終章:夢の続きを、あなたと
それから、一週間が経った。
あの夜以来、私は一度も夢を見ていない。
いつもの、何気ない夢。
リアムのいる、あの世界の夢。
もう、見られなくなった。
「陽菜、元気出して」
学食で、美咲が心配そうに私を見つめる。
「うん、大丈夫」
笑顔を作るけど、心の中は空っぽだった。
リアムを救えたことは嬉しい。
でも、もう会えないことが、こんなにも辛いなんて。
「やっぱり、大丈夫じゃないよ」
美咲がため息をつく。
「あのね、陽菜。彼のこと、忘れろとは言わない。でも、前を向いてほしいんだ」
「前……?」
「うん。陽菜には、まだこれからの人生がある。素敵な恋も、きっとできる」
美咲は優しく微笑んだ。
「だから、思い出に縛られすぎないで」
「ありがとう、美咲」
友達の優しさが、胸に染みる。
そうだ。
私には、まだ現実がある。
リアムとの日々は、かけがえのない思い出だけど。
それだけに囚われていちゃ、ダメだ。
「頑張ってみる」
「うん! それでこそ陽菜だよ!」
美咲が笑顔で私の肩を叩いた。
その日の帰り道、いつもの書店に寄った。
文庫本のコーナーに、『暁の騎士団』が並んでいる。
手に取って、表紙を見つめる。
リアムの挿絵が、優しく微笑んでいる気がした。
「会いたいな……」
小さく呟いて、本を胸に抱く。
会えないって分かってるのに。
どうしても、この気持ちが消えない。
「あの、すみません」
突然、後ろから声をかけられた。
振り向くと、男性が立っていた。
大学生くらいの年齢で、爽やかな笑顔。
でも――。
心臓が、止まりそうになった。
銀色の髪。
蒼い瞳。
まるで、リアムみたいな。
「その本、お好きなんですか?」
男性が『暁の騎士団』を指して聞いてくる。
「あ、はい……」
「僕も大好きなんです。特に、最近文庫版が新装されて、結末が変わったって聞いて」
「え……新装版?」
「はい。ご存知ないですか?」
男性が棚から一冊取り出した。
『暁の騎士団【新装版】』
表紙が新しくなっている。
「これ、最終章の結末が加筆修正されたんです。作者が『読者の声に応えて』って言ってました」
「結末が……」
私が変えた、あの結末?
「主人公のリアムが、最後まで生き延びる展開になったんです。しかも、彼を救った謎の少女の正体が、ちゃんと描かれてて」
男性は嬉しそうに語る。
「その少女、本の世界の外から来たっていう設定で。めちゃくちゃロマンチックで」
「そう、なんですか……」
声が震える。
私のこと、書かれてるの?
「あ、ごめんなさい。つい熱く語っちゃって」
男性は照れたように笑った。
「僕、春野陸斗って言います。同じ本が好きな人に会えて、嬉しくて」
「桜井、陽菜です」
「陽菜さん。もしよかったら、この本について語り合いませんか?」
陸斗さんが、優しく微笑む。
その笑顔が、少しだけリアムに似ていた。
でも、違う。
この人は、現実の人だ。
「……はい」
私は頷いた。
リアムのことは、忘れない。
でも、前を向いてもいい。
新しい出会いを、大切にしてもいい。
「じゃあ、近くのカフェでどうですか?」
「お願いします」
カフェで、陸斗さんと『暁の騎士団』について語り合った。
彼は本当にこの本が好きらしく、細かいところまで覚えていた。
「リアムって、孤独な人ですよね」
陸斗さんがコーヒーを飲みながら言う。
「誰にも本音を言えなくて、一人で抱え込んで」
「はい……」
「でも、最後に謎の少女に救われる。その展開が、すごく好きなんです」
陸斗さんは目を輝かせる。
「孤独な人が、誰かの愛で救われるって。そういうの、いいなって」
彼の言葉が、胸に響いた。
ああ、この人も。
どこか、孤独を抱えているのかもしれない。
「陸斗さんも、孤独なんですか?」
思わず聞くと、彼は少し驚いたように目を見開いた。
「……なんで分かるんですか?」
「なんとなく、です」
陸斗さんは苦笑して、頭を掻いた。
「実は、大学であんまり馴染めなくて。友達も少ないし、いつも一人で本読んでるんです」
「私も、同じです」
「え、本当ですか?」
「はい。だから、この本に救われました」
私は『暁の騎士団』を見つめる。
「リアムに、出会えてよかったって。本気で思ってます」
陸斗さんは優しく微笑んだ。
「分かります。僕も、この本に何度も救われました」
二人で、しばらく沈黙する。
でも、居心地の悪い沈黙じゃなかった。
むしろ、温かい。
「あの、陽菜さん」
陸斗さんが恥ずかしそうに言った。
「また、こうして本について話しませんか?」
「はい。ぜひ」
私は笑顔で答えた。
新しい出会い。
新しい、友達。
リアムがくれた勇気で、私は一歩を踏み出せた。
その夜、ベッドで『暁の騎士団【新装版】』を読んだ。
陸斗さんに勧められて、書店で買ってきた。
最終章を開く。
そこには、確かに私のことが書かれていた。
『リアムを救った少女の名は、陽菜と言った。彼女は物語の外から来た、特別な存在だった。リアムは彼女に命を救われ、そして愛を知った。「いつか、また会えるだろうか」リアムは毎晩、星空を見上げて彼女のことを想う。きっと、どこかで見ているはずだと信じて』
涙が溢れた。
リアムも、私のことを想ってくれてる。
それだけで、十分だった。
「リアム様……」
本を抱きしめる。
会えなくても、想いは繋がってる。
それは、作者さんが言ってくれた。
だから、大丈夫。
「私も、忘れないよ」
小さく呟いて、目を閉じる。
今夜は、夢を見ないだろう。
でも、いい。
リアムは、私の心の中で生きている。
それは、誰にも奪えない。
それから、数ヶ月が経った。
陸斗さんとは、すっかり仲良くなった。
週に一度、カフェで会って本の話をする。
彼は優しくて、面白くて、一緒にいると楽しい。
でも、恋愛感情かと言われると、まだ分からない。
リアムのことが、まだ心の中にあるから。
「陽菜、最近楽しそうだね」
ある日、美咲がニヤニヤしながら言った。
「え、そう?」
「うん。陸斗くんと仲良いみたいじゃん」
「ただの友達だよ」
「今は、ね」
美咲は意味深に笑う。
「でも、これからどうなるか分かんないよ?」
確かに。
未来は、誰にも分からない。
もしかしたら、陸斗さんを好きになるかもしれない。
もしかしたら、また別の人と出会うかもしれない。
でも、それでいい。
リアムとの恋は、私の大切な思い出。
そして、これからの恋は――。
新しい、物語。
ある夜、久しぶりに夢を見た。
白い空間に、リアムが立っていた。
「リアム様!」
駆け寄ると、彼は優しく微笑んだ。
「陽菜」
「会いたかった……」
涙が溢れる。
リアムは私を抱きしめた。
「私も、会いたかった」
「でも、もう会えないって……」
「ああ。これが、最後だ」
リアムは私の頬に触れる。
「だから、伝えに来た」
「何を……?」
「ありがとう、と。そして、幸せになってほしい、と」
リアムの蒼い瞳が、真っ直ぐ私を見つめる。
「君は、私を救ってくれた。だから、私も君に幸せになってほしい」
「リアム様……」
「現実で、素敵な恋をして。笑顔で生きて」
彼は優しく微笑む。
「それが、私の願いだ」
「でも……」
「大丈夫。君は、強い子だから」
リアムは私の頭を撫でた。
「さあ、目を覚ます時間だよ」
「待って! まだ、話したいことが――」
「愛してる、陽菜」
リアムは最後にそう言って、微笑んだ。
「私も、ずっと愛してます」
涙を流しながら、そう答えた。
光が溢れて、リアムの姿が消えていく。
「さよなら、陽菜」
「さよなら……リアム様……」
目が覚めると、朝だった。
涙が、頬を伝っていた。
「最後の、夢だったんだ……」
ベッドから起き上がって、窓を開ける。
春の風が、部屋に入ってくる。
新しい季節。
新しい、始まり。
「ありがとう、リアム様」
空に向かって、呟いた。
「あなたとの恋は、私の宝物です」
スマホが震えて、陸斗さんからLINEが来た。
『おはよう! 今日、新刊出るから一緒に買いに行かない?』
私は笑顔で返信する。
『うん、行く!』
『やった! じゃあ、昼に駅前で』
『了解!』
スマホを置いて、制服に着替える。
鏡に映った自分の顔は、以前より明るくなっていた。
リアムとの恋は、終わった。
でも、私の人生は続いている。
これから、どんな恋をするんだろう。
どんな人と、出会うんだろう。
分からないけど、楽しみだ。
「行ってきます」
部屋を出る前に、本棚の『暁の騎士団』を見つめる。
リアムが、優しく微笑んでいる気がした。
「見ててね、リアム様」
小さく呟いて、ドアを閉めた。
夢の続きは、現実で。
あなたがくれた勇気で、私は前に進む。
そして、いつか。
また、素敵な恋ができたら。
きっと、あなたに報告するね。
《数年後》
「陽菜、何読んでるの?」
隣から、声がかけられた。
振り向くと、陸斗が笑顔で覗き込んでくる。
「昔、大好きだった本」
私は『暁の騎士団』を見せた。
「ああ、これ。僕たちが出会うきっかけになった本だね」
陸斗は懐かしそうに微笑む。
あれから、私たちは恋人になった。
ゆっくりと、時間をかけて。
リアムへの想いを大切にしながら、少しずつ。
「この本の主人公、リアムって言うんだけど」
「うん、知ってる」
「私ね、昔この人のこと、本気で好きだったの」
陸斗は驚いたように目を見開いた。
「本気で?」
「うん。夢の中で会ってた気がするくらい」
私は笑いながら言う。
「バカみたいでしょ?」
「ううん」
陸斗は優しく首を横に振った。
「素敵だと思うよ。本気で誰かを好きになれるって、すごいことだから」
彼は私の手を握る。
「それに、その恋があったから、今の陽菜がいるんでしょ?」
「……うん」
リアムとの恋が、私を変えてくれた。
勇気をくれた。
前を向く力をくれた。
だから、陸斗と出会えた。
「ありがとう、陸斗」
「何が?」
「理解してくれて」
陸斗は笑顔で私の頭を撫でた。
「当たり前だよ。君の全部、好きだから」
胸が、温かくなる。
これが、現実の恋。
リアムとは違う、でも同じくらい大切な恋。
空を見上げる。
青空に、白い雲が流れている。
リアム様。
私、幸せです。
あなたが願ってくれた通り、笑顔で生きています。
だから、安心してください。
そして、ありがとう。
素敵な恋を、教えてくれて。
「陽菜?」
「ん、なんでもない」
陸斗に笑顔を向ける。
「帰ろっか」
「うん」
二人で、家路につく。
本の中の恋は、終わった。
でも、現実の恋は、まだ続いている。
夢の続きを、あなたと。
そう、心の中で呟いた。
リアムへ。
そして、陸斗へ。
私の大切な、二つの恋へ。




