第一章:ページをめくれば、そこは戦地
その夜、いつもより早くベッドに入った。
枕元に『暁の騎士団』を置いて、ページを開く。今日読むのは第十三章。魔王軍の先遣隊との戦闘シーン。リアムが部下を庇って肩に傷を負う場面だ。
文字を追いながら、まぶたが重くなっていく。
そして――。
「っ!」
目を開けた瞬間、硝煙の匂いが鼻を突いた。
ここは、戦場だ。
遠くで剣と剣がぶつかり合う音。誰かの怒号。地面を揺らす魔法の爆発音。
私は岩陰に身を隠しながら、必死に状況を把握する。いつもと違う。今までの夢は、もっと穏やかな場面ばかりだった。焚き火の前とか、城の中庭とか。
でも今日は、物語が進んでいる。
「左翼、押されてるぞ!」
「魔導師隊、援護を!」
騎士たちの声が飛び交う中、私は彼を探した。
リアム。
どこにいるの。
「――陽菜!?」
聞き慣れた声が、すぐ近くから聞こえた。
振り向くと、銀髪の騎士が血相を変えてこちらに走ってくる。右肩の鎧に、血が滲んでいる。本で読んだ通りの傷だ。
「リアム様!」
「なぜこんな場所に! 危険だ、下がれ!」
彼は私の腕を掴んで、岩陰の奥へと引き寄せる。
こんなに近くで見るのは初めてだった。蒼い瞳には、心配と焦りが混ざっている。汗と土で汚れた顔も、息を切らした様子も、全部が生々しくて、リアルで。
「怪我、してる……」
「これくらい、どうということはない」
リアムは平然と言うけど、傷口から血が滴っている。
「嘘。痛いでしょ」
思わず手を伸ばすと、彼は少しだけ目を見開いた。
「……君は、不思議な人だな」
「え?」
「初めて会った時からそうだ。まるで、私のことを全て知っているような目で見る」
リアムの言葉に、胸が締め付けられる。
知ってる。あなたのこと、全部知ってる。
あなたが仲間思いで、責任感が強くて、誰よりも優しくて。
そして、この先どうなるかも。
「リアム様」
「何だ」
「……絶対に、無茶しないでください」
私の声が震える。
彼は、この戦いの後、さらに無理を重ねていく。傷を押して戦い続けて、仲間を守り続けて、最後には――。
「約束、してください」
「陽菜……」
リアムは困ったように眉を寄せる。
「私は副団長だ。部下を守るのが務めだ。約束はできない」
「でも!」
言葉を続けようとした瞬間、爆発音が響いた。
地面が揺れて、岩が崩れる。
「危ない!」
リアムが私を抱きしめて、体を丸める。岩の破片が降り注ぐ中、彼の背中が私を守ってくれた。
「っ……」
小さく呻く声が聞こえる。背中に、破片が当たったんだ。
「リアム様、大丈夫ですか!?」
「ああ。君は?」
「私は、平気です」
彼の腕の中で、私は必死に涙をこらえる。
ああ、そうだ。
この人は、いつもこうだ。自分のことより、誰かを守ることを優先する。
だから、死んでしまう。
「リアム副団長! 敵の増援です!」
部下の声に、彼は顔を上げる。
「分かった。すぐに行く」
立ち上がろうとする彼の手を、私は掴んだ。
「待って」
「陽菜、離してくれ。私は――」
「分かってます。でも、お願い」
彼の目を見つめる。
「生きて、帰ってきてください」
リアムは一瞬、息を呑んだ。
それから、優しく微笑む。
「……ああ。約束しよう」
嘘だ。
この人、また無理するつもりだ。
でも、今の私には、これ以上何も言えなかった。
「行ってきます」
リアムは剣を抜いて、戦場へと駆けていく。
その背中を見送りながら、私は拳を握りしめる。
このままじゃ、ダメだ。
読者として、ただ見ているだけじゃ、何も変わらない。
夢の中でも、私にできることがあるはずだ。
「リアム様……」
絶対に、死なせない。
あなたを、助ける。
目が覚めたのは、明け方だった。
枕が涙で濡れている。
「……夢、だったのに」
なんでこんなに泣いてるんだろう。
スマホを手に取って、時計を見る。午前五時。まだ大学に行くには早い。
でも、眠れなかった。
ベッドから起き上がって、デスクの上の『暁の騎士団』を手に取る。
第十三章を開く。
そこには、リアムが部下を庇って傷を負う場面が描かれていた。夢で見た通りの展開。でも、私が登場するシーンは、どこにもない。
当たり前だ。私は、この物語の住人じゃない。
ただの読者。
ただの、外野。
「……そんなの、嫌だ」
呟いた声は、誰にも届かない。
窓の外では、朝日が昇り始めていた。
現実の世界は、いつも通り動いている。
でも、私の心は、夢の中の戦場に置いてきたままだった。
「陽菜、やっぱり変だよ」
昼休み、学食で美咲が心配そうに私の顔を覗き込む。
「昨日より顔色悪いし、ご飯も半分しか食べてないじゃん」
「ごめん。ちょっと、色々考えちゃって」
「その本のこと?」
美咲が私のバッグを指す。
「……うん」
「ねえ、陽菜。もしかして、その推しのこと、本気で好きなの?」
美咲の問いかけに、私は頷いた。
「うん。本気で、好き」
「架空のキャラって分かってても?」
「分かってる。でも、好きなんだ」
美咲はしばらく黙っていたけど、やがて優しく笑った。
「そっか。なら、応援する。陽菜の恋、全力で応援するから」
「ありがとう、美咲」
友達の優しさが、少しだけ胸を温めてくれる。
でも、不安は消えない。
物語は、確実に終わりに向かっている。
リアムの死まで、時間がない。
夢の中で会えるのも、あと何回だろう。
「今夜も、会いに行くんでしょ?」
「……うん」
「じゃあ、伝えなよ。好きだって」
美咲の言葉に、顔が熱くなる。
「無理だよ。だって、彼は――」
「架空のキャラでも、陽菜の気持ちは本物でしょ? なら、伝えた方がいいよ」
美咲は真剣な目で私を見る。
「後悔、したくないでしょ?」
その言葉が、胸に刺さった。
後悔。
そうだ。もし何も言わないまま、彼が死んでしまったら。
きっと、一生後悔する。
「……考えてみる」
「うん。頑張って」
美咲は笑顔で私の肩を叩いた。
告白、か。
でも、どうやって。
夢の中の彼に、現実の私の気持ちなんて、伝わるんだろうか。
そもそも、彼は私のことを、どう思ってるんだろう。
不安ばかりが募る中、それでも私は決めた。
今夜、もう一度会いに行こう。
そして、少しずつでいい。
私の気持ちを、伝えていこう。




