突拍子のない提案
翌日、教室に登校すると、資格女子の姿がいち早くそこにあった。昨日とは打って変わって前列の席に座っている。昨日、僕が座っていた席の隣だ。
教室は補習組の僕と彼女しかいないため、勉強という行為さえすればどこに座ってもいいのだが、やはり慣れ親しんでいる自席がいいため、僕は補習でも常に自席に座っていた。資格女子はそんな僕に合わせてくれているのか…わざわざ隣に来てくれるなんて、と不覚ながらも少しありがたい気持ちになる。
「おはよう」
それを読み取った僕は、彼女の思惑に背かぬよういつもの自席に腰掛ける。彼女の視線の先を見ると、なんらかの参考書を開いている。詳細は分からないが、資格関係のものだろうか。
「おはようございます」
このタイミングで挨拶を返してきた。
「うっ、うん」
「…」
「…」
返事はしたものの、挨拶の後に会話がない。アンドレはまだ教室に来ていない様子である。このなんとも言えない無言の時間が意外に苦痛である。
「ね、ねぇ、資格女子。また何か資格の勉強してるの?」
沈黙に耐えられず、僕はなんとなく頭に浮かんだ質問を投げかけた。すると、参考書に向けていた視線が僕の方へ向けられる。
「あの…私はもう資格女子に決定なんですか?」
「えっ、だって昨日はまんざらでもなさそうだったじゃない」
「呼び方ってものを考えてください。あなたから見れば、確かに私は資格ばっかのガリ勉女かもしれませんが、その可愛さのかけらもないような呼び方だけはやめてほしいです」
昨日の態度とは一変、今日は『資格女子』というあだ名はお気に召さない様子である。女心となんちゃらとはよく言ったものだ。
「そっ、そうなんだ。じゃあさ、なんて呼べばいいかな?」
「そんなのいくらでも呼び方あるじゃないですか。同い年なんだから石嶺でもいいし、鏡花でもいいし」
「いや~、呼び捨ては恐れ多いよ。そうだ、石嶺女史は? 女子は女子でも敬称の方の女史!」
「…」
彼女の目は呆れていた。
「なんか、伊勢君って変わってますよね。資格女子とか変な事ばっかに頭働かせて」
「いやぁ~、それほどでも」
「褒めてません!」
するとアンドレがちょうど教室に入ってきて、朝から妙な会話をする僕たちを微笑ましそうに見ていた。
「二人ともずいぶん仲良くなったようだね」
「どこがですか、こんな人」
さらっと石嶺女史(呼び方更新)が否定する。笑った顔は可愛いのに、こういう嫌味なところは本当に可愛くない。僕は思い切り不機嫌な顔をしてやったが効果はないだろう。
「でも、昨日は最後まで勇之助に付き合ってくれたんだろ?」
「ええ、まぁ。この人、相当な勉強嫌いなようですし、放っておいたら多分ずっと課題のプリント仕上げないですよ」
「だよね。いつもこんな調子だから、困ってたんだよ」
アンドレと女史が僕の困ったちゃんに対して語り合っている。そんな会話をすぐ側で聞かされる僕の気持ちも考えてもらいたいものだ…と横を向いてふてくされる。
「教えてもらってる身なんだからな、石嶺さんにあまり迷惑をかけるなよ」
本日のノルマであるプリントの束を渡しにくる中、アンドレが小声で話す。
「わかってますよ」
ふてくされながらも仕方なしに返事をする。アンドレはそんな僕をまた石嶺女史に託し、職員室へと去っていった。プリントに目を通すと、いつものように目眩がやってくる。毎日、毎日、プリントを見る度にやってきてくれるとは…この目眩はなかなか義理堅い奴だ。
「今日の課題プリントもヘビーだね~」
早々に愚痴りだす僕に対し、石嶺女史がこう言い放つ。
「私考えたんですけど、伊勢君はやる前に力を失くす食わず嫌いタイプだと思うんです。だから、まずは勉強に対する耐性をつけるところから始めてはどうでしょう。例えば、勉強をする目的とかを定めるんです。所詮はRPGゲームと同じで、一度目標を達成すれば楽しくなるもんなんですよ」
「ナヌ、RPGとな?」
石嶺女史の思いがけないゲーム用語に反応してしまう僕であった。確かにRPGで強いボスを倒せたときの喜びは何事にも代えがたい。まさか勉強もRPGと同じとは…ゲーム好きの僕も気づかなかった。
「確かにRPGは試行錯誤の連続で成長していくもんね。その勉強理論はあからさまに間違いとは言いづらい。しかし、マスターよ…その理論が正しければ戦闘力5のスライムな僕も勇者になれることになるが、間違いはないのかね?」
「何ですか、いきなり変な口調になって」
「要は、君の指導に従えば僕も頭良くなれるのかってことさ」
「頭良くなれるかどうかはわからないですけど、勉強のコツくらいは教えられますよ」
「マジっすか?」
「マジです。私の言うことちゃんと聞けば、夏休み明けの実力テストでも高得点狙えますね。オール80点といったところでしょうか」
「オール80! いきなりパラディン!」
「ぱらりん?」
「RPGの知識ないのかよ。とにかく素晴らしく強いって事!」
「ふふっ、パラリンもアパレルも大したことありませんよ」
自信満々に彼女が答える。まさかこの僕がオール科目80を狙える日がくるとは! それだけでも目標としては十分である。なんだかこの資格女子との出会いが僕を変えてくれそうな気がしてきた。なんだよ、なんだよ、ピンチかと思ったらこれはチャンスじゃん! 仮面つけてくるからわかんなかったよ~。
「あの…こんな事は言いたくはないのですが、顔つき怪しいですよ」
「はっ!」
迂闊だった…どうやら表情だけが未来に飛んでいたようだ。表情だけが時空を超えていた!
「いやいや、気にしないで。それよりも石嶺女史! 君の言う事聞けば本当にこんな僕でもテストで80点とれるんだね? 言っておくけど、RPGは根気を必要とする作業だよ? 僕もそうだけど、君だってRPGにおけるパーティ(仲間)なんだからね。運命共同体こそRPGの真骨頂なのだから」
「何回RPGって言うんですか。私よりも根気を必要とするのは明らかに伊勢君の方です。私の指導は厳しいですから、昨日みたいな感じのスパルタ指導になりますよ。果たしてあなたがそれについてこれるかどうか」
「80点のために頑張るから!」
勢いよく僕は答えた! もはや決心したのだ、パラディンになると。これでクラスの奴らから馬鹿にされる生活とおさらばできるぞ。
「わかりました。では、手始めに今日の課題をさっさと片付けますか。兎にも角にも話はそれからです」
「オー!」
だが、石嶺女史の指導は無慈悲であった。問題の解き方について、説明を受けては間違ってしまい、その度に罵詈雑言を受ける始末。早くも朝の言動を後悔する僕だった。そうです、乗せられやすい性格なんです、笑ってやってください。
石嶺女史のスパルタ指導の下、結局、本日の課題も夕暮れまでかかってしまった。
「二人ともお疲れ~」
帰り際、珍しくアンドレがプリントの回収に来た。昨日と同様、机にうな垂れる僕の姿が石嶺女史の指導の厳しさを物語っていたらしく、苦笑いしながら労をねぎらってくれた。
「よく頑張ったな、勇之助」
「はは…」
僕は力なく笑う。
「石嶺さんが勇之介の面倒みてくれるから助かるよ。お礼というのもおかしな言い方なんだけど、明日は二人とも夏休みの宿題やっていいよ」
「本当ですか!」
石嶺女子が嬉しそうに答え、それが妙に腹立つ僕。
「だから、明日は宿題に必要なもの忘れずにもってきなよ」
「はーい」
頭がデッドゾーンに達している僕はその会話に参加する元気もなかった。宿題なんかまっぴらゴメンだというのに、何がそんなに嬉しいんだか。すると石嶺女史が…
「ところで伊勢君。テスト勉強はいいとして、宿題の方は進んでますか?」
その瞬間、弱っている僕に追い討ちをかけるような、言葉では言い表せない不快と不安の入り混じったような感覚が襲う。
「いや、その、まだ全然…」
「マジですか? 夏休みも一週間以上経ちましたし…もうそろそろ8月に入りますよ?」
「いや、手をつけなきゃいけないのはわかっているんだけどさ」
「手をつけるのではなくて、そろそろ終わらせないとまずいと言っているのです」
「えっもう? さすがに早すぎだって!」
「いやいや、早くないでしょう? 8月から勉強に本腰入れないと、実力テストには間に合いません。ましてや伊勢君の実力なら間に合うかどうかも怪しいのに」
「うん、ごめん、馬鹿で…」
僕は力なく答えた。トドメの一言が来るのかと覚悟をしたところ、さすがに石嶺女史も言い過ぎの罪悪感からか…口調が優しくなるという意外な展開を見せた。
「あっ、あのその、ごめんなさい。そういうつもりではなくて」
「いいよ、慣れてるから」
「そうです! 良いこと思いつきました。宿題どっちが先に終わるか勝負しませんか?」
「はぁ!? そんな勝負の結果なんて、火を見るより明らかじゃん」
「大丈夫です! 公平な勝負になるよう、ちゃんとハンディもつけますし。それにもし、私が負けたら罰ゲームで『ものすごく恥ずかしいこと』をします」
「なっ、何ですってーー!」
男の本能が恥ずかしいという言葉に反応し、疲れ果てていた僕だが、一気にテンションMAXになる。すると石嶺女史は待ってましたとばかりに怪しく笑う。
「ここまで言われて受けないなんて、男が廃りますよ」
「確認だけど、本当に『ものすごく恥ずかしいこと』するんだよね?」
「もちろん、私に二言はありません。その代わり負けたら伊勢君が罰ゲームですが、それでも受けますか?」
「受けて立つ!」
「おー! 男らしいですね」
突拍子もない提案ではあったが、なんだかこの勝負には男として賭けねばならないことがあるような気がした。締め切りは二週間後(8月の上旬まで)と決定。ハンディキャップとしては、引き分けなら女史の負けという条件がついた。これなら僕でも、マジで頑張れば何とかなりそうである。
目の前の憎たらしい女に恥ずかしいことをさせる…男としてこんな喜ばしい事はない。新しいゲームを始めるがごとく、闘志を燃え上がらせた僕と資格女子の記念すべき(?)初対決が幕を開けたのだった。