3話 もういないじゃない
「ねぇねぇあの噂知ってる?」
「知ってる知ってる」
「えっ知らない。なんの噂?」
「新しい教師が勇者アレンなんだって。しかも今日来るみたいだよ」
「マジ!? 本物の勇者に会えるの!?」
オルトラール魔術学校の施設にある魔術訓練場。
そこには授業を受ける為、多くの生徒達が集まっていた。まだ教師がやってきていないので各々談話をしているのだが、その話題は新しい教師についてだった。
既に校長が勇者アレンを連れてきたという噂が出回っており、何でも今回の授業でお披露目なんだとか。
魔王を討ち倒し世界を救った英雄に会えると生徒達は色めき立っている。
「勇者様に会えるんだ……私の憧れであり、目標」
生徒達に混じっているのは、【五人の魔女】の一人であるステラだった。彼女も生徒の一人なのだから授業を受けても全く問題ないのだが、普段授業に出ていないステラが居るのは珍しい為、他の生徒達は遠巻きに彼女を窺っている。
いや、この場にいるのはステラだけではなかった。
パティは訓練場の端にある木陰に座り、本を開いて壁に寄りかかっている。
目立たないように集団から少し離れた場所にゼノビアとセシルの二人が一緒に居て、レオナは壁の上に寝転がりながら「まだかよ……」と欠伸をしていた。
【五人の魔女】の全員が一堂に会していた。
そんな大注目の中、ついに二人の男女が訓練場に入ってきた。女性は校長のクリスティーナで、男は見るに堪えない見た目をしたおっさんだった。
「誰あのおっさん……」
「おいおいやべ~のが来ちまったぞ」
「なんか臭そう」
見知らぬおっさんの登場に生徒達がひそひそと騒つく中、クリスティーナとおっさんが彼等の前に立つ。
そしてクリスティーナは、怪訝そうな生徒達を見渡しながら口を開いた。
「え~、もう噂が広まっているみたいだけど、今日から特別教師として彼に実践訓練と実践講義を担当してもらうことになったわ。そして彼はなんと、あの勇者アレンです」
「ど~も~、元勇者で~す」
「「……えっ?」」
バーン! とクリスティーナが紹介し、おっさんもといアレンが適当に自己紹介を行う。それを見聞きしていた生徒達は目が点になり、唖然としてしまう。
「ゆ、勇者……?」
「聞き間違いか? 今校長あのおっさんのこと勇者って言わなかったか?」
「言った……けど、冗談だろ?」
騒然とする生徒達。
子供達が困惑するのも無理はないだろう。魔王を倒した十年前のアレンは勇者に相応しい精悍な青年だったと聞き及んでいる。
女性からキャーキャー言われるほどのイケメンで、まぁそれが原因となって不埒な行為をしでかしてしまったのだが、それだけカッコ良かったということだろう。
それが何だ。あの汚らしいおっさんが勇者アレンだと?
使い古されたサンダルに、ダルダルのズボン、ヨレヨレのシャツという浮浪者のような格好。さらに髪はボサボサで、弛んだ顎肉。
ふわぁ~あ、と大きな欠伸をしながらポリポリとビールっ腹を掻く汚らしいおっさんが、世界を救ったあの勇者アレンなんて信じられるはずがない。いや、信じたくなかった。
「あの~校長、本当にそのおっさ……その人があの勇者アレンなんですか?」
「あなた達が困惑するのも無理ないわね、イメージと全然違うでしょうから。でも残念ながら、彼があの勇者アレンよ。共に魔王を倒した仲間の私が保証するわ」
「マジかよ……」
「ええ~私勇者様に憧れてたのに~」
「勇者様ってもっとシュッとしていてイケメンだったよね……誰よこの人」
「勇者様も十年経てばただのおっさんか……なんか幻滅だわ」
クリスティーナの口からアレンが本物であると聞かされた生徒達は、分かりやすく落ち込んでしまう。当時幼かった彼等にとって、強くてかっこいい勇者像を描いていたのだろう。それが十年後にはおっさんになっているのだから、幻滅するのも仕方ない。
(嘘でしょ……そんなはずない! あんな男が勇者様なはずがない!)
ステラもまた、変わり果てた勇者の姿に酷く幻滅していた。
実物を見たことがある彼女にとって、今のアレンは到底受け入れ難いものだった。
「ざっけんなよ!!」
「……」
「あの人がかの勇者アレン……様ですか」
「堕落した人間の姿だ。所詮勇者も人の子だった、ということだな」
レオナは怒り狂い、パティは眉間に皺を寄せ、セシルは驚き、ゼノビアは落胆したようにため息を吐く。
彼女達もステラ同様、十年前のアレンを知っているからこそ変わり果てた今とのギャップに落胆してしまっていた。
アレンのせいで気持ちが萎えている生徒達の空気を変えようと、クリスティーナがパンッと手を叩く。
「み、見た目はこんなのになっちゃったけど、実力は折り紙つきよ! なんてたってあの魔王を倒した勇者なんだから!」
「こんなのって酷くない?」
どうにかフォローしようとするのが見ていて痛々しい。
が、クリスティーナの言う事も尤もだ。腐っても魔王を倒した勇者だ。見た目は変わったとしても、特別教師に相応しい力を有しているだろう。
【五人の魔女】の天狗の鼻を折ってくれるはずと期待してしまう。
「じゃあ早速授業にしましょうか。そうね、肩慣らしに模擬戦なんてどうかしら。誰か、勇者と戦ってみたいって人はいない?」
「はい」
「ステラか……」
「早速【五人の魔女】のお出ましか。これは見ものだね」
クリスティーナが生徒達に呼びかけると、集団の中から大きく手を上げるステラがいた。皆が彼女に注目する中、クリスティーナは胸中でほく笑む。
(さっそく来たわね! でも、これは願ってもないチャンスだわ!)
【五人の魔女】のステラを最初に叩いておけば、学校の空気を変える最高の出だしとなる。
勿論それはアレンが勝つことが大前提だが、そこは余り心配していない。やる時はやる男だと知っているからだ。
「ええ、いいわよ。ではこれより、アレン先生とステラによる模擬戦を始めるわ。皆邪魔にならないよう離れて。それとアレン、容赦しなくていいからね。力の差を思い知らせてやりなさい」
「お、おう……任せとけって(まっ、余裕だろ)」
ポンと肩を叩いてくるクリスティーナに、アレンは軽々と返す。
十年間実戦から離れていたが、これでも元勇者だ。あんな子供に遅れを取るなんてことはまぁあり得ない。
少し距離を取ってアレンとステラが対峙し、邪魔にならないよう生徒達が離れて観戦する。ステラが腰元の鞘から抜剣して構えると、アレンは模擬刀でトントンと肩を叩きながら、
「どっからでもかかっこ~い」
「……その前に、どうして魔鎧を纏わないの? そのままじゃ怪我するわよ」
「まぎす? 何だそりゃ」
「魔力を鎧のように纏う防御術よ!」
「んなもん知るかよ。大体俺は魔力持ちじゃねーしな」
「「ええええ!?」」
「何ですって……」
当たり前のように魔力を有していないと発言するアレンに、生徒達が動揺する。
「マジか、勇者って魔力ないのかよ」
「信じられねぇ、よくそれで魔王に勝ったよな」
魔術師である生徒達にとって魔力を有しているのは当たり前のことだった。
魔力が有るのと無いのとでは力の差にハッキリとした優劣ができる。その差を埋めるのは至極困難だろう。だから勇者が魔力持ちではないと聞き、生徒達は動揺しているのだ。
「魔力があろうがなかろうが関係ねーだろ。ほら、さっさと来いよ」
「……いいわ。そっちがその気なら私はもう何も言わない」
(頼むわよ~アレン~。調子に乗ってる子供に世間の広さを教えてやりなさい)
ちょいちょいと手を振りながら誘ってくるアレンに、ステラは静かに剣を構える。クリスティーナは胸中でアレンを応援しながら、二人の戦いを見守っていた。
そしてついに模擬戦が始まる。
「――っ!」
ステラは地を蹴り、疾風の如く駆け抜けアレンとの間合いを潰す。
「はっ!」
ステラが放った一切手加減の無い鋭い斬撃に対し、アレンは冷静に軌道を見極め模擬刀で防御する――。
「ぐわぁぁあああああああああ!!」
――ことはできず真正面からモロに喰らい、絶叫を上げながら勢いよく吹っ飛ばされてしまった。しかも地面に頭がめり込み、ズボンがズレて半ケツが飛び出てしまっている。身体がピクンピクンと震えているのが一層滑稽だ。
「「……」」
一瞬で決着がついてしまった二人の戦い眺めていた者達は唖然とするが、すぐに爆笑の渦が巻き起こった。
「「あはははははは!!」」
「マジかよ! 勇者弱ぇ!」
「おい見てみろよ、半ケツが出てるぞ!」
「半ケツ勇者だ!」
「あれならステラさんじゃなくても私だって勝てるわ!」
「ザッコ! あんだけ調子良いこと言ってたのに瞬殺じゃん」
歳の差が一回りも違う子供達に馬鹿にされ、笑われる半ケツ勇者。
なんとも情けない仲間の姿にクリスティーナは天を仰いだ。
「ちっ……カスがよ」
「時間の無駄だったの」
「少々ガッカリですわね……」
「ああ……我々が抱いていた英雄は幻想に過ぎなかった。なれば、幻想のままで居て欲しかったがな」
一連の光景を眺めていたレオナは苛立ちを露にし、壁から飛び降りて去って行く。パティも本を閉じて立ち上がり、訓練場を去って行った。
残念そうに頬に手を当てているセシルと、つまなそうに吐き捨てるゼノビアは踵を返した。
「……いないじゃない」
【五人の魔女】の四人が姿を消す中、ステラは未だに半ケツのまま埋まっているアレンを悲しそうな眼差しで見つめ、ぐっと奥歯を噛み締めながら呟いた。
「私の知っている強くてかっこいい勇者様は……もういないじゃない」