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三木大河は、目の前で高級料理をナイフとフォークを器用に使い、食べていく美女を傍目にしながら悪戦苦闘していた。
三木の家は、うだつの上がらないサラリーマンの家庭であり、こういった高級レストランなどとは無縁の庶民階級であった。ナイフとフォークの使い方など、一応知っているだけで、そんなに気にして使ったことはない。
それに、キャビアやらフォアグラだの言われても、慣れ親しんだ安物の方が三木の舌にはあっていると、ここしばらくの時間で思い知らされた。
何気なく、この美女の誘いでディナーに行ってみれば、こんな高級な場所だ。彼女のおごりだ、とでも言われない限り、三木は一生入ることはなかったであろう。
三木は眼前の女を見る。赤茶けた髪の美女は、誰が見ても美女、と言うであろう外見であり、芸術品と言っても信じてしまうような、非現実的な美貌の持ち主であった。
なぜ彼女といるのか、自分でも三木はよくわかっていない。
「あら、三木さん。先ほどから手が止まっていますけれど、どうかしたのかしら」
「ああ、いや」
女の声に我に返った三木はナイフで切り取った肉を口に運ぶ。味は、よくわからない。
美女の視線に、まるで恋する少年のようにどぎまぎしながら口を動かす三木。そんな彼の様子をおかしそうに、魅惑的な笑みで見る女。
女の名は、紅音、というらしい。苗字は不明だ。
だが、女が裕福な家の出身である、ということはうかがえる。ドレスやら、マナー、それにこの店の従業員とも知り合いであることなどから、三木はそう考えていた。
三木が彼女と会ったのは、先日のこと。一晩を共にし、それから何となく、こうして会ったりしているのだ。
しばらくなかった仕事も、彼女の紹介で何個か現在受け持っている。とはいえ、本当に書きたい記事を書く、という段階にまでは至っていない。
「それで、今日は何の用で俺を呼び出したんだ」
三木は紅音にそう言う。紅音はナプキンで口元を拭くと、ニコリと笑って三木を見る。
「いいえ。ただ、面白いお話とかを聞きたくて」
そう言い、フフ、とワイングラスを手に微笑む美女。紅音はなぜか、三木の話に興味を持っていた。彼の語る、現代日本の不正や悪について楽しそうに。
どことなく、その微笑が作り物めいたものに見え、時折三木は不気味ささえ感じるが、三木も世話になっている身だ。彼女の機嫌を損ねるわけにもいかない。
こうして、ただ飯を喰らっているのでは、まるで自分がヒモになったようで気分が悪い。
「そう言っても、面白い話なんて」
そう言いかけて、ふと思い出す三木。そう言えば、と三木は口を開く。
そして彼は話をする。
先日起きた婦女連続殺人事件について、だ。
まだ発表されていないが、今朝、また一連の犯人による犯行とみられる死体が見つかったのだという。
ここ二週間の間で殺害された女性の数は七人に及ぶ。
七人はいずれも強姦をされていた、と言う。殺害後もその身体を穢されたらしい。
現場に残されたDNAから、同一犯である、という結果が出ているが、それ以外の手掛かりはないらしく、警察も動きを掴めていないという。
今朝見つかった女性の死体は、あるマンションに放置されていたらしい。犯行圏内は周囲5キロ。犯人はその近辺にいる、とされている。
「犯人の体液も見つかったらしく、鑑定中だそうだ」
三木はそう言い、しまった、と言う顔をする。食事中にするには、いささか不謹慎か、と。
だが、目の前の美女は特に気にした様子もなく、ワインを飲むと、笑って三木を見る。
「フフ。相変わらず、熱心なのね」
「悪いか」
そう言った三木に、「いいえ」と首を振る紅音。その魅惑的な瞳が三木を見る。瞳の中で揺らめく何かを呆然と見る三木に、美女は言う。
「ありがとう。また、会いましょう」
そう言い、立ち上がった美女は会計をカードで済ませ、颯爽と去っていった。
相変わらず、よくわからない女だと三木はため息をついた。
彼女の手元には、先ほど鑑定の終わった犯人のDNAのデータがあった。
それを今までの犯人のものと照合すると、それは同一のものであるという。
ビンゴ。
そう呟き、彼女は顔を上げる。
彼女がいるのは、犯行のあった周囲5キロ圏内。入り組んだ街の中である。
被害者女性はいずれも水商売をしていた女性であり、いずれも生活は苦しかったという。
痴情の縺れか、とも当初は思ったが、どうやら違うらしい。
精神科医の分析書には、犯人は娼婦に対して何か特別な恨みがあるのではないか、と書かれている。
それには彼女も同意見であった。
犯人は彼女たちを徹底的に痛めつけて殺している。倒錯した欲望と、怒りを持つ人物であろう。
そして、犯行はまだ終わらないであろうことも感じていた。
この犯人は何らかでタガが外れ、もう止まらないのだろう。最初の犯行、つまり二週間前から、殺人事件の間隔が短くなっている。今朝の事件とその前の事件は一日もたたずに起こっている。
警察の厳重な警備の下、とはニュースの言葉だが、腐敗しきった警察にそこまでする力も意欲もない。
そこで、彼女がこうしてここにいるのだ。
力なき女性を殺す殺人鬼。いかなる理由があれど、それを赦すわけにはいかない。
罪の贖いを。
死した人々の魂が彼女に強く訴える。復讐を、贖いを。
彼女はその声に従い、ここにいるのだ。
とはいえ、次の犠牲者が出るのを待っているわけにもいかない。
彼女はそう思うと、夜の不気味な町の中へと進んでいった。
男は深いフードを被り、そのあぶらっけの多い髪とにきびだらけの顔を隠した。
そして、今宵の犠牲者を探していた。
歯石だらけの黄色い歯をむき出しに、男は周囲を見る。
男にこびうる女ども。誰にでも腰を振り、金のためなら何でもする商売女たち。
ネオンの下、男の腕に自身の腕をからめ、歩く女たち。
それを見て、男は唾を吐く。だが、そのまま目立たないようにその場を去る。
流石に、人気のある場所で女どもを捕まえたら、怪しまれる。警察も神経質になっている。慎重に、慎重にやらねば。
男はそう思い、ふぅ吐息をつく。
流石に、七人はやりすぎたか、と思うが、もう止められなかった。
娼婦どものあのバカみたいな声と、自分をあざ笑うあの顔。もう、我慢はできなかった。
自分をブ男などと呼んだ、あの雌豚・・・・・・・・・・・・!
拳を握りしめた男は、人気のない道を進む。
どこかに手ごろな獲物はいないか、と男が見ていると酔っているのか、赤ら顔の女がそこに倒れていた。
恰好からして、恐らく娼婦だろうその女は、焦点の合わない目でしゃっくりをした。
男は周囲に人がいないのを確認すると、女ににじり寄った。
「大丈夫ですか」
そう問いかけると、女は焦点の合っていない目で「はい」と言う。が、ろれつは回っていないし、意識ははっきりしていないようだ。
顔は、お世辞にも綺麗とは言えない。よくもこんな顔で娼婦なんてやっている、と男は思う。そして、そんな子0とを感じさせない爽やかな顔で手を差し伸べる。
「ここは危ないですから、どこか違う場所に行きませんか?」
その男の言葉に、女は頷くとその手に摑まる。男は女を起き上がらせると、その肩を抱いて自分の家まで連れて行った。
男はマンションにつくと、女を寝台に寝かしつけ、自身は「何か軽食でも用意しますね」と言い、風呂場に向かう。
風呂場に向かった男は、そこにあった大きな包みを開く。
そこには血がこびり付いた凶器があった。
男は女性たちをここで犯し、殺していた。
そのあとで死体を遺棄していたのだ。
さて、何で殺そうか、と男は凶器を見る。
バールか、のこぎりか、トンカチか。
その前にあの娼婦をどうしてくれようか。
にやける男。
男は娼婦が憎かった。その憎しみの元は、彼の出生にあった。
彼の母は娼婦であった。どこの誰かも知らない男の子どもである彼を生んだはいいが、碌に愛情はそそがなかった。食事こそ与えはしたが、それだけ。
愛も知らずに育った彼は、夜になれば男を連れ込んだ母を恨んだ。娼婦であった母を。
そして母への憎さは、母の死後、娼婦に向いた。
だが、それが殺意になることは二週間前まではなかった。
(だのに!)
男は二週間前のことを思い出し、怒りに顔を視にくく歪めた。そして胸に手を当て、自分を落ち着かせると、女のもとに向かう。
だが。
「あれ?」
女の姿は寝台にはなかった。
どこだ、と思い男は部屋を見るが、女の姿はない。
ベランダか、と思い、ベランダを見る。が、女はいない。
どこに行った?玄関からは出ていない。
そう思っていた男がベランダから部屋に戻ろうと背を向けた時、男の背後で何かが伸び、それが男の首に巻きつく。
なんだ、と思う男は、それが人間の脚だ、と気づくが、そのまま意識を失った。
男が目を覚ますと、そこは自分の部屋であった。
だが、彼の自由はなかった。
両手両足をベッドの端に括り付けられ、動かそうと力を入れてもうんともすんともしない。
何が起こっている、という思いの男の視界に、女の顔が現れる。
「お、お前!」
「目が覚めたのね」
女はそう言った。冷たく、低い声で。その声には先ほどまでの酩酊はなく、その目は恐ろしいまでに細められている。赤ら顔も嘘だったかのように、普通の顔色になっている。
「お、おい、この娼婦、これを外せ!」
強気で喚く男に冷たい一瞥を送ると、女は一冊のノートを取り出す。そしてそれをパラパラと見る。それには、男の娼婦への怒りの理由と、殺害するまで、そして殺害した後の被害者の様子が書き記されていた。
「こんなくだらない理由で、七人もの女性を殺したのね」
そう言った女は、ゴミでも見るような眼で男を見る。
「う、うるさい、娼婦のくせに!お前も殺してやるぅ」
そう言った男の鼻面に、女の蹴りが食い込む。
「ぷぎゃっ」
「殺す、殺すですって。いいわ、殺してみなさい」
そう言い、男の腹にのしかかる女。その顔が男の目を覗き込む。
「けれど、あなたにはできない。何故なら、復讐は私の特権だから」
「何言って・・・・・・・・・・・」
のしかかる女はその右手の人差し指を、迷うことなく男の右目に突き刺した。
ぐい、と眼球を押し、貫く。真紅の手袋に、どろりとした何かが飛び散る。
「あああああああああああ、あああああああああああああああああああああ!!!!」
叫ぶ男。だが、女は構わず男の目を抉り続けた。
そして、しばらくして指を抜いた。
男の右目は完全に見えなくなっていた。
「い、いああああああああああああああああ、目が、目がぁ!!!」
腕を激しく動かそうとするが、縛られているためできず、ただプルプルと震える。
「いたかったかしら、それはよかった」
「なんなんだよ、お前、なんなんだよ、いったいっ」
泣きながらわめく男に女は残虐な笑みを浮かべた。
「聞いたことはないかしら、『VENGEANCE』の噂」
「ヴェ、ヴェンジェンス・・・・・・・・・・・・?」
そこで男は思い出す。正体不明の連続殺人鬼の噂を。
まさか、実在したのか、と青ざめる男の顔を見て、女がくつくつ笑う。
「う、嘘だ。なんでそんな奴が、俺のもとに」
「わかっているでしょう。殺しに来たのよ、あなたを」
男の耳元でささやいた女は、口が裂けたように大きく口を開き、笑う。
「いやだ、やめて」
「そう言った人を、あなたはどうしたのかしら」
楽しそうに呟く女。けれど、男の左目に映る女の瞳は、怒りの炎を上げていた。
「犯し、殴り、切り裂き、殺した!」
そう言い、女の拳が男の頬を打つ。その力によって、前歯が吹き飛び、壁に当たる。
もう一度、殴りつけたせいでまた前歯が吹き飛んだ。
血を垂れ流す男の腹にいつの間にか手にしていた包丁を突き立てる。
「ま、って」
「厭よ」
そう言い、ぶすりと包丁が腹に突き刺さる。ずぶり、と入り込み、女の手が包丁で男の腹の中をかき混ぜる。中では腸が切り刻まれ、血があふれ出ていた。
「ああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
男は絶叫した。うるさいとばかりに女はその口に近くに落ちていた布をぶち込む。それは、昨日殺した女性の下着であった。
男の悲鳴が止んで満足したのか、女は再び包丁で男の中を荒らす。
痛みに、涙が零れる。
いっそ殺してくれ、そう男の目は言っていた。
けれど、女はそんな男を見て言う。
「まだ、足りないわ」
そう言い、指さす女。指を差した先には、今まで使った凶器と、これから使う凶器があった。
そして、指さす女は冷酷に言った。
「アレを全部使うまで、殺さないわ」
その宣告を受け、男は左目を絶望に見開いた。
女は包丁をその辺に捨てると、次にのこぎりを持ち、男の左足に当てた。
何をする気だ、そう言いたそうにする男。男を見てにやりと笑った女はゆっくりとのこぎりを当てそれを前後に動かす。
「――――――――――――っ!!!!」
肉を削り、骨を断つ音。ぎこぎこ、と不気味に音が鳴る。それと楽しそうな女の嬌声。
自分の脚が切り落とされるのを、男はただ見ているしかなかった。
切り離された脚。
骨を砕かれ、まるでゴミみたいになった腕。
それをまるで自分の物ではないかのように見る男。感覚はマヒし、もはや痛みも感じない。
完全に壊れた男を見て、女は呟く。
「そろそろ、終わりにしましょうか」
そう言うと女はどこから取り出したのか、一丁の拳銃を男の頭に突きつける。
それを何かゲームか何かと思いながら、穴を見る男。
女の指が引き金を引き、男の左目に放つ。
ぱあん!
左目を突き破り、後頭部を突き抜けた銃弾。
血塗れの顔面をピクリと動かし、男は絶命した。
彼女は拳銃をしまうと、男の切断した脚を掴む。それから出る血で壁に何かを書くと、それを放り投げ胸元から取り出した薔薇の花を男の顔に突き刺した。
そして部屋を出た女は、携帯電話を取り出すと、電話をかける。
「あ、警察ですか?大変なんです・・・・・・・・・・・!!」
そう声音を作り、平然とした顔で女は男のマンションから反れ、夜の街に消えていった。
後日、警察は通報を受け、このマンションに向かい、そこで殺害された男の死体を発見。
その際、男のDNAが殺害された女性たちの近くに残されたものと一致したことから、この男が容疑者だと警察は考えた。が、容疑者死亡として書類送検になった。
男のノートやその場にあった女性の下着や残された血痕などから、犯行現場がここであることも確実とされた。動機についても、あらかたわかった。
こうして、世間を騒がせた殺人事件は解決した。が、『VENGEANCE』については未だに解決の糸口は見つかっていなかった。
殺害された女性の遺族は、墓に犯人が殺されたことを告げに言った。
その途中、喪服の女性とすれ違った。
女性の遺族が墓に行くと、そこにはつい先ほどそこに差されたであろう、薔薇の花束があった。
紅い車が走り出し、墓場を去っていった。