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2)上司・實松への報告

ベンチャー企業で営業部長を務める四方田研人は3カ月前に採用した部下・柴崎から退職の意向を聞かされた。理由は先輩社員・吉川との確執であり、学歴コンプレックスが原因であるという。採用もマネジメントも「学歴不問」の姿勢で進めてきたが、顛末の経緯を確認し、社内外の様々な人々との対話を通じて、それは「余裕の産物」であり自身の独り善がりであったことに気づかされていく。そして社内で最も学歴の高い四方田に対し、吉川を始め、四方田を採用した實松など古参の創業メンバーの多くは、複雑な感情を抱いていることを知る。

四方田は翌日東京に戻り、實松に面談の内容を報告した。



「お疲れ様でした。そういう理由ですか。ちょっと予想してなかったなぁ」



 實松は少し驚いた様子で、かけているメガネを中指で押し上げた。



「私もです。吉川君がやや変わっている人ではあるとは思っていましたが、学歴に嫉妬して嫌がらせしていたというのは意外でした」

「柴崎さんも元高校球児でナイスガイって感じだから上手くいくかと思ってたんですけど。やっぱり同い年って、ビミョーにパワーバランスに影響を与えちゃうんですかね。アタマでは年齢なんて関係ないってわかってはいても」

「大手の企業ならともかく、ベンチャー企業ってそういうシガラミから自由なのが魅力だし、ここのところは暗黙の了解かなって思ってました。私もこれまでの採用面接では学歴で差をつけたことは無いですし」

「四方田さんは大手の企業に勤められたご経験を豊富にお持ちなのに、そういうところの感覚がフラットですよね」

「うーん、学歴と職責をリンクさせて、会社が良くなるっていうケースをあまり聞いたことが無いし、いつまでも過去の栄光にすがってる人って、単純に魅力無いじゃないですか」

「確かにそうですけど、でもそれは大手企業で勤めた経験がある四方田さんだからこそ言える、余裕のセリフって感じもしますけど」



 實松は創業メンバーの中心人物の一人であり取締役ではあったが、四方田よりも10歳下であったため、日頃は努めて敬語を使って話していた。そもそも實松が四方田を幹部社員として入社させたのは、経験則だけで経営を進めていくことに限界を感じていたからだった。その限界は實松本人のみならず、創業メンバー全員、ひいては全社員にも言えることだった。合計で40名足らずの社員のほとんどは自社以外の会社で勤務した経験がほとんどない。つまり、自分の会社の仕事のやり方やルールが、世間の一般常識とどれくらいかけ離れているのかを、客観的に見られる人間がいないと感じていた。こういった全社的な視野の狭さを、どう修正して、良い方向に持っていくべきなのか、實松自身も手探りであった。経営コンサルタントを起用するという選択肢もあったが如何せんカネがかかりすぎる。どうせカネをかけるのであれば、経験を積んだ人材を幹部社員として採用し、同じ船に乗って、同じ釜の飯を食って、一緒に会社を発展させていきたいと考えた。そんな時、日本企業も外資系の会社も複数経験し、大手企業で管理職を勤めていた四方田をヘッドハンティングした。未完成の営業部隊を組織し、「世間一般の当たり前」を若い会社にどんどん浸透させていって欲しいとお願いした。


 實松はもう一つ個人的な狙いを持っていた。社会における学歴の価値というものを確認してみたかったのだ。實松は1年間名門私大に通ったものの、その後中退した。将来役に立つのかどうかわからない大学の講義よりも起業することに興味を持ち、現在の会社の創業メンバーの一人となった。幸い会社は成長を続け、自身も取締役となったため、大学中退によるハンデや差別を感じることは結果的には無かったが、自社の社員に物足りなさを感じていた。



「ウチは大手と違って、所詮小さい会社だから」



 社員の間で、こんな理由付けが都合よく免罪符的に使われるケースが増えていた。實松はこれが気に入らなかった。小さい会社だからこそ、大きな会社よりガンバッテもらわなくては困るのだ。他の会社の人と比べて、何だか視野が狭いな、新しいものへのアンテナが鈍いな、ルールや決まりごとにルーズだな、子供じみた振る舞いが多いな、なんか話していても歯ごたえ無いな、刺激が無いな➖この環境のままだとやがては自分も同化してダメになってしまうのではないか、そんな危機感が年々大きくなっていた。原因の一つに学歴というものがあるのではないかと考え始めた。実際、社員の9割は高卒であった。


(アイツらは他の人よりも勉強してないから、そもそものスペックが低いんだ。そして自らを向上させよう、変えようという意識そのものが生まれない土壌になっているんだ)


これが實松の仮説であった。しかし自身の学歴も高卒とほとんど変わらない。どうしたら良いかわからない。具体的な方針を示そうにも引き出しの数が少ない。「ヤケを起こさず大学を卒業しておけば良かった」という思いにも何度か苛まれた。實松は会社のヌルい風土を何とか変えたかった。そんな時、大学院卒の四方田と一緒に仕事をしてみたら、学歴の価値とはいったい何なのか、自身の中退という選択は正しかったのか間違っていたのか、答えが見えてくるかもしれないと思ったのだった。



「四方田さんから見て、ウチの社員の学歴の低さがパフォーマンスに表れているような部分を感じることってありますか?」



 實松は良い機会だと思い、四方田の意見を聞いてみたかった。四方田は日頃、自身についてはもちろん、他の社員についても学歴の話題は一切持ち出さなかったからだ。



「報告書のクオリティとかは確かに感じることはありますね。なんとなく大卒の人の方が言葉遣いもロジックも上手くまとまっているというか。でも書類作成で大切なのは、如何に読み手の立場に立って書くかということだと思いますから、ここの意識の高さと学歴とは関係ないかなって思いますね」

「対顧客という点においてどうですか?」

「特に感じないですね。ただ強いて言うなら、、、自分のやり方に固執することが多いというか、新たな知識を吸収することに対して億劫というか、アタマ動かす前にとりあえずカラダ動かせみたいな、ガテン系なノリが強いと言えば強いとは感じますね。悪いことばかりじゃないんですけど」

「そうなんですよねぇ。こう、生産性を改善していこうとか、計画的に仕事を進めようとか、そういう点が弱いというか、そもそも取り組んだり、学んだりする姿勢自体が無いんですよね。気概が生まれる気配すらないんです」

「でもそれって、大卒の社員を増やしたら劇的に改善するかどうかっていうのは疑問ですよ。もし何なら今後の営業職の採用は大卒に限定するっていう形もできますけど」



 實松は四方田の意見を聞いて意外に思った。もっと上から目線のコメントが出るのだろうと予想していたからだ。



「なんていうのかなぁ。アンテナの感度が大卒の社員の方が鋭い感じがするんですよねぇ。すぐに役に立たなさそうなことでも何かしら勉強してきた人っていうのは、なんか脳ミソの基礎体力が違うっていうか」

「そうかなぁ、、、高卒の方でも『優秀だな』と思える人、たくさん面接してきましたけどねぇ。だから私は学歴というのはそんなに重要な、優劣を分けるフィルターだとは考えてないですね。チラ見するくらいかな。基本は募集要項に合致するかしないか、社風に合うか、相手の立場に立ってものを考えられるかどうかを判断基準にしてますから。この基準に試験の点数とか偏差値とかっていうのはあまり関係ないでしょ」



 とことんフラットな四方田のコメントを聞いて、實松には朧げながら一つの答えが見えてきた。フラットなモノの見方ができる素地こそが学歴の価値なのだと。様々な試験を突破し、様々なものを学び、見てきたからこそのバランス感覚なのだと。實松が四方田をヘッドハンティングしようと思ったのは、他の社員には無い、この余裕のオーラの正体を突き止めたかったからなのではないか。四方田が有しているであろう、数ある引き出しの中には、まだ自分が見たことのない何かが潜んでいるのではないか。それを一つでも多く見て盗むことができたら。實松は二年越しに、自身の意思決定の根拠を整理して把握できた気がした。



 一方、四方田は、實松が柴崎をどのような人材として評価しているのかを聞いてみたかった。さすがに現時点で柴崎を引き止めるのは難しいとしても、後任の採用にあたり、体育会系だとか大卒だとかそういう表向きの話だけでは決められないと思ったからだった。



「實松さんから見て、柴崎君の印象はどんな感じですか?實松さんからすると、貴重な大卒の人材だったわけですが」

「はい。四方田さんに似たような余裕は感じてましたね。ウチの会社にあまりいないタイプで。面接でも堂々としてたし、野球部のシゴキに耐えてきた人なら、ウチの仕事くらいなんてことないでしょみたいな。お客様からの評判も概ね良好だし、四方田さんも仰る通り、書類作成もキッチリしてる。特に大きな欠点が見当たらなかっただけに残念だなと」

「そうですね。総合的なバランスという意味では申し分の無い人だなと。同じような人は簡単には見つからないと思いますから、後任の採用まで時間はかかるでしょうね」



「一つ気になるとすれば、、」


 實松は少し間をおいて続けた。



「なんかお育ちが良すぎるというか素直すぎるというか。経済的な話をしているんではなくて、ウチの社員のような、お行儀の悪い人達と上手く付き合っていけるのかなという懸念は少しありました。世の中には色んな人がいて、付き合いやすい人もいればそうでない人もいる。なんかこう、清濁併せ飲めるのかな?この人はって感じ。伝わってますか?」

「なるほど。ニュアンスわかります。確かにそういう面はあるかもですね。メンタルタフネスというか」

「そうです。やっぱ野球の練習と同じようにはいかないもんなんですかね?」



 四方田は採用面接をする立場になって、いわゆる「体育会系」と呼ばれる候補者には一定の注意を払っていた。一般的に多くの企業において、高校または大学で学生時代に「本格的にスポーツに打ち込んでました!」というスポーツ歴は、採用面接でも好意的に受け取られるケースが多い。採用する側から見て、トレーニングに培われた頑健な身体を持ち、厳しい上下関係の中で揉まれた根性と規律性を備えた人物は、他の候補者と比較した時、明確なブレイクポイントとなる。また社内での説明にも最適なブレイクポイントとなった。成功した経営者がメディアからのインタビュー等で「学生時代は体育会に所属していました」などと答えるケースが見られるのも背景にあるのだろう。しかし四方田はこのような「定説」に対して懐疑的であった。自身にもマラソンに打ち込んでいた学生時代があるからこそ、「体育会系」を前面に押し出してくる候補者については注意を払っていた。


 そもそも、「運動能力が高いか低いか」ということと、「会社の業務に求められることを満たせるかどうか」は全く別のことである。また四方田は、そのような候補者達の返事や受け答えについても注意深く観察した上で、一つの仮説を持っていた。



(彼らの歯切れ良すぎる返事は、こちらの意図を本当に理解しているからではない。「歯切れ良い返事をする、体育会系な自分自身が好き」だからではないか?)



 またそのような候補者の多くは自身のスポーツ歴に自信をもっており、とにかく元気がいい、やたら声が大きい、笑顔が人懐っこいというパターンが多く、第一印象としては申し分ない。しかし、時折その自信が過剰になるきらいがあり、「つらいトレーニングをくぐり抜けた私が、御社の業務に適応できないはずがない」という気合や勢いをより前面に出してくる傾向があった。四方田の視点は単純明快であった。サッカーの上手い選手が、ゴルフも上手いとは限らないのである。


 四方田は採用の際、面接に加えて簡単な採用試験として、作文を課すことにしていた。例えば「営業活動において貴方が大切にしているもの」というテーマを与え、30分程度で考えをまとめてもらう。この時、よくある答えは「顧客と早く仲良くなること」「顧客の元に足しげく通うこと」「顧客のニーズを探ること」などだが、四方田が注目しているのは答えの内容では無かった。四方田が注目していたのは「読み手を意識した文章なのかどうか」であった。この判断基準に照らすと、学歴やスポーツ歴は所詮参考情報に過ぎなかった。例え名門の大学を卒業していても、独りよがりな文章を書いて提出してくる候補者は容赦なく採用を見送った。ベンチャー企業において、営業職の採用試験という場面で、採用の可否を下す人に対して、自分の文章を読んでもらう。ただこれだけの前提と文脈を把握することなく、「元気と根性だけは人一倍あります」とか「フットワークの軽さが自慢です」とか「誰とでもすぐ仲良くなれます」という通り一遍の答えは、四方田からすれば「読み手を意識していない」と断じるほかなかった。ちなみに柴崎の答えは「これまでは会社の看板や知名度に助けられる形で営業活動を行ってきましたが、ベンチャー企業では自分という看板だけで勝負してみたいです」というもので、しっかり文脈を意識したものだったから、四方田は採用を後押しした。柴崎が元高校球児であるということをあまり前面に押し出してこなかったことも好印象であった。



「後任の採用活動も大切なんですが、吉川さんに話を聞くことは絶対に必要でしょうね。会社としては同じことの繰り返しは避けたいし」



實松も四方田と同様に事実確認をしっかり行うべきだと考えていた。



「私も同じ考えです。ご存知の通り吉川さんはスケジュールをびっしり埋めてから動く人ですので、なかなか都合が合わなくて。近いうちに広島営業所に行って、一対一で話す時間を作るつもりです」



四方田は自身のスケジュールと吉川のスケジュールを細かく突き合わせながら、いくつかの候補日程を探していた。

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