2、聖騎士団長、覚悟を決める
ハワード卿から独りごちるように漏れた言葉に、オシアンが若い甥を相手にするかのように優しく返した。
「何も邪悪な魔物から囚われの姫君を救い出すばかりが騎士の務めではない。姫君にかけられた呪いを根気強く解いていくのもまた、姫君を愛する騎士の務めだとは思わないかね?」
ハワード卿は瞬きをした。並外れた破魔の力を持つモリーが、呪われているとはどういうことか、と。
オシアンは一つ溜め息をつくと、ハワード卿にモリーが抱えている事情を語った。
「誰がそう仕向けたものか、まぁ大体見当はつくがね。モリー嬢は多感な時期に周囲から『地味な容姿』だの『料理以外に女としての取り柄がない』だのと言われ続け、魅力に乏しい娘として扱われ続けたらしいのだよ。アーケイディア単科大学で再会した時には既に、あの子は『故郷の誰もがそう言っていたから』と、すっかり自分でもそう信じ込んでいた。ヒルダがどれほどあの子を『私の可愛いヴィーナス』と呼んでも、浮かぬ顔をするばかりになってしまったのだよ」
それは今でも変わらない、と言うオシアンの声には、微かな無念さが混じっていた。
「我が最愛に次いで、あの子は美しい魂を持っている。少しだが水妖の魅了の力も持っている。顔立ちも整っている。聖騎士団の守護者と言えば、魔力のない人間からすれば聖女に等しいとも聞く。魅力がないなどということはありえない。だというのに、結婚相手を探すのに消極的なのも、異性から寄せられる好意に気付かないのも、故郷の人間たちに重ね重ねかけられた、心ない言葉に縛られているからだ。それは呪いに等しいと思わないかね」
むしろ解呪の魔法が効かないだけ余計に質が悪い、とオシアンは呟き、ハワードの目を見据えた。
「我は、ハワード卿ならば、あの子にかけられた呪いを解けると信じている。但し、ハワード卿が勇気を持って、どれだけヴィーナス・モリー・ターナー嬢という女性に魅力があるのかを、言葉と行動で示すことが出来ればの話だがね」
試されている、とハワード卿は思った。
オシアンは、モリーの生還を疑っていない。そして、これからの彼女が幸せになれる道筋も見えている。しかしハワード卿と呼ばれる若造には、モリーの心を解し、その手を取って共に歩むだけの覚悟が果たしてあるのか、と。
ハワード卿は、喉が固く詰まるような気がした。だが、臆病者にモリーの心と手を乞う資格などあるはずがないことは解っていた。
「……必ずや」
やっとのことでそう答えると、オシアンは笑った。
「期待しているよ。ハワード卿は我らが姪の婿に相応しい魂の持ち主だからね」
* *
家もどきの体内から無事に生還したモリーが聖騎士団本部に戻って来た。彼女は手作りのショートブレッドを、今回のことで世話になったからと、あちらこちらに配っていた。
彼女が家もどきの口をその体内から僅かながらこじ開けたという話を、本人の口から聞いた引退団員たちが本部内のサロンや食堂で「我らの姫の武勇伝」としてせっせと広めていた。それを聞いて、「モリーさん頼もしい。結婚してほしい」と耳まで赤く染めて呟いた若手団員を、ハワード卿が思わず睨んでしまったのは、無理からぬことだったろう。
少々大人げなかっただろうか、と思いつつ、ハワード卿は、そろそろ彼女は廊下のこの辺りに来るはずだ、と予想地点まで歩いていくと、モリーはその場所でメグと仲良く話していた。
つい割り込むように近付いたのは、モリーがこれでもかというほど眩しい笑顔をメグに向けていたからだ。それを見て「二輪の可憐な花がそこに……」などと口走る団員の気持ちはハワード卿には全く理解出来ない。メグに対して「その場所を譲ってくれ」と思ったことは何度もあるが。
「二級守護者、ヴィーナス・モリー・ターナー。この度は災難だったな」
そう声をかけると、モリーは曇りのない笑顔で、ショートブレッドの包みをハワード卿に向かって差し出した。礼を言われても上手く言葉が出ず、君が笑顔でいれば、というようなことをやっと言ったハワード卿に対して、モリーが一瞬だけ気遣わしげな眼差しを向けた。いつものことながら、モリーに気を遣わせてしまった、とハワード卿が情けなく思っていると、そこにヒルダ・フォスター第三隊長が現れた。
ヒルダの用件は隣国南西部で発生した大量失踪事件を解決するために援軍を要請したいということだった。それならば使い魔のオシアンを寄越せば済む話なので、本音では姪の無事な姿を確認したかったのだろう。
ヒルダがモリーにも遠征に参加するように頼むと、モリーが驚いた。仕事を減らして結婚相手を探すように言っていたではないか、と。
ヒルダがモリーに早く結婚相手を探すように勧めていたのはハワード卿も知っていたが、その彼女がハワード卿を見てにやりと笑ったのは、使い魔であるオシアンから話を聞いたからに違いなかった。
「なぁに、お前の結婚相手が見つからない時はハワードが責任を取ってくれそうだからな。良い婿候補を探してくるか、それとも自分が立候補するかは知らんが」
ヒルダの言葉に、ハワード卿は耳が熱くなったことを自覚した。
「ハワード卿、勿論、立候補なさるんですよね?」
追い討ちをかけるようなメグの言葉に、ハワード卿はすっかり狼狽した。
「……今はそれよりも、隣国の大量失踪事件を解決する方が先だ」
しまった、と思ってモリーを見たハワード卿だったが、モリーは別に気にした様子もなく、恍惚とした様子で「大規模掃討作戦……」と呟いていた。
モリーのその表情もまるで戦女神のようで美しいとハワード卿は思ったが、それに見惚れる余裕はなかった。
「……しっかりしろよ、婿候補」
ヒルダが彼にだけ聞こえるくらいの声で、じれったそうに耳元でそう囁いたので。
隣国南西部へ向かうことが決まり、慌ただしく準備をする中で、ハワード卿はモリーを密かに呼び出した。
「我々がこれから向かう隣国南西部のエリザベスタウンは、治安が悪いことで有名だ。君は、前線には出ず、他の守護者たちの側にいてほしい」
モリーは堅い表情で頷いた。
「そうですね、メグは狙われ易いですから」
「彼女ばかりではなく、君自身も充分に気を付けてくれ。その、……君ほど美しい女性に、寂れた鉱山街の破落戸どもが目を付けないはずがない、から」
モリーはしばらくきょとんとしていたが、やがてくすくすと笑った。
「私の緊張を解そうとしてくださって、ありがとうございます」
ハワード卿は羞恥と相手の笑顔の美しさのために顔が火照るのを感じたが、再び勇気を振り絞った。
「……これを。普段私の指に嵌めている指輪で済まないが、今度の遠征では、必ず君に身に付けていてほしい。きっと君の助けになるはずだ」
彼がモリーに差し出したのは、これまで自分の薬指に嵌めていた金の指輪を、鎖に通したものだった。
彼の家の慣習で、十五歳の誕生日から肌身離さず身に付けて来た特別な指輪だ。
「サイズが合わないだろうから、首にかけておくと良い。既に君の名前を刻んであるから、この指輪は、君にしか従わない」
モリーは驚いたような顔で、ただ何度も頷いただけだった。
この時は、これが精一杯だった。モリーも、ハワード卿自身も。
少し短くなったので、おまけも追加で投稿します。




