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BABEL  作者: 詩之葉
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 (七) 激昂

  

  (七) 激昂


 壱薙が何処へと姿を消した後、元漂浪者を連れて巨大ディスプレイの前のデスクへと腰を降ろす。画面にはエントランスを展望するような映像が切り替わり流れている。人が血液の様に流れているのが一目で分かる。幾何学的にも見える軌跡を成して、群れ蠢く生に安堵を覚えた。

 

 綺麗だ。

 呟くと、元漂浪者は軽笑した。

 お前頭どうかしてるぜ。

 彼は恐らく、そんな風に言った。


 そうだろうか。


 予測のつかない不規則な歩み。

 巡り進む人々が生み出す螺旋模様。

 故意か偶然かその揺らめきの理由は知り得はしない。恐らくどんな賢人でさえも理解できず、どんな芸術家でさえ表現が追いつかないであろう。

 その、人が人として生きるからこそ残す軌跡を、俺らは守っている。

 これは義務ではない。使命だ。

 歪な理を生み出し野放しにした人間の責任だ。地下に潜む疑心暗鬼と磊塊(らいかい)を取り除かない限り、平穏は戻っては来ないのだ。凍てついた地下で萌え出づる生を、ただの傀儡にさせてはならない。守り、誇ってきた純真なるソフィアを以て、人が人として生きる事のできる世界を、取り戻さなくてはならない。

 

 …彼は我々の刃となってくれるだろうか。


 冷酷な剣戟に負わされた憎悪は、決して刃の(こぼ)れではない。むしろその鋭さと狂暴さを増す源となる刻印となって彼を支えるだろう。ただ、己の心に負けた時、それは意志に背いて現実に姿を現すことになるという事を危惧しなければならない。複雑に絡み合った簡潔な感情は、時に人を操り、狂わせ、いずれ現実へと乖離する。放たれた感情は他の感情に干渉し、励起させ、連鎖していく。そしてやがては生み出したものに支配される。そんな悲劇を()るも演らぬも、彼の一声にかかっている。幕を引く事ができるのも、彼だけだろう。


 顔を少し傾け、横目で彼を捉える。隣で浅く席に腰掛け、ディスプレイに映るエントランスを仰ぎ見ながら、陽楽は顔をしかめていた。彼には到底、一秒ずつ移り変わる絵画の美しさを理解することはできないのだろう。

 ―肉体言語でしかモノを語れない無知蒙昧、自らを顕す術を持たず生きてきた下愚。バベルに抗って地下の地下に潜み、しかしそれに弾圧されるだけで何一つ事成さない人々を、俺はそういうものだと思っていた。自分に能がなくとも、理不尽をただ受け入れるという屈辱を味わわなくてはならない理由はない。突きつけ、強要された屁理屈を、違うといって反論しただけに過ぎないのに。何故受け入れる。何故赦す。何故逆らわない。


 何故。


 俺には、理解できない。


 レジスタンスという組織を知ってもなお、腐敗した生活から抜け出そうとしない怠慢さに嫌気がさす。人であるからこそ与えられたソフィアを愚弄されて、不名誉だとは思わないのか。バベルに気圧され、恐怖に怯えるだけの人々には辟易している。


 ―そして隣に居る隻眼の男もまた、そんな流浪の民の一人だと思っていた。


 彼はこの国を潤す地下水脈へと繋がる区間で、ひっそりと暮らしていた。地下水脈の支流を陣取って、不法な水源取引をする廃人が地下には(かび)の如く蔓延(はびこ)っているが、彼はそんな下等な生き物ではなかった。

 煤汚れ、血に染まった羅衣を纏った姿を見た瞬間感じた、鋭気の無い殺気。余程慎重に対峙しなければ、隠された爪を見透かす事など不可能だと思うほど、彼は沈着だった。陽楽は長く深い吐息をくり返し、うず高く積もった瓦礫や屍骸の山の天辺から俺に声を掛けた。


『生き残っちまったな』


 地下通路を繋ぐ夥しい数の連結棟のひとつ、争いの残骸と共に横たわる彼は、俺の方を少しも見ずにそう言った。屍を砕いて入ってきた音で気配を察し、同志と勘違いしたのだろうが、それが本当に来訪者に向けられたものだったのかは今となってはわからない。絶望か達観か、それとも悔恨か。複合感情は高位にして不可解。きっと誰にもその真意の全貌を掴むことは不可能だ。そしてその言葉に込められた乱暴な情操は、俺を強かに殴った。生気を失ったような無感情者のそれにも似た声。感情を抱くからこそ顕れる含みのある言葉。地下にそんなどちらともつかない、いや、そのどちらをも持った人間が居るとは予想だにしなかった。

 そして彼と正面から顔を合わせた時、隻眼の面から発せられる無言の訴えを、俺は聞いた気がした。


 彼はバベルに抗い、末に平伏した敗者であった。


 ―第三期クーデター戦。

 それは、バベルの建設を巡っておこった抗争の中で、最も凄惨なものだった。

 無感情統制の(からくり)を完成させ既に実行へと移していたバベルは、一期,二期の戦いで矛先を免れた感情者の纖滅を始めたのだ。人の意志が関わる戦いから、目的と効率、そして得失と因果を繋ぐだけの思考パターンのみで構成された、合理的な戦いへの変遷。

 無感情はどの地平線においても、冷徹で、残酷で、非情だった。

経験と予測でしか対峙できない感情者達は、圧倒的な戦力と技術力、情報力、そして人々を活かすために発展していく筈であった『錬金術』を前に、ただ殺戮を受け入れる事しかできなかった。街を、地下を、住居区を、自我と感情を持たない人間の発するソフィアの剣槍が、戦場へと変えていった。住み慣れ、ようやく夢を見ることが赦されようとしていた時、夢を見ることができない人間にその幸福を奪われたのだ。


『そこは、平和か…?』


 陽楽は言った。

 戦争の生存者は尋ねた。

 平和は在るかと。

 取り戻した欠片を繋ぎ、長い月日を賭けて(ようや)くそれは形を成した。

 真南区に在るのは真実だけだ。嘘偽りのない、仮初めと揶揄されることもない、正真正銘。ただの道化と成り果てることもない、自由。己が抱く心に加護を受け、人々は狭き世界で本来の姿を取り戻しつつある。


 もう一息だ。


 天を仰げば地獄。そんな現実を覆すために、あの塔を消さなければならない。そして、そのための力が今まさに蓄えられつつある。


 人の結束を怖れた神は、その塔の建立を妨げた。

 人々は言葉の壁に阻まれて内部から分裂した。

 それは莫大な数の命を狩った大洪水の地で起こった怪奇。

 この町でも数えきれないほどの生が散った。

 そして今、再び人々は結束を固め動き出しているのだ。

 緻密で綺麗な人の心を束ねた平和を再構築するために。


「残月」


 元漂浪者が俺の名を呼ぶ。素っ気のない淡白な、しかし判然(はっきり)とした声。


「レジスタンスは錬金術師を探しているのか」

「総司令の言葉を気にしているのなら、それは杞憂です」

「…そうか」


 錬金術は心得の無い者には扱えない。感情の昂りは人を支配し、それを制御することは困難だからだ。少なくとも、円満な暮らしを送っている人々には。


「どうしたら使えるようになる」

「あなたには使えません」


 陽楽が訝しむ。その顔には明らかに疑惑の色が浮かんでいる。


「使えない? 素質はあるのにか」

「勘違いしないでもらえますか」

「何…?」

「錬金術を行使する第一条件として、まず精錬石の所持があります。大変稀有な物質の為、その行為にも様々な制約が付き纏います。あなたは第一に、その一番の条件を満たしていないのです」


 そしてその有限物質を手に入れることは、彼にはできまい。


「ならなんであの爺さんは俺を認めた? 俺の何を認めたんだ?」


 答えは無い。

 全ての答えはあの老師が握っている。

 俺にはわからない。しかしあの賢い人なら、この秘めたる可能性の使い道を知っている筈だ。


 ―あの男なら。


 しかし、僅かな希望を秤に載せかけた時、それは音を立てて崩れ落ちた。


「残月!」


 陽楽が突然吠えた。

 刹那、脳天を穿つようなけたたましい轟音が本部内に響いた。

 爆音に共鳴するがごとく、ブースの中央に鎮座する精錬原石が震えだす。

 咄嗟に席を立ち、元漂浪者に向かって飛び込んでいた。されるがままに捲き込まれ、倒れこんだ陽楽は悪態をついたが、その次の瞬間には息を呑んでいた。

 精錬原石から数多の炎の蛇が噴き出し、精密機械やレジスタンス達に襲いかかっていた。逆巻き踊り狂いながら、炎はあっという間に辺りを焼き焦がし、熱風と極度の乾燥の所為で(たちま)ちのうちにレジスタンス本部は灼熱地獄へと化した。熱で視界が歪む中、己の目は信じ難き光景をしかと捉えていた。


「真南区が…」


 ディスプレイには、先のクーデターを彷彿とさせる惨たらしい光景がまざまざと映し出されていた。

 聖人君主を思わせる純白のローブを纏った人間達が、列を成しゆっくりと前進している。そして各々、手には半透明乳白色の石を持ち、どれもこれも禍々しい灰色の光を撒き散らしていた。

 その光輪からは感情の激昂が噴き出していた。

 鮮やかに色彩を湛えていた商店群のルーフは、ただの炭塊となって通りに累積している。

 若人達が談笑していたテラスは、灼熱の中で歪な形の氷壁に閉ざされている。

 通りを走りまわっていた子供達、通りを闊歩していた人々は、無感情者の放った銃弾と炎を浴び、その姿を捉える事はもうできなかった。

 やはり無感情者が操るソフィアは、とても常人が持つ美しく麗美なものではなかった。

 あれは町を砕き、人を嬲り、心を灰にする。


 一刻も早く、救わなくては。


「行きますよ」


 熱で肌が溶け、皮が剥げる。しかし痛みを気にかけている時間は無い。痛みを感じているうちは、まだ命があるということだ。

 レジスタンス達は、精錬原石の(たもと)にいた者を除けば、皆無事のようだ。手に精錬石を持ち、襲いかかる炎の渦に抗っている。

 しかし、励起状態となった精錬石を鎮める事は、今やただの時間の浪費だ。

 後ろで陽楽が身体を起したのを感じると、彼はそのまま駆け出した。

 何も言わずその後を追う。

 熱風が頭髪を撫でるたび、掻き毟りたくなるような痛みが頭皮に走る。心臓もはちきれんばかりに拍動し、命の限界を警告しているかのようだ。しかしそれに応えている時間は無い。 

 本部を抜け出す事に成功し、荒れ狂う熱が籠った通路を駆ける。

 陽楽の背は陽炎のように歪み、それは此処の熱さを物語っていた。

 熱が息とともに肺に入り込み、その粘膜を焦がす。

 嘔吐を堪えるようように腹に力を入れ、その痛みに抗う。

 いけない。総司令。彼はまだ本部に居るのだ。

 懐から石を取り出す。

 それを口元に近づけ、あの老人に向けて言い放つ。


「総司令。真南区が襲われています!」


 声は反響し、どうやら前を行く元漂浪者にも届いたようだ。彼は疾駆しながらこちらを振り返っている。


「本部の精錬原石も、上層の激昂に感化されて励起状態に陥っています! 此処は危険です! 一刻も早く―」


 ―残月。


 それは身体の奥から発せられていた。壱薙が声を寄越したのだ。

 

 ―あの隻眼の男、あれが奴らを此処へ呼んだ。違いない。奴が悪魔を此処へ呼んだのだ! 


 壱薙。

 穏やかじゃないな。

 バベルと闘い続けてきた男が、ソフィアに、己に、掻き乱されている。

 何かがおかしい。

 何かが。


 ―怨恨に塗れたソフィアを感じた時、撃ち殺しておくべきだった。残月、お前にもこの結末が見えていた筈だ。それだのにお前は、小悪魔の甘言なんぞに惑わされおって。私はお前に失望したぞ。…いや、お前だけではない。奴らをいとも簡単に招き入れたお前ら全員にだ! 漸くここまで…。後少し…。ああ、私は奴らが憎い。憎い!


「総司令、お気を確かに。今は住民の避難が先決です!」


 ―殺せ。殺せ。あの悪魔どもを。血ヘド吐くまで嬲り殺せ!


 ソフィア。

 それは人が人であるための源泉。

 それを犯された今、おそらく彼を鎮めることなど誰にもできまい。

 

 …しかし、これは想像の域を超えている。

 “人のソフィアを犯す”?

 人のソフィアを励起させ、あたかも錬金術を行使した時のようにその感情を発現させる。

 バベルは人の心をも弄ぼうというのか。

 奪うだけではなく、遊戯にしてしまおうというのか。


「どうした、残月。爺さん、やられたのか?」

「ソフィアを乱されて発狂しています。私達のソフィアもいつ暴走させられるか判りません。ですから、どんなことがあっても平静を保ってください。」


 陽楽は首肯すると、前を向き直り速度を上げた。地下戦場で養われた身体能力、とでも言うのだろうか。彼の踏み出す一速は、憂いや慈悲を内包しつつも、非情な正義感に満ちていた。


  


 投稿が少々遅くなりましたことをお詫びいたします。今後ともよろしくお願いします!


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