第三章:ステンドグラスの下の約束
その日の夢は、いつもと違う場所から始まった。
城の礼拝堂。
高い天井には色とりどりのステンドグラスが嵌め込まれていて、朝日が差し込むたび、床に虹色の光が踊る。
静かで、神聖で、どこか切ない空気が漂っていた。
「ここは……」
辺りを見回すと、祭壇の前にリアムの姿があった。
彼は跪いて、何かを祈っているようだった。
足音を忍ばせて近づくと、彼の呟きが聞こえた。
「どうか、皆を守れますように。たとえ、この身が朽ちようとも」
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
この人は、また。
自分の命より、誰かを守ることを願ってる。
「リアム様」
声をかけると、彼は驚いたように振り返った。
「陽菜……いつから」
「今、来たばかりです」
嘘だけど。
リアムは立ち上がって、少し照れたように頬を掻いた。
「祈りの姿を見られるとは、恥ずかしいな」
「そんなこと、ないです」
私は首を横に振る。
「とても、素敵でした」
リアムは微笑んで、ステンドグラスを見上げた。
「ここは、私の好きな場所なんだ。幼い頃、よく一人で来ていた」
「一人で?」
「ああ。私は次男坊でね。兄が家督を継ぐことが決まっていたから、居場所がなかった」
リアムの声が、少しだけ寂しそうに響く。
「両親は兄ばかりを気にかけていた。当然だ。跡取りなんだから。でも、幼い私には理解できなくてね。なぜ、自分は愛されないのかと」
彼は自嘲気味に笑った。
「だから、ここに来ていた。一人でも寂しくないように、祈っていたんだ」
初めて聞く、リアムの過去。
本には書かれていなかった、彼の孤独。
「それで、騎士になったんですか?」
「そうだ。兄のようにはなれない。なら、別の道で認められようと思った」
リアムは拳を握る。
「剣の才能だけは、あった。だから、必死に鍛えた。誰よりも強くなれば、誰かの役に立てると信じて」
彼の横顔が、朝日に照らされている。
ああ、そうか。
この人の優しさは、孤独から生まれたものだったんだ。
愛されなかった子供が、誰かを愛そうとして。
認められなかった少年が、誰かを守ろうとして。
「リアム様」
「ん?」
「あなたは、十分に素晴らしいです」
私は真っ直ぐ彼を見つめた。
「誰かに認められるためじゃなくて。あなた自身が、素晴らしいんです」
リアムは目を見開いて、それから困ったように笑った。
「君は、本当に不思議な人だ」
「不思議、ですか?」
「ああ。私の何を知っているわけでもないのに、いつも核心を突いてくる」
彼は私の頭に、そっと手を置いた。
「まるで、私の全てを見透かしているみたいだ」
その手の温もりが、胸に染みる。
見透かしてる、なんてことはない。
ただ、本を何度も読んで、あなたのことを考え続けただけ。
「陽菜」
「はい」
「一つ、聞いてもいいか」
リアムが真剣な顔で私を見る。
「君は、なぜ私に優しくするんだ。前にも聞いたが、君は答えてくれなかった」
来た。
この質問。
今度こそ、ちゃんと答えなきゃ。
「それは――」
言葉を探す。
好き。
その一言が、喉まで出かかってる。
でも、怖い。
この気持ちを伝えたら、何かが変わってしまう気がして。
「私は、リアム様が――」
「リアム副団長!」
突然、礼拝堂の扉が開いて、若い騎士が飛び込んできた。
「魔王軍の斥候が、北の森に!」
リアムの表情が一瞬で引き締まる。
「分かった。すぐに向かう」
彼は剣を手に取って、私を振り返った。
「陽菜、ここにいてくれ。すぐに戻る」
「待って!」
思わず、彼の腕を掴んだ。
「危険なんでしょう? 行かないで」
「大丈夫だ。斥候程度なら、すぐに片付く」
リアムは優しく微笑む。
でも、私は知ってる。
本では、この斥候戦で彼は深手を負う。それが、後の致命傷に繋がっていく。
「お願い、無茶しないで」
「約束する」
彼は私の手をそっと外して、走り去った。
一人残された礼拝堂で、私は拳を握りしめる。
ダメだ。
このままじゃ、本と同じ展開になる。
何か、できることはないのか。
「……そうだ」
私は祭壇の前に跪いた。
神様なんて信じたことはない。
でも、今は縋りたかった。
「お願いします。リアム様を、守ってください」
手を合わせて、祈る。
「私は、彼を愛しています。だから、どうか――」
涙が溢れた。
声にならない叫びが、静かな礼拝堂に響く。
どれくらい祈っていただろう。
ふと、気配を感じて顔を上げた。
「……陽菜?」
リアムが、戻ってきていた。
鎧には血が付いているけど、大きな怪我はなさそうだ。
「リアム様!」
立ち上がって駆け寄ると、彼は困ったように笑った。
「心配かけて、すまない。無事だ」
「本当に、大丈夫ですか?」
「ああ。約束通り、無茶はしなかった」
リアムは私の頭を優しく撫でる。
「君が祈っていてくれたおかげかもしれないな」
「え……見てたんですか?」
「ああ。戻ってきたら、君が祭壇の前で泣いていた」
顔が、熱くなる。
恥ずかしい。祈ってる姿、見られてた。
「聞こえて、ましたか?」
恐る恐る聞くと、リアムは優しく微笑んだ。
「ああ」
心臓が、うるさいくらいに鳴る。
じゃあ、聞かれた?
私が、彼を愛してるって。
「陽菜」
リアムが私の両肩に手を置く。
「君の祈りを聞いて、初めて理解した」
「何を……?」
「君が、なぜ私に優しくしてくれるのか」
彼の蒼い瞳が、真っ直ぐ私を見つめる。
「君は、私のことを――」
「愛してます」
遮るように、私は言った。
もう、隠せない。
隠したくない。
「私、リアム様のことが好きです。ずっと前から、ずっと」
声が震える。
涙が溢れる。
「おかしいって、分かってます。私たちは、会ったばかりで。でも、私はあなたのことを、ずっと見てきて」
言葉が止まらない。
「あなたの優しさも、強さも、孤独も、全部知ってる。だから、愛おしくて。守りたくて」
「陽菜……」
「だから、お願い。死なないで」
リアムの目が、大きく見開かれる。
「死ぬ? 私が?」
しまった。
言っちゃいけないことを。
「あ、その……」
「陽菜、君は何を知っているんだ」
リアムが真剣な顔で問いかける。
「君は、まるで未来を知っているかのように、私に警告する」
答えられない。
本の世界の住人に、結末を教えることなんてできない。
「答えられません……」
「そうか」
リアムは少し考えてから、優しく笑った。
「なら、いい。君の秘密は、聞かない」
「え……?」
「ただ、一つだけ約束してくれ」
彼は私の手を取った。
「私が死ぬと言うなら、君がそれを阻止してくれ」
「リアム様……」
「君は不思議な力を持っている。私には理解できないが、君なら私を救えるかもしれない」
リアムは真っ直ぐ私を見つめる。
「だから、頼む。私を、生かしてくれ」
涙が止まらなかった。
この人は、自分の運命を知らないのに。
私の言葉を信じて、託してくれた。
「約束、します」
私は強く頷いた。
「絶対に、リアム様を守ります」
「ありがとう、陽菜」
リアムは優しく微笑んで、私を抱きしめた。
ステンドグラスから差し込む光が、二人を包み込む。
虹色の光の中で、私たちは約束した。
彼を、生かすと。
運命を、変えると。
目が覚めると、頬が涙で濡れていた。
でも、今日の涙は悲しみじゃない。
「約束、したんだ」
呟いて、『暁の騎士団』を手に取る。
もう、ただ読むだけの読者じゃない。
私は、物語の中で約束をした。
リアムを、救うと。
「どうすれば、いいんだろう」
本をめくる。
これから先、リアムは数々の戦闘を経て、最終決戦で致命傷を負う。
それを防ぐには――。
「魔王との戦いを、避けるしかない?」
でも、それは無理だ。
物語の主軸だから。
なら、戦い方を変える?
彼が致命傷を負うシーンを思い出す。
仲間を庇って、魔王の攻撃を受ける。
なら、庇わなければいい。
でも、それはリアムらしくない。
「……難しい」
頭を抱える。
スマホが震えて、美咲からLINEが来た。
『陽菜、今日元気だった! ちゃんと告白できた?』
『うん。言えたよ』
『マジで!? どうだった!?』
『受け入れてくれた。約束もした』
『おお! よかったじゃん!』
美咲の素直な喜びが、嬉しい。
『でも、これからが大変なんだ』
『どういうこと?』
『彼を、守らなきゃいけないから』
『……陽菜、無理しないでね』
美咲の心配が伝わってくる。
『大丈夫。私、頑張るから』
返信を送って、スマホを置く。
ベッドに横になって、天井を見つめる。
リアムとの約束。
それは、運命との戦いだ。
でも、諦めない。
絶対に、彼を救う。
たとえ、物語の結末を変えることになっても。
「待っててね、リアム様」
小さく呟いて、目を閉じる。
明日も、会いに行こう。
そして、少しずつ。
運命を、変えていこう。




