夕日の鯨公園
「伊勢くん、伊勢くんったら」
「えっ? ああ、ごめん」
女史の呼ぶ声に思わず我に返る。そうだ、気づけばもう翌日で、今日もお昼を一緒に食べているところだった。
「もしかして、勝負を受けたことに怒ってるんですか?」
「いや、怒ってないよ。怒る権利なんか、僕にはないさ」
元気がない僕に気を使ったのか、女史はこんな話題を持ちかける。
「昨日、私のクラスでも選手決めがありました。長距離の二人三脚なんて聞いたことないって、誰も参加したがりませんでしたよ」
「そりゃ、そうだよねぇ」
「あんまり運動ができなさそうな方とペアになりました。どうやら、私のクラスはこの競技捨てたようですね」
「なっ、マジ?」
「ええ、パートナーのS君もとい江洲君なんですが、ひょろひょろしてて頼りなさそうな感じなんです。これじゃあ、勝つ望みは薄そうですね」
「そんな…」
僕はがっくりと肩を落とした。山城たちが僕を友人として見捨てていないでくれていることはありがたい。でも、このまま女史が負けてしまえば、最悪の結末になってしまう気がする。でも、どうすればいいのか、自分が何をすればいいのかわからない。浮かない顔をする僕を心配したのか、女史がこう言った。
「ですが、まだ山城さんたちが勝つと決まったわけではありませんよ」
「わかっているけど、でも敵が強すぎるよ」
「伊勢くん、心配してくれるのはうれしいですが、私はあなたの心がわかりません。山城さんの言う通り、あなたが私と過ごさなければいけないという義務はありませんよ?」
「自分自身、どうしたいのかよくわからないんだよ。でもさ、せっかく…」
僕は女史の顔を見つめると、それ以上何も言えなくなった。この子は彼女ではないし、別に恋愛感情なんかない。ただ、しょうもない勝負をするだけの仲だ。
「せっかく…なんですか?」
「別に、何でもないよ」
別に、女史と過ごすことができなくなっても、寂しくなんかないさ。むしろ、厄介払いができてせいせいするじゃないか。でも、なんだろう、この釈然としない気持ちは。
「そうですか」
女史は悲しそうな声で答えた。お弁当の包みを閉じて、ベンチを立つ。
「もし、どこかひっかかっているのならば、放課後に近くの鯨公園に来てください。今日からパートナーの江洲君と練習する予定ですから」
「…」
僕は答えなかった。でも、返答を求めることなく女史はその場を後にする。なんだよ、いつも憎たらしい態度ばっかりとってくるくせに、こんな時だけ、こんな時だけ妙にあっさりしてやがるじゃないか。でも、結局のところ、女史の練習を見に行ったところでより絶望感を味わうだけだろうなと思う。次々とくる迷いに何一つ答えの出せないまま、白紙の答案の様な僕はチャイムが鳴るまで何もできないのか。そんな自分がとても悔しい昼休みであった。
こうしてその日の放課後、クラスのみんながグラウンドで練習するということになった。僕も流されるままに、練習に参加することになる。僕の参加する競技は200m走であるが、適当に走りながら他のクラスメイト達に目をやる。りんりんの指導の下、みんな一生懸命練習している。その中にふと、山城と有喜を見つけた。
「あいつら、あれが二人三脚なのか?」
二人の走りはとても二人三脚をしているような走りには見えない。そんな練習風景を見ていると、心がすごくざわつくのを感じる。女史も今ごろ練習しているのかな?
「ひっかかっているのなら鯨公園に来てください」
女史に言われた言葉がふと脳裏をよぎる。このままざわついた気持ちでいても、練習になんかならない。女史のことが気になって仕方のない僕は、少し休憩すると近くのクラスメイトに言い残し、学校の近くにある鯨公園へと急いだ。鯨公園へ着いたが、女史と江洲君の姿が見えない。どこか近くで練習しているのか? とあたりを見回しながら、歩いてみる。すると、公園周辺の道沿いを二人三脚している男女を見つけた。遠目ながらもあの感じは間違いなく女史だ。となると、横で一緒に走る男子が例の江洲くんか。しかし、その走り方はあまりにもぎこちない。すぐに体勢を崩し、見るからに足を引っ張っている。先ほど見た山城・有喜ペアにとは比べ物にならない程の鈍足ぶりだ。
「くそっ、何やってんだよ」
二人のぎこちない走りにイラついたのか、口から文句が出る。それでも、一生懸命走る二人なのだが、なんだか見ていて不愉快な感じがする。っていうか、二人三脚って、体、ものすごく密着させるんだな。そっちの方が、かなり不愉快だと気付き、僕は全く前方に進まない二人に歩み寄る。
「ダメだ、ダメだ! そんなじゃあ、勝負になるもんか!」
自分でも信じられないのだが、僕は二人にそんな暴言を投げた。
「伊勢君?」
歩いてくる僕に気づいた女史が声をかける。
「確か江洲君といったっけ? 君さ、やる気あんの?」
本当に自分が不思議だ。本来争いごとなんかお断りの僕が、イキナリ喧嘩腰である。そんな普段とは違う様子の僕に、女史は少し驚いている様子であった。
「そんなこと言ったってさ、運動は苦手なんだよ。この競技だって、強制的に決められたことだし」
江洲君は弱々しく答える。そんな態度がより一層僕をイラつかせた。
「ふざけんな! 君に僕らの今後が懸かってるんだ。僕と女史がもう会話すらできなくなるかもしれないんだぞ? もうちょっと真剣にやってくれよ」
「そっ、そんなの聞いてないよ。石嶺さんだってそんな事一言も言ってなかったし…」
江洲君の言葉に僕は女史の方を睨む。
「そんなに怖い顔をしないでください。そもそも江洲君に私たちの事情など関係ありませんし、無理をさせて怪我でもしたら大変じゃないですか」
珍しく、女史が言い訳をするように僕に話す。わかってる、江洲君は何も悪くない。悪いのはむしろ、こんなになるまで何も気づかなかった僕だ。女史と体を密着させてる江洲君を見るまで、何にも決断しようとしなかった僕自身に心底ムカついているのだ。
「ごめん、江洲君。君は何も悪くないよ、悪いのは僕だ。さっきの非礼を許してくれ」
「いや、別にいいよ」
江洲君も普段の僕と似て、争いは好まないらしい。
「でも、ごめん。これ以上君に女史と二人三脚をさせられない。パートナーを代わってくれ」
僕の言葉に江洲君は驚き、女史は表情を変えない。
「だっ、だって君は別のクラスだろ? 他のクラスのメンバーで出場なんかしてもいいのかい?」
「僕は大丈夫さ。だから頼む。この二人三脚、君の名前を貸してくれ」
僕は頭を下げた。
「わっ、わかったよ。むしろ僕は走らなくて済むなら助かるし、だからそんな頭を下げないでよ」
僕の必死の願いが届いたのか、江洲君は両手を前方に突き出し、左右に振る。すると、そんな様子を見た女史が片足同士を結んでいた細長い布をほどき、江洲君にこういった。
「ごめんなさい江洲君。せっかく練習に付き合っていただいたのに、混乱させてしまいましたね」
「いや、まぁ」
「後のことは気にしないでください。あなたに迷惑をかけないよう、私たちで何とかしますので」
「そっ、そう? じゃあ、その、二人三脚頑張ってね」
僕らに対し、疎外感を感じたのか。江洲君はそう言うとそそくさと行ってしまった。女史はそんな江洲君の後ろ姿に頭を軽く下げた。
江洲君が行ってしまい、二人きりになった僕らはどちらが声をかけていいのわからなくなった。いや、僕がわがままを言ったのだ。何とか女史に便宜を図らねばと思っていた矢先こと…
「来てくれたんですね」
向こうからの思わぬ言葉に、一瞬、頭が真っ白になる。
「来てくれたって…練習を見に来たって事? いや、そりゃ心配だったし」
「まぁ、それもありますが。私のところに…という意味です。あなたのことですから、なんだかんだ、もっと時間がかかると思っていましたが、予想よりだいぶ早かったです」
女史の言葉が理解できないまま、僕は? マークを頭に出す。一体、何が言いたいんだ女史は。
「女史の言葉が理解できないんだけど…」
「鈍感ですねぇ。あなたなら、私と一緒に走ってくれると思っていたんですよ。確信はありませんでしたが」
「えっ? なんで?」
「さぁ、そんな気がしていただけです。でも、その決断は正解ですよ。私たちが勝つことが一番、問題をうまく解決する方法だと思ってますから。でも、まさか、あんなに強気にパートナーを名乗り出るとは思いませんでした」
「そりゃ、だって。体密着させてる二人がなんか、不愉快だったから」
「そんな理由で?」
「悪いかよ」
「ふふ、あはは、あははは」
「なっ、何がおかしいんだよ? 若い男女だぞ、大切なことだぞ?」
「ふふふ、そうですね。でも、私は江洲君の事なんてほとんど知らないし、なんとも思ってませんよ?」
「わかってる。それでも、それでも黙ってられないのが男なの」
「それは申し訳ありませんでした。では、お返しに私の気持ちを少しだけ教えてあげます」
「なっ、何さ」
「私は伊勢君と走るために二人三脚を選んだんです。あなたとなら、勝てる気がしましたから。それに、あなたが何も行動を起こさなくても、パートナーになるような策もいくつか講じてましたし」
「騙したな?」
「さぁて、何のことでしょう?」
「こんの!」
「きゃあ!」
僕は我慢ならず、女史を捕まえようとする。そんな僕に捕まらんと女史は体を逸らして、逃亡する。まぁ、ご存知でしょう? ちょっとしたじゃれ合いです。夕日が沈みかける中、僕らは笑い合いながら。決戦の前の、ひと時の安らぎを楽しんだ。




