夏服のマーメイド
ふと口から出た願望が正解した。まさか…そんなことがあるのか? 驚いた僕は振り向きざまに体勢を崩し、腰を抜かした。
「あら、そんなに驚かなくてもいいんじゃない? 伊勢君ったら、あいかわらず面白いなぁ」
クラスの憧れでマドンナ、そんでもって夏服のマーメイドと呼ばれる目取真 成海さんにこんな美味しいシチュエーションを仕掛けられたら、驚くなという方が無理である。このマーメイドはどの男にもこんな感じなのか? そんな嫉妬にも似た妄想を膨らましていると…
「何してるの? こんなところで」
無邪気な笑顔からオーソドックスな質問が来た。とりあえず、ダサいと思わせてはいけない。僕はかなり格好をつけて説明した。
「宿題の自由研究をしてるんだ。夏の暑さを和らげる研究なんだけど、手段として打ち水がどれほどの効果があるのか、まず実験してるんだよ」
うん、説明としては間違ってはいない。
「へー、すごい! 伊勢君、頑張ってるんだね。補習って聞いた時は大変だなと思ってたけど、もしかしたら夏休みの内に成績追い抜かれちゃうかも」
「あはは、そんなことは天地がひっくり返ってもありえないから大丈夫」
知ってるんだぞ、成海さん。あんま勉強してないとか言う割には、学期末で席次上位だったじゃないか。謙遜にも程があるっての。
「それよりも成海さんはどうして学校に?」
せっかく成海さんと話せたチャンス。僕はもう少し会話したいと言わんばかりに、なぜ学校にいるのか聞いてみる。
「今日は合唱部の練習日でね、それで登校してきたの。その途中で伊勢君見つけて、元気かな? のついでに驚かしちゃえと思って」
なんちゅう美少女らしい行動パターンだ。これを素で考えていたのなら彼女は策士を超えて、180度回転したド天然であろうなと思う僕であった。まぁ、それはともかく、話題を部活の話に戻す。
「そっか…成海さんは合唱部だったもんね。でも、合唱部って夏休みに練習するほど忙しいの?」
「あっ! 今、合唱部馬鹿にしたでしょ?」
「えっ!? いや、そうじゃなくて、ほら、野球部とかは甲子園とか目指すし、サッカー部はインターハイとかでいつも忙しそうなのはわかるけど、合唱部とかそのへんはよくわかんなくて」
「こう見えて合唱部も2学期のコンクールに向けて練習してるのよ。真面目な子は夏休みでも音楽室使える日は練習してるし、それに声は積み重ねが大事! 焦らず、だけど休まずだよ」
「そっか、いや、無知でお恥ずかしい。でも、さすがは成海さん! いよっ、夏服のマーメイド(ちなみに冬でも夏服になるのかは現在不明)」
「いやぁ~、参りましたな~」
照れるマーメイドだった。ここで成海さんに少し触れておくが、さきほど僕が呼んだ夏服のマーメイドって何ぞや? と誰もが疑問を持つと思う。
実は成海さん…容姿端麗で成績も学年トップな上、合唱部の中でも1、2を争う美声の持ち主なのである。その歌声はまるでマーメイドのようと称えられたことと、爽やかな印象の彼女を組み合わせたことから、このあだ名がついたらしい。
だが…マーメイドというあだ名の要因にはもう一つある。これは有名なのだが、その美しい歌声に魅了され、告白を決意する男子は少なくない。なのにもかかわらず、野球部、サッカー、陸上部のエース全てを含め、成功した例はこれまで存在していない。敗れ去った男子はまるでゆらゆらと海に浮かぶ難破船のようになり、正に魔性…という意味も込められているらしい。マーメイドの声に魅了されて、難破するという伝説をリアルに再現している。
かくいう僕も彼女に対して憧れを抱く一人ではあるのだが、なにせ競争率が高く、男の好みが未知数な高嶺の花。告白してフラれる確率の高さを考えると好きな気持ちを維持するだけでもかなり根気を必要とする。やはり自分の気持ちに嘘をついて、遠くから目の保養対象としているのがベストだろう。じゃなきゃ僕もきっと難破船になっちゃうから…(泣)
「伊勢君? どうしたの、考え込んで。もしかして、お邪魔だった?」
「えっ? いや、そんなことないよ。ただ、成海さん、この暑いのに練習頑張ってえらいな~と思って」
「部活は楽しいよ。それに伊勢君だって自由研究、頑張ってるじゃない」
「あはは、そんなことないんだけどね」
「そうだ! 今度のコンクール、伊勢君も見に来てよ」
「えっ?」
「10月くらいだったかな? 確か」
「僕が? そんな、いいの?」
「もちろん。だって友達じゃない」
えっ…っていうか友達だったの? 成海さんが言った友達という言葉に思わず笑みがこぼれる。知らなかった…僕と成海さんって友達だったのか。てっきり僕はクラスの馬鹿でダメ人間と思われているのかと思いきや、友達と認識されてるなんて。しかもコンクールにまで誘われるとは。これは、是非行かねば!
「ありがとう。絶対見に行くから」
「うん、応援よろしくね。さて、伊勢君に負けないように私も練習しなきゃ」
「が、頑張ってね」
「頑張ります!」
マーメイドは敬礼のポーズをとると、その場を後にする。まさかの展開に驚くばかりの僕だが、今度のコンクールの事をふと考えてみた。そこで、彼女をうまく応援できれば、今は友達だけど、もしかしたらそれ以上の関係になる可能性だってありえる。これはかなりラッキーなことではないのか? 自分の心に正直に生きれるというのか! 一体どれほどの難破船たちがこの幸せを願ったことか。僕は見えなくなるまで、彼女の後ろ姿を見送らずにはいられなかった。
「ああ、マーメイドよ…」
「怪しいですよ」
「えっ?」