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BABEL  作者: 詩之葉
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  (八) 炎上

  (八) 炎上


 昇降機の扉が開くとともに駆けだし、ホールを横切る。

 空気は凪ぎ、少しの雑音も聴こえない。重く詰まった静寂が、まるで俗世を拒むかのように荘厳なホールに満ちていた。

 ホールと真南区エントランスを隔てる大扉の前に着くと、残月が何かを放って寄越した。

 それは拳銃だった。

 これはすでに使われたものなのか、それともまだ使われずに済んでいるものなのか。

 続けてその弾倉を手渡すと、残月は重厚な扉を睨みつけた。


「まさか、ここまで来られるとは夢にも思いませんでした」


 後悔とは違う失望感を乗せた言葉を、彼は口にした。嵌めている手袋を直す手が微かに震えている。

 歪な世界から隔離された平和。虚ろで怠惰な時間の廻り合いではない、全き平和。壱薙が本当に目指したものとどれだけ似通っているかはもう知る術がないが、この青年が思い描いた理想の尾っぽを掴んでいたものには違いない。それを踏みにじられ、灰にされつつあるのだ。

 今この瞬間にも。


「陽楽さん。彼らは自我を抜き取られているだけでなく、思考判断を除いた全ての精神感情を持っていません。最低限ヒトとして機能する程度のソフィアを持っているだけです」

「ようはただの機械人間だろ」


 大扉に手をかける。すると、残月が呼びとめた。その声にはいつになく緊張が含まれている。


「ソフィアは神経や感覚といった器官にも同様に潜在します。…その意味がわかりますか」

「こんな時に謎かけしてる場合じゃないだろうが」

 

 残月も俺と同じようにして扉に手をかけた。そして呟くように言った。


「つまり彼らには痛感がない。痛みを感じないのです。ですので、狙うなら必ず急所を。それ以外は彼らにとって被弾していない事と同じです」


 扉が開かれると、焼かれた空気が纏わりついてきた。


     ◇


 吹き荒ぶ熱風。

 逃げまどう人々の悲鳴と怒号。

 暗闇で揺らめく火柱。

 隆起と断裂を繰り返す道と壁。

 血。屍。薬莢。


 扉を抜け、数時間前までの姿を一欠けらも残さずに眩ましたエントランスを踏みしめ、折り重なりバリケードのようになった商店群の影を縫いながら辺りを窺う。

 錬金術とはまた珍奇な現象を生み出すものだ。荒々しくも静かに聳えている黒光りは、なんと氷の柱だった。時を知らせる筈の鐘楼がそれに包まれて止まっているのが見える。そしてその柱の麓では烈火のごとく家々が焼けている。氷の柱は解ける様子を微塵も見せずに、その奇異な光景を見せびらかしている。

 しかしそこに、美しさを感じる余地などなかった。

 氷柱と火の海にまみれたエントランスを、残月はその間を探るように進んでいった。

 生存者を捜しているのか、周囲を警戒しているだけか。その挙動が慈悲や恐怖からくるものではないのだとしたら、狂気に犯された鬼のようにも見える。彼は、この惨状によって掻き乱されているのか。いつになく冷静を欠いているように見える。だが彼が戦いの最中に取り乱せば、それこそ犬死だ。

 彼と協力しなければ。

 だが、俺に何が出来る。

 何が出来るのだ。

 能も知恵も至らない、無の俺に。

 戦争の生き残りだからと残月は言った。

 それはどういうことなんだ。

 この潰れた左眼が錬金術を齎すと残月は言った。

 それは本当なのか。


「動かないで下さい」


 残月はとある商店の瓦礫に身を潜め、遠くを指し示した。

 やがて視界の端に白装束を纏った者たちが現れた。彼らの標準を逃れるように、物影へと飛び込む。息を潜め、瓦礫の間からその姿を目で追う。紅と黒で埋め尽くされた視界の中で、陽炎となって揺らめく白はひときわ明るい。こちらからしてみればあのような格好で躍り出れば、間もなく命は無い。ならば、彼らには潜む必要などないというのか。それだけの傲慢はどこから作り出されるのだ。

 突然、どこからともなく銃声が聞こえ、白装束が一人地面に倒れた。そして次の瞬間には、それ以外の白装束が報復として音のした方へと炎を放っていた。炎は蜷局(とぐろ)を巻きながら一直線に舞い瓦礫に直撃した。忽ちのうちにその辺りは炎上、溶解し、生々しい赤が一帯を染めていった。音が鎮まるころ、倒れた白装束がすくと立ち上がり、平然と再び歩みを始めた。

 隣で息を殺して様子を窺っていた残月が口を開いた。


「こんな子ども騙しで欺ける相手ではなさそうですね」


 子ども騙し。

 このかくれん坊の真似事をそう言いたいのか。


「彼らは見ない。感じて動く。…厄介です」


 そう言うと、残月は地面に屈みこみ、乳白色の丸石を足元に置いた。


 ―――精練石。錬金術の源。


「陽楽さん。彼らはもう視界内にはいませんね」

「ああ」


 ふいに、足元が仄かに明るくなる。残月が両手を丸石にかざし、沈黙していた。

 …この輝きには見覚えがある。


「なにする気だ」


 残月は押し黙ったまま動かない。そして自分の肌が周囲の異変にいち早く反応を示した。

 毛が逆立ち、鳥肌となっていた。まもなく、感覚の中に冷気を感じるようになってきた。


「なにする気だ」


 再び訪ねるころには二人を包む瓦礫の山は氷の(つぶて)で覆われていた。足元で小さく揺れ始めていた炎を、もろとも包みこんだ氷が不気味に光を帯びている。


「冷涼感は鎮静を促します。熱にうかされたままだと、簡単に彼らに見つかってしまいますから」


 確かに、うだるような暑さの中よりも、此処の方がいくぶん冷静に周囲を見渡せる。

 怒りも、恐れも、悲しみも憂いも、今はどれもが心の乱れとなって自分を危険に晒す原因となる。乱心は暴挙を、あるいは消沈をよび、自分ひいては仲間の命をも失ってしまう可能性に近づけていく。そう、いかなる戦場においても冷静を欠いてはならないのだ。だが…。

 吹き出す炎の威力。目で見たのだからあれは現実だ。しかし機械も武器も使わずに、あのように強烈な炎を吹き出すことができるとはいったいどういうことなんだ。想像の域を果てしなく超えている。バベルは、バベルの生み出すものは本当に悪魔なのか。


「残月、さっきのありゃなんだ」

「炎のことですか」


 頷く。

 残月は、錬金術です、と一言いうと再び瓦礫の間から周囲を探り始めた。

 予想通りの答えに、恐れを感じた。

 

 氷の礫に囲まれていなければ、俺はきっと(おのの)いてまともに銃を握れなくなっているのだろう。怒りや哀れ、平和を純粋に享受していた人々のための報復など、おそらく考えられなかっただろう。

 それだけ、うずく恐怖と焦燥は強烈だった。残月がいなければ、俺は何も出来ないのか。無知が引き起こす能力の差が、痛い程よく判る。


「陽楽さん。僕は少し離れた所にもここと同じ処置を行ってきます。その間見張っていてください」

「ああ…」

「必ず、見つかる前に行動を起してください」


 残月は瓦礫下の空間から這い出すと、足音を立てずにどこかへと去っていった。戦術的何かがあるような言い方だったが、単独行動でよかったのだろうか。


 ふと、近くで瓦礫が砕ける音を聞いた。

 それは火が爆ぜる音ではなく、なにか大きな質量のあるものが木片を砕いたような音だった。

 そして、再び彼は現れた。今度は白装束も一人のようだ。

 静かに拳銃を握りしめ、狙いを定めた。体躯は普通の人となんら変わりはない。髪色も小さな所作も、それはどう見ても人間なのだ。その眉間に向けて銃を握り締め、俺は息を殺しているのだ。

 息を吐いてしまったならば、忽ちあの掌から炎の渦が迫ってくるのではないかと思った。

 ゆっくりと引き金に手をかける。対象物は徐々に距離をつめてきてはいるが、こちらに気づいてはいないようだ。しかし、自分の眼の焦点はどこでもないどこかに結ばれていた。直視できない何かが彼らには、あった。

 もう、この距離ならば確実に仕留める事が出来る。この町を灰にした張本人を。

 ゆっくりと引き金に指をかけたその時だった。

 背後でちいさな破砕音がきこえ、振り返った。

 黒の艶やかな髪をした青年がそこに居た。


「離れましょう。彼らのおおよその巡回、潜伏箇所がわかりました」


 残月は静かに小さな声でそう言った。

 頷いた後、視線を再び白装束に合わせようとした。しかし彼は背を向けて距離を離してしまっていた。


 瓦礫から這い出し、再び熱の中を走り抜ける。

 残月は今まで見たどの瓦礫よりもうず高く積もったものに忍び込んでいった。

 その中にできた空間は既に氷の礫に覆われており、隙間からは町にたゆたう火の海を見せつけられていた。眼下には、見張りだろうか、一人の白装束が立っていた。


「あれを」


 残月がそう指図するころには、俺は既に彼に向って銃口を向けていた。

 引き金に手を掛ける。

 消音機の乾いた音を聞いた瞬間、眼下の白装束は倒れた。

 射止めたのを目認すると、残月は素早く瓦礫の山から下っていった。すぐその後を追う。

 少し走った後、背後の瓦礫の山が大きな音をたてて震え崩れていった。おそらく、駆けつけた他の白装束に炎を浴びせられたのだろう。やはり、奴らの反応、伝播速度は早い。それが判っていなければ今頃は瓦礫の中で炭塊だろう。

 残月がまた別の瓦礫の山に這っていった。

 その空間もまた、町より少し高い所にあり、眼下では崩れた商店が黒煙をあげていた。

 狭い空間のなかで身体を捻り、銃に弾を込める。指から伝わる冷たい感覚が、じわじわと心から情を奪い、畏怖を満たしていく。


 ―――奴らは感情を持たない。人間じゃない。


 得体のしれない嫌悪が募る。それは一体何に対して放ったら良いのかすらも判らなかった。

 耳を澄まし、集中する。火が揺らぐ音の中に、足音を探る。顔は乾き埃にまみれ、拭えば手が灰で黒く染まった。身体を冷ます汗は出ず、擦り切れて穴が目立つ羅衣が熱をうけて、全身を焦がすように身体に纏わりついてくる。

 全身が火照っていく。

 しかし、熱くは無かった。

 火傷による痛みは感じているはずなのに。

 感情、感覚を失くしてしまったのか、俺は。

 辛いとも、苦しいとも、悔しいとも、何も思わずに目を凝らし続けていられる。

 ただ目的を見失わないよう追い駆け、狙いを外さないよう意識を集中し、射止める。確実に。


 その考えだけが頭を廻り、支配していた。

 まるで、その傍らでうずくまる感情を抑えつけるかのように。

大変長らくお待たせいたしました。次話は年内にも完成させたいです。


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