1話 元勇者は教師になる
「フハハハハハ! よくぞここまで辿り着いた、勇者一行よ!」
「こいつが……魔王!」
人間と魔族は長い間争い続けていた。
人間界を侵略せんと猛威を振るってくる魔族に対し、人間達はずっと守っていたばかりだったが、この状況を打破せんとついに自ら攻める決意を下す。
人類代表の勇者、そして勇者と共に戦う三人の若き精鋭達。
人類の命運は勇者一行の四人に託されたのだ。彼等は幾度も屈強な魔族達と戦い、血で濡れる戦場を渡り歩き、数年の年月をかけて魔族の本拠地である魔界に侵入することに成功する。
そしてついに魔王城に辿り着き、魔族を束ねる王――魔王との最後の戦いに望むのであった。
「皆、絶対勝つぞ!」
「当たり前だ」
「さっさと倒して、故郷に帰りましょ」
「これで最後だ」
「かかってこい! この魔王城を貴様等の墓場にしてくれよう!」
勇者一行と魔王による最終決戦。
全てをかけた死闘の行方は、最後に勇者が放った斬撃が魔王の心臓を貫いたことで終結する。
勇者一行は悲願の魔王討伐を果たし、人類に平和をもたらした英雄となったのだった。
~~十年後~~
「よっしゃぁ! また俺の勝ちぃ!」
「くっそ、またアレンの一人勝ちかよ!」
「負けた~! ちきしょうやってらんね~ぜ!」
とある国の、とある酒場で。
四人のむさい男達が酒を片手にギャンブルに興じていた。
その四人の中でも一際むさい男。
ダボダボのズボンとヨレヨレのシャツを身に纏い、ボサボサの髪に無造作に生えた顎鬚。軽いビールっ腹が目立つニートのような身だしなみの残念な男。
何を隠そうこの男こそが、十年前に魔王を討ち倒した勇者アレンその人だった。
十年前の彼を知っている者ならば「そんな馬鹿な、何かの冗談」だと笑い飛ばすだろう。
勇者アレンは精悍な青年で、鍛錬に磨き上げられた屈強な肉体を持ち、生気に満ちていた。
そんな勇者アレンが、死んだ魚のように腐った目をしており、ダルダルに緩んだ身体で、どこにでもいそうなおっさんである筈がないと。
しかし残念ながら、彼は正真正銘勇者アレンだった。
しかも元勇者は、外見だけではなく中身も腐り切っている。宿代と飯代は全てツケにしてもらい、毎日働きもせず寝るか酒場で酒を飲み、ギャンブルばっかりしているクズニートであった。
「へっへっへ、今日の俺はツイてるぜ」
そんなクズニートのアレンは、テーブルの中心に置かれている貨幣をジャラジャラと引き寄せる。
この金でツケを払うなんてことはなく、すぐに今日か明日の酒代に消えてしまうだろう。
「さ~てと、今日はこれで終いかな」
「ちょっと待って、私も入れてもう一回しない?」
「あん?」
調子良く勝ってホクホク顔のアレンが勝ち逃げしようと席を立とうとした直後、突然見知らぬ女性に声をかけられる。
「んだよ……」と機嫌悪そうに声をかけた女性の顔を目にした瞬間、アレンは息を呑んだ。
「――っ!? お、お前……」
「やっと見つけたわよアレン。こんなところに居たのね、捜したんだから」
そう気軽に言ってくる妖艶な美女。
紅色の長髪は波打っていて、整った顔立ちは化粧が施されて大人びている。大きな胸によって張られている黒い衣服からは谷間が見えていて、より一層艶やかだ。
そんな美女の名前はクリスティーナ。
十年前勇者と共に魔王を討伐した魔術師で、勇者一行の一人だった。
「お~姉ちゃん、偉いべっぴんだな」
「丁度いいや。なぁ姉ちゃん、ちょっと俺達に酌ってくれよ」
「あっ?」
「……あっ、俺ちょっと用事思い出したわ」
「お、俺も……」
クリスティーナに睨まれた男達は、目を逸らしながらそそくさと席を立って逃げ去る。空いた席に座って足を組むクリスティーナを、アレンは(相変わらずおっかね~なこの女……)と胸中でぼやいた。
「久しぶりね、アレン」
「アレン? そんな奴は知らねぇな~。人違いじゃないか」
目を泳がせながら適当なことを言うアレンに、クリスティーナは眉間に皺を寄せながらも恐い笑みを浮かべ、
「ふざけてるとぶっ殺すわよ」
「はい……しゅいません」
この女は冗談を言わない。ぶっ殺すと言ったらぶっ殺すだろう。それを知っているアレンは潔く謝り、勇者アレンであることをあっさり認めた。
「はぁ~~~、何年ぶりだ?」
「さぁ、十年ぶりぐらいかしら」
「十年か……時が経つのは早ぇもんだ。それはそれとして、よく俺が分かったな」
緩みきった身体を見せるように手を広げるアレン。
好青年だった十年前と比べて、今のアレンはクズニート化したおっさんの姿に変わり果ててしまった。久しぶりに再会した者が一目でアレンであると見抜けることはまず不可能だろう。
なのに何故、彼女はこのおっさんがアレンだと分かったのか。その問いに、元仲間だったクリスティーナはため息を吐きながら答える。
「馬鹿ね、私があんたの顔を忘れる訳ないでしょ。まぁ確かに、髪はボサボサで、弛んでる顎肉からは似合わない髭なんか生やしちゃってるし、十年前とは見る影もないけどね」
「うっせぇ、ほっとけよ」
けっ、とそっぽを向くアレン。だが内心では、自分だと分かってくれてちょっとだけ嬉しくもあった。
「んでクリス、わざわざこんな所まで俺を探しに来て何の用だよ? 十年ぶりに仲間の顔を見たくなった……とかでもね~んだろ?」
「ええ、そうね。実はあんたに用事があって会いに来たの。見つけるのに苦労したわ」
「そこは嘘でも会いに来たって言ってくれると嬉しいんだが……まぁいいや、いったい何の用だよ」
「単刀直入に言うけど、あんたに教師をやってもらいたいの」
「きょ、教師だぁ?」
驚愕するアレン。
十年ぶりに会って何を言うのかと思えば、この自分に教師をやって欲しいときた。うげ~と舌を出して明らかに嫌そうな態度を取るアレンに、クリスティーナはパチンと鳴れたウインクする。
「ねっ、いいでしょ?」
「お断りだ。どうして俺がそんなくっだらねぇことしなくちゃいけないんだよ。俺は絶対にやらねぇぞ。さぁ帰った帰った」
「そんな事言わずに話だけでも聞きなさいよ。私も一年前にね――」
(おい、続けんなよ……)
断ったにも関わらず喋り続けている元仲間に胸中でため息を吐いている間にも、クリスティーナは口を動かし続ける。
「魔術学校の校長になったんだけど、ちょっと問題を抱えてるのよ」
「へ~校長ね~。お前そんな面倒なこと引き受ける奴だっけ?」
「成り行きで仕方なかったのよ。私だって乗り気じゃなかったわ」
「さいですか。んで、その抱えている問題とやらは何なんだ?」
興味なさそうに頬杖をつきながら聞くアレンに、学校の校長になったというクリスティーナはこう答える。
「【五人の魔女】っていう厄介な問題児が五人いるのよ」
「ぶふっ! 何だそりゃ、ダッセェ呼び名だな」
「一々茶化さない。五人共女の子なんだけど、その子達は教師が手に負えないほど強くて才能にも恵まれていて、学校を牛耳ってる感じなのよ」
「ほ~ん、番長みたいなもんか。まぁ俺は学校なんて行ったことねぇから分からねぇけど」
「似たようなものね。牛耳っているというのは言葉の綾で、実際は他の生徒達が勝手に脅えている。【五人の魔女】って呼び名をつけたのも彼女達自身ではなくて、他の生徒達が畏怖を込めてそう呼ぶようになったらしいわ」
「ほ~ん、それで?」
小指でホジホジしていた耳垢をふっと吹き飛ばしながら問うアレンに、クリスティーナは悩ましそうに腕を組むと、
「今学校が抱えている問題は二つ。今のままじゃ調子に乗っている彼女達が腐ってしまう。私から見ても類まれな才気溢れる彼女達をこのまま野放しにしておくのは凄くもったない。そして彼女達が作り出す学校の悪しき雰囲気を変えたい。この問題を一気に解決する手段は一つ、彼女達の天狗になっている鼻をへし折ることよ」
「んだよ、最初から分かってんじゃねぇか。お前がそのなんちゃらって舐め腐ったガキ共をぶっ飛ばせばいいだけだろ。はい、この話お終い」
「勝手に終わらせないで。勿論それは考えたけど、私じゃ駄目なのよ」
「あん? どこが駄目なんだよ。まさかお前よりも強ぇってんじゃねーだろうな」
怪訝そうな眼差しを送ってくるアレンに、クリスティーナは「まさか」と笑い飛ばす。
「現役でないとはいえ、子供に打ち負かされるほど潜ってきた修羅場の数は少なくないわ。それはあんたも分かるでしょ」
「そらそうだ」
「私じゃ駄目な理由は、校長である私が生徒に手を出すのはマズいってことと、私が女だってこと」
「んん? 前者は分からなくもないが、女が駄目って理由は全くもって意味不明なんだが」
「【五人の魔女】に脅えている生徒は特に男子なのよ。彼女達がいる限り女性徒の立場が強くて、男子は立場が弱く卑屈になっている。そんな状況下で私が打ち負かしても雰囲気が変わるとは思えないわ。かといって、学校の教師にも生徒の中にも彼女達に勝てる者は居ない」
「ほ~ん、それで白羽の矢が立ったのが俺ってことか」
「ええ、私が知っている限り勇者アレンより強い男はこの世に居ないわ。だからお願いよ、教師になるのを引き受けてくれないかしら。仲間を助けると思って」
この通り! と手を叩いてお願いしてくるクリスティーナに、アレンは笑顔で告げる。
「嫌だね」
「なっ……何でよ!?」
「俺が教師になるのが無理な理由が三つ。その一つは単に面倒だからだ。誰がすき好んでガキ共の面倒を見なきゃならん」
「それは分かってるけど、後進を育てるのも私達の役目でしょ? これから敵と戦っていく子供達を、死なせないように少しでも強くさせようとは思わないの?」
「敵って……“誰だよ”」
「……」
熱が入ったのかガンッと机を叩きながら言ってくるクリスティーナにアレンが小声で返す。切なそうなアレンの表情を見た彼女は、何も言うことができなかった。
「問題その二。俺は王都を追放されて出禁になっている」
「あ~、そういえばそうだったわね。王女様を蔑ろにしたんだったわこのクズ」
――そう、実はこの勇者、王都から追放されてしまったのだ。
魔王を討ち倒して世界に平和をもたらしたアレンは、その栄誉を称え第一王女との婚約が結ばれることになった。
そのままいけば王女と結婚していつかは王様にも成れるはずだったにも関わらず、このクズ勇者は調子に乗って女遊びをしまくった。
それも仕方なかったのかもしれない。
世界を救った英雄で、王都の中心地にドンッと自分の銅像も建てられた。モテにモテ、目目麗しい女性たちからもてはやされれば調子にも乗るだろう。毎晩女性を両脇に抱えながら高級酒を飲み、がっはっは! と豪遊しまくっていた。
それが国王にバレてしまい、王女との婚約は白紙。
王城から追放され、王都も出禁にされてしまったのだ。
ぶっちゃけ、死刑にならず出禁で済んだのが奇跡だ。そこはまぁ、世界を救った勇者としての功績による温情で見逃してもらったのかもしれないが。
「本当に馬鹿やったわよね。真面目だったあんたが酒と女に溺れるなんて思いもしなかったわ……」
「まっ、俺も若かったってことだ。はっはっは!」
「笑いごとじゃないわよバカ。でもその件なら問題ないわ。学校は王都じゃなく、王国の最北端にあるからバレないわ」
ニコッと笑顔を浮かべながら言ってくるクリスティーナに対し、アレンは慌てて三つ目の理由を話す。
「実は俺色んな所に借金……じゃなくてツケをしてもらっていてな、返さずにトンズラするのは流石に元勇者としても気が引けるというか……」
「なら返せばいいじゃない」
至極当然のことを告げてくる彼女に、情けないクズは「いや~」と頭を掻きながら、
「返す金が全くね~んだなこれが、はっはっは」
「あんた本当にどうしようもないクズになったのね……。その格好からして、ろくに働きもせず酒飲んでばっかなんでしょ? あの勇者アレンが今じゃクズニートに転落してるとは、情けないったらありゃしないわ」
「いや~、全くもっておっしゃる通りです」
「肯定するなアホ。煽ってるんだから少しぐらい怒ったらどうなのよ」
「そんなプライドはもうこれっぽっちもありません」
今日一番の笑顔で告げるアレンに、クリスティーナは心底呆れた風にため息を吐くと、
「分かったわ。私がそのツケ全部肩代わりする。その変わり教師を引き受けなさい」
「えっ!? いや、別にそんな事してくれなくていいっつうか……教師なんてやりたかねぇし」
「おい皆、聞いたか!? アレンがついにツケを払うってよ!」
「「何だって!?」」
「こうしちゃいられねぇ、町中の皆に伝えてくるぜ!」
「えっ!? 何事!?」
「あっちゃ~」
アレンとクリスティーナの会話を盗み聞きしていたのだろう。アレンがツケを払うことがあっという間に広がり、わざわざ報せに行った者までいる。次々と人がやってきて、二人のテーブルに今までツケていた分の用紙が置かれていく。
大量に積み重ねられた借金用紙を見たクリスティーナは目を見開いた。
「「はい、これ全部キッチリ払ってね!!」」
「嘘でしょ!? こんなに借金あるの!? ていうか、ここまでツケてくれていたこの人達も甘過ぎるでしょ! どんだけお人好しなのよ!」
「なっ? 流石のお前でも払う気にならね~だろ。ここは大人しく帰った方が身のためだぜ」
へらへらと笑うアレンに、クリスティーナはダンッとテーブルを強く叩いて、
「あ~もう分かったわよ! キッチリカッチリ全部払うわよ!」
「「お~~~~!!」」
「マジ!?」
「その変わり、あんたには学校に来て教師をしてもらうわ。面倒だとか言わせないから、いいわね!」
ビシッと指を差してくるクリスティーナに根負けしたアレンは、「うそ~ん」と肩をガックリさせたのだった。