斎藤過去編
物心がついた頃から私には……私の身の回りには異変が既に始まっていた。
最初はただの不運かと思った。公園から出ようとすると、車が飛び出してきたり、鉢がマンションのベランダから落ちてきたり。それは誰もが経験してもおかしくないだろう。
幼かった私を何時も守ってくれたのは、両親忙しくてお守りを任されていた祖母だった。
外に行くときは祖母の手を握っていた。
車に退かれそうになったときには、直ぐ私の手を引っ張ってくれて、鉢が落ちたときは、私を抱上げてくれた。
どれもこれも間一髪、私の幼い頃の命は祖母に守られていたといっても過言じゃないだろう。
ある日。
「桃歌、この傷はどうしたんだい?」
右腕を見るとうっすらとした細く赤い傷が1本通っていた。私は怪我した覚えはなく「分からない」と答えた。
「覚えはないのかい?」
私は頷くばかりで、祖母が何やら難しそうな表情をただ不思議そうに見ることしか出来なかった。
「どうしたの」と聞くと「大丈夫」だと、私の頭を撫でたのを今でもはっきりと覚えている。
それからも私の不運が続く。
何時も大人しい隣近所の柴犬のポチが私のふくらはぎ噛みついた。
当時5歳の幼児の脚など、簡単に犬歯が肉に食い込む。
「……! 痛いよ! 離してっ!」
私の声に反応したように、またさらに噛む力が強まった気がする。 ーー痛い痛い痛い痛い!
私の思考は痛覚だけに支配された。長い時間かそれとも短い時間か分からないが、畑仕事をしていた祖母が私の異変に気づき、犬を凄い剣幕で追い払い、直ぐ私を病院へと連れていった。
10針縫う大きな怪我となってしまっていた。
疲れ果て私はいつの間にか寝てしまっていた。眠りにつく前祖母が悲痛な声で「どうしてこの子に……」と呟くのをしっかりと聞いた。
犬に噛まれ一年後、私のゲガの痕の殆ど見えなくなっていた。
6歳になった私も両親は忙しく、何時ものように祖母への家に来ている。
外は雪がチラチラと降り始めていている。暖かい炬燵に入りその銀の世界になるのをワクワクしながら眺めていた。
「積もりそうだねー」
「うん! おばぁちゃん、積もったらたーくさんっ、雪だるまつくろう‼」
「そうしようね」
何処にでもありそうな祖母と孫との会話。
でも、このときは最後になるなんて考えもしなかった。ううん、幼い私は雪の事しか考えていない。
その日の夜。明日雪遊びの約束を祖母として別れた。
ワクワクしながら、眠りに入って午前2時頃。固定電話のコールが家に鳴り響いた。
私と両親は起き上がり、母が電話を取る。
暫くすると母が酷く焦ったような様子で私に急いで外出の準備をさせた。
15分程車を走らせ到着したのは、国立の大きな病院で。
父親の温かい手を繋がれ、病院へ。
看護師に案内され、入った病室。白いベッドに寝ていたのは紛れもなく、祖母で。
「ねぇ、お母さん。どうしておばぁちゃんはここで寝てるの?」
それは私の純粋無知の質問。
すると母は黙って私の頭を撫でると、
「どうしてだろうね。私にも分かんないや……」
それだけ私に伝えると、微笑んだまま母の頬に涙が伝う。
「あのこんなときに申し訳ありません。亡くなる直前、お孫さんに仰ってたことが」
神妙な表情の看護師さんは言っていいかという目配せを両親にした。答えたのは父で「お願いします」と軽く頭を下げた。
看護師さんは私の前まで来て、目線を合わせた。
「おばぁちゃんがね。炬燵の部屋のタンスの上から二番目にお手紙在るから読んでって。あとね」
ーーこれからどんなことがあっても挫けないで。
「って、おばぁちゃんが。いい?」
そのとき全然意味が分からなくて、頷くだけで。
祖母がもうこの世に居なくなったと理解したのはお葬式で。流石にお葬式が何のためにあるのかは知ってて、主役が祖母で、理解するしかなかった。
祖母は母方で、実の母が亡くなったことを受け入れることができなかったのは、私の母だったかもしれない。
あれから祖母の話を母としてない。
数年後。祖母の家が取り壊されることになった。今まで放置していた思い出の祖母の家。
小3になった私も遺品整理へと向かった。
中に入ると埃っぽい匂い、懐かしい匂いが混在していて。
全てがあの日のまんまだ。
遺品整理が開始して間もなく、一通の手紙。
「そう言えば、昔……」
すっかり抜けてしまってた祖母の遺言。少しだけ緊張しながら封も切る。
桃歌へ。
これから書いていくことは理解出来ないかもしれないけど、大切なことだから聞いて。
桃歌、何故だか分からないけど桃歌の命はとっても危ない状況にあるの。
もしかしたら気付いてるかもしれないね。
命に関わるようなことが何度も起こるってこと。
それは不運じゃ片付けられないのよ。
私の勝手の推測だけどももかの命が狙われるルールがあるの。
·狙われる時の数日前にももかの右腕に二つの細い傷が浮かぶこと
·ももかの狙われたことはその事実が消えてく。
·事実を知ってる人間は事実を忘れる。
·事実は変わってしまう。
この三つよ。
でも、私は一番知ってる人間だったけど忘れなかった。その理由は分からない。
何時私が居なくなっても、生きて。
それがももかの運命だとしても抗って。
祖母より
それからは上の空で、手がつかない。
運命? 狙われる? 記憶?
「意味が分からないよ。おばぁちゃん……」
訳もわからず涙が出た。いや、理解出来なくても心の奥では嫌なほど分かっている。
小さな嗚咽が部屋に響く。