03:訪問
「あら菅波さん、おはよう。」
管理人の奥さんに出くわした。無愛想な管理人とは対照的な社交性のある小太りの奥さん。
人柄がまんま身体と顔に出ている。燃えるゴミを捨てに来た正文に声を掛けてきた。
「おはよう御座います。いい天気ですねー」
「そーねぇ。ちゃんと洗濯物干してるの?ゴミも久々なんじゃない?そんなにー」
正文は両手に満タンになったゴミ袋を持っていた。確かに久々にゴミを捨てに来ていた。
洗濯物も全然していない。しかし
「ああ今日洗濯しますよー。溜まっちゃって…」
「やっぱりぃ〜!もう、男の人は大体そうなのよねぇ〜。
早く彼女作って家事やってもらったりすれば楽でしょうに〜。」
余計なお世話だ、と思いつつも否定は出来ず笑ってゴミを置く。
…あのメールの効能だろうな、と正文は青空を見る。
玲からのメール
あの日、かなりの時間迷って玲に返事を出した。
「いいよ、俺休み来週の月曜だけどそっちは都合付く?」
考えた割にはそっけなさ過ぎる内容だと正文は送信メールを読み返し思う。
返事はすぐに返ってきてそのまま淡々と話は進み月曜日になり
現在、部屋を片すという行為をしてるわけで。
聴いて無いCDや封を開けてない賞味期限切れのパン。空けたままの飲みかけのペットボトル。
「…つーか、いっそ嫁が欲しいな」
…管理人の言ってたことを思い出し、つい独り言を呟く。
誰かが一緒に暮らす生活、精神的な面より衛生的な面を支えて欲しいと心底思った。
寂しさは時々思い出すけど、忙しさと憧れの場所を中心に生きているから
一瞬で寂しさは何処かへ行ってしまう。
出会いが無いわけでもなかった。でも面倒だったりいつの間にか関係が消えてたりと
正文にとって「彼女」は「面倒」と頭の中でイコールしてしまった。
嫁なら…家政婦ならと思う。
家のことを、こんな部屋でもある程度は綺麗にしてくれるだろうと。
「…俺、ダメ人間?」
誰か居るわけでも無いのに質問形式な独り言を言うと
「にゃ〜」
…掃除で空けていた窓の外に猫が1匹、こちらに鳴いてきた。
「…そう」「…今日は帰りな。女の子来るから」
他人が見たら重傷なやり取り。わかりつつも猫に声を掛ける。
理解したのか猫はすぐにどっか行ってしまった。
空が良い色になってきた。茜色と言うべきか。
買い物袋を下げ、空を見上げながら家に着く。
お菓子、飲み物、週間情報誌、…無いと思いつつも避妊具。
彼女か、と突っ込みを心の中で何度か繰り返した。
しかし相手は人懐っこく、自分に信頼を寄せてる可愛らしい子。
意識するなというほうが無理がある。
…しかしどこかで「妹的存在」という意識が残ってるせいか
妄想は途中で罪悪感を持ち、遮断された。
冷蔵庫に入れるものは入れて、部屋全体を眺めた。
久々に綺麗になった部屋を見て少し満足した。
「…別に嫁いらないか」
人が来る機会が少ないだけで、客が来るってなれば出来の良し悪しはともかく
掃除するんだし、と自己完結した。ベッドに身を投げて一息ついたその時だった。
ピンポーン
心臓が一瞬大きく鳴った気がした。
玲だ。…深呼吸してインターホンに出る。
「はい」
「あ、玲です……え、ま…菅波さんの家ですよね…?」
ドアの向こうでびくびくしてる玲が浮かび、わざとインターホンを乱暴に切って
ドアに向かい一気に扉を開けた。
「うわっ…!!え、…びっくりしたぁー間違っちゃったと思ったじゃんー」
「ははは…表札書いてあんじゃん!菅波正文って!」
「…!だってー。てか表札適当過ぎじゃない?ボールペンで書いたでしょ?」
「よく言われる。ま、上がって」
玲はきょろきょろと部屋を見渡した。
「部屋綺麗だねー。すごーい。へー良いなー1人暮らし!」
「いや、いつもはきったないよ?玲来るから気合入れて掃除した。」
「あはは、わーい良かった汚くなくて!」
…やっぱ妹か。と正文は思った。どうとでも取れる言葉を玲は意識も動揺もしなかった。
彼女にとって正文は「兄」な存在だと確認した。ほっとしたような残念なような気がした。
「アイスティーとコーラとオレンジジュースとお茶。どれが良い?」
「えー…と、えーとアイスティー」
「はいよー。」
「いっぱいあるね。びっくりした〜」
「そーいやそうだな。ま、多いほうが不便じゃないっしょ?はい」
「ありがとう」
飲み物を一口飲み、同時に一息ついた正文と玲。
お互い目が合い噴出す。
「タイミング…一緒だったね…」
「シンクロしたな」
「ふ…。…正文くん、仕事ライブハウスの店員って言ったよね?どんな感じなの?楽しい?」
「あー楽しいよ。常にきついけどねー。完全に昼夜が逆転するし。
いつも生の音聴けるし。まぁいつも好みの音とかバンドではないけどね」
「へー…。」
「玲は今年3年だよね?大学行くの?」
「んーん就職かな…。…ほんとはもうちょっと学校行って見たいけどね」
「え、進学はしないんだ?行って見たいのに?」
「うん…」
「…あ、母子家庭だときついか?でも奨学金とかあるんじゃん?」
「うん…でも家出たいからなぁ。」
「急がなくてもいいじゃね?だってお母さんと2人暮らしでしょ?
それに何だかんだ言って親と暮らすって良いよ?俺1人暮らししてまじ思うもん。
飯はあるし、洗濯もやってくれるしー…」
「お母さん帰ってこない」
短い単語の中に、重く図りきれない想いが詰まってたような気がした。
「…帰って…こないの?…仕事で?」
「違う。男の家に居ると思う。…家に居たときも男の人連れてきてた…。」
「…いつから?」
「自分が中学くらいのとき。」
―あの夜、玲と再会した夜、のもっと前。
最後にあったのは思い出せる範囲で多分中学3年の時だった。
いやもっと前だったのかもしれない。
ランドセル背負って友人と歩いてる玲を見掛けた程度だったから。
最後にちゃんと話しをしたのはいつだったろう。
正文はそんなことを考えつつも玲に声をかけようとしたが先に玲が話した。
「家賃滞納しちゃって…。大家さん待っててくれるから良かったけど。…早く働いて返したい。」
玲は何とも言えない悲しい笑顔を正文に向けた。
…玲は誰かにこの事を言えなかったのだろうか?
誰も頼れなくて、言えなくて溜め込んで…今まで暮らしてたのだろうか。
正文は考えた。でも沈黙が続いてしまった。
両親揃って、食卓が、愚痴を言える人間が家に帰れば当たり前のようにある生活しか知らない
正文にとって、玲の心にどんな言葉を言えば良いかわからなかった。
「…あ、ごめん。暗い話しちゃった。でもね、全部落ち着いたらね、何かしら勉強しようか…」
「良いよ。全部出して」
言葉をさ遮り正文は言った。
「え?」
「辛いなら出して良いよ。我慢はするな。…俺でいいなら出しちゃって。」
玲はごまかした話題と笑顔を止めて正文を見た。
…目に涙が浮かび零れそうになっていった。でも玲は涙を手で軽く拭った。
一瞬下を向き、すぐに正文を見直した。
「…ありがとう。でも大丈夫。すっきりしたよ結構。…大丈夫。」
「…また…辛くなったら出しなさい。」
「先生見たい」
笑う玲につられて笑顔を見せる正文。
―2人は他愛のない話で長く一緒の空間を過ごした。
簡単なご飯を2人で作ってみたり、おそらく随分触っていないであろうゲームを出してプレイしたり。
日付が変わってしまい、遅くなので正文は玲を送った。
正文は心底免許を持ってないことを後悔した。
ペダルを漕げば地元に…誰も居ない家に帰る彼女。「実家」のはずなのに。
そう思うと正文はこのまま行き先を変えたくなる衝動に駆られた。
そんなこと出来ずにいつの間にか、会話もぽつぽつ程度で目的地に着いた。
…玲の家の前に。
「送ってくれて有り難う。今日楽しかったー。…あと変な話してごめんね。」
「んーにゃ、別に構わないよ。……また遊びに来てよ。…力にもなるからさ。
って言っても時間が合うときぐらいしか何も出来んけど…。」
申し訳なさそうに言うと、細長い指が正文の顎に触れた。
玲の指先が正文の顎、性格には顎に生えたヒゲに触れていた。
「…え?」
「…正文君変わったね。ヒゲとか似合ってるし、背大きくなってるし」
玲は優しく微笑んだ
…一瞬の出来事に正文は肩に変な力が入る
「突然だな…。」
つい「幼馴染の女の子」ではなく「女」に対する態度になった
「あ!!…ごめん!つい…」
「…!いや、どうぞ触って触って!ほれ。」
「ちょ…!あはは!顎、そんな出さなくても…」
自分の態度に自身がびっくりした。
彼女に対して警戒も気取ることもないのに、と正文は誤魔化してる中思う。
「じゃあ…おやすみなさい。…ありがとう正文君」
「ん、ホント何かあったらメールして。出来ること少ないけど力になるよ。」
「うん…」
「じゃ、またねー玲。おやすみー」
「おやすみなさーい。気をつけてね〜!」
自転車を漕ぐ後姿を見えなくなるまで玲は手を振り続け、見送った。
正文はちらちら後ろを振り返り、手を何度も振り返す。
ぼやけてわざとらしい色した月を眺めながら正文は帰り道を走った。
…本当はまだ一緒に居たかった、と思いながら帰った。
連絡取れるはずなのになんだかもう逢えないんじゃないか、という錯覚になる。
この感情が恋か、同情かなんて考えなかった。
ただ心配で、守ってあげたかった。
捨てられた子猫のような、そのまま持って帰りたいというような衝動。
「…玲」
彼女の名前をぼそりと呟く。
誰が通っても聞こえないほど小さい声。
でも正文自身の身体には、小さく呟いたはずの彼女の名前が全身に響いた。