君を乗せて
「はぁはぁ、1、2、うっ」
女史の様子がおかしい。走るたびに痛そうな声が目立つようになってきた。
「女史、大丈夫? 辛そうだけど…」
「だっ、大丈夫です。私のことは気にしないでください」
「そういうわけにもいかないよ。もしかして、捻った足が痛んできたの?」
「そんなことはありません。そんなことは…ああっ」
必死に走ってきた女史だが、ここで体勢を崩してしまった。すかさず僕は女史を抱えるように支え、その場に座らせる。
「うわっ、なにこれ? 相当腫れてるじゃん!」
捻った左足の状態を確認すべく、軽く女史の足を触ってみたが、素人でもわかるほどひどく腫れ上がっている。
「なんでこんなになるまで無理したの!?」
荒い息づかいの中、女史が辛そうに答える。
「だって今は…勝負の真っ最中じゃないですか。私のせいで負ける訳にはいきません」
「何言ってんだよ! 勝負なんかよりも体が大事だろ!」
だが、そんな状況に追い打ちがかかる。
「あー! あんたら!」
山城と有喜のペアが追いついてきたのだ。っつ-か、もう来たの? いくらなんでも早すぎないかこいつら。
「はぁはぁ…どのルートきたのよ。こちとら、やたら長いコース走らされたんだけど」
しかし、意外と迂回コースが有効でバテてる様子が窺える。まぁ、今はそれも虚しい展開になりつつあるが。
「山城、そんなことよりも一大事なんだよ」
「どうした? もしかしてその子か? 見た限りかなり苦しそうだけど?」
有喜が心配そうな声をかける。
「そう! そうなんだよ」
そんな会話から山城も女史の異変に気がついたようである。
「えっ、ちょっと、石嶺女史。あんた大丈夫?」
「大丈夫です、ノープロブレムです。うっ」
強がり、立ち上がろうとする女史だが、思わず痛そうな声を出す。
「何言ってんだよ、大丈夫じゃないだろ!」
僕はまたもや、女史を抱えるように支える。僕の慌てた様子から山城が状況を察したようだ。
「もしかして、足痛めたの?」
「そう、そうなんだよ。女史が足挫いちゃってさ」
「ふーん、とにかくそんな状態じゃ走るのは無理ね。棄権した方がいいわよ」
やはり、それしかないのか。認めたくないが、それは無条件で負けを意味する。
「ですが、あなたとの勝負がついていません」
「こんな状態じゃ、もう勝負なんてできないし、今回は無効試合にしてくれないか?」
僕は最後の望みをその弱気な言葉に込める。すると、山城がふふんと笑った。
「そうね、こんな調子なら無効試合…って馬鹿! ふざけるのもいい加減にしてよね。こっちはさんざん裏切られといて、めちゃくちゃ頭きてんの! 何、いまさら都合の良いことぬかしてやがんのよ!」
うっ…なんだよ、承諾するかと思いきやぶちギレるというノリツッコミ。この場面でそういうのいらないっての。
「山城、一回落ちついて」
「うるさい! 黙れ! 馬鹿!」
嗚呼、言葉の端々(はしはし)に憎しみが…これじゃ、停戦協定は望めそうもない。
「残念だけど、勝負は勝負。勝ちは譲れないわ。そもそもね、体調管理も勝負の内なの。厳しい事言うだけど、大会とかじゃそんな甘い考えは通用しないわよ」
「そうそう、残念だけど諦めな」
山城の辛辣な言葉に続く有喜。
「そこをなんとか」
粘る僕。
「ふざけんな!」
山城が怒号を放つ。やはりダメか…停戦協定の申し入れはあえなく却下された。まぁ、こちらが仕掛けた勝負だ。ここで停戦を申し込むのは山城の言う通り、あまりにも都合が良すぎる。
「さっさと諦めて保健室にでも行きなさい。じゃ、私達もう行くから。」
「山城さん!」
満身創痍なくせに女史が無理に立ち上がる。
「なっ、なによ」
女史の気迫に、強気だった山城が若干押されつつある。
「私は引き受けた勝負は最後まで投げ出しません。たとえ、足を挫こうと最後まで戦って、あなたに絶対勝ちます」
「そんな絶体絶命でよくそんなこと言えるわね。万に一つ目の勝ち目も無いくせに」
言葉こそ返さなかったが、女史の目はまだ諦めていなかった。
「勝手にしなさい。これ以上、ここで時間ロスする訳にもいかないの。なんせ、こっちはあんたらの勝負の他に学年優勝の期待もあるんだから」
「そうそう。イセユウ、ファンクラブの覚悟決めとけよ」
「だから何の話よ」
そんなやり取りを残し、山城と有善は走り去っていった。女史の足の様子から、今すぐ走り出すわけにはいかない。追いかけることも出来ず、停戦も叶わず…奴らのうしろ姿を悔しく見守るしか術が無い。やはり、嫌な予感が的中した。そもそも、勝ち目の無い試合なのはわかっていたはずなのに…万事休すか。
「さぁ、私達もいきますよ」
痛めている足を引きずりながら、女史が走ろうとする。
「何言ってんの、そんな足で…もう無理だよ」
「いいえ、まだ勝負はついていません」
「勝負なんか決まったようなもんじゃないか! 僕らがどう足掻いたって、もう勝てやしないよ!」
負けた悔しさからか、僕は声を荒げる。遠回りしてた他のクラスの連中も徐々に追いついてきて、そんな僕らペアを横目で見ながら通り過ぎていく。
「そんな声を荒げる元気があるなら、早く走ってください」
痛みに耐えながらも、女史は平然とした眼差しで僕を見つめる。そう、諦めていない眼差しで。
「無茶だよ…そんな足で無理したら、怪我が余計ひどくなるかもしれないだろ?」
「無茶でもなんでも、諦めたくないんです!」
今度は弱気になる僕に対し、女史が大声を出した。なぜ、君はここまで引かないんだ?
「そもそもこんな勝てる勝負じゃなかったんだよ。山城にはあとで詫び入れるからさ、棄権しようよ?」
勝てる希望をすっかりなくした僕は静かに諭す様に言った。
「足がダメになっても走り抜きたいです」
「何言ってんだよ、本当に歩けなくなるぞ!」
「だって! だって、私がやっと見つけた場所なんです!」
「見つけた場所?」
言い合う僕らだったが、女史が気になることを言い出した。どういうことなのだろうか? 答えを知るべく心を落ち着かせる。女史の真意は何なのだ?
「何さ、見つけた場所って」
「私、伊勢君と出会って、初めて学校が楽しいと思えるようになりました。孤独だった高校生活が、苦しかった学校が…もう一人じゃなくなったんです」
そう言いながらこちらに顔を向ける。強気な表情ながらも、瞳には涙を溜めていた。
「伊勢君と過ごす時間は何よりも楽しかった。補習で会っただけの、生意気で可愛くない私なのに…あなたは、あなたは側にいてくれた」
「女史…」
「私、あなたと一緒にいられる場所を失いたくないです。だって、一日の内で、一緒にいられるのなんてお昼だけじゃないですか…なのに、それさえもなくなってしまうなんて、耐えていけそうにありません」
女史の瞳から滴がこぼれだした。
「山城の勝負を受けたのはそういうことだったの?」
女史は黙って頷く。もはや涙で言葉すら発することすら出来ない様子だ。今わかった気がする。これが君の、君の本当の気持ちだったんだね。
「馬鹿、馬鹿だよ、君は…僕と同じくらい馬鹿だ。なんで素直にその気持ちを言わないんだよ…素直だったなら…いくらでもやりようがあったじゃないか」
「だって、私ってほら、可愛くないですから‥」
女史が絞り出したような声と共に、寂しそうに笑った。バッカヤロウ…君ってやつはバッカヤロウ。そんな事言われたらもう、もう、どうしようもなくなっちゃうじゃんかよ。
「乗って!」
「あの、伊勢君?」
僕はすぐさま僕らの足を固く結んでいた布をほどき、かがみ込む。誰かをおぶるような姿勢になると半分ほど顔を後ろに向け、女史に向かって叫ぶ。
「時間がない、僕が君を乗せて走る」
「でも、そんな体力を消耗する走りをしても…」
「勝てるかなんてわからないけど、でも、君の気持ちを聞いた今、もうじっとなんかしてられないよ。僕だって諦めたくない。だから、走らせてくれよ」
僕はそう言いながら力強く言葉を放つ。こんな体勢で言っても決してカッコよくはないだろうが…
「やはり伊勢君は伊勢君ですね。わかりました」
そんな僕の決意を読み取ったのか、女史がすかさず僕の背中に乗る。
「地球は回る、君を隠して。僕は走る、君を乗せて」
「有名なフレーズを『インディアン、嘘つかない』みたいに言わないで下さい」
「なんだよ、ツッコむ余裕があるなんて…まだまだ元気じゃん」
「当たり前です。勝つって決めたじゃないですか、二人で」
「ははっ、そうだったね」
背中に乗った女史の足を掴み、おぶる形がセット完了。僕は気合いと共に立ち上がる。
「っしゃぁぁぁ!」
熱い、体が熱い。滅多に回ってこない男気を発揮できるチャンスだ。こうなりゃあ、足が折れようが何しようが走り抜いてやる。
「行くよ、女史! 振り落とされるなよ!」
「ええ!」




