独り
それは早朝。
私は盛大に溜息をつきたい気分だった。
「まぁ、あんな佐々木だけど成績いいし、お人好しだし案外人気あるわけよ。だから、天使さ……最近どうなのよー」
ニタニタと笑いながら、おばさん口調というかお見合いを 勧める親戚のおばさんの態度で朝っぱらから不機嫌オーラを隠しもしない私に、グイグイ話してくる多分佐々木の親友の山田。
癖っ毛の目立つ長めの甘栗色の髪。ヲタク感が醸し出されている重そうな黒縁眼鏡。レンズ越しに見える切れ目。普通にしていれば、モテそうな顔立ちだった。
しかし、瞳が好奇心によりギラギラしていて全てか台無しな気がする。
決して本人には言わないけれど。
そして、この山田には『天使さん』と呼ばれ不愉快だった。
「……で、どうなんだよ」
突然、トーンが低くなって此方を見透かしそうな冷めた視線。
あまりにも真っ直ぐと見据える視線から逃れたいけれど、きっと山田はしつこく聞いてくるだろう。
「別に何もないし。……強いて言えば」
「強いて言えば?」
ゴクリと山田が生唾を飲み込む音が聞こえた。
佐々木は唯一傷の事を話した奴。
気まぐれで、イラついてて、勢いで話してしまった奴。
私の中で佐々木という存在は、
「偶々席が隣になった奴だけど」
「えー! 期待して損した!!」
山田はガクリと私の机の上で項垂れる。駄々を捏ねる子供のように「他はっ他はっ!」と叫ぶ。
「それ以外に何があるというの?」
冷たく見下ろした私の視界にはシュンと小さくなった山田がいた。
「糞っ!! 佐々木の浮いた話のネタが掴めると思ったのにー!! この恨み晴らさぬべきか!!」
「それは逆恨みと言うんだぞ。や・ま・だ君?」
いつの間にか私の後ろに立っていた噂の佐々木。こめかみがピクピクと恐ろしく痙攣していた。
「これはこれは、佐々木様! おはようございます!!」
と言って、敬礼をする。山田は額には薄っすらと脂汗が浮かんでいた。
ーーおいおい、山田。佐々木が優しいと言うのは嘘でしょう。
そのまま、山田は佐々木に首根っこを掴まれて連行されていた。
周りからは笑い声も聞こえ、暖かな雰囲気になる。
その中で私だけ取り残されたような、見えない壁で閉じ込められたような気がして、胸の辺りが痛んだ。ちくちくと痛めつける正体が分からない訳じゃない。
ただ、それを認めてはいけない。
弱くなってしまうから。
最近、私の周りが騒がしくなった。
その原因は佐々木で。
どうすればいいのだろう。
「私には分からない」
笑い声に包まれた教室の中でポツリと呟いた声は、誰の耳に届くことなく、消えて行った。
夏休みに入る数日前の生徒は何処か浮足立っていた。
それは何処にでもある普通のこと。誰にでもある普通のこと。
しかし、私はそれさえ眩しく見えて目を細めてしまう。
いつからこんなにみんなを眩しく見えていたんだろう。
昨日から久しぶりのご対面をした。右腕の傷だ。しばらく見かけなかったからか、いつも以上恐怖が煽る。
怖い。
誰にも相談する事が出来ないのはこんなにも辛かっただろうか?
無意識のうちに、自分を抱きしめていた。
その日の帰途。
一歩一歩、確実に進んだ。
何があるか予測も出来ない。いつものことだ。
瞳の動きが右往左往なっているに違いない。そして、目つきも悪いとこだろう。
「おーい、先帰るなよ」
「……佐々木。なんでここに」
こいつは突然現れる。それはタイミングよく。独りの時に。
「いやぁさ。右腕の傷、例のアレじゃないかなっと思って」
「……」
否定する理由もなく、俯く私に慌てたように「間違ってたら、ごめん」と言ってくる。
何となく何処を見ればいいか分からなくなって地面を見ながら「ううん、合ってる。これだよ」と答えた。
わたしは一体どうしたというのだろう。
「そうか、それが。……今の所大丈夫なのか? もしなんかあれば」
「いい。助けなんて要らない。それに何があるか分からないんだから少しは自分の身の安全を考えたらどう?」
ーー違う。こんなことを言いたい訳じゃない。もっと他のことを言わないと。
でも、前の私はこうだった。誰もかも拒否した。それは自分の身が可愛いから。生きたいから。
孤独で戦うなんて表現するのは大袈裟かもしれない。でも、今まではずっと1人で独り。
私は佐々木の顔を見れなくて、踵を返す。
その時だった。
私の隣で急停止した一台の白いワゴン車。スライド式のドアを開け出てきたサングラス、マスクを着けた高身長な男。
そいつがこう言った。私に向かって。
「世界は楽しみ頂けたかな?」
穏やかな声で。
ーー何言ってるの?
咄嗟には反応出来なかった。そいつがどんな意味で言ってるのかなんて。
ううん、違う。
認めたくなかった。
真実なんて。
目の前が白いと思ったらそれはハンカチだった。後はよくある手口。
何かを嗅がされ、意識が誰かに取られるように遠のいていく。その中で確かに私の名を呼ぶ声がした。
「斎藤ー!」




