くようになったから山下さんが怒っちゃった。で、大本の会社に抗議して、一応は決着がつくはずだったんだが、末端業者には伝わらなくてね、とうとう看板を立てたわけよ。ここは私有地だから無断で立ち入るなとね。期限をきって、それまでに撤去しろと」
言っていいものかどうか、浅野はジャンクマンを窺いながら話を続けた。
「撤去期限を一ト月くらい過ぎて、山下さんは敷地を囲う柵を作っちゃったのよ。しょっちゅう車が出入りしているから工事に気付いたんだろうが、業者がとんできたときには、もう出すことができなくなっていたのさ。だから大揉めに揉めてさ、業者が警察を呼んじゃったのさ。そんなことをするから山下さんは余計に怒ってしまってさ、逆に訴えるってことになったわけさ。警察が業者の肩もつようなことを言ったものだから、こんどは山下さんが警察を呼んでさ、住居侵入と不法占拠で被害届を出しちゃったのよ。立て札はある、私有地を無断使用しているのだから言い訳なんかできなくてね、手の平反すようにおとなしくなった。まあ、そんなことがね」
なるほど、そういう経緯があったのなら少なからず恨みを買うかもしれない。だけど、それは工事をしている最中のことだ。近隣住宅はすでに入居して何年もたっているのではなかったか。業者の逆恨みにしては執念深いとしか言いようがないように思えた。
「そんなこんなで入居が始まった。なぁ、引越しが重なれば駐車場所に困るだろうということで、無断で駐車するのを黙認していたよ。町会ができて祭りをしたい。やれ葬式だといえばさ、気持ちよく土地を使わせてもやった。ところがさ、馴れてくると厚かましくなるもんだな。だんだん当ったり前みたいに使うようになっちゃってさ、駐車場がないのに二台目、三台目の車を買う家がでたのさ。この近くに貸し駐車場なんてないんだよ。それはちょっと違うだろうということで、また立て札を立てたわけさ。期限をきって退去してくれってな。でも、看板なんか無視するように駐車が続いた。さて、期限から一ト月すぎたとき、山下さんは強行手段に打って出た。基礎工事に使うパイルがあるだろう、あれを境界に並べたのよ。そうしたら、あんた。勝手に駐車していることを棚に上げて、持ち主が怒鳴り込んできたよ。そん時も、こうして修理していたからねぇ、一部始終を見ていたよ」
ハアとしか言いようがなかった。広大な土地を所有しているのなら少しくらい黙認しても良いではないかと思う一方で、無断使用が常態化してしまうといくら所有者だからといって、立ち退き費用を支払わねばならなくなるという事情も理解できる。それにしても、パイルを横倒しにするとは思い切ったことをするものだと思った。車が出入りするところだけを塞いだのか、それとも敷地を囲ってしまったのか疑問ではあるが、そんなことより、どうやって駐車車両を出したのか気になるところだ。
「どうやって出したかだって? そりゃあ、自分で出て行くしかないわな。パイルなんか動かせるか? だってさ、クレーンはとっくに帰った後だもん。山下さんの許可するところを通るのが厭なら自分でクレーンを呼ばなきゃ。そうだろう? けどさ、電話してすぐに来るようなクレーンなんてないしさ、けっこうな費用がかかるんだよね。そんな金出す人がいると思う? だからさ、ブゥブゥ文句たれながら藪の中を抜けて出たよ。仕方ないわな、少しくらいの傷なんかさ」
藪の中を走らせただって? そんなことをしたら傷がつくのは当然ではないか、もっと違う方法がなかったのだろうか。
「あれっ? 妙な顔になったね。あぁ、そんなところを走らせたことを不満に思っているんだね? そりゃあねぇ、高い金出して買った車だもん、傷なんかつけたくないさ。僕だってそう思うよ。それと同じじゃないかな。いやね、山下さんは雑木林を大事にしているのさ。下生えも大事にしているんだよ。苔がきれいに生えたとかね、苔の花が咲いたといって、目を細めている。なぁ、林の中には綺麗な花を咲かせる草もいっぱいあるの。そこを踏み荒らされたんだよね」
しかしそれでは話が噛み合うわけないだろう。片方は自力回復などありえない、片方はやがて自然に回復する。その価値観の違いが問題だろう。その費用だってばかにならないはずだ。
「そうだよね、修理代がかかっただろうね。けどさ、車の傷なんか、あっという間に修理できるんだけどさ、踏み潰されたところは直らない、これはどうなるのかな? つまりさ、痛みわけにすれば良かったのさ。双方文句なしということにね」
いや、そういうことで済ますことができるのは、金を持っている人ではないだろうか。大切な財産を傷つけることになったのだから衝突がおきないはずがない。
「うーん、それを言うのならね、大切な財産を他人の土地に無断で置いたわけだろう? 誰かが面白半分に傷をつけるかもしれないし、盗まれるかもしれない。一つ訊ねるけどさ、仮に盗まれたとしたら、山下さんの責任かな? 保管することを約束したのならともかく、無断で放置したのだから、本人の責任……そうだよね? 苦情をいう立場じゃないと思うんだよね」
浅野の理屈は筋が通っている。通ってはいるが、なんだか人情味がないようにも思えた。
「それからさ、嫌がらせなのかしらないけど、ゴミ捨て場にされちゃったんだよ。家庭ゴミの集積所にもされちゃったし。そのくせ祭りや葬式があると駐車させてくれって頼みに来るんだよ。事情はあるだろうが、山下さんだって臍曲げちゃったから二つ返事でウンと言わなくなっちゃった。そうしたら投書さ。僕たちってさ、ゴミだらけにしてるかな? 迷惑をかけたのはむこうで、僕たちは静かにしているつもりなんだけど、違うかな?」
浅野の言うことが事実だとしたら、これは誹謗中傷を目的とした投書ということになる。だとすると、ゴミ屋敷として取材をする価値がないということだが、さて……。
「いや、そうじゃなくて、報道に載せてくれるといいんじゃないかな。だって、偽の投書という手段で喧嘩を仕掛けられたわけだからね、きっちり白黒つけなきゃいけないんじゃないかな。山下さんは自分の土地を奪われるところだったのに、一人悪者にされたわけだ。誰が仕掛けたかはともかく、あっちは匿名なんだろう? 傷つくことはないと思うんだがね。まあ、他人の僕がとやかく言うことではないけどね」
浅野は、首に提げたタオルで鼻先を擦ると半田付けの作業を再開した。
「浅野さん、浅野さんってば。できたぞ、おい。見てくれって」
ぷいと外へ出ていた山下が、得意げに浅野を呼びにきた。
いつの間にか降りだした雨の中で、一台の洗濯機が静かに動いていた。いや、ドラムの中に毛布を詰めた状態なのに、重さを感じさせないように動いている。
「こんなに詰め込んで、好きだなぁ」
ドラムの中身をちらっと覗いただけで山下のしたことを察したのか、浅野は面白くなさそうだ。
「そんなことしたって強度が保つの? いったい、どれだけパワーアップしたのさ」
強度とかパワーアップとか、いったい浅野が何を言っているのか、俺には意味がわからなかった。
「外装がアウトな洗濯機があってさぁ、解体したのだけど、モーターが元気そうだったのさ。だから取り替えてやったのさ。マウントを補強しなきゃいけなかったから、不細工なことをするより作り直したほうがいいだろうとね。定格でいくと、三割アップというところかな」
言いながら山下は、さも愛おしそうに降りかかる雨粒をボロ布で拭い続けた。
「モーターだけど、ちゃんと点検しただろうね。あんた、荒っぽいところがあるから」
「心配ないって。ちゃんと分解点検したから。ブローして、接点回復剤をシュッとして、ベアリングに一滴」
「ベアリングに油注した? 開放型だった?」
「両ゼット。完全密閉だから気休め」
「線はどうだった? 長さは足りた?」
「短かったからさ、VAを繋いでおいた」
「あんた、本当に雑なことするなぁ。大丈夫だろうな、結線」
素人には意味のわからない名前がポンポンとび出てくる。その意味を訊ねると、浅野が迷惑そうに教えてくれた。
洗濯機が脱水モードに切り替わった。たっぷり水を吸った毛布だから、回り始めるときに大きく揺すった。
ブーンと勢い良く回り始めたとき、山下の携帯電話が軽妙な着信音をたてた。
「あぁ、あんたか。どこまで来たの? ……コンビニの前だな? じゃあ、あと一キロくらいそのまま来てよ。右側に雑木林があるからさ、それを目印に来てよ。表で待ってるから」
山下に来客のようだ。取材の目的はほぼ達したので、俺は帰るつもりだった。ところが、浅野が引き止めた。時間が許すようなら見て帰らないかと誘ったのだ。何を見せてくれるのか知らされないまま、俺は興味本位で残ることにした。
「自転車もこの中に入れたらいい。雨が降っているのに、よく来たなぁ」
あれから山下は雨の中で来訪者を待っていた。そのせいで作業服がぐっしょり濡れている。自転車を押してきた少女も雨具を持たなかったのか、長い髪からポタポタ滴を落としていた。
タオルを少女に渡した山下は、六月だというのにストーブに火を点けた。そうしておいて自分もゴシゴシとタワシのような頭の水気を拭った。
「濡れたものを乾かしなさい。風邪でもひいたら後で困るからな。浅野さん、なにか温まるもの作ってやってくれや」
と言いながら、山下は自転車の前カゴに載っているビニール袋を作業台に置いた。取り出したのはノートパソコンだ。それに電源アダプターを挿し込むと、少女を窺った。
「起動しなくなったのです。一瞬だけメーカーのロゴが表示されるけど、その後は真っ暗で」
少女の話しぶりは、切羽詰ったような悲痛なものだ。彼女が言う通りの症状だとすると、記憶装置が動かないか、オペレーティング・システムが壊れた可能性があるだろう。そうなったらメーカーに修理を依頼するのが普通だが、その場合、データが回復しない可能性が高い。ただ、少女はどうして山下を頼ったのだろう。新たな疑問がわいた。
山下が電源ボタンを押すと、少女が言った通りの症状が表れ、ずっと起動せぬまま小さなランプを明滅させていた。
「なるほど、聞いた通りだな」
山下は、呟いて電源ボタンを押した。そしてチラッと少女を窺っている。どうしてほしいのか、言えとばかりに。
「それ、ないと困るのです。データがないと、レポートを書けないのです。だから、データが消えるのは絶対に困ります」
拭っていたタオルをグッと握りしめ、唇が戦慄いていた。
「別のパソコンではダメということだな?」
少女ははっきり頷いた。
「一時間半だなぁ。それだけ待てるか?」
どういう意味だろう。わずか一時間半でどうしようというのだろう。ただ、少女は何度も頭を下げていた。
「データということだから、全部ドキュメントフォルダに保存してあるのか? それと、特別なソフトはここではインストールできないけど、自分でやれるな?」
奇妙なことに、山下はさっきまでと同じように気負ったところがまったくない。それに対して少女はデータの回復にだけ意識が向いているようだった。
「お譲ちゃん、大丈夫だからさ。山下さんさぁ、若い女の子には弱いんだ。ちゃんと働くからね、だから一時間くらい座って待ちなさい」
シュンシュンと湯気を立て始めた湯をカップに注ぎ、浅野が椅子を勧めた。
「あんたも、もう一杯どうかね?」
俺にもコーヒーを勧めてくれた。山下は一時間半と言ったはずだが、浅野は一時間と言った。それはどういうことだろう。そのことを訊ねると、浅野はクスクス笑った。
「見てごらんよ。山下さん、深刻そうにしてるかい? あれは絶対さばを読んでるよ。見ててごらん、一時間で結論が出るから」
「結論とは、修理可能か不可能かの見極めですか?」
「違うよ、修理完了かどうかということだよ」
そのときに俺を見た浅野は、あからさまに見下した目つきをしていた。
「一時間は酷いや。何かあったらどうするんだい」
浅野に言い返しながら、山下は別のパソコンを持ってきた。そして電源ボタンを押すと引き出しをゴソゴソやって、記録用のCDと、メモリーカードを取り出した。
「そんな憎まれ口を叩いてると、ろくな死に方はしないぞ」
ブツブツ言いながら娘のパソコンを起動させてパチパチとやっていたが、
「これで良いかな?」
メモリーカードを挿し込んで再び起動させる。すると、見慣れぬシステムが立ち上がった。
「お姉ちゃん、必要なファイルはどれだ?」
と、少女を呼んだ。
いくらやっても起動しなかったパソコンの中身を、こともなげに山下が開いている。少女は迷わずにこれだと指で示した。他のフォルダに大切なファイルがないことを確認させた山下は、ドキュメントフォルダをまるごとメモリーカードにコピーした。
カードのアクセスランプが忙しなく明滅を始めると、山下は引き出しからオペレーティングシステムのインストールディスクと、文書作成ソフトのディスクを取り出した。そして、まだコピーしている最中のパソコンを傾け、裏に貼り付けてあるシールから記号を転記した。
「さてと、データの退避が終わったから、全体をフォーマットするよ」
一旦、電源を落し、メモリーカードを抜き取った。フォーマットしなければいけない障害なのか判断できないまま、山下はあっさりと全部を消すことにしたようだ。
オペレーション・システムのインストールが始まると、山下はもう一台のパソコンにメモリーカードを挿し込み、取り出したデータをCDに焼いた。
「これさえあればいつでもデータを読めるからな」
と言ってCDを少女に渡し、カードの中のデータを消してしまった。
「山下さん、どういう方法で起動させたのか、教えていただけませんか」
あのような状態のパソコンを復帰させることを、俺は見たことがないし、そういう話を聞いたこともない。だからといって、山下がパソコンの技術者だとは到底思えない。それはキー入力する様子を見れば確信できる。いくらなんでも雨だれ式で打つことはないだろう。だが、現実に起動させ、データを抜き取った。
「なにも特別なことなど……、世間の人が気付いてないだけだ」
そう返した彼の目は、とても挑戦的だったように思う。いやに粘つく視線で、そんなこともわからないのかと嘲っているようだった。
「浅野さんはご存知ないですか、山下さんはなにか特別なことをしたのですか?」
そう訊ねてみても、ニヤニヤしながら首を傾げるだけだった。
少女がほっとしているのとは裏腹に、山下はジリジリしながらインストールの完了を待っている。何もできずにただ待つだけというのが我慢できないようだ。
「あと十分だぞ、今のうちに降参するか?」
「まだっ……ほらっ、インストール完了」
「文書と表計算のインストールは?」
「うるさいっ」
二人が掛け合い漫才をしながらパソコンをいじっている様子は、玩具を与えられた子供のように映る。ということは、投書の内容とはまったく違って、壊れたものを修理することが楽しいのだろう。そうして再生したモノを困っている者に与えて満足しているのだ。
社会の中に隠れた美談として記事になると思った。
「一時間たったー。できたか?」
「できたっ。できたぞ、ぴったり一時間だ」
「……認証は?」
「あさのさん、あんた、絶対に畳の上で死ねない。死なせてやらないからな」
罵り合いをしながら認証を得て、少女のパソコンは復活した。
そうして考えると、この作業場の中にあるものは、運よく処分を免れて復活したものばかりだ。この二人は、節操なく使い捨てにする社会に叛旗を翻しているのだろうか。それは違うような気がする。自分が製造者だったから、産み出した命を全うさせようとしているのではないか。そんな気がした。
少女の自転車に、修理品の電子レンジが括りつけられた。もし動作しなくなったら困るだろうと、別のパソコンも前カゴに載せられた。
少女は学生寮で生活しているそうだ。大学で学ぶために多額の費用を支払ってもらうので、欲しいものがあっても我慢しているそうだ。入寮に際し、卒業生の残していった道具類を抽選で配ったらしいが、少女が手にしたのはそのパソコンだったとか。時折り山下が道具をプレゼントしてくれるのを、寮生が楽しみにしていると語った。そのたびにくじ引き大会が催され、寮生の生活が充実するのだという。
少女が何度も礼を言いながら自転車に乗った。時折り振り返り、片手を振りながら小さくなってゆく。それを潮に、俺も暇を告げることにした。
「こんどは夏に来い、林の中は涼しいぞ。ただし、作業服を忘れるなよ」
山下と浅野は、そう言って見送ってくれた。
ジャンクマン、いや、ジャンクマンズだな。