そそっかしい中年オヤジ
「すみません、カスミ草の花束をください」
仕事帰りらしい男のお客さんは、くたびれた背広、ちょい髪薄、典型的な中年サラリーマンだった。カスミ草だけなら、ちょっと寂しい花束になるかも。他の花一つ二つ入れるように、すすめてみようか。
「いらっしゃいませ。カスミ草の花束ですね。カスミ草に、バラの花を2本ほどいれると、見栄えがいたしますよ」
精一杯の愛想笑いで、勧めてみた、
「いえ、家内がカスミ草が好きなので、その花だけで」
営業失敗。まあしょうがないか。
「承知いたしました。カスミ草は白とピンクがございますが、どちらがよろしいでしょう?」
私が、カスミ草をみせると、中年おやじ・・・もとい、お客さんは、しばらく考えていた。
”ピンクのカスミ草で”という事で、私は大振りのものを3本選んで、花束にしてみる。可憐なんだけどな、ちょっと弱いというか、もう一本、小ぶりのをつけて、お客さんに渡した。
「ちょうど、1400円になります」
「はいはい、えっと財布財布と。あれ?ない?」
中年のお客さんは、背広のポケットやズボンのポケットを、手でさぐったり叩いたりして探してるが、どうもないようだ。
「弱ったな。どこかに置き忘れたのだろうか。そうだ、家に電話しよう。えっと、スマホスマホっと、あれ?俺はスマホも忘れたのか?ああそうか、どっちも鞄に入れてあるんだ。で、俺は鞄をどうしたんだ?」
どうしたと、私に聞かれても困るんですけど・・
「あの、まず、鞄を見つけたほうがいいんじゃないですか?大事な書類とか入ってたら大変だし。この花束はとっておきますので」
これが、馴染みの生け花の先生とかなら、ツケで渡しても大丈夫なんだろうけど。生憎、バイトの私と彼とは初対面だ。
彼は、また、自分の背広をさぐりつつ、ぱたぱたしてる。
何か、花束を注文する時からせわしない様子だった。せっかちな性格なのかな、しかもウッカリ屋で。物をよくなくすタイプだ。
今度は、腕をくんで、頭をかしげてる。どこで鞄を置き忘れたか考えてるんだろうか。
そんな時、水瀬店長が、奥から出て来た。
「飛鳥ちゃん、僕の知り合いのお客さんだから、交代するね。いらっしゃいませ、武藤様。カスミ草の花束ですね。」
「そうなんだ、でも、鞄をわすれたらしく、財布もスマホもないんだ。忙しいから、後払いできないかい?」
店長の知り合いなら、後払いもOkだろうと思ったが・・
「残念ですが、現金払いですよ。武藤さん、今日は仕事の帰りですか?」
「そうそう、もう忙しくて、今も営業回りの途中なんだ。ちょうど水瀬花屋の近くにきたから。で、思い出したんだ。家内の誕生日に花くらい贈らないとな」
水瀬店長は、腰に手をあて、はぁーとため息をついた。あれ?いつもニコヤカな店長らしくない。若干、機嫌が悪いような・・・
「武藤さん、相変わらず、そそっかしいですね。覚えてないのですね。あなたは、1週間前、交通事故にあったんですよ」
「え?事故、俺が?ああそういえば、思い出した。仕事中、横断歩道を青信号で渡ってるのに、車が突っ込んできたんだ。ッてえことは、俺は死んだのか?まいったな~、葬式の手配しないと、ああ、忙しくなる」
死んだ本人が葬式の手配って・・・本人、混乱してるのだろうか、それとも元の性格?
「武藤さん、落ち着きましょう。まず自分の姿を見て下さい」
彼は病院のパジャマを着ていた。さっきは背広だったのに。あーあ、また幽霊のお客さんか。
「あなたは、死んでません。病院に入院してるんですよ。頭を強く打って、目を覚まさないんだとか、奥さんに聞きました。さあ速く体に帰ってください。」
店長は、強い言葉で、まるで命令したかのような。
この間は完全に幽霊になったお客さんだったけど、今回は魂だけ?わからなかった。前回も今回も普通に思えたんだけど・・
「元気になったら、買いに来てくださいね。待ってますから」
私と店長で、消えていく武藤さんを見送った。戻るとき、自分の体を間違えないでね、武藤さん。
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1か月後、武藤さんは松葉つえをつき、奥さんらしき女性と来店した。
「いらっしゃいませ。お元気になられてなによりです。カスミ草のピンクの花束ですね」
「本当に大した事なくて、よかったですね。」
店長は、事故があった時に、偶然、近くにいたそうで、一度、病院にお見舞いに行ったと言っていた。武藤さんは事故で頭を強く打ったらしく、脳に異常はないのに目を覚まさない状態だったんだそうだ。
「あれ、俺の怪我の事しってるんだ?君、初めてだよね。会うの。」
武藤さん、この店に魂だけで来た事、すっかり忘れてるんだ。
「私が、バイトの飛鳥ちゃんに教えましたよ。お得意様の事は、ちゃんと教えておかないとね。」店長が、シレっと笑ってる。
花束は、武藤さんに渡すと、その場で武藤夫人に手渡された。
「遅くなったけど誕生日、おめでとう。心配かけてすまなかった」
「たいした事なくて、本当によかったわ。なかなか目を覚まさないし、あなたの事だから、勘違いして天国へ行ったかと、思ってしまいましたよ。」
そう笑う武藤夫人。さすが奥さん、するどい。”実は、そうなりそうだったですよ”とは、口が裂けても言えない。
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「それにしても、武藤さんも、奥さんの誕生日だけは、さすがに覚えてるんですね」
花を、整理しながら、窓から武藤夫妻の後ろ姿を見送った。
「はは、1年に1度とはいえ、大事なお客様ですからね。誕生日当日に、武藤さんには連絡をいれてます。なんでも、奥さんの誕生日を忘れたらしく、一度、夫婦喧嘩になったそうですよ。ちなみに、奥さんの好きな花は、ピンクのバラ。夫婦喧嘩の仲直りに送った花束で、何か、武藤さん、勘違いしたみたいで。」
武藤さんの奥さんを尊敬するなぁ。せっかちで、そそっかしくて、早とちり。3拍子揃ったら、苦労が絶えないだろうに。
ところで店長の営業電話は、売り上げ金額には、関係ないみたい。
売り上げ。カスミ草花束一つ、1400円なり。
他人事ながら、武藤さんが、ちゃんと自分の体に戻れて、本当によかった
水曜日深夜(木曜日午前1時)に、短編を出してます。今日は、ちょっと遅くなりました。すみません。