もう一つの作文
「んで、結局、勝負はどうなったの?」
朝の教室でアンドレが僕に興味津々と聞いてきた。
夏休みも終わりへ向かっていながらも、今日もばっちり補習である。そんなテンションが上がらない朝、僕は鬱陶しそうに答えた。
「普通に負けましたけど、何か?」
女史はまだ登校しておらず、教室では僕とアンドレが二人で無駄話をしていた。
「おいおい、負けたのかよ。あんなに数学教えてやったのに」
口ではそういうものの、アンドレは楽しそうだ。まるで僕が負けるとわかっていたかのように。
「ったく、ひどい目に遭いましたよ…罰ゲームでウィオンの前で歌わされるし」
「そりゃ過酷だ。で、何を歌ったんだ? 勇之助?」
「キャンディ・キャンディ」
「キャンディ・キャンディ!? 古いな!」
アンドレが愉快そうに笑う。くそ、ただでさえこっちはムシャクシャしてんのに、こいつは。
そんな会話をする中、女史が教室に入ってきた。
「おはようございます」
「おはよう、石嶺さん」
女史とアンドレが挨拶を交わす。
「来たね、女史! 早速、今日からテスト勉強も教えてもらうよ」
「負けるための努力ですか? 虚しいですね」
「なにぃ!」
朝から腹立つ。今日も相変わらず、腹が立つ。
「えっ? 勇之助、お前、何勉強する気になってんの?」
アンドレが驚いた様子で僕に訊ねた。
「今度は2学期の実力テストで勝負するんですよ。例の罰ゲームを賭けて」
「まぁ、伊勢君が負けるのは目に見えてますが」
「おい!」
女史が小馬鹿にしたように言ってきた。
「確かに。こりゃ勇之助の負けだな、戦わずして」
「おおぉーい!」
ボロクソな言われ様であった…やはり普段から勉強はしておくべきだなぁ。心からそう思う。
こうして朝のやり取りを終え、いつも通り補習が始まった。
「そういえば、伊勢君はもう一つの作文終わらせてないですよね」
今日も課題を教わりつつ勉強を進める中、女史が不意に呟いた。
「あっ、忘れてた。そういえば僕、もう一つの作文の内容知らないんだけど、どんな作文なの?」
新しい勝負に燃える僕はもう一つあった作文をすっかり忘れていた。女史が教えてくれた作文の内容はというと…
「なぬ! 夏休みで一番楽しかった思い出ですと?」
最後の一つとなる宿題は、ひと夏の楽しかった思い出を綴る感想文だということが判明した。楽しかった思い出…一般の学生さんならば、旅行とかBBQなど、光属性のものを候補に挙げるだろうが、ご存じの通り僕の今年の夏休みは補習天国。明らかに闇属性である。そもそも補習の時点でこの感想文のハードルはかなり上がっているのは否めない。
「今年の夏休みに楽しい思い出なんてないよ」
「補習の事書けばいいじゃないですか」
「いやいやいや、楽しかった思い出! 楽しくないことを書いてどうするの」
「私との補習が楽しくなかったと?」
「そうは言ってないけどさぁ、けど、僕にとって補習は何よりも辛い地獄だったわけで」
「そうでした、伊勢君は私も納得せざるを得ない勉強嫌いでしたね。私と補習の価値観の捉え方も違ってしかりといったところでしょうか」
「うん、そうそう。ちなみにどういう意味?」
「…」
「すいません」
「意味もわからないのに、同意しないでください」
「以後気をつけます。それよりも問題は感想文だよ。嘘書くわけにはいかないし、とはいっても楽しい思い出なんてないし」
「仕方ありませんね…ないなら作りますか」
「楽しい思い出を? 今から?」
「要は楽しい事柄を、原稿用紙三枚分の文字で埋めれば良いだけです。原稿用紙1枚が大体400文字くらいですから、およそ1200文字。チョロいじゃないですか」
正直、読書感想文もかなり苦労して書いた僕に対し、何を根拠に1200文字をチョロいと言い切れるのだろうか? それを逆に作文してほしいものである。
「まぁ、文字は何とか頑張るとして、楽しい事って何するの? 正直言って三枚レベルだと、そこそこインパクトがないと途中でテーマがぶれるよ」
「その点については心配ご無用。名付けて『一夏の涼み水撃ち合戦』を企画中です」
「あの、ちょっと質問良いですか?」
「どうぞ」
「ちょっと質問良いですか??」
重要なことなので、ここはリピートアフターである。
「2回も言わないでください」
「涼み水撃ち合戦、それはズバリ何?」
「先日、伊勢君は暑さを和らげる研究で水鉄砲を学校に持ち込んでましたよね?」
「水鉄砲というよりはライフルに近いけどね」
既にご存知かもしれないが、暑さの研究(心霊)の時に、ウロウロと持ち歩いたアレである。そんな代物よりも僕の顔の方が怪しいと言われたのは記憶に新しい。
「あれで明日、遊ぶということです」
「あれで遊ぶ。要は水遊びってこと?」
「安直な言い方ですね。私たちはもう高校生ですよ。算数ではなく数学、遠足ではなく、フィールドワークと呼ぶように、たかが水遊びといえど高度な名称になるのです」
そこから僕らの不毛な言い争いが始まる。
「ずいぶんややこしい名称だね。これだから優等生は好きになれないんだよ。フィールドワークとかもさ、単純に遠足って言えばいいじゃない」
「想像力の乏しい人の戯れ言と受け取っておきましょう」
「高度な言い回しやがって…相変わらず嫌味な奴。君みたいな奴はびしょ濡れになって、風邪引けばいいんだ」
「さっきからクドクドうるさいですよ。そういう伊勢君こそ、風邪引かないように気を…あっ、馬鹿はなんとやらでしたね」
「こんの、くそ真面目がぁ!」
僕の怒りが炸裂しそうになる。だが、それを静止するように、女史が僕に手の平を向けた。
「おっと、その怒りは明日にとっておいてください。今から喧嘩したんじゃ、せっかくの企画が台無しです」
「しょうもない企画じゃないか。ったく、何を好き好んで服を濡らさにゃならんのだ」
ん? 服を濡らす? ここでとある疑問が脳裏をよぎった。
「そういえば服濡れるよ?」
「当たり前じゃないですか、水遊びなんですから」
「水遊びって言っちゃってるし。それよりも本当に濡れてもいいの?」
「え? ええ、まぁ着替えがあれば」
おいおいおい、わかっているのかしら。服が濡れちゃえば、制服が透けて『スケさん』ですよ、『スケさん』。そうなると一夏の淡い思い出じゃ済まなくなるというのに、この娘っこは。とんだおませさんだな。
まぁ、男が提案したならば、それは紛れもないセクシャルハラスメントになるだろうが、他ならぬ提案者自らの企画。これは尊重せねばなるまい。
「そっ、そっか。この企画、やっぱり良いかもしれない」
『スケさん』ワードにより、僕は先ほどと打って変わってノリ気になる。
「やっと気づきましたか。なんてったって私の考案ですからね。最初から、素直にそう認めれば良いんです」
「とにかく、明日が楽しみになってきた。ウシャシャ」
「また良からぬ事を企んでますね。ですが、今回は私にも作戦がありますから覚悟していてください」