船
男は大きな大きな船を拵えた。少し離れて見ても目の端をゆうに超えていく、見る者にある種おそれを抱かせるほどである。絶対に沈まないだろう。只、夕顔のふくべを細く切って乾かしたような男だ、一人の力では帆を張ることも錨をあげることも到底無理な話である。たとえそれが叶ったとしてこの男には船を進める術がない。一切、無教育な男である。 見渡す限り何も無い土地、水上が天道から降りる光をちらちらと男の睫にむかわせる。鬱陶しい。じっと、膝の小僧に浮いて出てきたシミのようなものを眺めては隙に無駄を盛り附けているようであった。やっと男は空虚を背に歩き始めた。
近頃栄えていると聞いた村へ来た。例に違いしんと静まり返っている。どうやら風土病が流行っているらしい。死は必至だという。逃れようにもこの辺りに他に村は無く、村民全員を移せるだけの足は無い。男は船を思い出した。これを男は伝えて回る。人々は男の話を聞くと一頻りに喜びすぐさま身支度を始めた。
男は自慢の船まで先導した。病の証の斑点を持つものは置いてきたようだ。なんと惨い、と思ったが次第に仕様がないことであるなと男は簡単に腑に落とせた。症状が進むと幻覚を見るとか、確かに船の中で騒がれたらたまったものじゃない。男は道中村民らによって崇められ奉られ男の自尊心は天に届いた。人々も男が神やら仏やらと同列、いやそれ以上の位と考えていたに違いない。まあ彼奴等は何を捧げ何を祈ろうと纏う衣の端すら見せようとはしないのだから仕様のないことであろう。そんなものなのだ。
そんなものなのだ⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯。
船の在処に着いた。
⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯⎯船など在りはしなかった。
ありがとうございました。