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BABEL  作者: 詩之葉
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  (十) 反革者


  (十) 反革者


 戦慄から解放され、目で見得る限りの世界での安心にゆっくりと浸たる。銃を足元に置き、手足を地面について脱力する。


「残月」


 肩を揺すってはみるものの、目を閉じたまま残月は動かなかった。


 溜め息をひとつ吐くと、氷越しに広場を睨みつけた。バベルの放った襲撃者が二人、地面に倒れている。広場は炎が辺りを焦がす音がするものの、感じられるのは静寂そのものだった。


―もう少し堪えてくれませんか。


 残月が言った言葉がやけに頭に残っている。苦笑いを浮かべた奴に、焦りは感じられなかった。寧ろ超然とした落ち着きがそこにはあった。だが何故だろう。

 奴は明らかに苦しんでいた。

 そう感じてしまうのは何故だ。

 何かを待っている。待つ必要がある。だから堪えなければならない。だから陽楽、お願いだ。…などというそんな安直な推察でいいものか。だがそれでないとしたら一体、この白装束との攻防の意味はなんだ。


 突然右方に倒れていた一人が肩を震わせ、腕を伸ばし、瓦礫を掴んだ。そしてゆっくりと身体を起こし、立ち上がった。

 まだ生きている!

 白装束は辺りを見回し倒れている味方を一瞥すると、こちらへ顔を向けた。そしてゆっくりと歩み始め、掌を広げて突き出した。対抗するように銃を構え、引き金を引く。が、発砲が起きない。


―詰まった…!


 思わず白装束の掌を凝視し、あの炎が吹き出すのかと身構えたが、その掌は光を放っただけで何も噴出さなかった。

 少なくとも、その時はそう感じていた。

 そして徐々に異変に気付き始める。

 残月が狙撃のために空けた穴が新たな氷で塞がり、氷壁自体も厚さを増していった。冷気もその程度を強め、息を白く凍らせ始めた。


 ―密閉された。


 零下、疎酸素、…死。脳内を冷水が流れ落ちる感覚を覚える。氷をどうにかしなくては。しかし衝撃にも熱にも動じないこの奇妙な氷はいったいどうすれば排除できるのだ。

 助かる望みに影が射そうとしたその時、氷壁の外側が激しい光に包まれた。思わず腕で顔を覆う。それは白装束が放つ炎よりも格段に強い光だった。

 腕を降ろし再び氷の外側に目を凝らす。厚い氷に阻まれて鮮明には見えないが、明らかにさっきとは状況が変わっていた。立ち上がり、壁龕の人間二人に止めを施した白装束は再び地面に伏しており、その傍らには奴のものであろう乳白色の丸石が転がっていた。


 そして、広場にもう一人、人間が現れていた。

 背丈2mはあるだろうか、その体躯は人並み外れて大きかった。長い髪が後ろで一つに束ねられ、背中まで伸びている。その頭部だけ見れば一見女性のようなシルエットだが、猛々しく引き締まった体格は男性らしいものだ。

 巨人は白装束のそばに跪き、その体を乱暴にまさぐっていた。そしてすぐにそれを止めると、辺りを見回し始め、こちらを向いたときに頭を止めた。そのまま大股で近づいてくると、両手で握りこぶしをつくり、分厚い氷壁に勢いよく叩き付けた。大きな衝撃が内部に伝わり、冷えた空気が震えた。だが氷は砕けない。しかし、ゆっくりと氷が燃えていく(・・・・・)のに気付いた。巨人の両手は赤々とした小さい炎に包まれていたが、当の本人は意にも介していないようだ。

 そしてついに氷壁が燃え尽き、外の灼熱が壁龕に吹き込んだ。乾燥しきった熱風に咽せている暇もなく、巨人の掌に襤褸同然となった上着の胸ぐらを掴まれ、広場の真中へと引き摺り出された。気付けば、残月も同じように引っ張り出されたらしく、少し離れたところで人形のように動かなくなっている。巨人は再び辺りを見回すと、残月の傍らにしゃがみ込み、喉元に指を当てがった。その後残月の体を抱え上げて布袋のように肩に担ぎ、こちらに顔を向けた。

 巨人は、黒々とした髪と対称な真っ白な口髭を蓄えた、厳格そうな大男だった。彼は分厚い掌を使って自分についてくるように指示すると、残月を担いだまま広場から出て行った。恐れを抱く余地すらなく、味方であることを祈りつつその背中を追う。


     ◇


 昇降エリアは殺伐としていた。

 血生臭い戦場の熱気から洗練された儀式的な妖気に晒される。ホール中に白い布が所狭しと敷き詰められ、それは床に夥しい数の(こぶ)を作っていた。咄嗟にそれが何を示しているのかに気付いた瞬間、吐き気がこみ上げてきた。

 中央に何台かの作業台が集められていた。その上では炭塊となり哀れな顔立ちとなった人体が青白い光を当てられている。そして作業台の間を一人、足早に行き交う者がいた。深い紺碧の制服を纏った彼は、手に何か資料らしきものを持ち、人と紙を交互に見ては片方の手で資料に何か書き込んでいた。こちらが近づくと彼はその穏やかそうな面を紙面から上げ、大男の肩で脱力している残月を凝視した。


「残月じゃないか」


 制服の男は大男から残月を受け取ると―体重を支えきれずによろめきながら―ひとつの作業台に横たえた。


空鐘ソラガネ、他に生存者は?」


 尋ねられた大男はその太い指で俺を指差した。制服の男が顔を向けた。


「あんた、どこの棟の人?」

「Cだ」

「Cなら、こいつの管轄外か。何故残月と一緒にいる?」

「任務中だった」

「反革者か」


 頷くと、彼は笑みを浮かべ、そして足元に羅列されている白い瘤を見やった。


「なら話は早い。焼却炉警備、区外任務の奴らと僕ら以外のレジスタンス、本部内にいた奴らはみんな死んだよ。今ここでその遺体の照合作業をやっている。」

「壱薙は」

「まだだ。死んでいるかすら、だ。何か知ってるのか?」

「残月が爺さんと連絡をとっていたのを覚えている。バベルの奴にソフィアを侵されたと、残月は言っていた」

「ソフィアを侵す?」

「できるのか、そんなこと」


 男は少し考える素振りを見せたものの、返事は早かった。


「それと全く同じかどうかは知らないが、似た原理を知ってる。個人のソフィアを精錬石に同期させて、その時の散在波数を調べるんだ。その数値は個人を限定できる程合同なものが無いから、最近のヒト管理機構には殆ど使われてる。だけど…」

「操る能力となると別か」

「そうだ」

「なら壱薙はどうなったんだ?」

「それはこいつが起きてからだな」

 

 制服の男は残月を一瞥し、再び資料を手に取ると、白い布の瘤の間を縫って昇降機の方へと歩いて行ってしまった。空鐘がそのあとに追随していくのを眺めながら、一人佇んだ。


 バベルは容赦などしなかったようだ。僅かな感情があれば、消されてしまう。そんな危険に晒されてしまう人々は、この地下世界にどれだけ生き残っているのだろうか。比較的堅牢だと確信していたここ真南区がこの有り様だ。遮蔽物もなく、真っ当に闘う術の無い人々は抗うこともなくその命を刈られていくしかないのか。理不尽、排道徳的な思考が基礎になりつつあり、それの弾圧による受難の日々が現実になりつつある。

 それは、ただのヒトである俺にも同じことではないのか。

 俺は、何も知らない。

 闘うための術を、何も。

 いや、知ろうとしていなかったのかもしれない。

 しかし、判らない。

 理解するのに必要なことが多すぎる。


 なあ残月。

 俺は、何だ。


     ◇


 制服の男と巨躯長髪の男は熱気の篭もる通路を進んでいた。寡黙に歩き続ける二人からは、その足音さえも息を潜めるような沈黙が漂っていた。空鐘が突き当たりの重厚な扉を押し開けると、死体回収の完了した殺風景な管理室が現れた。中央に鎮座していた精錬原石は、黒曜石のような光沢のある漆黒に染まり、かつての半透明の輝きは失われていた。制服の男は空鐘に何か指図すると、彼は首肯し奥の方の扉へ向かっていき姿を消した。制服の男は手近な操作盤に手を触れ、ぼんやりと起動を示す灯りに目を細めた。画面から光が浮かび上がり、彼はそれを指で操りながら溜め息をついた。


「…くそ」


 彼は光の弧をいくつも描きながら、幾度もそうつぶやいた。

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