1話【本当の姿】
とうの前に日は落ちて、夜の帳が世界を覆う。ベアリアス領中央都市の明かりはほの暗く、頼りない。生活の喧噪は鳴りを潜めて街全体が眠りにつこうとしていた。そんな街の騎士宿舎の一室。疲れ切った二人の男がそれぞれのベッドに入っていた。
「……なあ。」
右側から声がして、ふと目を開けた。天井にランタンの弱い灯りが揺れている。相棒は真っ暗だと眠れないタチなのだ。
「なんだよお……。もう寝ろよなあ。」
俺はもぞもぞと布団をかぶりなおした。一応、右側を向く。相棒の黒い瞳がまっすぐこちらを見据えていた。ははあ。さてはこいつ、巡回からの帰宅間際に見た風俗のポスターに興奮して眠れないんだな。
「伝えるべきか迷ったんだが……。お前に黙ってるのも悪いと思ってな。」
「はあ?なんだよ改まって。」
興奮しているなら静かに便所に行ってほしい。いや待てよ。薄暗い部屋に興奮した男。同じ部屋には相棒の俺……。だんだん薄気味悪くなってきた。嫌でも相棒を意識してしまう。違う!俺にそういう趣味はねえ!
「実は、俺……。」
「わ――――っ!!なんだよっ!ったく!寝ろよ!」
俺は話を遮るようにガバッっと飛び起きた。するとなぜか相棒も上体を起こした。がっしりと筋肉のついた上体が、するりとシーツの下から現れた。妙にドキドキするのは突然大声を出したからに違いない。
「近所に迷惑がかかるから、静かに、な?」
相棒が声を潜めて人差し指を口元に充てた。アパート住まいの子どもか、俺は。怒りを通り越したのか、力が抜けた。
「お前のせいだからな~?……はあ。まあいいや。そんで?お前がどうした。」
「実は俺、大魔術師なんだ。」
大魔術師、ねえ。こいつはどうやら寝ぼけているらしい。俺は目が覚めたってのに。
「そうか。それじゃ俺は寝るから。」
「待て。本当の名前はシルヴィア・オルドヴァルデモス=ヴァルディア。」
「なんて?」
相棒はふーっと息を吐いた。
「俺の、本当の名前は、シルヴィア・オルドヴァルデモス=ヴァルディアなんだ。」
濁点が多い。長い。頭に入ってこない。面白さの最大が100点だとしたら今のは40点といったところだ。
「まだピンときていないようだな。とりあえず『シルヴィア様』と呼んでくれ。」
いろいろ言いたいことはある。だけど、どこから突っ込めばいいのかわからない。悪い夢でも見ているのだ。きっとそうだ。もう一度寝れば夢から覚めるはずだ。
「はーい、わかりましたー。おやすみ。相棒。」
「なっ……!お前信じてないだろう!?」
相棒が珍しく声を張り上げた。そんな姿は久しぶりすぎて内心かなり面食らった。
「おい、近所。こんなのだれが信じるんだよ……。じゃあ、今までの名前は?なんで女の名前なんだ?そもそも魔術なんてあるわけないだろ?」
普段あまり表情の変わらない相棒が口をとんがらせた。明らかに不服の意を示している。相棒はあまりに疲れて頭がおかしくなってしまったのかもしれない。
「む……。今までの名前は偽名だ。この姿も魔術で変身しているだけだ。大魔術師であることがばれるのは、あまりよくないからな。」
灯りが揺らめいて、相棒の悲しそうな顔が照らされた。おかしい。眠りから起こされたのはこちらなのに。なんだかこっちが悪者になっている。
「っはあー。わかった、わかったよ。シルヴィア様。じゃあ本当は女なわけか。」
自称大魔術師シルヴィアの口角が上がった。とりあえず、今日のところはこいつの話に合わせるしかなさそうだ。喧嘩になってもあれだし。
「そうだ。本当の私は、ボォン・キュッッッ・ボンの見目麗しい、まるで女神みたいな……。」
今度は目を閉じてうっとりし始めた。それってこいつのこうなりたいっていう願望なんじゃ……。そう思うとだんだん相棒が恐ろしくなってきた。
「はいはい。そんじゃあ見してくれよ。相棒だろう?」
「いや。お前が惚れるから駄目だ。」
「ブッ、お前本気で言ってんの?」
自称大魔術師は真顔でキッパリと言い切った。名前は40点だけど、この作り話自体は65点くらいの面白さがあるかもしれない。筋骨隆々の大の男が話すから、だいぶ気味が悪いんだけど。
「見たら最後、明日の訓練に響くのは間違いないな。」
「わかったわかった。わかりましたよ、自称大魔術師様。もう寝ていいですか?」
答えを待たずシーツに戻る。すると相棒は俺とは反対にベッドから降りた。チェストの引き出しを何やらごそごそ漁っているようだった。
「今度はなんだよぉ……。」
「エド、お前信じてないだろ?だから特別に見せてやろうと思って。」
「ええ……。結局見せてくれるんかい。」
相棒は俺に近づいてきて、ランタン用のロウソクとマッチをベッドサイドテーブルに置いた。
「これから魔術を使って俺の本当の姿を見せてやる。」
「へぇー。そりゃあ楽しみだ。期待してるぜ、シルヴィア様。」
相棒の態度がいやに真面目だからか、だんだん愉快になってきた。冗談にしてもしつこすぎるが、相棒の魔術とやらをさっさと見せてもらって明日揶揄ってやろう。それにもし本当に魔術にかけられたとして、ボォン・キュッッッ・ボンで見目も麗しい、まるで女神のようなシルヴィア様、とやらが見られるなら見てみたいじゃないか。俺は体を起こして静かに相棒を見つめた。
「さあ、ロウソクを見ていろ。」
静まり返った部屋に、相棒の低くて落ち着いた声が雰囲気を作っている。血管の浮いた大きな手。節くれた指先。相棒はボッとマッチに火を付け、慣れた手つきでロウソクを灯す。おかしい、部屋にいるのに炎が揺れている。まさか、本当に魔術を?
「私は大魔術師シルヴィア・オルドヴァルデモス=ヴァルディアだ。」
相棒がベッドに腰掛ける。重みに耐えかねるようにベッドがギシっと鳴いた。ロウソクを挟んだ向こうのベッドから、相棒が真顔で俺を見つめていた。
「これからエドワードは、私の本来の姿を見ることになる。覚悟はできているか?」
「……ああ。」
妙に鼓動が早く大きく聞こえる。この世に魔術なんてものはない。これも茶番で、何が起こっても、どうせいつも通り、太眉いかつい系大男が目の前にいるだけだ。
「……心から姿を見たいと願え。さすればお前の眼に真実が映るだろう。」
相棒の声に体が固まる。なぜ、信じきれてないとわかったのか。もしかして、もうすでに相棒は魔術を……? そんななはずは……。
「さあ。」
「わ、わかったよ……。」
空気が張り詰めている。相棒の魔術なのか、炎は先ほどよりも激しく揺れている。不気味で仕方がない。体はじっとりした汗をかき、ひやりと寒気がした。
「いいか?さあ、今度はこのコインを見るんだ。」
穏やかな声に導かれて相棒の手が視界に映る。相棒の指先から細い糸が垂れ、先端には穴の開いたコインが括り付けられていた。コインはゆらゆらと俺の眼前を右へ左へ。何度も何度も往復する。
「ほら、ロウソクの少し上。景色の揺らめきが、どんどん広がっていくぞ。」
「!」
ロウソクの炎の先にある揺らめきが、波紋のように広がっていく。すごい……。これが、魔術……!
「す、すごいな……!お前!」
「ふふ。さあ、そのまま私を見るんだ。」
すっと視線を挙げようとして、止まった。確かに、このふっくらと柔らかそうなすべすべの太ももは女性のもの、のように見える。その傍らには緩くウェーブがかかった銀色の髪が垂れている。まさか、そんな、と心臓が跳ね上がる。
「どうした?」
声はいつもの相棒の声だ。聞き間違えるはずはない。胸がざわざわする。目の前に、いつもの相棒がいなかったらどうしよう。額から一筋の汗が流れた。
「エド?」
相棒が俺を呼ぶ声に顔をあげてしまった。
「なっ……!」
ゆらゆらとした空間の向こう。金色の、目が……。
「エド!!」
「はっ!」
ビクッと夢から覚めたような感覚が体を走った。ロウソクは消えて、いつも通りの部屋にいつも通りの相棒がいた。わかりづらいけれど、若干眉毛が下がっているような気がする。
「すまない。エド。」
「おい……、お前な……。」
気が抜けたのか、状況を冷静に思い返すことができるようになってきた。よくよく思い返すと、最初からランタンの灯りが揺れるほど隙間風が入ってきているわけだし、ロウソクの火は揺れて当たり前。それに、あの糸とコインは見世物小屋で見たような気がする。もしかして、これは……。
「お前これ催眠術じゃねーか!」
「失礼な。きちんとした魔術だ。しかしエドはかかりやすいなあ。」
「やっぱりそうなんじゃねえか!ふざけんな!俺は寝る!おやすみ!」
満足そうな相棒に別れを告げ、俺は夢の世界に落ちた。
もちろん、翌日は催眠術で見せられた女性が忘れられず、隊長に張り倒された。




