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BABEL  作者: 詩之葉
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  (三) 地下 -Ⅰ-

 (三) 地下 -Ⅰ-


「首尾の方はどうなんですか?」


 施設を後にし、向かいに建つ高層ビルの地下通路を走り抜けながら、残月は問いかけてきた。食糧監査選別施設を始め、バベルの抱える重要な機関は町のいたるところに点在し、各々堅牢なセキュリティーが設けられている。そのシステムを巨塔に集約・接続しているのがこれら『連絡棟』と呼ばれる高層ビルだ。ビルといっても昔のように様々な企業が事務所を構えているようなものではなくなって、とても常人には理解できない規模の演算機が配備されているらしい。もっとも、バベルの誇る監視システムの所為でその実体は掴めていないのが実情ではあるが。


「…いつも通りだ、と先刻(さっき)言っただろ」


 どうもこいつに主導権を握られるのは気に入らない。それ以前に、性に合わない。性格も行動も口調も何もかも。レジスタンスとしてバベルの膝元で行動できるのは有り難いが、せめてこの冷徹野郎から距離を置きたいと感じてしまう。そんな心中だから、意図せずしてぶっきらぼうに返答しているのが自分でも判った。


「具体的にお願いします。次の局面に移行するかどうかの判断ができません」


 息を乱すことなく、残月は淡々と言葉を並べた。こいつはバベルに感情を奪われた訳でもないのに、この冷淡さだ。まるで機械のように任務を全うし、人の感情を弄ぶように棘のある言葉を突きつける。そんな奴に手駒扱いにされている自分が情けないが、これも同志たちのためだ。


「中心街方面の動力源はおさえた。今頃は鼠の処理で大騒ぎだろうよ」

「…鼠、ですか」

「そう。鼠」


 通路が交差している場所に近づき、減速した。残月が仄暗い電灯の下で両側を警戒するなか、どこかでしたような会話をする。残月は懐から先ほど渡した『石』を取り出し、枝分かれする通路のそれぞれに掲げている。


「…肝心の動力源に危害は―」

「ねえよ」


 残月の言葉がこちらに届ききる前に言い返す。いい加減こちらの機嫌を窺ったのか、そうですか、と一言言うとそのまま口を開かず進みだした。


 バベルを中心に据え、それを取り囲むように重要施設や連絡棟、住居棟等が環状に立ち並んだこの町の構造には理由がある。レジスタンスとして暗躍し、闇に葬られたこの町の、この世界の過去を知らなければ、きっとこの歪んだ平和の中で安穏と暮らしていたことだろう。


 温室育ちには到底たどり着けないであろうこの真実は、とても面白いと言える代物ではなかった。

 そう遠くない昔、幾度も論議が交わされようとも留まることを知らない人と人の闘争は、最終的に世界へと飛び火した。凄惨な戦は二度と起こさないと誓い合ったとしても、人は所詮『人』だった。人は自己を守るために正義を振りかざし、人の命を奪う傍らで平和を謳った。そして最終的に決して使われてはいけなかったモノが、各地で爆煙をあげ、地球は焦土と化した。死の雨が地上に降り注ぎ、文字通り地上は荒廃した。

 地下へ逃げ延びた人々は、幾度も経験した失敗を三度も繰り返した事に茫然とするのみだった。

 しかし、人はある『石』を手に入れてから、再び平和への希望を見出し始めた。

 

-精錬石


 人の感情に呼応し、さまざまな現象、化学変化等を引き起こす未知の物質。

 新たな発見は無尽蔵の可能性を秘めており、人々はこの不可思議な性質をもった物質の解析に全精力と多大な資金を費やした。

 化学で証明できない性質をもつこの物質を解き明かしたのは、精神分析や心理学といった分野だった。

 そして見つけ出された、精錬石が様々な現象を引き起こす励起状態になるきっかけを与えるもの。

 それは、他ならぬ人の体の中にあった。科学者たちはそれを知の集合、『ソフィア』と名付けた。ソフィアは人の精神そのものであり、何処のだれにも同じように潜在している、人を人らしく形作るものの根源だった。また、ソフィアと精錬石の研究にはあらゆる分野の連携が不可欠だった。人の知と技を結集して挑むこの研究に携わる人々は、化学の発展を(もたら)した人々にちなんで『錬金術師』と呼ばれるようになる。そして精錬石が実用化、普及と遂げた現在、精錬石を自在に操る人の事を錬金術師と呼ぶようになったという。 

 バベルは聡明な錬金術師達が作り上げた平和の礎であり、それを実現させるべく、この町は作られた。町が環状なのは、巨塔を中心にその規模を広げていったからだ。


 地下に造られた『地上へと延びる塔』。故に天地の穴蔵(バベル)。その塔の抱える町のそのまた地下で、俺らは影のごとく生き延びるしかなかった。


     ◇


「…ここです」

 

 残月が緩やかな曲線を描いて延びる通路の途中で突然足を止めた。あまりにも急だったため、危うく追い越しそうになる。


「ここは…、どのへんだ?」


 地下通路はもともと、町が出来上がる以前、地下シェルターとして機能していたときのいわば入植地跡だ。バベルはこんな閉鎖的で不合理な造りの空間に利用価値を見出すはずもなく、ともすれば道標となる物など無い。さらに、残月がこのあたりだと言って止まったこの一帯には、扉もなければ鼠穴さえもなかった。


「ここは空調管理制御施設の真下です。陽楽ヨウラクさん、あなたの管轄区じゃないですか」


 知っている筈だとでも言うように、残月は俺を見据えた。瞳の漆黒が今にも噛みついてきそうな錯覚を覚える。


「俺は施設内の偵察を任されてた。生憎、地下の構造についてはからっきしだ」


 言い訳染みた台詞を吐いた事に恥を感じ、青年の眼差しから顔を背ける。残月は無言で石質の壁に寄りかかると、再び石を取り出し壁に触れさせた。…と次の瞬間には、そこに先程通ってきた通路と同じような通路が現れていた。


「…お前、何を―」

「話してる時分ではありません。…追跡されています」


 なんだって…?

 言われるまでその気配に気付けなかった自分に嫌悪感が走る。先刻の追手と同じ気配が、闇に埋もれた通路の奥から近づいて来るのが分かる。反響する足音は増幅され、人数が把握できない。


「陽楽さん、急いで」


 残月は既に隠された通路の方へと駆け出していた。後を追い振り返って敵を確認する。…しかし、己の目の焦点は袋小路と化した通路の突き当たりだった。壁に擬態した通路は、俺らが通り抜ける瞬間に元に戻ったようだ。


「…撒いた、か」


 振り返り立ち止まっている残月に走り寄ると、そう呟くのが聞こえた。自分も再び振り返る。

 …気配はない。気付かず通り過ぎたのだろうか。

 緊張が緩み、強張った肩が降りるのが判った。いつになく、今日はバベルのプレッシャーが強い。しかし、自分の犯した事を思えばそれは至極当然のようにも思えた。


「潜入による情報収集は困難を極めそうですね」


 こいつも、珍しく本気で息を荒げていた。


「あなたの放った鼠の所為でない事を祈ってますよ」

「…なんだ、溝鼠(ドブネズミ)礼拝(ミサ)にでも行ってきたのか」

「ええ。…低脳で無慈悲な上官に捕らわれた挙げ句、儚い命を散らした鼠達のために」


 皮肉を皮肉で返され、気分が悪くなった末に舌打ちする。

 ―空調管理制御施設でそこの管理職員に扮し、動力源である『精錬石』の監視及び奪取を行う。それが地下で身を密めていた俺に、残月が与えた指令だった。最初は、重要拠点での密偵工作と聞いて耳を疑った。…そんな事が可能なのかと。

 レジスタンス側は用意周到だった。街中に点在する重要拠点全てに、同時に密偵を潜り込ませるような手筈を整えていたのだ。、俺はその最後の一人に抜粋されたという事であった。

 バベルに刃向かい、地下迷宮へと追い込められた連中は数え切れない程居る。その中にはバベル建設に関わった重役や下働きの人々も含まれていた。しかし彼らではなく俺が選ばれた。何故俺なのか、と一度残月に問うた事があった。


『精錬石の扱いなら、バベルから逃げ出してきた技術者の方が上だろう。どうして俺なんだ』

『現在のバベルからの脱落者はいません。あなたの言う技術者達はそれ以前に計画に反対し、追放処分を受けた人達です。彼らの経験、技術は残念ながら充てにならないでしょう』

『だから何故俺なんだ』

『あなたがその抵抗運動の一味であり、かつバベルに「重傷」を負わされた。これが理由です』


 暴力による片目の欠落。これが精錬石の性質発現を助長する材料になりうると残月は言った。原理を理解する気は毛頭ないが、煤汚れた俺にも『錬金術』の才が眠っているのかもしれない。 諸事情を加味した結果密偵に抜擢された俺の派遣先が、『空調管理制御施設』と呼ばれる、地下コロニー内の気温、湿度等の管理および制御を行う施設だった。地上で行われていた大気の循環は、地殻に閉ざされた現在の世界にはない。生物の生命活動を維持するためには、恒久性のある有機、無機物の生産消費のサイクルは欠かせない。その地上時代の円環の一点を担うのがこの施設だ。それだけ大仰な目的のために機能しているだけに、食糧監査選別施設に比肩する警備体制が敷かれている。

 潜入員は俺を含め三名。そのうちの一人にこの施設の構造に詳しい人物がいた。彼が言うにはセキュリティーが仕込まれている入口はひとつのみであり、基本的に内外での人間の行き来はないという。感情を抜かれ、怠慢や虚脱感が生まれない人間による二十四時間の監視体制のため、人員の調整が不必要なのだ。これは他の重要施設も同様で、すなわち施設内の職員を把握、制圧できれば、そのままこちらの手中に墜ちる。こんな都合のいい算段がバベルに通用するのか甚だ疑問だったが、限られた情報と人員、技術を統合して考えると、最早縋ることのできる策はこれ以外見当たらなかった。

 入念な情報収集を繰り返し、行動を起こす局面となった。

 施設を詳細に知る彼一人がまず扉の認証システムを破り、内側から残る二人を招き入れるためシステムを改竄する。合流しシステムを復元した後に、施設内の職員の動向を把握。ここまでで数十分。しかし、彼らの意思疎通が精錬石を介されて行われているという事に気付くのが遅すぎた。身柄を拘束したのはいいが、恐らくバベルに伝わったのだろう、精錬石の確保を終えた直後に施設内に応援が駆けつけたのだ。

 …俺は、この施設に居た人々を、精錬石による束縛から解放した。いや、してしまった。何千何万とある各種機能に対応して機能している石のなかから、人同士の情報交換を司るものを奪ってしまったのだ。自我を取り戻した職員達はその時点で、バベルに『反乱因子(レジスタンス)』として認識された。そして図らずとも、俺らは彼らを囮にし施設を後にしたのだった。


 空調管理制御施設への潜入は、この日を境に不可能となった。認証コードが書き換えられ、レジスタンス側が知りうるバベルが抱える人間の個人IDが使用できなくなったのだ。潜入箇所を食糧監査選別施設へと移した俺らは、残月の指揮の下、現在の作戦に従事している。

 残月は空調施設での一件を快く思っておらず、現在の作戦はより慎重に細心の注意を費やして進められていた。しかし、それが打ち砕かれた今、残月は焦燥に駆られているのだろう。白く冷ややかな肌色はより冷たく、夜の静寂(しじま)を思わせるかのように重く沈んでいた。

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