斎藤の諸事情2
禁断の女子トイレに足を踏み入れた俺は、目を疑った。
「緊急かもしれないので、入りまーす」
と、俺はちゃんと弁解しながら入ったのはいいものの、その光景をどう受け入れたらいいものか迷ったあげく、こめかみを手で押さえた。
んで、
「勘弁してくれよ……」
というのを第一声に選んだ。
ここのトイレは比較的小さく、トイレが五つありその向かい側に流し台があるという簡素的になっている。
足元は水色のタイルで昔ながらという言葉がピッタリだ。
まぁ、ここからが本題だ。
その水色タイルに島嵜がショートボムの髪を広げた形になって寝ている。じゃなかった、倒れているのほうが表現が妥当だろう。
一方、斎藤はトイレのクリーム色のドアに背を預け、肩を上下に揺らしていた。額にはうっすらと汗をかいていて、何時も陶器のように白い肌は赤く染めている。
島嵜は最悪の想定を想像したが、生きていた。その事にかなり安堵した。いやだって、事件に巻き込まれたかと。あ、これ立派な事件じゃね? と考えに一瞬至ったがこれは全力で目を瞑る。
こちらに気付いた斎藤。これは何時も通りに何の感情を写し出さない黒い瞳は相変わらず平凡な顔立ちで、呆然を立ち尽くしている俺だけがいる。
俺は一度息を吐き出した後、「どうなっているんだ?」と問いただした。少しの静寂のあと、「また、あんたなの?」と聞き返してきた。あー、ダメだ。会話が合っていない気がする。
俺は心の中で『また俺ですけどなにか! 助けてくれるのがイケメン何て向こうの世界だけだ‼』と返答しておいた。
俺はもう一度問いただした。一字一句同じようにな。次の斎藤の答えは「関係ない」だった。
どうやらこいつは俺に事情を話す気はないみたいだった。
見たところ怪我もないみたいだ。
斎藤と何があったかは、俺は知るよしもないが島嵜の様子も、斎藤の感情を露にした焦った表情もおかしいのだ。
これが女の世界だと言われても理解が出来る気がしないぞ、俺。
島嵜を保健室へ連れていった方がいいと思うが、俺は松葉杖で両手が塞がってどうしようも出来ない。
「斎藤、人呼ぶがいいな?」
斎藤は俺の声には答えず、ただただ下を向き包帯が巻いてある右腕を左手で撫で、見つめていた。
勿論顔が見えず、斎藤の感情を読み取れることはない。
「二人ともどうしたの? ってここトイレ?」
女子らしい声に持ち主はこの空間の雰囲気を一変させた。
「えっと、島嵜。大丈夫か?」
戸惑う俺はどうにか島嵜に声をかけた。頭に疑問符を浮かべながらも、全ての人間ーーいや、生物全てに安心させる聖母のような笑みとともに「大丈夫だよ」とお言葉を頂いた。
「うーんと、どうして私トイレの床で寝てるの?」
うん、それ、俺も知りたいです。
「えっ! どうして寝てるの! ーー待ってトイレって‼」
島嵜の思考回路は『トイレの床で寝ていた』ことに切り替わったようで。
そこで、授業を終了を知らせるチャイムが学校中に鳴り響いた。
「取り合えず出るか」
二人とも俺の言葉を聞き入れ、教室に一旦戻ることに。
斎藤は俺たちと後ろで距離を取りつつ向かうようで。その間、ずっと無言だった。
島嵜と言えば、『トイレで寝ていた』ことしか頭にないようで、制服を叩いていた。
島嵜って案外馬鹿……天然かもしれないな。というのが俺の正直な感想だった。
それからは誰もその件に触れることもせず、何時も通りの日常を過ごした。
俺は疑問点しかないが、態々斎藤を聞き出すにも行かず、悶々とする日だった。
翌日は島嵜は昨日のことは忘れたように俺に挨拶してくれたし……え? “忘れたように”おい、それどういうことだよ。
島嵜に一応恐る恐る聞いた。すると、「昨日のこと?」と言われた。
その刹那、俺は得たいの知れない恐怖に襲われた。
昨日のこと忘れてる? はぁ? 意味わかんねよ。
どう考えてもちょっとやそっとで忘れることじゃねぇ。島嵜が馬鹿――天然だとしてもそれはない筈だろ?
斎藤と言えば、相変わらず無表情でどこまでも続く青い空を窓越しに見ていた。
右腕も包帯は消えていた。
俺は何か悪い夢を見ていたかもしれない。
でも、これは夢や思い過ごしで済ませれることなんだろうか。
一体何なんだよ。
昼休み、山田と教室の一角で弁当を貪る。表情は冷静に、しかし、心は乱れている。
「なぁ、山田。俺が骨折した理由って覚えてるか?」
「ん? 何だよ。急に」
極めて不思議そうに傾げる山田。
「いいから答えろ」
「何、怒ってんだよ」
そう言うつもりじゃなかったが、気が焦ってるせいか俺こ言葉日はとげがある。
「いや、すまん。っで覚えてるか? 俺が骨折した原因」
「そりゃー覚えてるぞ。家の階段でボーってしてて落ちたんだろ」
美味しそうに唐揚げをパクリと口に頬張る山田。
――作り替えられた事実。
可笑しすぎる。山田が馬鹿だったとしてもだ。いや、俺が可笑しいのか。記憶は鮮明なはず。間違ってないはず。
可笑しいのは世界の方だ。
その時俺のなかで何かが落ちた気がした。