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BABEL  作者: 詩之葉
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  (九) 炎獄


  (九) 炎獄


 銃を握る手が震える。皮膚は熱に晒されていても、指先の血は凍りついたかのように冷たい。銃身に冷やされた訳でもなければ、外気が極寒という訳でもない。内側から、徐々に冷えていく感覚だ。髄が凍てつき、血は止まり、筋組織は悲鳴をあげる。血の通わない末端から少しずつ“冷静”に蝕まれていく。とても落ち着いて狙いを定めることなどできなくなってしまっていた。


 鉛の弾一つで、生身の人間は息絶えてしまうのだ。炎に巻かれるにしろ首を切りつけられるにしろ、その全ては一瞬間。いつ、自分の意識と視界が消えて無くなるか判らない恐怖より、視界以外の情報をも加味した迅速な判断力で己を満たさなくてはならない。

 奴らは人間ではない。

 情も怒りも通じない、化け物。

 純白の布地を頭から被り、施された赤い刺繍を煤で染め、その細長い指と色白な掌から猛々しい炎を放つ、ヒト(・・)。…いや、ヒトの姿をした兵器だ。ならば、そう、躊躇う必要などない。引き金を手にかけ、その哀れな身の上を解放してやればいいのだ。ヒトからヒトに非ざる存在へと変えられてしまったその身から、彼らそのものの解放を手助けしてやればいい。そうだろう?


―…偽善者。


 俺自身も、多くの人を失った。バベルの起こした平和という名の蹂躙によって。


―ソフィアさえ戻ればそれはヒトなのだ。


 俺は逃げることに精一杯で、武器を握ることもままならなかった。


―それを、嘗てヒトであった者を、今この手で…


 そのうち、短剣を手にした白装束と組み合った。彼の目にはまだ、人並みの感情が残っていた。そして、時が流れるほど彼は狂気に目覚めていくのだった。


―殺すのか。


 …殺した。奪い取ったその短剣で。


 自分も痛手を被った。

 左目と、他のどこかに。


 今なら、その時の男が無感情者へと移り変わっていたことが理解できる。力の拮抗した取っ組み合いのさなかに彼が見せた怯えは、不可視の脅威に追われているかのようだった。それだけだったならば、俺にはまだ手を差し伸べる余裕があったかもしれない。だが、彼は既に自分の持って生まれたものを平和に献上した後だった。彼にも他の誰かと同じようなささやかな日常があっただろうに。偽りの平和と見せしめの正義に酔って、己を差し出してしまったのだ。

 哀れだ。

 …助けてやりたかった。

 だが今、目の先に居るあれはなんだ。辿ってきた経緯は同じ筈だ。まるで本当の悪魔ではないか。なのに彼らがこんなにも憎く、それでいて哀れ、と思ってしまう。何故そんなちぐはぐな軋轢に苛んでいるのだ、俺は。


 ひとつ、またひとつと銃弾を放つ度、その精度は落ちていき、その場を一刻も早く逃れなければならない事態に陥った。己の手が使い物にならないと理解した瞬間、底知れない恐れが湧くのがわかった。武器の有無でこれほどまでに自信が揺らぐとは。幸いまだ姿は見られていないのか、追跡される事はなかった。疲労が倦怠を誘い、いつの間にか鉛のように重くなった両足を投げ出し、地に手と尻をついていた。

 

「彼らの意思疎通能はかなり高度です。このままでは危険ですね」

「囲まれなければいいだろ」


 言った後、残月が俺の顔をゆっくり見下ろすのがわかった。


「今、その状態に追いやられているんです」


 纏っていた白衣を脱ぎ捨てながら、残月が零した。その内側から薄手で黒色のローブが現れ、その背には葉と(つる)が絡まり合ったような紋章が刻まれていた。

 彼の再び口を開く。


「手が震えるようですね」


 その言葉には、「ああ」と素っ気なく答えていた。銃の腕を買ってくれるまではいいが、貶される筋合いはない。かと言って、言い訳がましく白装束のことを口に出すのも癪だった。残月は舌打ちを堪えるかのように口元を歪め、瓦礫の山の天辺を見据えている。奴はこの地を見捨てるつもりは毛頭ないのだろう。だがおそらく視界に入る人間以外に、生きている者がいるという望みは薄いのではないか。


「あそこへ」


 残月は氷に覆われた鐘楼を指差した。エントランスで唯一人々の認知できる時を生み出していた、あの鐘楼だ。その麓では未だに炎が群がっている。焦点を合わせようと目を細めるが、乾いた眼球に塵がこびり付き長い間目を開けていられなかった。

 ふと視界の端に、エントランスから各地の地下シェルターを繋ぐ連絡通路へと抜ける扉―稼働隔壁が映り込んだ。閉鎖空間であるエントランスで四方八方を塞がれれば、逃げ場はない。だがせめて壁を背にできれば、アレがある。まだ活路はあるはずだ。


「残月」


 汚れた上着が被った煤を払いながら立ち上がる。この羅衣は破け、焼き焦がされ、穴だらけの羽織物と化しており、外見は殆ど上裸状態だった。


「生存者は」


 残月は答えなかった。代わりに弾倉を放ってよこし、言った。


「これを使ってください」


 焦ってるのか、残月。


「もう無駄だ。何も残っちゃいない。ここを守るより、他の区と連携を組むのが先決じゃないのか」

「まだ、ありますよ」

「何が」

「ここに、レジスタンスの端くれがいるじゃないですか」


 残月はそう言って懐から精錬石を取り出し、苦笑した。

 笑いやがった。奴は焦っているのか? 違うのか? その笑うことのできる余裕はどこから生まれている? 訳が分からない。その無遠慮な自信はどこから湧いて出ているのだ。 


「他のレジスタンス達はどうなった」

「施設の復旧作業に追われているか、石の暴走に巻き込まれて全滅でしょうね」

「連絡はとれないのか」

「音信不通です。今本部に戻ることができれば、内情を把握することは可能でしょうが」

「なら戻ろう。このままじゃ危険だ。お前なら分かってる筈だ」

「ええ。ですがもう少し、堪えてくれませんか」


 どういう意味だ、と言いかけた時、後ろの瓦礫の山から熱風が吹きつけた。途差に壁に使えそうな瓦礫の物陰に飛び込むが、爆発を凌げるほどの強度は無かった。砕け飛ぶ構造物の直撃をまともに受け、下敷きになる。呻く暇すらなく、次の瞬間には金属が弾け合う音と炎が爆ぜる音に感覚を奪われた。熱が喉から体の中へと入り込み、激しい吐き気に襲われる。しかし震動が収まる頃、流石に死を覚悟していたにもかかわらず、手足は気丈に働いた。手近にあるパイプ状の金属片を掴むと、それをてこに使ってのしかかる瓦礫を押しのけ、身体を起こした。熱風が吹き付けてきた方角へ目を凝らす。

 火の粉と黒煙の中から、彼らは白い衣を纏って現れた。

 心臓が弾むように拍動しているのを感じた。

 

―勝てない。

 

 極端な思考が頭を支配する。今はただ、命が惜しかった。そして、自分を護ることに関して、自分は無力に等しかった。


―助けてくれ、残月。


 高く積もった瓦礫が先ほどの震動で重心をずらされたのか、ゆっくりと崩れ始め、間もなく崩れ落ちた。

 磊落(らいかい)を押しのけ、立ちのぼる粉煙の中へと走り込んだ。あそこへ、と呟き、白装束に背を向け走り続けた。


     ◇


 氷柱に寄りかかり、エントランスの天井を仰いだ。肺が酸素を求めて疼き、網膜は水分を求めて涙腺を震わせている。どうにか、巻いたようだ。残月の姿はないが恐らく無事だろうと、無理やり思考に余裕を与えた。視線を下げ、崩壊した街を眺める。この場所からならモールを環状に走るメインストリートを望むことができ、通りに接するように立つ鐘楼が見える。ただ、今となってはその一帯は氷に閉ざされ、その氷塊の内側で黒々と炎が揺れていた。その奇妙な光景に見飽き、自分が駆けてきた道を一目した。其処(そこ)には見覚えのある建物が前のめりに倒れかけているのが見えた。

 真南区に訪れたばかりの時に目につき、威勢のいいオヤジが居た、あの店だ。


―「兄さん、腹減ってそうだな」と、店の主人が店先の色鮮やかな食材を眺めている俺に近づいてきた。残月の呼び出しを受ける少し前、羽伸ばしにエントランスへ出向いた時だった。


「どれもいい色してるだろ? 添加物の色でも何でもねえ、そのまんまの艶だぜ」

「確かに新鮮だな。裏に畑でも持ってるのか」

「いやいや、そうじゃねえ」


 主人は振り返り、昇降エリアの辺りを指差した。


「あすこだ。あすこからトラックに積んで運んでくるのさ」


 その言葉を聞いて思い出す。真南区の食糧は食糧施設に分別された規格外の品で賄われているのだ。


「供給がないときはどうするんだ」

「いやいや、そんな時はないさ。もちろん、ここに並んでる食糧がなくなることもないぜ」


 主人は俺の目の前にある深緑の菜っ葉を掴むと、突き出して言った。


「なんなら食うか?」

「悪い、文無しなんだ」

「いやいや、要らねえ要らねえ! それに誰も咎めやしないさ」


 言われるがままに菜っ葉を受け取り、口へ運ぶ。苦味を連想させる色合いに構わず、豊かな甘味が口内に広がった。


「…美味い」

「だろ?」


 主人は勝ち誇ったように哄笑した―


 突然けたたましい音が轟き、追憶から引き戻される。

 爆煙が登り、断末魔と共にその建物は崩壊した。

 崩れた建物の向こう側からのそりと白い衣が現れる。

 その姿を認めるや否や自然に体が動き出し、鐘楼を包む氷の一帯へと走り出していた。

 

 どこへ逃げても奴らは追ってきた。何を頼りにしているだって? ソフィアの揺らぎを感知して、だと? そんな技術、一体どうやって手に入れたんだ。それに、あの炎もソフィアの生み出す激昂がもたらすエネルギーの産物だという。ヒトのもつ感情をあのような破壊的な存在へと変えるために、いったい何がなされたのだ。わからない。教えてくれ、残月。


「陽楽さん!」


 後ろから呼びかけられ、振り返る。氷の壁に張り付き、息を切らしている残月が目についた。身にまとっていた黒色のローブは引きちぎられ、顔には斜めに細い裂傷が刻まれていた。


「こっちです!」


 そう言って残月は氷の壁にできた壁龕(へきがん)にしゃがみこんだ。素早く走り寄り、自分もそれに倣う。


「いいですか。今からここを氷で閉ざします。その時数センチの穴をあけておきますので、そこから奴らを狙撃してください」

「ちょっと待ってくれ。今俺は―」

「お願いします」


 残月は再び乳白色半透明の丸石を握りしめ、息を整えた。丸石がおぼろげに光を放ちだすと同時に、徐々に足元が氷で覆われ始めた。しかし、二人を包めるほどの大きさに氷が成長しない。残月の石を握る手が震えだした。呼吸も乱れがちになっている。


「残月」


 肩に手を触れようとした瞬間、精錬石の輝きが増した。氷結の速度が極端に早くなり、見る間に目の前に氷壁が生成される。小さな孔を残して氷が壁龕を完全に覆い尽くすと、残月の手から石が零れ落ち、彼は両手を地面について肩を震わせた。


「標的は、あと二人です」


 残された弾は十三発。相手がただの人なら、十分に余裕がある状況だ。だが…。


「残月、ここは退こう。相手が少ない今なら確実だ」

「何が確実なんですか」


 残月は睨み返してきた。その目からは涙が滲んでいた。


「僕たちの命が助かることが確実ですか。それとも標的を一掃できることが確実ですか。いずれにせよ大きな状況は変わりありません。しかしせめて報いなければならない事実があるんです」

「報いることはいつでもできる。だが今はできない。あまりにも分が悪すぎる」

「そんな筈はない!」


 残月が氷の壁に拳を打ち付けた。分厚い壁は微動だにせず、鈍い音が狭い空間に響いた。


「現にあなたの撃った弾は標的の数を減らしています。可能性は全くゼロではありませんよ」

「だが…」

「彼らを鎮めることができれば、この地から逃げることなど造作もありません」

「俺の手が」

「…陽楽さん。お願いします」


 その懇願はため息を吐くかのようだった。そしてそのまま地面に臥した。

 慌ててその胸に掌を重ねる。拍動はある。死んではいない。おそらく気を失ったのだろう。


 氷の粒が潰れる音を聞き、咄嗟に外に目を向けた。白装束が氷壁に囲まれたこの広場に足を踏み入れていた。無意識に銃を向け、狙いを定める。手の震えは収まらなかった。冷たく、指先はまるで氷に覆われてしまったかのように動かない。神経を可能な限り研ぎ澄まし、ゆっくりと引き金を引いた。乾いた銃声が(こだま)し、白装束が一人倒れた。もう一人が素早く身を翻し、こちらの方へと掌を向けた。光が(ほとばし)り、炎が目の前の氷壁にぶつかり拡散していく。しかし小さな孔から炎が噴き出すことはなく、拡がっていく炎が氷を解かすこともなかった。炎が止み、黒煙の中から最後の白装束が歩み出てくる。再び銃を構え、狙いを絞る。

 掌がこちらを向くのと銃声が鳴ったのは殆ど同時だった。乾いた発砲音が響いた瞬間、目の前は再び紅蓮の炎で埋め尽くされた。しかし氷壁はものともしなかった。

 そして炎が止む頃、黒煙が晴れ見渡すことが可能になった今、視界に入るのは地面に倒れ伏した二体の白装束と、足元で同じように横たわる残月だけとなった。

 

 あけましておめでとうございます。年明けとともに投稿するつもりでしたが、諸事情により未遂となりました(笑

 今年もよろしくお願いします。

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