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4)広島営業所にて

ベンチャー企業で営業部長を務める四方田研人は3カ月前に採用した部下・柴崎から退職の意向を聞かされた。理由は先輩社員・吉川との確執であり、学歴コンプレックスが原因であるという。採用もマネジメントも「学歴不問」の姿勢で進めてきたが、顛末の経緯を確認し、社内外の様々な人々との対話を通じて、それは「余裕の産物」であり自身の独り善がりであったことに気づかされていく。そして社内で最も学歴の高い四方田に対し、吉川を始め、四方田を採用した實松など古参の創業メンバーの多くは、複雑な感情を抱いていることを知る。

吉川からようやく連絡があり、四方田は広島へ向かうことになった。


東京から広島へは飛行機で向かうか、新幹線で向かうか毎度悩むのだが、結局飛行機で行くことにした。広島空港は広島市内から遠く離れた東広島の山中にある空港で、アクセスの悪さで有名な地方空港だ。東京からは1時間半ほどのフライトなのだが、空港から広島駅までは高速バスで1時間かけて移動しなければならない。また冬場は山中ゆえに霧が発生しやすく、たびたび欠航することでも有名な空港であった。


 広島駅に着くと、四方田は広島営業所に向かって歩き始めた。事務所は駅から徒歩10分ほどの所に、これまた四方田が探したものだった。基準は福岡の時と同様に「日当たりが良く、トイレがきれいで、駅から近い」であった。広島市内のオフィス街は路面電車で20分ほど広島駅から離れた八丁堀というエリアにあった。従い、広島駅周辺にはオフィスビルが少なかった。四方田は駅周辺にするか、八丁堀にするか悩んだが、所長を務める吉川が「オフィス街は駐車場が高いからイヤだ」「八丁堀は高速道路の入り口が遠い」と言うので、静かで落ち着いた、広島駅の北側にあるオフィスビルに事務所を構えることにした。



事務所のドアを開けると、吉川が一人で机に座り、パソコンの画面を見つめていた。しかしすぐさま吉川の携帯が鳴った。顧客からの問い合わせのようだった。



「あ、四方田さん、お疲れ様です」

「忙しいところ悪いね。吉川さん。少ししたら諸々話しましょうか」



 広島営業所はいつものごとく整然としていた。吉川があまり事務所にいないというのも理由の一つではあったが、吉川の局所的潔癖症とでも言うべき性格が反映されていた。「余計なものを置かなければ部屋が散らかることは無い」という考えから、必要最低限のもの以外は一切置こうとしなかった。観葉植物などもってのほかであった。そして会社の全営業所の中で、広島営業所にだけ土足厳禁というルールがあった。つまり入り口で靴を脱いでスリッパに履き替えなければならなかった。これも吉川の趣向であった。そしてスリッパの横には靴ベラと芳香剤と消臭スプレーがしっかり置いてあった。事務所の中でもニオイのマネジメントだけはどうしても譲れないようだった。


 四方田は柴崎の退職に関することのみならず、柴崎が辞めた後、後任の採用が決まるまでの間、九州地区の顧客をどうするかについても吉川と打ち合わせる必要があった。吉川の電話が終わり、二人は机を挟んで向かい合った。整然とした部屋とは対照的に、吉川のスーツは相変わらずヨレヨレで、寝ぐせも気にする様子はなかった。



「吉川さん、先日福岡に行ってきましたよ。本人に会って話を聞いてきました」

「お騒がせしてすみません。まあ私なりに、彼に良かれと思って指導させていただいたんですが」

「一から仕込んで、さあこれからっていう時に、採用した人が辞めてしまうのは会社としてもやはり損失ではありますね」

「僕は何らかの処分を受けるんでしょうか?」

「いやいや。まずは双方の話を聞いて事実関係をあぶり出さないと」

「柴崎、なんて言ってました?」



 四方田はあえて質問に対し、質問で返してみた。



「なんて言ってたと思います?」

「自分とは合わないとかそういう感じですかね?」

「他に思い当たるフシはないですか?」

「齢が同じなのに、少し上から目線でものを言いすぎたかもしれません」

「学歴の差について、なにかと強調してたみたいですね」



 吉川はふと視線を下に外した。



「はい。仰る通りです。」

「柴崎さんはそれがストレスになったと言ってました」



 四方田は個人的な感情を差しはさまないよう、つとめて冷静に話した。



「まあ、意図的にそうしたと言えばそうしました」

「入社して間もない人が、業務や業界のことについてベテランの吉川さんに適うはずがないですよね?しかも福岡の場合は入社早々に一人所長を務めてもらわねばならない。どうしたって時間はかかります。ここのところは吉川さんも重々ご理解頂けていると思っていたのですが」

「はい。仰る通りです」

「柴崎君の何がそんなに気に入らなかったんですか?」



 吉川は小さくため息をついた。頭の中で言うべきことを整理している様子だった。


「なんとなくウマが合わないなぁとは入社した時から感じてたんですよ。なんか、ノンビリしてるし、数字に対するハングリーさも弱いし」

「確かに吉川さんは計画性も高いし、ハングリーさも素晴らしいと思います。でもそれは一朝一夕でできるようになったわけではないし、もう少し長い目で見て頂きたかったですね」

「すみません」



 吉川の謝罪の言葉には後悔の念が入り混じっていたが、一方で負けん気のようなものも入り混じっているようにも受け取れた。



「柴崎はお客さんへの第一印象が良いんですよ。自分と違って。体育会系ってこんなにモテるもんなのかと。昔野球やってただけなのに」

「嫉妬したということですか?」

「その上,自分と違って大卒だし、奥さんも子供もいて、これでもし営業成績で負けるようなことがあったら、自分っていったい何なんだろうって」



 吉川の負けん気が少しずつ大きくなり、彼の感情の過半数を獲得し始めた。



「僕のような人間は他に行ける会社なんかないんですよ。柴崎や四方田さんとは違うんですよ。こんな気持ちわからないでしょ?わかるわけないんですよ」

「そういった鬱憤を柴崎君にぶつけたということですか?」



 吉川はすぐに返答しなかった。四方田もすぐにはそれを求めなかった。



「吉川さん、貴方に鬱憤が溜まっていたとしても、それを柴崎君にぶつける権利は貴方には無いですよ。この会社は学歴の差異を待遇や職責に反映させていません。だから、学歴云々は脇に置いて、大人の態度で、柴崎君を教育していただきたかったですね」

「ええ、そうですね。四方田さんのおっしゃる通りですよ。すみませんでしたね」



 吉川の表情と態度は、謝罪の言葉とは真逆であった。



「柴崎はね、『自分は絶対人には嫌われない』っていう自信がありすぎるんですよ。なんかそれが鼻について仕方なかったんです。だから自分のこういう追い詰められた気持ちなんか理解できるわけがないんですよ。自分自身を全否定されるかもしれないっていう恐怖、四方田さんは感じたことなんかないでしょう?」



 四方田は吉川の言っている意味がすぐには理解できなかった。吉川は鬱憤をぶつけるきっかけとなったエピソードを語り始めた。



―吉川と柴崎が共にタバコを吸っていた時の会話である―




「吉川さん、なんで大学行かなかったんですか?他にやりたいことでもあったんですか?」

「いいや。単に勉強嫌いだっただけ」

「勉強しなくても大学行ける方法ありますよ。僕なんか付属校で大して勉強もしないでエスカレーターで大学行ったから、ある意味高卒みたいなもんですよ。高校でも大学でも野球しかしてなかったですもん」

「付属校って、そんなに簡単に上に上がれるの?」

「上がれますよ。学校だって生徒数確保して経営していかなきゃいけないですから。上がれなかったら付属校の意味ないでしょ?でも誰でも上がれる保証をすると、今度は誰も勉強しなくなるから学生のクオリティが下がるっていうジレンマ。僕みたいにね。へへへ」



 柴崎は人懐っこい笑顔で話しながら、二本目のタバコに火をつけた。



「まあ世間一般の人からしたら、履歴書にある卒業した大学の名前を見るだけで、どうやって入ったかはどうでもいいんですよ。必死で勉強した人たちには申し訳ないですけど。だから学力的には高卒の人とあまり変わらない気がするんですよねぇ」

「なんか美味しいとこ取りって感じやね」

「そうですかねぇ?へへへ。ちゃっかりしてるってよく言われます。まあでも大学行っといた方が何かとつぶしがききますよ」



 吉川の心中には何とも言えない不快感が芽生えていた。柴崎は特に失礼な発言をしたわけではない。しかし、吉川はこのヤリトリが気になって、数日の間、頭から離れなかった。うまい抜け道を見つけ、特に悪気も無く通り抜けてきた柴崎の運に嫉妬し、そこから生まれる余裕にイライラさせられていた―





 四方田はヤリトリの一連を吉川から聞いた後、話題を変えようと思った。「後任が入るまでの間どうするのか」という話題に移ろうと。しかし、吉川は話題を変えたくないようだった。



「四方田さんは僕らのこと、実は心の中で見下してるでしょ?」

「そんなことないですよ」

「その返答が見下しているんですよ。その余裕の姿勢が」

「そんなことないから、そんなことないというほかない」

「前からいるメンバーのほとんどは四方田さんに対してはコンプレックス感じてますよ」

「コンプレックス?学歴の?」

「四方田さんが入ってきたから、自分たちの学歴の低さを再認識しなくてはいけなくなったんですよ。四方田さんみたいな人がいなかったら、みんなで見ないふりして過ごせていたのに」

「急にそんなことを言われても」

「学歴を脇に置くっていうのは学歴がある人だから言えるセリフなんですよ。僕らには言えないセリフなんですよ。僕らにはそういう余裕が無いんですよ」



 四方田は予想していなかったことを言われて動揺したが、極力感情を表に出さず、コントロールしようと努めた。そうなのだ。自分は何も間違ったことはしていないのだ。しかしそういう泰然自若な態度を取れば取るほど、吉川にとっては、「余裕」をひけらかされているだけであり、イライラが増幅されていくだけなのであった。



「柴崎も四方田さんも、余裕を醸し出しすぎているっていうことに気づけないんですよ」

「じゃあ吉川さんは、柴崎君の後任も大卒だったら同じことをするんですか?」



 吉川は明確な返答をしなかった。



「私は今後の採用活動も学歴不問で、会社に取って必要だと思える人材を採用していくつもりです。實松さんもこの方針は変えないと言っている。しかし吉川さんがあくまでも学歴で線引きする、態度を変えるというのであれば、採用方針ではなく、吉川さんのお立場や職責を変えなくてはならなくなります」



 吉川はこれまでとは違う顔色になった。



「吉川さんのお気持ちが創業メンバーの多くに共通するものなのかもしれない。しかし私は会社に取ってベストな方法を選択していかなくてはならない。学歴云々に振り回されるわけにはいかないんです」



 吉川の負けん気が少しずつしぼみ始めた。



「吉川さんは優秀な方です。安定した営業成績がそれを証明している。社外でも社内でも吉川さんの支持者は多くいる。だからこそ、学歴なんていう小さなことに振り回されないで頂きたいんです。堂々と自信をもって仕事をして頂きたい。そしてどのような人であれ、新しく入ってきた人を暖かい目で迎え入れてあげて欲しいんです」



 吉川はうつむきながら静かに頷いた。



「福岡営業所は当分の間、空席になり、吉川さんに一時的に兼任していただくことになります。私も出張ベースでフォローはしますが、吉川さんが兼任を続けられる限り、中国・四国エリアのお客様と過ごせる時間が相対的に短くなってしまいます。吉川さんを贔屓にしてくださっているお客様たちに申し訳ないとは思いませんか?」



 吉川は再度静かに頷いた。



「配置転換は吉川さんのみならず、私も望んでいません。でも、柴崎君のようなケースが再発される可能性が大きいのであれば、私もそうならないような方法を考えなくてはなりません。吉川さんが時間をかけて作ってきたお客様との関係をゼロにするようなことはしたくないんですよ」

「四方田さん、わかりました。申し訳ありませんでした」



 吉川が今度は本気の謝罪をしていると、四方田の目には映った。


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