第二話 非日常プラクティス
簡単に日常が変わるかというと、実はそうではないらしい。
「——で、結局トカゲ人間には会えなかったわけよ。ったく、誰だよあんなガセネタ流したのは」
「……まぁなんというか、ご愁傷様です」
翌日、大亜は下野に愚痴を聞かされていた。
昨日の屋上でのことは誰にも話していない。瀧島に口止めされていたわけではないが、積極的に喋る気にもならなかった。
それは他の誰も知らない瀧島を、自分だけが知っているという、優越感に浸っていたかったからか、それともただ単に怖かったからか。
自分では判断できない。
今日も瀧島は絵画のようだった。
窓から差し込む日差しが、読書をしている瀧島をより輝かせていた。
不意に、瀧島と目が合った。
瀧島が笑って、大亜も微笑み返す。
変わったことといえば、こんな風に瀧島と教室で目が合うようになったことだけだった。
「まーた瀧島のこと見てる。お前好きだろ? 好きなんだろ?」
「だから違うって。……なんというか、面白いなって」
「……はぁ?」
今日になって、下野とこんなやり取りをしたのは何度目だろうか。
適当に下野をスルーし、時計を確認する。
時刻は午後一時。
瀧島と約束した放課後まで、あと少し。
今日も新しい瀧島が知れると思うと、楽しみでしかたなかった。
約束の放課後。
大亜は市内の中央噴水広場に到着した。
ベンチには既に瀧島が座っていて、いつも学校で読んでいると思われる本を読んでいた。
「ごめん瀧島、待った?」
「……待った。お詫びにパフェ奢ってもらうから、そのつもりで」
ここで嘘でも、「ううん、待ってないよ。私も今来たところ」と言わないのが、なんとも瀧島らしい。
「いつも気になってたんだけどそれ、何読んでるの?」
隣に腰掛け、思い切って質問をぶつける。
「…………ラノベ」
瀧島は本から目を離さずに、無愛想に答えた。
瀧島のことだから、きっと純文学とかそういうのを読んでるだろうなぁ。
……ん?
「……ラノベ?」
ラノベって、あのラノベ?
「ぷっ、ぷぷっ、ぷっあははははははは!」
「な、何がおかしいのよ!」
真っ赤になって怒った瀧島を見たら、更に笑いが込み上げてきて爆発した。だって似合わなすぎる。
「い、いや、ごめん。瀧島なら、純文学とか読んでるのかと思って」
「私みたいな優等生だって、ラノベくらい読むわよ! というかむしろラノベしか読んでない……」
それから数時間、瀧島にラノベの素晴らしさを力説された。正直大亜にはさっぱりだったが、嬉しそうに話す瀧島を観れたのでそれだけで聞いていた価値はあった。
「——それで、今日はどうしたの? わざわざラノベの話をするために呼んだわけじゃないよね?」
「くっ、そうね、そろそろ本題に入りましょうか」
瀧島は腰を上げ、広場の中央に歩いていく。大亜もその後に続いた。
広場の中央には水飛沫がまぶしく輝く、噴水があった。
「じゃあここで、例のアプリを起動して」
瀧島はそう言うと、一足先にスマホを操作する。
大亜も遅れないように、スマホの画面をみた。
そこには例のアプリが。昨日までは不気味に黒く染められていたアイコンには、今は漆黒の拳銃が描かれている。
瀧島が言うには、自分の能力の覚醒によって、変化したらしい。
とりあえず彼女の言うとおり、大亜もそのアプリを起動した。
——その瞬間、異変は起きた。
先ほどまで噴水があったその場所に、見上げるほど大きな何かがある。
紫紺色に輝くそれを、大亜は呆然と見ていた。
「瀧島、これは?」
「……これが今日の本題。私たちは、結晶体と呼んでる」
結晶体。
それは何かこう神秘的で、触れてはいけないような怪しい魅力を放っていた。
瀧島は「ちょっと昔の話をするわね」と前置きしてから、
「今から二年前、この結晶体がこの場所に現れたの。ちなみに原因は不明。そして、それに呼応するように現れ始めた怪物と、私たちのようなアプリを持つ者達」
瀧島はスマホをひらひらと振った。
「選ばれる人は完全にランダムとされてる。けど、怪物が現れるのも、アプリを持つ人が現れるのも、結晶体があるこの市内だけなのよね」
まったくどういう皮肉なのかしら、と瀧島は苦笑いを浮かべた。
「選ばれたあなたには、知っておいて欲しいと思って。理解した?」
「ま、まぁ」
そして大亜の頭に疑問が浮かんだ。
「……もしかして、俺たち意外にもいるの? アプリを持つ人」
「……いる。今日はその人たちを紹介しようと思って」
——そして、二人のスマホから奇妙な警告音めいたものが鳴った。
「瀧島、これは!?」
「モンスターが現れる合図。左上の数字を見て」
時間は一分を切っていた。
昨日と違って全然時間がないじゃないか。
「ちょうどいいわね、練習しましょうか。色々と」
「練習?」
「ええ、スマホを見て、人払いという文字をタップしてみて?」
言われたとおりにタップする。瞬間。
——人が一人残らず消えた。
ベンチに腰掛け、静かに噴水を眺める老人も。元気に走り回る子供達も。人目を気にせずイチャイチャするカップルも、全て。
「え、なんで、人が、消え、て」
大亜は動揺を隠せない。
「本当に消えたわけじゃないから安心していい、私たちが見えなくなってるだけ」
自分達が、見えなくなってる?
「あなたが人払いを実行したことによって、この周囲に結界が張られたのよ。この結界の中は、異世界のモンスター達とアプリを持つ人しか干渉できない。だから、今はいない扱いになってるけど、結界を解けば元に戻るわ」
説明の意味はよく分からなかったが、とりあえず本当に消えたのではないということは分かった。
「ほら来るわよ、モンスターが」
昨日と同様、暗雲立ち込める黒い渦が出現。
現れたのは——三つ首を持つ狂犬、ケルベロス。
「武装解放」
瀧島の声が聞こえて、我に返った。
驚いている場合じゃない。
戦え、自分は戦えるんだ。
「武装解放」
顕現した漆黒の拳銃を手に、ケルベロスに向き直る。
その時、ケルベロスの咆哮が轟いた。
空気が震える。鼓膜が破れるんじゃないかというくらいの爆音だった。
「桐崎くん、スキルについて教えるから、こっち来て」
瀧島は耳を押さえて辛そうに顔を歪めていた。ケルベロスの咆哮が効いたらしい。
すぐに駆け寄ると、瀧島は大亜のスマホを指差した。
「そこにあるスキル名をタップすると、スキルが使えるから、それで奴を倒してみて。私はちょっと休んでるから」
人任せかよと、文句を言いたくなったが、本当に辛そうにしている瀧島を見たら冗談でも言えなかった。
それにしても一々スマホをタップするのは面倒くさい。そういう仕様だからしょうがないが。
「えーと、まずは?」
『追尾する弾丸』をタップする。
説明では、通常弾より威力は落ちるが弾丸が自動で敵を追い、確実にヒットする。らしい。
その通りに、弾を避けようと素早く動き回るケルベロスだが、やがて弾はケルベロスの足を撃ち抜いた。
「えーと、次は……」
ケルベロスに照準を合わせ、『強化する弾丸』をタップする。
通常弾より威力の高い弾丸が放たれる。命中精度は低いらしいが、足に怪我を負ったケルベロスには簡単に当たった。
断末魔の悲鳴と共に、ケルベロスが塵になって消えた。
どうやら勝負には勝ったらしい。
そう確信すると、どっと疲れが押し寄せてきた。
「桐崎くんありがとう、いい戦いぶりだったわ」
「瀧島の役に立てたのなら、何よりだよ」
本当にそう思う。
そしてこれからも自分は瀧島の役に立って行きたい。たった一人の相棒として。
「それじゃ、皆のところに行きましょうか」
瀧島と並んで、噴水広場を後にした。