(十一) 錬金術師
(十一) 錬金術師
「血色は悪いが、まあ大丈夫だろう。血圧、心拍、精神状態、五感性能、各間接部位…、全て良好だ」
「そうか」
「残月の旦那が血色悪いのはいつものことだ。よかったな、相棒」
淡雪はそう言ってにやけた。
心配などしていないが、結託を瑣末にする理由もない。だからか、「相棒」という言葉はどこか便利な響きを含んでいた。淡雪の表情に肩を竦めて答え、死んだようにも見える残月の、文字通り青い顔を一瞥した。
淡雪と空鐘は真南区レジスタンスの根幹である中央指令部直属の錬金術師であった。
精錬原石が暴走を始めたちょうどその時、彼らは町中の任務に当たっていた。そして本部からの連絡を受け、直ちに急行するよう指令が下ったのだ。…だが、この状況からして惨事を免れることはできなかったらしい。
「最初の襲撃が他区画だったとはいえ、情けない。せめて同士達の弔いだけでもしてやりたかった」
淡雪の言葉に、寡黙な巨人が頷いた。
「残月から連絡を受けて此処の防衛を任された。…勝算はない、とはっきり言い切って、住民の避難に全力を注ぐよう指示された。お堅い冷徹な上司にも、一応の配慮と慈悲はあるもんだな」
目を閉じて横になっている残月の顔を見下ろす。頬はこけ、明らかに血色が悪いその表情は、病に伏した人のような形相だ。しばらくはその瞼を開けることはないだろう。
「淡雪、錬金術は元来体力の消耗が激しいものなのか」
「惜しいね。厳密に言えば、精神の消耗、だ」
「精神」
「そうだ」
淡雪は懐から精錬石をとりだし、胸のあたりで構えると、握りしめた。すると石は淡く光りだした。
「錬金術はこの石を介して増幅されたエネルギー準位転換現象の総称だ。たとえばこの光。光は即ち熱、熱は即ち運動。そこまでは基本概念通りだ。しかし、錬金術では運動を供給する源が少々変わったものになっている。なんだかわかるか?」
「さあな」
「ソフィアだ。こいつは、尽きることも満たされることもない、常に不飽和、無尽蔵の物質だ。だからこそ、安定を求めて活発に働き、生命力の源ともよばれるようなエネルギーを生み出すわけだ。そもそも―」
どうやら輿に乗ってきたらしい。彼は雄弁に語り続けたが、しかしこちらは傾聴する気にはなれず、空鐘が虚空を見据えて突っ立っている姿をぼんやり見ている他なかった。ひけらかされているその知識はそのテの人間にとっては見事なものなのだろうが、如何せん理解するための材料の持ち合わせがないために、結局、終わりの見えない講義に水を差す形となった。
「…掻い摘んで言ってくれないか」
「ようするに、長時間の行使は疲労困憊の原因になりうるってことだ」
「それだけか」
「ああ」
おそらく執行者本人にはその結果などわかりきっていることだったのだろう。精神力を尽くしてまで成し遂げなければならないものが、残月にはあったのだろうが、いまはそれを聞くことができない。もどかしい気持ちに揺さぶられていると、淡雪が残月の作業台に放置していた資料を引き寄せ、その用紙の裏側に筆を走らせ始めた。その筆跡は次々に円と線を描いていく。
「何だ、その円と模様は?」
「これは模様じゃない、数字だ。…まさか君、ローマ数字を知らないのか」
「聞いたこともない」
「なんと」
彼は小さくため息をつきながらも、さらに線と円を増やしていった。円からは多数の線が伸び、その先には似た大きさの円がつながり、その円同士もまた線で繋がれている。そして徐々に、その奇妙な線と円は、ひとつの大きな三角形をなすようになった。その頂点といくつかの円に、数字が書かれていった。
「先刻、ここのデータベースから抜き出してきた各地域の現状だ。数字はレジスタンスが拠点を構えているところを示してある。…正直、僕でさえこんな情報を見たことがない」
「どういうことだ」
「植民地時代に作られた居住区は、バベルを中心に環状に広がっていると、そう報告されているし確認もされている。実際、僕も目にしてきている。だが、報告そのものが贋作だったんだ」
淡雪は線と円で描かれた三角形の重心を指し示した。
「普通に考えれば、ここがバベルだと思うだろう。だが本当は、ここだ」
次は三角形の一番上の頂点にある円の中心を指し示した。
「つまり、僕らはこの円周に沿って居住区を構えているということになる」
「待て。もしそうだとするなら、その他の無数の円は何なんだ?」
「さあ? わからない」
淡雪は肩を竦めた。
「地上へと伸びるシャフトか、はたまた旧大国の巨大シェルターか…。想像は膨らむばかりだね」
そんな彼の楽観したような物言いを制するように、空鐘が掌を返した。淡雪はそれを見るなりバツの悪そうな顔をし、図面に目を落とした。
「かき集めた資料のなかに本部データベースへのアクセスキーがあった。この情報はそのデータベースにあったものの一部なんだが…。先刻も言った通り、確かに調査報告を受けて確認した通路や居住区は実在するものだ。だが、その他の地域については知り得なかった。つまり報告を行った人物、あるいは組織、あるいは機関が、何らかの理由でその他の地域の情報を隠蔽していた…、ということになる」
「あるいは、だと? 調査を依頼した先が何なのか分かってないのか」
「この情報はこの本部が持っているデータに過ぎない。出どころは全て壱薙が把握していたんだ」
「あの爺いか。…胡散臭さが目に見えるようだな」
「ああ、全くだ」
急襲の原因をつきとめるための肝心要が見事に欠けている。淡雪は恐らく、データベースの情報からバベルの意図を探ろうとしたのだろう。
「問題は、壱薙が贋作の正体を知っていたか否かだ。調査依頼を出したのは確かに壱薙だが、その報告をレジスタンス達に各自確認するよう情報を公布したのも彼だ。卸売のような立ち位置に居る彼なら、少なからず情報の隠匿は可能だったはず」
「依頼先の意図によるものの方はどうだ。だがその方は、バベルがこの区画についてどこまで把握しているのかを知る必要があるな」
淡雪の口元がまたにやけ始めた。
「…陽楽、君はここに来るまでに、ここの情報はどれくらい持っていた?」
知るはずがない。擬態壁による隠し通路の奥であり、奇怪な石によってようやく開く道の先の世界なのだから。
「ひとつも持っていなかった」
「そうさ。知るはずがない。…ここは存在しない居住区だからな」
「どういうことだ?」
真南区。バベルを取り巻く東西南北に伸びた地下植民地跡のうち、真南に位置する居住区。そうしてその後、残月は町について誇らしげに語ったはずだ。
「植民地計画を企てたお偉いさん方の手元の資料では、この区画は廃棄物処理区画として明記されているんだ。…もうわかるだろう?」
「ようは、この居住区を作ったやつらは、監視の目の穴を見つけたってわけだな」
「ご名答」
淡雪はわざとらしく両手を挙げ、降参の姿勢をとった。
そうだったのか。この真南区はレジスタンスが一から作り上げた居住区だったのだ。監視の目を逃れて拠点を構えるために、彼らは廃棄物処理区画となるはずであったここを、居住区画へと変えてしまったのだ。
「廃棄物処理が目的なのだから、その焼却溶炉の監視管理以外、人が立ち入るための目的などない。おまけに、“安全上この区画への他区画住民の立ち入りを防ぐためにシェルターを繋ぐ通用路からの道を埋める”という偽の報告も流した。結果上手くいき、精錬石による擬態を講じることができた。これら諸々の策を講じてきたから、ヒトの手によらない管理システムを完璧にし、全て現行システムに適応させたバベルにとって、現在この区画はただの焼却溶炉区画、という認識でしかない筈なんだ」
「しかし、バベルは白装束をわざわざ焼却溶炉なんかに差し向けた。…おかしいな」
「ああ。まるでここに敵が潜んでいることを知っていたみたいに、な」
となると、内側からバベルに情報が漏れていた、あるいは独自に突き止められた、この2つ以外考えられる原因はない。後者は尾行や諜報工作を仕掛けられていたかどうかを調べるしかないが、前者の場合は外部組織と連携があるという事実が存在するだけ現時点で最も疑わしいところだ。そして淡雪はそこに潜む内通者を疑っている。つまり、壱薙を、だ。
「壱薙が贋作の正体を知っていたなら、今回の急襲はそこから情報が漏れたとしか考えられないんだ」
「いや、まだ思い当たる原因がある。俺と残月がバベルに追われていたというのを先刻話したのを覚えているだろう」
「ああ。だがそれはそれほど問題じゃない」
「なんでだ」
「残月の指揮していた例の作戦はこの区画の管轄外だからだ」
あまりにもさらりと受け答えられてしまったため、言葉につまる。残月の作戦はこの区画の管轄外だと?
「…もっと言えば、こいつの独断による諜報工作の一端だ」
「独断、だと?」
淡雪はため息をついた。ふと目線をずらし巨躯の空鐘を見れば、彼もまた肩を竦めてみせた。
「世話の焼ける上司だよ、全く…。空調施設然り、食糧施設然り、遡れば第三期クーデター戦争の時もそうだった。あいつはどうやら、バベルのウラを洗い出したくて仕方ないらしいな。お蔭でこっちのアシを洗うのが大変だったよ。尤も…」
そう言って彼は残月の方へと顔を向けた。
「こいつ程、真南区の住民のために尽力した錬金術師はいないがな」
淡雪の言葉に釣られるように、自分ももう一度残月の顔を見下ろす。
冷血しかめぐっていないように思えていたその身体は、今は少し幼い年相応の青年の姿として、目に映って見えた。
「しかも、彼らはバベルの仕向けた追ってである、とは言い切れない」
「何故だ。食糧監査を取り仕切ってるのは間違いなくバベルだろう。どうしてそうなる」
「食糧監査選別施設は、知っての通り完全に無人だ。残月がそこのメインルームを根城にできるくらい、あそこはスカスカなんだ。…まあ、存在しない区画に籍を置いているからこそできる事なんだが。ともかく、余程のヘマをやらかさない限りあそこでバベルに嗅ぎ付かれるということは万が一にもない」
淡雪はそこまで言うと、白い瘤を跨ぎ越しながら近づいて来た。
「それより、話から推察するに、そもそも君が連れてきた追手なんじゃないか? 違うか?」
図星だ。
「君が一体どんな餌を撒いてくれたのは知らないが、僕は思うに、君がもしバベルに何らかの理由で見つかっていたとしたなら、君は間違いなく逃げる間もなく其処で死んでいるよ」
「なに…!」
歩み寄ってくる淡雪につかみかかろうとすると、指先が触れるか触れないかといった間際で手が何かによって弾かれ、反動でバランスを失った体が後方へとよろけた。その瞬間、淡雪が小さく笑うのがちらりと見えた。
「縦横無尽の監視網はどこからともなく白装束を放り込める。走って逃げようなんてまず無理な話だ。ましてや丸腰の人間なんか、ね」
そう言って淡雪は乳白色の丸石をつまみ上げ、これ見よがしに振って見せた。
「だが君はまだ此処に居る。大方、どこかの小規模な反対勢力にでも目をつけられたんだろう」
淡く灰色に光るその石は、やはりいつみても禍々しく、そして鬱陶しい。
こんな色をして光るのは、人の心がやはり汚く淀んでいるからなのだろうか。
淡雪は石を懐にしまうと、大股で瘤を跨ぎホールの入口の方へと向かいながら言った。
「…しかし、こうなった以上、乗りかかった船ってやつだな。残月の旦那には悪いが、ちょっとばかり彼独自の情報網を利用させてもらうよ。何せ、壱薙以外で唯一外部区画との連携がある遊撃騎士だからな」
…そうか。彼は少なからず、残月もまた、一人の容疑者ととらえているわけか。残月とともにバベルの情報を集めるということに協力し暗躍するという意思を仄めかしたつもりだろうが、外部への情報漏洩が急襲の原因だと断定しているのも彼であるが故、この男は条件を満たす者を徹底的に疑うつもりなのだろう。
そして間違いなく残月も、その例に漏れない。
また面倒な「相棒」ができたもんだ…。
そう呟きかけて慌てて口を噤む。
その様子が挙動不審に思えたのか、空鐘がいぶかしげな目でこちらを見ているのが目の端に映った。
更新遅くなりました。
この後のお話をようやく整理し終えたので再始動です。
気長に待ってやってください!!