僕VS嫌味な女子(挿絵つき)
メロディーと共に気がつけば時間だけが無駄に経過していたことに気づく。肝心のプリントは1ページも進んでいない。アンドレと後ろの女子やりとりに動揺しているのか…何から手を付ければ良いのかさえも見えてこない。
「おっと、もうこんな時間か。勇之助、今日は居残りで泣きついてきても構ってやれないよ。なんてったって、テヒモンのレベル上げがあるからね」
アンドレが嫌味を言ってくる。っつーか、堂々とゲームの話題を出すなよ。一教師のくせに…
「それが教師の言うセリフっすか? さっき言ってた自分の仕事はどうしたんすか?」
「さーて、職員室に戻らなきゃ」
そう呟きながら、アンドレはいそいそと教室を去っていった。ったく、真面目なのかそうでもないのか…よくわからない教師である。しかし、教室を去りゆくアンドレに、それ以上引き留めるような言葉は思いつかず、どことなく女子と二人っきりの気まずい休み時間が訪れた。
この一週間の流れだと、補習は午前10時に一度休憩を挟み、この休憩が終われば自習的な形で与えられたプリントを黙々とこなしていく。あとは仕上がり次第、職員室の担当教師に提出すれば補習は終わりなのだが、毎回、僕は居残りである。まぁ、課題プリントを仕上げないから当然なのだが。
これまでは、なんとかアンドレに頼み込み、その日その日を切り抜けてきたが…今日はそうもいかない様子である。なんてったって、頼みのアンドレがあんな感じだしなぁ。
「今日は最悪の居残りコースになりそう」
いや、それはまぁ、予測の範囲内であるが…今は予測もつかない敵が後ろにいることを考慮しなくてはいけないぞ。得体の知れない女子がいる訳だからな。なんか考えることが多くて嫌になってきた。せめて、このわずかな休憩時間だけでも寝たふりを決め込もう。そう思い、僕は机に伏せる。
「あの、君? ねぇ」
(えっ、もう来た? こりゃ、まずい)
机に伏せる僕に対し、横から女子の声がする。確実に後ろの席にいたあいつがコンタクトを取ってきたのだ。
(早くないか?)
心の声が呟く。若干恐怖にも似た感情で、僕は彼女のいる横の方に伏していた顔を向けた。
「はじめまして、私は石嶺 鏡花といいます」
「伊勢 勇之助です」
敬語? 僕に対しても? 今時こんな真面目なしゃべり方の高校生がいるのか…と思いつつも、オドオドしながら答える僕だった。そんな僕の声は震えていなかっただろうか。
こんなことで怯えて、なんか僕ってすごくダサいなと思えてきた。
「伊勢君ですね、よろしくです。今日のプリントでわからないところはあったりしますか?」
「…」
「聞いてますか?」
「全部」
「えっ?」
「だから全部」
頭の良さそうな女子は黙り込む。おそらく呆れて声も出ないのだろうな。この言葉で、こんな面倒事から引き下がってくれればいいのだが…微かに出た言葉に望みを託す僕であった。
「困りましたね、それは」
「そうそう、だから僕の事なんて気にせずに自分の課題をやりなよ」
その言葉を聞いた途端、彼女は冷たい視線を僕によこす。それはこの夏、何度も僕に向けられてきた視線と同じだ。
「君はそれで良いんですか?」
「へっ?」
「わかんないまま終わっていいんですか? そんなんじゃ、また赤点ですよ?」
うっ、なんとも痛い言葉が飛んできた。普通に言いにくいことをよくも…っつーか、初対面でイキナリそれ言いますか? そりゃ、確かに赤点取る僕も悪いけど、もうちょっと気とか遣えよ。あったまきた! いいかえしちゃる!
「うるさいな、君に関係ないだろ! それに補習受けてるって事は君だって赤点だったくせに。上から目線はよせよ」
思わず立ち上がって怒鳴る僕に対し、そいつは余裕の表情を浮かべている。
「悪いんですけど、一緒にしないでくれます? 私は訳あって今回の試験を捨てただけなんです。学校の勉強なんて点数取ろうと思えばいくらでも取れますし」
「ハァ? じゃあ、その訳って何なんだよ? 同じ補習組のくせによく言うよ」
僕がそういうと、その女子は少しだけ悔しそうな顔をした。なんだかんだで補習組と言われたことは優等生タイプにはかなり効いたようだ。
「…かく試験と重なったんです」
「えっ?」
「だから! 資格の試験と重なったんです!」
「資格試験と重なった!?」
その女子の言葉を聞いた途端、僕は頭を殴られたような衝撃を受けた。だって、資格試験なんて、高校生にはほど遠い、もっと先のものだと思っていたからだ。それを取得するために、学期末を捨てる? そんな高校生がいるのか? 色々と脳内処理のできないまま、僕は訊ねた。
「資格試験って…何の資格取ったの?」
「簿記の3級です」
「簿記?」
「高校生なら聞いたことくらいはあるでしょう? なんか帳簿とかをイチイチ計算して、会社の利益や負債を計算する為の資格です。あの資格試験が期末とかぶったんです」
「あんまり聞かないけど…それで学期末試験を捨てたの?」
「もうちょっと試験日が遅ければ補習組なんて馬鹿にされることもなかったのに! 思い出しただけでも腹が立ちます!」
なんだかこの女子の背景が少しだけ見えてきた。この子も僕と同じようにクラスで笑い物になったに違いない。同じ境遇に不覚ながらも少し親近感を抱く僕であった。
「簿記って難しいの?」
「ええ、まぁ。簿記には日商簿記と全商の二種類があって、日商簿記の方が難しいと言います。勿論、私が受けたのは日商の方ですが」
なんか、遠回しに自慢されているようで、少しイラッとする僕。
「よくそんなの取ろうと思うよね」
「そうですか? でも、商業高校生とかは普通に取りますし」
「もしかして、それ以外にも資格とか持ってるの?」
「色々持ってますよ。ですが、まだまだこれからって感じです」
「これから…ってことは、まだ他の資格取るつもり?」
「そういうことです。やはり目指すのは難易度の高い国家資格ですね。まだ成人に満たないし、チャレンジできるものとできないものがありますが」
「そうなんだ」
「あっ、ちなみに今の話、先生とかには言わないでくださいよ? 学業を疎かにしてやらなんやら言われるのは面倒ですから」
「別に言わないけどさ、そもそも学生の身でなんで資格なわけ?」
「悪いですか? 学歴もそりゃ大事だけど、資格だってとても大事です。これから社会に出て行く上で、履歴書が真っ白ってそれだけで今まで何してたのって? 自分の人生を問われてしまいます。なにより学歴なんて色褪せていくけど、資格はいくつになっても仕事をしていく上で必要なスキルとなります。持っていて損と言うことは絶対にあり得ません」
「確かに…」
小難しいことを色々言われたが、どこか納得している自分がいることも確かであった。
「同じ補習組という立場ですが、君に馬鹿にされる以前に私は頑張っています。だから君にも諦めずに頑張ってほしいんです。資格試験に限りませんが、とりあえず目の前にある課題を」
「そうだね」
完全に彼女の言い分に屈服した瞬間であった。屈服したからにはもはや言い返す言葉は浮かんでこない。悔しさに若干泣きそうになりながらも、反撃の余地のない僕はヘナヘナとイスに座り込むしかなかった。
その姿はまさに小学校の頃、あれこれ勉強しろとクドクドと言う女教師のように見えた。嫌いだったなぁ…あの人。