6)ラスボスとの対峙
ベンチャー企業で営業部長を務める四方田研人は3カ月前に採用した部下・柴崎から退職の意向を聞かされた。理由は先輩社員・吉川との確執であり、学歴コンプレックスが原因であるという。採用もマネジメントも「学歴不問」の姿勢で進めてきたが、顛末の経緯を確認し、社内外の様々な人々との対話を通じて、それは「余裕の産物」であり自身の独り善がりであったことに気づかされていく。そして社内で最も学歴の高い四方田に対し、吉川を始め、四方田を採用した實松など古参の創業メンバーの多くは、複雑な感情を抱いていることを知る。
会社の成長速度が鈍化し、次なる一手について、ついに社長の徳永へ直談判することになった。
翌日、四方田は實松にお願いして、社長の徳永と話す時間を作ってもらうことにした。實松は例の増資の話だと思い、同席して四方田の援護射撃をしようとしたが、徳永の意向により一対一で話すことになった。夕方、徳永が会社に現れた。
「やあ、四方田君、どうしたんだい?例の増資の話かい?」
「ええ。さすがに営業サイドとしては事態が深刻になってきてまして」
「ほう」
「あまりに欠品が相次ぐので、複数の代理店が取り扱いを止めるかもしれないってクレームしてきてます。現場の営業マン達もまいってきてまして」
「まあ、そうなるっちゃなるわなぁ。タバコいいですか?」
徳永は悪びれる様子もなく、電子タバコを取り出した。会社では煙や灰の出ない電子タバコであれば喫煙室の外でも吸ってよいルールになっていた。
「知り合いのツテで出資者を募るのは限界なのかもしれないね」
「社長はやっぱり見ず知らずのベンチャーキャピタルやファンドにお願いするのは抵抗ありますか?」
「有るか無いかと言われたら、『有る』かな」
「でもこのままですと、増え続ける需要に対応できなくなってしまいます」
「冷静に考えると、不良在庫がほとんど出てないってことでしょ?会社としては健全で、結構な話じゃないですか。希少価値がブランド力を高めるって話もあるし」
「売り上げを拡大するチャンスなんです。もっと在庫を増やしても、不良在庫は絶対に生まれません。営業部ですべて売り切ってみせますから」
「うんうん。気持ちはわかるよ。売れると思うよ。だから資本金を増やす方向で進めているよ。四方田君の望むやり方ではないけれど」
「ツテをたどるやり方ではどうしてもスピードが遅いですよね」
「まあそう焦りなさんな」
アクセルを踏み続ける四方田に対し、徳永はブレーキを踏み続けていた。四方田が展開したい方向にはハンドルを切らせたくないようだった。
「四方田君もウチに入ってもう4年くらいだよね?君みたいな優秀な人が、こんな高卒のヘボ社長についてきてくれて、有難い限りだよ」
「いえ、大筋では私のやりたいようにやらせてもらっていますから」
「元からいるメンバーも四方田君を高く評価しているよ。本当に採用してよかったって言ってる。そして私も同じ気持ちですよ」
「嬉しいお言葉、ありがとうございます」
「四方田君から見れば足りないところ、至らないところばかりだろ?グータラ社長もあんまり会社に出てこないしねぇ」
「まあ、そういうのは承知の上で入社しましたから。私の動ける範囲内で一つ一つ改善していければと」
「うんうん。採用活動も以前よりは良くなったし、四方田君が学歴不問という方針を掲げたのは私から見ても意外だったけど。しかし福岡の柴崎君には悪いことをした。吉川には私からも言っておいたから。ウチの古株のヤツラはまだまだお行儀がなってないんだ」
徳永はタバコを吸いながら、穏やかな笑みを浮かべていた。
「まあでも、こんなお行儀の悪いメンバーでもなんとかここまでやってこられた。それなりに会社らしくなってきたと思っているんだよ。創業して15年、早かったな」
「社長は現状でそこそこやっていければ良いというお考えですか?」
「いやいや。もっと成長させていかなくてはならないとは思ってますよ。会社というのは社員のみならず、社員の家族にも責任があるからねぇ」
「私も早く成長させたいと思ってるんです。であるから、何度か私も實松さんも増資の件をお願いしているわけでして」
「うんうん。わかってるよ。わかってる」
徳永はタバコをしまって、四方田の目を見ながら話し始めた。
「君の言うように、ベンチャーキャピタルなんかにビジネスモデルをプレゼンして、出資を募るというやり方が最も早いだろうね。だが、誰がプレゼンするんだい?私にはできないよ」
「實松さんではダメですか?それとも社長さえ良ければ私がやっても構いません」
「うんうん。まあ實松も含め、うちのメンバーは世間知らずだからね。君にやってもらう方が良いかもね」
「それでは、私がプレゼンをするということで、話を進めていってもいいですか?」
「まあそう焦りなさんな」
徳永は四方田の望む話題を避けようとしていたが、これ以上避けられないと悟った。これまでは實松や他の創業メンバーを介していたことで、煙に巻くことができていたが、それも限界であろう。だからこそ、四方田は話し合いを申し込んできたわけだ。ここは、社長としての考えを直接伝えねばならない場面であった。
「四方田君はこの先どうなりたいんだね?」
「この先、ですか?」
四方田はすぐに答えられなかった。そして漠然と答えた。
「まあ、この会社と共に成長していきたいっていう感じですかね」
「成長してどうするんだね?」
四方田は聞かれたことのない質問をされてたじろいだ。徳永が続けた。
「君はね、全てを手に入れようとしているんだよ。この会社のすべてを」
「どういう意味ですか?」
「君の主導で増資が上手くいって、売り上げが増えて、会社が大きくなったら、君はどうなる?」
四方田は、徳永が自分に何を言わせたいのか、さっぱりわからなかった。
「君はヒーローになってしまうよ」
「ヒーロー、ですか?」
「そう。私なんかすぐに飲み込んでしまうヒーローにね」
徳永は冷静に語り始めた。
「実は、昨年あたりから創業メンバーの何人かから、君を取締役に昇格させようという話が出ている。もちろん實松もその一人だ。でも私はまだオーケーしていない。反対しているわけじゃないよ。保留しているだけだ。いや、オーケーする踏ん切りがつかないというのが本音かな」
四方田は増資の話から思わぬ方向に展開していることに戸惑いを隠せなかった。
「誤解してほしくないんだが、先ほども言ったように、私は四方田君を高く評価している。君の仕事は自己中心的なところが見られないし、会社のことを第一に考えてやっているんだということもよく伝わっているよ」
「はあ」
「そんな君のことだから、より大きな権限を与えても、会社のことを第一に考えて、より大きな仕事を成し遂げようとするだろう。今回の増資の話のようにね」
「何か問題あるでしょうか?」
「四方田君は何も悪くない。悪くないんだ」
「どういう意味ですか?」
徳永はまた電子タバコを取り出した。
「この会社はねぇ、会社っていうより運命共同体なんだよ」
「運命共同体?」
「だから創業メンバーがほとんど辞めていないだろう?あれはね、会社への愛着とか忠誠心だけじゃない。ここを離れる勇気が無いんだよ。他を探すなんていうことを、考えることすら怖いんだよ」
徳永の、暖かさと冷静さの入り混じった視点に対し、四方田は何も言えなかった。いや、言うべきではないと察知していた。
「この運命共同体に、四方田君を本格的に引き入れるべきかどうか、ということなんだ。この増資の話もね」
「仮に引き込まれた場合、私には拒む理由などありません」
「君には無いことはわかっているよ。君の方には無いだろう。でも残念ながら、こちらにはあるんだなぁ」
「どういう理由ですか?」
「君一人が強すぎるんだよ。君がもし取締役になったら、創業メンバーは皆ひとたまりもないだろう。仕事において、君に勝てるヤツは一人もいない。そしてこの私もね」
「はあ」
「四方田君のように陽の当たる道を歩いたことがないんだよ。我々は。先の見えないけものみちを、みんなで肩を寄せ合って歩いてきたんだよ。この気持ちは残念ながら、四方田君にはわからないだろう。歩いたことがないのだから」
四方田はまた何も言えなかった。いや、言うべきではなかった。
「君が今以上に権限を持って、大きな仕事をすれば、この運命共同体が『会社』になってしまう。そうすると、残念ながらついていけないヤツラが出てくる。創業メンバーの大半もきっとそうだろう。会社のことを考えたら、君のような人に権限を持たせて発展させるべきなんだと思う。でもね、ここは会社じゃないんだ。運命共同体なんだ」
徳永は自身の内にある葛藤をストレートにぶつけてきた。2年前、広島営業所で吉川から言われた言葉を思い出していた。そして徳永の「運命共同体」という言葉の意味を考えさせられた。すぐに整理はできなかったが、徳永が言わんとすることを、これ以上的確に表現する言葉は他に思い当たらなかった。
「私が大きな仕事をすると、運命共同体にとっては好ましくないというわけですか」
「現時点ではそうだ。経営者としては良くない判断だってことはわかっている。でもいま君にすべてを持っていかれるわけにはいかないんだよ。君からすれば、言われのない嫉妬やひがみだろう。そうだよ。君の力や、君の学歴から醸し出す余裕を素直に受け止められない子供の組織なんだ。我々は」
「うーん・・・」
「増資の話は決して反対しているわけではないんだ。現時点でオーケーする度胸が無いだけなんだよ。もう少し考える時間をくれないか。すまない。こんなヘボ社長で」
その日の話し合いは終わった。四方田は、徳永が實松の同席を許さなかった理由がわかったような気がした。