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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ずっと守ってくれていたお姉ちゃんが引きこもってしまったから、今度は私がお姉ちゃんを救いたい

「行ってきます」


 それだけ告げて、私は外の世界に出る。青い空に白い雲が浮かんでいる。常緑樹たちが冬らしくもない色で、風に吹かれて揺れている。ゴミひとつとして落ちていない肌寒い町に、私は足を踏み出した。


 制服姿の集団が登校していく。それについていくようにして歩くと、学校についた。昇降口を通って、教室に向かう。そこに入った途端、空気が変わる。みんなが私を睨みつけているような気がするのだ。


 私はうつむいたまま自分の席に着いた。


 学校において私は「姉に恋愛感情を抱き、実際に姉と付き合っていた異常者」。そして「姉妹の恋愛に向けられるからかい混じりの悪意を脅しで無理やり解決しようとした姉の妹」。


 もちろん、脅しなんて嘘だ。ただ目の前で目撃した光景をそのまま伝えれば到底信じてもらえないから、そういう言葉を使っただけなのだろう。というのもお姉ちゃんは人の悪意を消すことができる。お姉ちゃんが言うには「心の剣」で消せるらしい。


 到底信じられない話だけど、実際お姉ちゃんが悪意を「心の剣」で消す瞬間を目撃した生徒がいるのだ。人の影のような姿をした「悪意」が消えた瞬間、私とお姉ちゃんの恋愛に不快感を覚えていた生徒が、すっかりそのことを忘れたらしい。


 でも人から悪意を消し去るための方法として学校中に伝わったのは、そんな「心の剣」なんて誰にも信じてもらえないだろうファンタジーな方法ではなくて、もっと信憑性の高いバイオレンスな「脅し」の二文字。だから当然、なおさら反感を買うわけで。


 私とお姉ちゃんはもう嫌というほど、いじめられた。それはもう、これまでずっとみんなの悪意を消して私を守ってくれていたお姉ちゃんに、妹である私自身が悪意を抱いてしまうほどの苛烈ないじめだった。


 いじめの苦しみ。そしてこれまでずっと守っていた妹に裏切られたのだという悲しみ。それはきっと引きこもるには十分な苦しみだったのだと思う。それ以来、お姉ちゃんは部屋に引きこもるようになった。


 私は教室の端っこの席ですぐに寝たふりをする。みんな私を虐めるのに飽きたのか、もう私に声をかけてくる人はいない。私は目を閉じて、一時間目がくるのを待った。


〇 〇 〇 〇


 幼いころの私は気弱だった。だからいつだって、からかいや冷たい視線の的だった。でもある日突然、それは変わった。


「お姉ちゃん! いきなり教室のみんなが優しくなったの!」


 私は小学校からの帰り道、笑顔でお姉ちゃんの手を握った。するとお姉ちゃんは嬉しそうに告げる。


「あの女の人の話、本当だったのかも」


「あの女の人?」


「うん。お姉ちゃん、その人に力をもらったんだ。「悪意」を「心の剣」で消せる力なんだって! これでみやびを守れるね!」


 幼いお姉ちゃんは興奮気味にぴょんぴょん飛び跳ねている。私は半信半疑だけれど、お姉ちゃんがそういうのならそうなのだろうと納得していた。


「ありがとう! お姉ちゃん」


「これからはお姉ちゃんがみやびを守るからねっ!」


 お姉ちゃんはぎゅーっと私を抱きしめてきた。私はお姉ちゃんに抱きしめてもらって、とても幸せな気分になった。


 こんな毎日がずっと続けばいいのにと思った。


 だけど突然、幸せな景色が消えて、真っ暗な現実が戻ってくる。


――新島 みやび!


「は、はいっ」


 怒鳴り声に目を覚ますと、先生が私を睨みつけていた。生徒達は無表情にじっと私をみつめている。私は肩をすくめてうつむいた。


 先生は私が目覚めたことを確認すると、すぐに授業に戻っていった。あまりに恥ずかしくて、顔が熱くなる。だけどすぐに喪失感が襲いかかってきた。本当に幸せな夢だった。だからこそだ。


 大切な人を失うのは辛い。今も昔も私はお姉ちゃんのことが大好きなのだ。できれば元の関係に戻りたい。でもそれが無理なのだということは分かっている。


 私は放課後、すぐに家に戻った。朝に作っておいたお昼ご飯は食べてくれたのか、綺麗に洗浄された食器が食器置き場に並んでいる。私は無駄だと分かっていてもお姉ちゃんの部屋の前に立って、問いかける。


「お姉ちゃん。夕食はなにが食べたい?」


 だけどやっぱりお姉ちゃんは何も話してくれなかった。きっと私はお姉ちゃんに見捨てられているのだと思う。だってお姉ちゃんには悪意がみえる。悪意からずっと私を守ってくれていたのに、あろうことか私はお姉ちゃんに悪意を抱いてしまったのだ。


 私は小さくため息をついて、自分の部屋に向かった。するとそこには見知らぬ少女がいた。西洋風の顔をしていて、ちらりとみえる前髪は金色。魔法使いみたいなローブをかぶった奇妙な格好をしている。私はきゃっ、と悲鳴をあげそうになった。


「だ、誰ですかあなた。なんで私の部屋に。強盗ですか!? 通報しますよ?」


 私はポケットからスマホを取り出して、謎のローブ少女を威嚇する。


「通報しても無駄ですよ。私は魔女ですから法律は適応されません」


 頓珍漢なことを述べる少女を目の前にして、私は警戒心を決して緩めない。油断させた隙に逃げ出すなりなんなりしようという魂胆だろう。私は迷わず110番に通報しようとする。


 だけどその瞬間、その少女はこんなことを告げた。


「お姉さんと仲直りしたくないんですか」


 ぴたり、と指先が止まってしまう。どうして私の気持ちをこの少女は知っているのだろう。いや、今動揺すればこの少女の思うつぼだ。私は努めて冷静に110番を……。


「どうやらあなたは私をまだ信じていないようですので、信じさせてあげます」


 ローブ姿の少女がそう告げた瞬間、お姉ちゃんの部屋の方から黒い影のような人型が飛び出してきた。数えきれないほどの数だ。


「えっ? な、なんですかこれ」


「これが悪意ですよ」


 悪意たちは口々に何かを話している。私は聖徳太子じゃないからほとんど聞き取れないけど、ひどい罵倒ばかりだった。


「気持ち悪いんだよ。姉妹で恋愛とか」


「虐められるのも妥当だよ。視界から消えろ」


「ゴミが。死ね」


 そんなどうしようもない罵倒が、隣のお姉ちゃんの部屋の方から聞こえてくる。


「これがあなたのお姉さんの見ている世界です」


「えっ?」


「あなたのお姉さんはこれを二十四時間、聞いています」


 ローブ姿の淡々と告げた。私は突然のことで、理解がほとんど追い付いていない。えっ? なんで? お姉ちゃんは「心の剣」で悪意を消せるんじゃなかったの?


「あなたは今、こんなことを考えたでしょう。どうして「心の剣」で悪意を消せるはずなのに、姉はこんな風に悪意たちを野放しにしているのか、と。そんなの簡単です。私と契約することで手に入る「心の剣」には制約があるからですよ」


 制約。お姉ちゃんはこんな最悪な状態になる可能性があると理解したうえで、私を守るために「心の剣」を手に入れたのだろうか?


「「心の剣」は契約する前に決めた「この世で一番大切な人」を信じられなくなったら呼びだせなくなるんです。悪意と戦う決意がなくなっても呼びだせない。つまり悪意を消せなくなる。もしも「心の剣」を呼びだせなくなったら、ごらんのとおり自分や「この世で一番大切な人」への悪意を視認するだけの力が残って、苦しむ羽目になる。とはいってもここまで悪意をぶつけられる人は稀ですけどね」


 少女は無表情で告げた。私はただ呆然としていた。お姉ちゃんはそんなリスクを覚悟で私のために、ちっさな頃から頑張ってくれていたんだ。それなのに、私はお姉ちゃんと関わることを諦めてしまっていた。


「さて、お姉さんと仲直りできるかもしれない方法ですが、あなたも私に願って「心の剣」を手に入れればいいんですよ」


 その言葉を聞いて、私は私がお姉ちゃんのようになってしまう可能性を考える。でもその不安はすぐになくなった。だって私はお姉ちゃんが大好きだ。今でも大好きなのだ。お姉ちゃんがこんな目にあったのは私のためなのだ。嫌いになんてなるわけない。


 でも別の不安はあった。本当に私なんかがお姉ちゃんと仲直りをしてもいいのだろうか? という不安だった。私は二か月前、お姉ちゃんに悪意を向けてしまった。


 私には分からなかった。今さらお姉ちゃんを救い出す権利なんて私なんかにあるのだろうか? 私がそう考えると、ローブ姿の少女はまるで私の考えを読んだみたいに告げる。


「ふむ。どうやらあなたはなかなかに卑屈なようですね。でも仕方ありませんか。あなたは自分を嫌いにならなければ、お姉さんへの罪悪感に耐えきれなかったわけですから」


「えっ?」


「自分を嫌いだ嫌いだと思うことで、少しでも心が軽く感じたことはありませんか? あなたのそれは自分を救うためだけの防衛機制なのですよ。自分を守っているだけでは、一生お姉さんとは元の関係にはもどれないでしょうね」


 お姉ちゃんと一生このままなんて、顔も合わせることができないなんて、好きを伝えられないままなんて、そんなのは嫌だ。


「自分を守るか。お姉さんを救うか。お姉さんのことを大好きならば、答えは明確でしょう」


 私はお姉ちゃんを助けて、また恋人に戻りたいのだ。すぐに決意を固めた。


「私に「心の剣」を与えてください」


 すると少女は微笑んだ。


「いいでしょう。あなたに「心の剣」を授けてあげます。目を閉じてください」


 私は目を閉じた。すると体が突然、ぽかぽかした。なにか大きな力のようなものが私の体に流れ込んできているのを感じる。


「いいですよ。目を開けてください。そして念じてください。顕現せよ、と」


 私は目を開けて念じた。でも「心の剣」は出てこない。何度念じても出てこなかった。


「ふむ。どうやら、あなたには悪意と戦う決意がないようですね」


「えっ? そんなわけないです。私は思ってます。お姉ちゃんを救いたいって」


「救うのと戦うのは別物でしょう。例えば村に襲いかかってきた敵国の騎士から大切な人を救いたいと思うのと、実際に騎士と戦えるかは別じゃないですか」


 中世風の姿をしているだけあって、例えも中世風みたいだ。そんなことを思いながら、私は気になったことを問いかける。


「……そもそも悪意と戦う、ってどういうことなんですか?」


「そのままの意味ですよ。大切な人の代わりに悪意を真っ向から受ける決意をすることです」


 私は思い出す。私は悪意を恐れるばかりでずっと逃げていたのだ。もしもお姉ちゃんが助けてくれなかったら、ずっと逃げ惑っているだけだったと思う。


 そんな私に、お姉ちゃんの代わりに傷付く覚悟はあるのだろうか?


「大切だと思うのなら、あって当然だと思っていたんですけどね。あなたは口先だけの臆病者だってことですよ。この世で一番大切な人を守るために自分を盾にできない」


 本当に、私は醜いな。またそう考えてしまった。自分を卑下する。それはただ自分を守るための盾でしかないというのに。私は自分を守ることにばかり尽力して、お姉ちゃんを守る意志なんて少しもないのだ。


 本当に、最悪だ。あぁ、もう。


「まぁ楽観的な言葉でいうのなら、お姉さんを守れるかは、これからのあなた次第ってことですね。まだ諦める必要はないですよ」


 私が顔をあげると、ローブ姿の少女は音もなく姿を消していた。


〇 〇 〇 〇


「お姉ちゃん! お姉ちゃん……」


 まだ小さなお姉ちゃんは、夜、体中を傷だらけにして家に帰ってきた。私は涙を流しながらお姉ちゃんに抱き着いた。


「泣かなくてもいいよ。今日は少し強めの悪意を倒してきたんだ。みやびが笑顔ならそれで私は幸せ。だからできれば笑っていてほしい」


 お姉ちゃんは優しい顔で私の頭を撫でてくれた。でも私はやっぱり笑えなかった。こんな傷だらけになってまで私のことを助けて欲しくない。私のために傷付いて欲しくない。


「お姉ちゃん。もう、行っちゃダメ。私は大丈夫だから。いじめだって耐えられるから」


 お姉ちゃんが夜に外へ出るようになってから、私はいじめられることがほとんどなくなった。お姉ちゃんが言うには、悪意を片っ端から倒しているからみたいだった。


 悪意が大きくなると私がいじめられてしまうから、お姉ちゃんは必死で夜な夜な戦っているのだといっていた。でも私は信じていなかった。心の剣も悪意も。


 本当はお姉ちゃんは私を虐めそうな子と戦って勝って、私を虐めないように言い聞かせているだけなのではないか。そんな風に思っていたのだ。


「耐えなくていいよ。私の大切な大切なみやびを傷付ける悪意は、私が全て倒す。例えどれだけ傷だらけになっても、私はみやびを守るよ」


 お姉ちゃんは私の気持ちを理解していないみたいだった。当時の私にも自分の気持ちを適切に言い表す語彙力がなくて、ただえんえんと泣くだけ。


 私はただただ守られるだけの存在だった。


 そして今も、私にはお姉ちゃんの代わりに傷付く覚悟がなくて。


「あー。あいつがいなくなって清々したわ。姉妹で恋愛とかくっそキモいよな。あいつの顔見るだけで吐きそうだわ」


 私は学校の教室、隅っこの席で寝たふりをしていた。「あいつ」が誰なのかは理解している。私の大切な大切なお姉ちゃんのことだろう。ちらりと顔をあげると、女子生徒たちの背中から人の影のような悪意が現れていた。


 私は顕現せよ、と念じる。でも心の剣は現れてくれない。じっと悪意をみつめていると、女子生徒の一人と目が合った。私は慌てて寝たふりをする。でも遅かった。


 足音が近づいてくる。私はぎゅっと目を閉じて、ただ怯えるだけだった。お姉ちゃんはこんな悪意たちと正面から戦っていたんだ。それで傷だらけになっても、私のために頑張ってくれてた。


 なのに、私は。


「おい。お前今私たちのことみてただろ。文句があるならいえよ。ほら」


 私は頭をあげて、うつむいたまま首を横に振る。すると女はつまらなさそうな顔で立ち去っていった。「しょうもないやつだな」とつげながら。その背中からはさっきよりも大きくなった悪意が突き出していて、白い目と白い口で私をあざ笑っているようにみえた。


 私はまた顕現せよ、と念じた。でも心の剣は現れてくれなかった。その間にも悪意は大きくなっていく。あの悪意はやがてお姉ちゃんを苦しめるのだ。


 放課後、私は下を向きながら家に帰っていた。子供の笑い声を聞いて、どうして私はこんな風になってしまったのだろうと思う。昔はお姉ちゃんと笑い合っていたのに。


 公園で遊ぶ子供たちを横目に歩いていると、突然、正面にあのローブ姿の少女が現れた。その西洋風の顔立ちと西洋風の姿は、現代日本からすると明らかに浮いていた。だというのに通りかかる人たちは誰も視線をむけていない。まさか、見えていないのだろうか?


「お姉さん、かなりまずい状態ですよ」


 ローブ姿の少女は無表情に告げた。


「昨日見たと思いますが、ああなった人で自殺しなかった人を私は見たことがありません」


「自殺……?」


 私は絶句した。自殺。お姉ちゃんが自殺? 私は慌てて走り出しそうになった。でも少女に制止される。


「まだ話は終わってませんよ。お姉さんの悪意は、実は本物の悪意ではないんです。悪意に晒され続けたがゆえに、自意識が生み出した悪意のまがい物なんですよ。つまりは本人が過去に囚われているかぎりは、永遠に耳元で最悪な言葉を囁かれ、苦しめられ続けるんです」


「だからどうしたっていうんですか!? 早くいかないとお姉ちゃんが……」


「一度自殺を止めたからって、意味はないんですよ。根本から治さないと。でもあなたは心の剣を呼びだせない。だから今のままじゃ助けることはほとんど不可能です。裏切りものであるあなたの言葉は、今の彼女には届かないので」


「そんな小言を言いに来たんですか? お姉ちゃんを見捨てろとでも言うんですか? 私はどうしようもない人間ですよ。それでもお姉ちゃんは私の大切な人なんです。絶対に死なせたりなんてしませんから!」


 私は少女の脇を抜けて、急いで家に帰った。鍵を開けて、玄関に入る。すると玄関にはお姉ちゃんの靴がなかった。慌ててお姉ちゃんの部屋の前に向かって「今日の夕食はなにがいい?」と問いかける。でも返事が返ってこない。物音一つ聞こえない。


 私は勇気を出してお姉ちゃんの部屋に入った。誰もいない。心臓がばくばくしてきた。お姉ちゃんはもしかすると、本当に死ぬために外へと出たのではないか。


 飛び降りたり、車に轢かれたり、外なら死ぬ方法はたくさんある。私はスマホでお姉ちゃんに電話を掛けながら、部屋を歩き回っていた。


 その間に、なんとなくカレンダーをみると、今日に印が付いていた。日付を囲った丸はただの丸のはずなのに、なにかとてつもなく不穏な証にみえた。お姉ちゃんはもう、疲れてしまったのではないか。私に悪意を向けられて、悪意と戦うことも出来なくなって、悪意に苛まれ続けるだけで。


 そのうえ、私はほとんどお姉ちゃんと関わろうとしなかった。夕食を聞いたり、朝起きたら挨拶をする程度。必死で守ってきた私にそんな対応をされたら、果たしてお姉ちゃんはどんな気分になっただろう。


 お姉ちゃんはいつまで経っても、電話に出てくれない。私のせいだ。全部、私のせいだ。私はこぶしを握り締めたまま、玄関へ走った。


 鍵も閉めずに、街へ飛び出す。ケーキ屋さん。洋服屋さん。雑貨屋さん。たくさんの店が流れてゆく。人ごみを走り抜けてお姉ちゃんを探す。でもお姉ちゃんはどこにもいない。その時、救急車のサイレンが聞こえた。


 めまいがした。血の気が引いていくようだった。


 私は救急車の音を追った。息を切らせながらたどり着く。私は半狂乱になりながら野次馬たちの群れに突っ込んだ。押し返されながら押しのけて、なんとか輪の内側にたどり着く。


 でもその先に倒れていたのは、知らない男性だった。


 体から力が抜けて、よろよろと倒れてしまう。周りからは心配する声が上がった。私は「大丈夫です」と冷や汗を拭いながら、野次馬の外に出た。


 どうすればお姉ちゃんをみつけられるのだろう。すっかり焦り切ってしまった私は、汗を流しながらまた無謀にも走ってお姉ちゃんを探そうとした。でもそれを呼び止める声があった。


「もっと効率的に探したらどうですか。高い場所からみるとか、いろいろあるでしょう?」


 私は振り返る。ローブ姿の西洋風の少女が腕を組んでいた。

 

「あなたが目にすることのできる悪意は、あなた達姉妹に向けられたものだけ。悪意は見た目からして異質ですから、遠くからでもはっきりと視認できるはずです」


 高い建物。私は急いでこのあたりで一番背の高いビルに向かった。エレベーターで一番上まで向かう。そこは休憩室のようだったけど、人は誰もいなかった。私は窓越しに食い入るように街をみつめる。


 するとみつけた。一か所だけ黒っぽくなっている交差点があった。私は急いでその場所へと向かう。その間に夕日は沈み、夜の帳が下りる。


 息を切らせながらたどり着くと、ライトをつけた車の行き交う道路をじっと見つめているお姉ちゃんを見つけた。


 そのとき、学校でお姉ちゃんの悪口を言っていた人たちが現れて、お姉ちゃんになにやら話しかけていた。その背中には巨大な悪意が白い目と白い口で笑顔を浮かべていた。


 それをみたお姉ちゃんはすっかり怯え切っているようだった。


「なに外に出てんだよ。犯罪者。妹に恋愛感情を抱く異常者。気持ち悪いんだよ」


 たくさんの黒い悪意たちがお姉ちゃんの背中を押していた。車道へと押し出そう押し出そうと行列を作ってお姉ちゃんを押していた。


 私は声を出そうと思った。でもつっかえてしまったようになって、声が出ない。嫌な記憶がよみがえる。姉と付き合う異常者だと罵られた記憶。友達だった人たちから冷たい視線を向けられた記憶。仲の悪かった人たちからいじめられた記憶。


 そして、お姉ちゃんに悪意を向けてしまった記憶。


 でも私は思い出す。まぶしく輝く記憶だってあるんだ。


 それは中学二年生の秋のことだった。私は夕暮れの帰り道で、突然、お姉ちゃんにキスをされた。そしてとても辛そうな表情でこんなことを告げられた。


「変だと思うかもしれない。でも私、みやびのことが好きなんだ」


「えっ?」


 私はお姉ちゃんが好きだった。でもすっかり諦めていたのだ。お姉ちゃんが私に恋愛感情を抱いているはずもない。当然、告白なんてしたって振られるだけだ。そう思っていたのにお姉ちゃんの方から告白してくれた。とても嬉しかった。


 でもお姉ちゃんはまるで振られることを前提にするみたいに、言葉をつづけた。


「みやびは好きじゃないよね。こんな、いきなりキスしてしまうようなお姉ちゃんのことなんて。でも我慢できなかった。どうせ報われないのなら、せめてみやびの初めてだけは奪いたいって思った。ごめんね。みやび。私、本当に……」


 お姉ちゃんは今にも泣きだしてしまいそうだった。私は慌てて相応しい言葉を返そうとするけれど、突然の告白とキスですっかり動転してしまっていたから、頭が真っ白になっていて、何も言えなかった。


 だから、私はお姉ちゃんにキスをした。唇と唇がくっついて私とお姉ちゃんはひとつになった。お姉ちゃんは顔を真っ赤にしていた。私だって恥ずかしくて、全身が熱くなっていた。


 でもどうやら気持ちは伝わったみたいだった。お姉ちゃんは自分の唇に指先で触れながらとても幸せそうに「今日からは恋人だね」と笑った。私も微笑んでお姉ちゃんと恋人つなぎをした。


 でも今、私はお姉ちゃんを失いかけている。お姉ちゃんに降りかかる悪意に私はあまりにも無力だった。お姉ちゃんは大切な人なのに、それでも私は臆病で卑怯で傷つくのが怖くて、自分を守るために、自分を卑下するようなことばかり考えていた。


 このままじゃだめだ。私は全力でお姉ちゃんの所に走った。お姉ちゃんにはたくさんの悪意がまとわりついていて、そいつらはみんな一様に背中を押しながら「死ね」と繰り返していた。


「お姉ちゃん!」


「……みやび」


 お姉ちゃんと女子生徒たちが一斉に私の方を向いた。


「おぉ? お前たちまた付き合い始めたのか?」


 するとお姉ちゃんは大慌てで否定していた。


「違う。付き合ってなんてない。そもそも、付き合うことになったのは、私がみやびに無理強いしたからだよ。でもそのせいでみやびはいじめられることになった。付き合うわけないでしょ。自分のエゴのために、大切な妹を傷付けたくなんてない」


「そうだよなぁ? 妹がまたいじめられるのは辛いよなぁ? 脅迫で全部なかったことにしようとするからそんなことになったんだよ。お前は。記憶をなくすほどの脅迫って、お前なにやったんだよ!」


 女子生徒はお姉ちゃんを怒鳴っていた。きっと「心の剣」で悪意を消された友達がいるのだろう。だからお姉ちゃんに突っかかっているのだ。

 

 でもそもそも悪いのは最初に悪意を向けてきた方だ。


 私は震える声で告げた。


「お姉ちゃんは悪くないよ」


「あぁ?」


「お姉ちゃんは私のために、私なんかのために悪意を消してくれた。でも私はいじめられて、お姉ちゃんを恨んでしまった。私、後悔してるよ。お姉ちゃん」


「……みやび」


 お姉ちゃんは今にも泣きそうな顔で私をみつめていた。今もお姉ちゃんの自意識が生み出したまがい物の悪意たちは、お姉ちゃんを苦しめている。「死ね」と耳元でささやいて、車の行きかう車道に押し出そうとしている。


「あーあ。またお前の妹、虐められることになるな」


 女子生徒はにやにやとお姉ちゃんをみつめていた。


「みやび。ごめんね。でも私、もう生きたくないんだよ。私が生きてたらみやびを傷付けてしまうから。それに私自身も、もう疲れたんだ。ずっとみやびを守るために頑張ってた。でもみやびは最後には私に悪意を向けた。みんなには嫌われて、みやびにも嫌われて、私もう、みやびを信じられない。何のために生きればいいのか分からないんだ」


「待って! お姉ちゃん!」


「実の姉だもんね。死んでほしくないよね。でもごめんね」


 お姉ちゃんは目を閉じて苦しそうな表情を浮かべたかと思うと、何かを決心したような顔で車道にゆっくりと踏み出していく。


「死ね」と悪意たちが繰り返しつぶやいている。


 だけどそのとき、私はお姉ちゃんの声をきいた。ほんの微かな声だった。弱い風にすら押し流されてしまいそうな声だった。でも私は聞き逃さなかった。


「……みやび、助けて」


 お姉ちゃんは震える声でそう告げていたのだ。


 私は願った。今しかないのだと直感したのだ。もしも今、それをできなければ私はお姉ちゃんを永遠に失ってしまう。私はあのローブ姿の少女の言葉を思い出していた。


 私には悪意と戦う覚悟がない。お姉ちゃんの盾となって傷つく覚悟がないのだと彼女は言っていた。そうだ。私はだめな奴だ。でも今、目の前で死のうとしているお姉ちゃんを見過ごせるほど薄情でもなければ臆病でもない。


 お姉ちゃんを守るためなら、いくらでも私が盾になる。いくらでも傷ついてやる!


「顕現せよ!」


 私は全身全霊で叫んだ。すると私を中心に強い風が吹いて、髪の毛が舞い上がった。右手に「心の剣」が現れ、それは凄まじい勢いで輝きを増していく。やがて光の刃は背丈よりも長く、木の幹よりも太くなった。


 私はそのまま、お姉ちゃんに取りつく悪意に飛びかかった。


 その瞬間、お姉ちゃんが私の方を振り返り、足を止めた。目には涙が浮かんでいた。


 風のような速さでお姉ちゃんのもとへと駆けつける。光の軌跡が私の通った後に残る。太陽よりもまばゆい剣が夜闇を照らす。私はそれ振り上げた。そして一閃。お姉ちゃんを押していた悪意たちは、避ける暇もなく私の剣を正面から受けて断ち切られる。


 キラキラした光が、お姉ちゃんを包み込んだ。夜空の星のような美しい光だった。


 繰り返されていた「死ね」が消えていく。お姉ちゃんが苦痛から解放されていく。通行人たちはみんな驚愕の表情で私たちをみつめていた。お姉ちゃんに敵意を向けていた女子生徒たちが、まるで全てを忘れたみたいな顔でお姉ちゃんから離れていく。


 私は通行人たちの黒い悪意たちを、最後の力を振り絞って薙ぎ払った。みんな何も見ていないみたいな顔で、歩いていく。


 その瞬間、私の全身からは力が抜けていった。気付けば右手に握られていたはずの「心の剣」も消えている。杖代わりにしようとしていたのに、なにも私の体を支えてくれるものは無くなっていて、地面に倒れ込んでいく。


 でも寸前で、お姉ちゃんが私を支えてくれた。至近距離でみたお姉ちゃんは相変わらずとても美人だった。私はキスをしたいな、と思いながらもその願いが叶うことはなく、意識が薄れていく。意識を失う寸前まで、お姉ちゃんは笑顔で泣いていた。


「ありがとう。みやび」


〇 〇 〇 〇


 目を覚ますと、私はお姉ちゃんにおんぶされていた。お姉ちゃんのいい匂いがしてくる。お姉ちゃんの体の熱が私を温めてくれている。夜の街は寒いけど、お姉ちゃんと一緒なら気にならなかった。


 でも通りがかる人たちがちらちら見てくるのは、ちょっと恥ずかしいかな。


「お姉ちゃん。ありがとう。もういいよ」


 私がそう告げると、お姉ちゃんは私を下ろしてくれた。私はすぐに隣を歩いてお姉ちゃんと手を繋ぐ。お姉ちゃんはちらりと私を見たけど、微笑んで恥ずかしそうに視線をそらした。


 久しぶりに間近でみるお姉ちゃんはとても綺麗で、キスしたいって思ってしまう。でも私たちはそういう関係ではなくなってしまっているのだ。私は二か月前、お姉ちゃんに悪意を向けた。お姉ちゃんを裏切ってしまった。


 でも今なら告白だって受け入れてもらえそうな雰囲気がした。


「おねーちゃん」


「どうしたの? みやび」


「好きだよ。また私と付き合って?」


 するとお姉ちゃんは難しそうな顔をした。


「ごめんね。今はまだ付き合えない」


 私は悲しくなって、うつむいてしまう。そうだよね。ただ悪意から助けただけで、私がお姉ちゃんを裏切ったっていう事実は変わらないもんね。私は少し舞い上がってしまっていた。


 失った信頼をまた取り戻すために、これからは私がお姉ちゃんを悪意から守らないと。そんなことを考えていると、お姉ちゃんは眉をひそめてつげた。


「みやび。次からは人前で「心の剣」を出しちゃだめだよ? 悪意を消すときは深夜じゃないとだめなんだ。宿主が眠ると悪意は宿主の体を離れる。それを利用して誰も見てないところで消さないと」


「どうして寝たらそうなるの?」


「ローブの子がいうには、普段人は理性で悪意を心にとどめているからなんだって。でも眠ると理性が弱くなるから心から解き放たれて、自由に街を歩きはじめるみたい」


「分かった。今度からはそうするね。私をみた人たち、みんな何かしらの悪意を抱いてたし」


 みんながどんな悪意を私に抱いたのかはしらない。でもきっとあのまま放置していたらとんでもないことになっていたのだと思う。ネットに拡散されたりとかしたら大変だ。


 顔をあげると、一瞬、悪意のようなものがお姉ちゃんの頭の上にみえた。でも瞬きをするとすぐに消えた。気のせいなのだろうと私は思って、正面を向く。だってお姉ちゃんの心に住み着いた悪意は、さっき全部倒したはずだ。


 突然、どこからか声が聞こえてきた。それは間違いなく私の声だった。


「お姉ちゃんなんて大っ嫌い。お姉ちゃんなんかと付き合わなければよかった」


 私はお姉ちゃんの横顔をじっとみつめる。でもお姉ちゃんは何も聞こえてないみたいな態度で、私に笑いかけた。


「それにしても「心の剣」を呼びだせるとはね。そんなにお姉ちゃんのこと、大切に思ってくれてたんだ?」


「そうだよ。私、お姉ちゃんのこと大好きだもん」


 私が笑うとまたあの声が聞こえてきた。


「お姉ちゃんなんて大っ嫌い」


 私は声の方を向く。でもそこには何もいなかった。悪意も人もいない。ただ店の明かりがまぶしいだけだった。でもお姉ちゃんはあからさまに表情を歪めていた。だけどすぐに取り繕ったように笑顔を浮かべる。


「私も大好きだよ。みやび。今日外に出たのは、みやびの誕生日のケーキとかプレゼントを買うためだったんだ。でも途中で辛いって気持ちに耐えられなくなっちゃって。ごめんね?」


「私こそごめんね。これまでずっとお姉ちゃんと関わろうとしなかった。お姉ちゃんと距離を置いてた。お姉ちゃんはきっといつだって助けを求めてたはずなのに」


 お姉ちゃんは私から視線を外してつぶやいた。


「もういいよ。謝らなくて」


 私たちはその言葉を境に無言になってしまう。沈黙が嫌で、私はこんなことを口にした。

 

「今日、私の誕生日だったんだね。すっかり忘れてたよ」


 お姉ちゃんを裏切ってからはずっと自責ばかりだった。誕生日なんてものも極力考えないようにしていた。だってお姉ちゃんを裏切った私にそんな資格ないって思ってたから。でもお姉ちゃんは苦しみながらも私の誕生日のことを覚えてくれていた。


 裏切り者の私を、祝おうとしてくれた。


「これからケーキ買いにいこっか。誕生日プレゼントも何でも言ってね?」


「うん。ありがとう。お姉ちゃん」


 私が満面の笑みを浮かべると、お姉ちゃんはじっと私の笑顔をみつめてきた。唇のあたりをみつめているような、そんな気がした。もしかしてキスをしたいって思ってくれてるのだろうか?


 するとこんな声が聞こえてきた。


「なんで裏切られたのに今も妹に欲情してるの? きもいんだけど」


 さっきから何なんだろう。この声は。お姉ちゃんは気まずそうに俯いてしまった。


「……お姉ちゃんも聞こえてるの? この私みたいな声」


 するとお姉ちゃんは頷いた。


「……うん」


「なんなんだろうね? お姉ちゃんが私に欲情してるって、そんなわけないのに」


 私がそう告げると、お姉ちゃんは顔を真っ赤にしていた。あれ? もしかしてこの反応、本当にお姉ちゃんは私を性的にみてくれてるの? だったらキスしちゃってもいいよね?


 私はずいとお姉ちゃんに顔を近づけた。お姉ちゃんはじっと私をみつめている。でも逃げる気配はなかった。立ち止まって、私を潤んだ瞳でみつめている。


 私は遠慮なくお姉ちゃんにキスしようとした。でもその時、また声が聞こえてくる。


「どうせまた裏切られるのに。お姉ちゃんって本当に都合のいい女だね」


 その瞬間、お姉ちゃんは体を引いて私から逃げてしまった。もう、何なのこの声は?さっきから変なことばかり言うし、私とお姉ちゃんのキスを邪魔するし。


 今の私がお姉ちゃんのこと裏切るわけないのに。だって私はもう二度とお姉ちゃんを失いたくない。一人にしたくない。傷付けたくない。


 私が不満げに頬を膨らませていると、お姉ちゃんは申し訳なさそうに笑った。


「今は人通りも多いし、家に帰ってからだったらいいよ?」


 私は嬉しくなってお姉ちゃんに抱き着いた。なんといっても久しぶりのお姉ちゃんなのだ。ボディタッチが激しくなってしまうのはおかしいことではない。


 お姉ちゃんもまんざらではないように私を抱きしめ返してくれる。私はお姉ちゃんの耳元で囁いた。


「今度は私がお姉ちゃんを守るからね。どんな悪意からも絶対に守るから。だから、いつか私を信じられるようになったら、その時は、私とまた恋人になってね。お姉ちゃん」


 お姉ちゃんはぎゅっと私を強く抱きしめた。愛情表現というよりは、申し訳なさゆえの行動のように私には思えた。でも今はそれでいい。信頼は少しずつ取り戻してゆけばいい。


 私たちは手を繋いだまま、夜の街を歩いてケーキ屋さんに向かった。


「みやびはどのケーキがいい?」


 お姉ちゃんはガラスの向こうのホールケーキをみつめながらつげた。


「私はチョコがいいかな」


 するとお姉ちゃんは店員さんに告げた。


「チョコレートケーキをください。誕生日ケーキで」


 すると店員さんが問いかけてくる。


「なんとお名前を記入すればよいでしょうか?」


 だから私は店員さんにつげた。


「16歳です!「お姉ちゃんが大好きな 新島 みやび」 でよろしくお願いします!」


 お姉ちゃんは顔を真っ赤にしていた。店員さんも微笑ましそうに私たちのことをみつめている。私だって恥ずかしい。でもこれくらいたくさんたくさん気持ちを伝えないと、きっとお姉ちゃんは私を信じてくれないと思う。


「承りました。しばらくお待ちくださいね」


 私はお姉ちゃんと一緒に椅子に座った。お姉ちゃんは「困った妹だ」とでも言いたげに眉をひそめて笑っていた。


「みやびが私のことを好きなのは分かったから、今度からは外でこういうのはやめてね? 恥ずかしいから」


「はーい」


「なに喜んでるの? また裏切られるかもしれないんだよ?」


 私は正体不明の声を無視しながら、お姉ちゃんの肩に頭をのせた。するとお姉ちゃんは私の頭を撫でてくれた。私はまだ自分のことが嫌いだ。でも自分を嫌いだと思うのは、自分を守ろうとする防衛機制だってローブ姿のあの子はいっていた。


 私はもう、自分を守るのはやめたのだ。これからは積極的にお姉ちゃんと関わっていく。過去を振り切るために、お姉ちゃんを信じさせるために、たくさんたくさん愛を伝えるのだ。

 

 お姉ちゃんは私の頭を撫でながら申し訳なさそうに告げる。


「ねぇ、みやび。多分だけどこの声の正体は、心に残ったみやびの悪意だと思うんだ」


「私の悪意?」


「私もよく分からないんだけど、たぶん、私はまだみやびを信用できてない。正直凄くショックな出来事だったから」


「……ごめんね」


「いいよ。みやびは私を助けてくれたから、昔のことはもういいんだ。でもこれから先のことはまだ分からない。その不安が私の心に根深く残ってるんだと思う」


 お姉ちゃんは悲しそうな表情でそう告げた。だとするならすぐにでも倒さなければならないと私は思った。でもその悪意はどういうわけか姿かたちをみせていない。


「ねぇ、お姉ちゃん。理性が薄れたら悪意は活発になるって言ってたよね。お姉ちゃんに取りついてる悪意は、お姉ちゃんの自意識が生み出したまがい物の悪意だってローブの子が言ってた。だったらそのまがい物の悪意はお姉ちゃんの制御下にあるんじゃないの?」


「……そうかもしれないね」


「お姉ちゃんは私の前だと気を使って、理性を働かせて私の悪意を抑え込もうとしている。だから姿が見えないんじゃないの? もしもそうなら、お姉ちゃんから不安を取り除く方法はある」


「寝て理性が弱まってる間なら、その悪意も姿を現すかもしれないね」


「うん。だからお姉ちゃんがいいのなら、私は戦おうと思う。お姉ちゃんには苦しんでほしくないから。嫌なことなんて全部全部、無くなってほしいから」


 そう。無くなって欲しいのだ。私がかつてお姉ちゃんに悪意をぶつけたことによる不信も、きっと私が剣を一振りするだけで消えてくれるのだから。そうなればきっと、私はお姉ちゃんとまた恋人に戻れる。


 でももちろん、無理やり不安を取り除くことに対する抵抗感もある。私がさっき取り除いた悪意は理不尽な悪意ばかりだった。大義名分もあった。でも今、私が取り除こうとしているのは、私自身の仄暗い過去だ。


 それを取り除くというのは、自分に都合のいいようにお姉ちゃんを操作するだけなのではないか。自分の気持ちを通すために、都合のいい近道へ進もうとしているだけなのではないか。


 それは果たして正しいことなのだろうか?


 悩んでいると、お姉ちゃんは微笑んだ。


「私もそれでいいよ」


 もしかすると間違っているのかもしれない。そう思っていても、またすぐに前のような恋人の関係に戻れるかもしれない。その甘い蜜に私は抗えそうになかった。


 不安を消せばもう告白を断られることもないのだ。


 私はお姉ちゃんに体を寄りかからせて、目を閉じた。


 そうして、私がお姉ちゃんの肩でうとうとし始めたころ、店員さんが「お待たせしました」とケーキをもってきた。お姉ちゃんは私のほっぺをぷにぷにして起こしてくれる。私たちは立ち上がって、レジに向かう。


 チョコレートケーキの入った箱をお姉ちゃんが受け取った。


 箱を片手に私たちは肌寒い夜の街を歩いていく。もちろん恋人つなぎで。


「それじゃあ次は誕生日プレゼントだね。みやびはなにが欲しい?」


「お姉ちゃんとお揃いの何かが欲しい」


「お揃いかぁ。それじゃあアクセサリーショップにでも行こうか」


「うん!」


 私たちは近くのお店に入って、小物をみた。流石に指輪はやり過ぎだと思うし、カチューシャとかも学校に通ってる時なんて付けられない。妥当なラインとしてはヘアピンだろうか?


 そう思って探していると、お姉ちゃんが黒色の小さなリボンが付いたヘアピンをもってきた。


「これならどうかな?」


 学校に着けていっても注意されないだろう絶妙な地味さ。おしゃれさでいえば微妙だけど、私はお姉ちゃんとお揃いならなんでもいいのだ。


「うん。良いと思う」


 私たちはそれを二つレジに持って行って購入した。さっそく頭につけて、鏡の前に二人で立った。お姉ちゃんは綺麗だ。サラサラな髪の毛は真っすぐで流れるよう。まつ毛長いし、目おっきいし、唇も可愛くてキスしたくなる。


 そんなお姉ちゃんと同じものをつけているというだけで、楽しくなってくる。私がニコニコしているとお姉ちゃんは不安そうに問いかけてきた。


「どう? 似合ってるかな?」


「お姉ちゃんだったらなんでも似合うよ」


「そっか。ありがとう。みやびも可愛いよ」


 私は笑顔でお姉ちゃんと手を繋いだまま店を出た。夜の街、帰り道でお姉ちゃんはこんなことを話す。


「私も昔のことは忘れたいんだ。みやびのことも信じたいんだ。だからみやび。お願い。不安も不信も全部取り除いて」


 私は頷いて、お姉ちゃんの手をぎゅっと握りしめた。


〇 〇 〇 〇


ハッピーバースデーの歌を歌ってから、私はろうそくの炎を消した。お姉ちゃんと二人のリビングで、お姉ちゃんは「おめでとう」と拍手をしてくれる。私は「ありがとう」と告げて、お姉ちゃんのほっぺに手を当てた。


 お姉ちゃんはドキドキしているのか、ほっぺはとても熱い。私は顔を近づけて、お姉ちゃんとみつめあった。私がさらに顔を近づけると、お姉ちゃんは目を閉じた。私はそっとお姉ちゃんの唇に口づけをする。


 顔を離すとお姉ちゃんは瞳をうるうるさせていた。ケーキを食べるのは後回しにして、お姉ちゃんを食べちゃおうかな。そう思ってしまうくらいに、お姉ちゃんは可愛かった。


 私は我慢しきれなくて、お姉ちゃんの唇に何度もキスをした。でもそのたび、私は自分たちがまだ付き合っていないのだということを思い出して、寂しい気持ちになってくる。

 

 お姉ちゃんはまだ私を信じてくれていないのだ。だから今日の夜中、私はお姉ちゃんの心に巣くう悪意を倒さなければならない。私はお姉ちゃんを抱きしめた。


 夕食を終えて、お風呂にも入って、お姉ちゃんはベッドに入った。私は動きやすいジャージ姿で、お姉ちゃんの部屋の椅子に座っていた。眠りにつく前、ベッドで横になったお姉ちゃんはこんなことを告げた。


「理性に制御されていない悪意はとても手ごわいよ。もしかすると傷だらけになるかもしれない」


 私は幼いころ、お姉ちゃんが傷だらけで帰ってきていたのを思い出していた。


「でも最近のお姉ちゃんは傷なんてなかったよね? 小さなころは傷だらけになってたけど」


「「心の剣」は大切な人を思う気持ちが強まるほどに強くなるんだ。だからみやびに恋をしてからは、少しも傷つかなくなった」


「それなら私も大丈夫だよ。私、お姉ちゃんのこと大好きだもん」


 するとお姉ちゃんは微笑んで、目を閉じた。私はキスを落としてから、じっとお姉ちゃんをみつめる。可愛いなぁって思いながら微笑んでいると、やがてお姉ちゃんはすやすやと寝息を立て始めた。


 すると突然、巨大な悪意が出現した。それは巨人のように大きな足だった。部屋の天井を貫通するほどに巨大なそれは、全体像をうかがい知ることができないほど。


 私は外に出た。夜の街は静かで人気がない。街灯が遠くでちかちかしているのがみえた。肌寒い街をしばらく歩いて私は振り返る。するとそこには、夜空を背景に山のように巨大な人影がいて、白い目と白い口で私を睨みつけていた。


 私は思わずひるんでしまいそうになる。お姉ちゃんはもしかすると私のことを全然信じてくれていないのかもしれない。だってここまで大きな悪意だ。お姉ちゃんを苦しめていた悪意たちはみんな小さかった。一太刀で両断できる程度の大きさだった。


 でも目の前の悪意はこんなにも巨大だ。


「……なんで、こんな」


 私は呆然としていた。


「あなたの考える通りです。お姉さんの心の中はあなたへの不安で満ち溢れている。信じたいけど信じられない。昔のように戻りたいけど、戻れない。なぜならあなたを信じれば、またあなたに裏切られてしまう可能性が生まれるから」


 声の方を振り向くと、ローブ姿の少女がいた。


 私は顕現せよ、と念じて「心の剣」を呼んだ。でもその心の剣は前にみたときよりもずっと弱々しい光しか放っていなかった。光の刃は木刀くらいの長さと細さだ。


 少しは私を信じてくれたのかと思ってた。でもお姉ちゃんは私に裏切られることばかり考えてるんだ。私だって、そんなお姉ちゃんを信じることができなくなっているのかもしれない。


 動揺していると、少女の声が聞こえた。


「かわしてください!」


 巨人がその巨体を家々にめり込ませながら、私の方へとやってくる。巨人は大ぶりで私に殴り掛かってきた


 私は「心の剣」を右手に、走ってそれをかわす。「心の剣」は身体能力を強化してくれるみたいだけど、その機能自体も前と比べると弱まっているようだった。風のように走れたのに、今は普段よりも少し早いくらいだ。


 それでも私は二階建ての家くらいに大きな拳をかわして「心の剣」で切りつけた。キラキラした光が舞うけれど、巨人の拳にほんの少しの傷がついただけだった。


 突然、巨人は雄たけびを上げた。かと思えば凄まじい速度で、私を蹴り飛ばそうとした。私は目を閉じて「心の剣」でガードしようとする。無謀だと分かっていても、そうするしかなかった。


 とんでもない衝撃を受けたかと思うと、私の体は宙を舞っていた。サッカーボールのように夜の街を吹き飛んでいく。家々が吹き飛び、電柱がへし折られていく。だけどそれらはすぐに何もなかったかのように、元通りになっていく。


 私はアスファルトの地面を何度もバウンドしてから、ようやく止まった。その瞬間、私の頭の中に、かつての記憶がよみがえる。


 お姉ちゃんを裏切った記憶だった。いじめに耐えかねて、お姉ちゃんに悪意を向けた記憶。それに苦しむお姉ちゃんの記憶。そして引きこもってしまったお姉ちゃんの記憶。長い長い時間、悪意たちに苦しめられてきた記憶。


 私はなんとか立ち上がった。でも体中が傷だらけで、ひどい痛みを感じた。


「普通なら心にダメージを受けるだけなのですが、悪意があまりに強大だと体にまでダメージが及ぶのです。だからやめた方がいい。今のあなたでは、この悪意には絶対に勝てませんから!」


「……だったらどうすれば」


 巨人がまた私の所へと、走ってくる。私は絶望的な気持ちで、それをみつめていた。お姉ちゃんを助けて少しは心の距離が縮まったと思っていたのに、現実はこれだ。私は、どうすれば。いったいどうすれば。


「「心の剣」を消してください! 念じれば消えてくれます! そうすれば悪意はあなたへの敵意を失います!」


 少女は必死で叫んでいる。でも今諦めたらお姉ちゃんの願いを裏切ることになってしまう。私は少女の声を無視して「心の剣」を構えた。


 そして切りかかる。だけど巨人の動きは信じられないほど俊敏だ。


 また蹴りが飛んできた。私は全く反応できなかった。もうダメだと思ったそのとき、突然、巨人はしぼんでいった。しぼんでしぼんで、目の前には堕天使のような黒い翼を背中につけたお姉ちゃんが現れる。


 いったい、どういうことなんだろう。考えていると、堕天使みたいなお姉ちゃんは黒い「心の剣」を呼びだして構えた。それをみた少女は告げる。


「きっとお姉さんはあなたに勝ってほしかったんでしょう。全部元通りにしてほしかったんです。「心の剣」で。でもあなたにはそれだけの力がなかった。お姉さんの根深い恐怖を前にひるんでしまった。本当に自分にお姉さんを助けることができるのか、と」


 私は私の「心の剣」をみつめる。とても弱い光の筋だった。


「そのことを知ったお姉さんの無意識は、またいつか裏切られるかもしれない、という恐怖を抱えるくらいなら、いっそ全て壊してしまえ。そう考えたのでしょう。いまや、お姉さんの「心の剣」は悪意ではなく善意を断ち切る剣に変質してしまっています」


「善意を断ち切る剣?」


「もしもあなたがあの剣に切られたら、もう、あなた方は一生仲直りできないでしょう」


 額を嫌な汗が流れる。堕天使のようなお姉ちゃんは私を睨みつけて口を開いた。


「希望なんて持たせないでよ。なんであのとき、私を殺してくれなかったの?」


「お姉ちゃんが私に助けを求めたから。それになにより、お姉ちゃんは私にとってこの世界で一番大切な人だから!」


「なのに私を裏切ったんだ」


「……っ」


「その上、確信ももてないのに、私に希望を抱かせた。また裏切るかもしれないのに、私を助けようとした。そんなのいらないよ。私はみやびのことを本当に大事だって思ってる。だから、もう二度と、裏切られたくなんてないんだよ!」


 深い失望が伝わってきて、私は何も言い返せなくなってしまう。大切な人なのに、私はお姉ちゃんを助けるどころか傷付けるようなことをしてしまったのだ。これまでずっとお姉ちゃんは一人で戦ってくれていたのに、私は……。


 黒い翼を広げた姿勢で、お姉ちゃんは涙を流しながら突撃してきた。悲しみに任せるように乱暴に真っ黒な「心の剣」で切り裂こうとしてくる。私は白い「心の剣」でなんとかそれをいなす。お姉ちゃんは全く攻撃の手を休めてくれない。


「私はお姉ちゃんと離れたくなんてない。また姉妹として、恋人として笑い合いたいんだよ!」


「私だって同じ気持ちだよ。でもまたあんな目にあうことを考えたら怖いんだよ!」


 お姉ちゃんの斬撃の嵐の中にごくわずかな隙をみつけた。


 私はお姉ちゃんに切りかかる。


「お姉ちゃんはずっと私を助けてくれてた。お姉ちゃんはこの世界でたった一人の味方なんだよ。だから今度は絶対に私が助けるよ。絶対に裏切ったりなんてしない」


 お姉ちゃんは私の剣を受け流す。そしてすぐさま切りかかってくる。


「そんなの、信じられないよ。 そんなに弱々しい「心の剣」じゃ、きっといつかみやびは私を裏切る」


 お姉ちゃんの声は悲しみに満ちていた。死角から飛んできたお姉ちゃんの斬撃に反応できなかった私は、剣で受け止めるのを諦めて左腕で受ける。すると腕を切り落とされてしまった。感じたことのない激痛を覚えて、叫び声をあげる。


「……ああああっ!」

 

 お姉ちゃんは驚きに目を見開いていた。心配そうに剣を下ろして、私の所へ歩み寄ってくる。


「大丈夫!? みやび!」


 私は痛みと罪悪感を感じながらも、その優しさゆえの隙を見逃さなかった。


 がら空きの胴体に斬撃をうつ。


 堕天使みたいなお姉ちゃんは、ゆっくりと地面に倒れた。


「ごめんね。お姉ちゃん」


 お姉ちゃんは穏やかな笑みを浮かべていた。


「……いいよ。やっぱり私、みやびのこと、見捨てられないみたい。私はまだみやびのこと、信じてないよ。でもいつか信じさせてくれるんだよね?」


 お姉ちゃんの声に頷こうとした瞬間、私も地面に倒れてしまう。


 自分の体からお姉ちゃんへの善意が抜け落ちていくのを感じていた。きっと明日から、私はお姉ちゃんに何も思わなくなってしまうのだろう。お姉ちゃんと恋人になりたいとか、そんな気持ちも忘れてしまうのだろう。


「私、お姉ちゃんのこと好きじゃなくなっちゃうみたい」


「えっ?」


「左腕、切られちゃったから」

 

「そんな……」


 堕天使になってもお姉ちゃんはお姉ちゃんだ。とても悲しそうな顔をしている。


 私の左腕は本当に切られたわけじゃない。巨人と戦ったとき、へし折れた電柱や壊れた家はすぐに元に戻っていた。だから腕もすぐに戻るはずだ。


 でもお姉ちゃんの黒い「心の剣」は確かに私の心の中の、お姉ちゃんへの善意を断ち切ってしまった。それはもう元通りにはならないのだろう。


 だけどそれでも、私はお姉ちゃんを信じてる。


 私はお姉ちゃんへの思いが失われていく苦しみに耐えながら、何とか言葉を紡いだ。


「もしもお姉ちゃんがいなかったら、私は今日まで生きてこられなかったと思う。だから私は信じてる。お姉ちゃんとならまた仲良くなれるって。お姉ちゃんならまた私を恋人にしてくれるって」


 堕天使のようなお姉ちゃんは「私」の最期の言葉を聞いて、涙目で頷いていた。私は駆け寄ってくるローブ姿の少女を見たのを最後に、意識を失った。


〇 〇 〇 〇


 明るい日差しがカーテンの隙間から差している。私は自分の部屋で目を覚ました。


「みやび! 良かった……」


 お姉ちゃんが私を見降ろしていた。私は乱暴にお姉ちゃんを振り払って、ベッドから降りた。あぁ、本当に忌々しい。どうして私は実の姉なんかに恋をしていたのだろう。


 私は一人で身支度をして外に出た。そして学校に向かおうとした。するとお姉ちゃんが慌てた様子で私の隣に走ってきて、手をぎゅっと握った。私はそれを無言で振り払った。


「気持ち悪いんだけど」


 そう告げると、お姉ちゃんはあからさまに悲しそうな顔をしていた。それでも私の隣をずっと歩いていた。早歩きしても息を切らせながら、追いついてくる。私と視線が合うだけでニコニコしている。


 本当になんなんだ。この人は。


 結局、お姉ちゃんは学校の昇降口で別れるまでずっと私の隣にいた。一人で教室に向かっている間、私はお姉ちゃんのことを考えていた。妹に恋をするなんて、異常だ。本当に。


 教室に入ると、クラスメイト達の背中にたくさんの悪意がみえた。それを無視して席に着こうとすると、乱暴な声が聞こえてきた。


「今度はお前が脅迫して記憶を消したんだってな。ちょっと来いよ。こっちに」


 昨日のをみられていたのだろうか。女子生徒たちは敵意をむき出しにして、私を睨みつけてきた。私は引きずられるようにして、人気のない女子トイレまで連れていかれた。


 そして水をかけられ、体を押されてしりもちをつかされる。女子生徒たちとその黒い悪意は私を見下ろしていた。そして色々な暴言と暴力をぶつけてきた。どうしてか、私はお姉ちゃんが助けに来てくれることを願ってしまう。あんな奴、シスコンのキモイ奴だとしか思ってないのに。


 でも女子トイレの扉が空いて、本当にお姉ちゃんが現れると、私は少なからず嬉しい、と思ってしまった。お姉ちゃんはまばゆいばかりの「心の剣」を右手に女子生徒達を睨みつけている。


「心の剣」は自分と世界で一番大切な人のためにしか振るえない剣だ。どうやらお姉ちゃんはあんなに冷たくされても、私を世界で一番大切だと思っているらしい。本当に変な人。


 私はぼうっとお姉ちゃんが悪意たちを蹴散らすのをみつめていた。気付けば女子トイレには私お姉ちゃんの二人きりになっていた。お姉ちゃんは「大丈夫だった?」と不安そうに私に手を差し出した。


 私はおそるおそるお姉ちゃんの手を握って立ち上がった。


「……大丈夫。ありがとう」


 するとお姉ちゃんはすぐに笑顔になって、私の唇にキスをした。私が目をぱちくりさせながらうろたえると、お姉ちゃんはとんでもないことを告げた。


「みやび。また私と恋人になってよ」


「は、はぁ!?」


 その瞬間、私の心臓は早鐘を打った。顔が熱くなる。なんでこんなシスコンのキモイお姉ちゃんにキスされて、告白されただけで、こんなになってるの!? 確かに、見てくれだけはいいけど、お姉ちゃんだよ?


 私はお姉ちゃんと見つめ合ったまま、昨日までの記憶を思い出していた。その中の私は誰よりもお姉ちゃんのことが大好きだった。今では唾棄すべき記憶のはずなのに、少しだけ、あの頃に戻ってもいいかもしれない、なんて思ってしまう。


「こ、恋人って。私、お姉ちゃんのこと好きじゃないんだけど? そもそも姉妹としてすら好きじゃないのに、恋人なんてあり得ないよ」


「だったら私、いつか絶対に姉妹としてみやびがお姉ちゃんのこと大好きになるようにしてみせるから、その時なら、告白も受け入れてくれる?」


 お姉ちゃんはとても真剣な目つきで私をみつめていた。私はどぎまぎした気持ちで、視線を彷徨わせる。お姉ちゃんは私が返事をするまで、視線を外してくれなさそうだった。穴が開くほどみつめられて、顔がさらに熱くなってしまう。


「分かった。分かったよ。もしも私がお姉ちゃんのこと大好きになったら、その時は恋人になってあげてもいいよ」


「やった。ありがとう。みやび」


 お姉ちゃんは心から喜んでいるようだった。可愛いなって思ってしまう。キスしたいなって思ってしまう。嫌いなはずなのに、変だ。なんでシスコンお姉ちゃんがこんなにキラキラしてみえるんだろう?


 私は小さくため息をついて、お姉ちゃんをみつめた。するとお姉ちゃんは目をうるうるさせて、また私にキスをしてきた。舌を入れるキスだった。私はそれを拒むこともできずに、むしろ自分も舌を入れてしまう。


 お姉ちゃんは嬉しそうに目をうるませていた。本当になんなんだろう。この気持ちは。お姉ちゃんのことなんて好きじゃないのに、心の中がどんどん好きで満たされていく。まるで生まれたときからお姉ちゃんとは、こうなる運命だったみたいに。


 私たちはほとんど同時に息が苦しくなって、唇を離した。


「みやび。好きだよ」


 お姉ちゃんはえっちな顔で私に微笑んだ。私は口から「私も好きだよ」って言葉が漏れ出してしまいそうになるのを抑え込んで、お姉ちゃんの脇を通り抜ける。


 お姉ちゃんは寂しそうな顔をしていた。きっと見捨てられたと思っているのだろう。でもそういうわけではない。


「……まずは姉妹なんでしょ? だったら早く姉妹に戻ろうよ」


「うん!」


 お姉ちゃんは本当にお姉ちゃんなんだなと思う。私からお姉ちゃんへの善意が失われても、すぐに私をこんな風にしてしまうのだから、本当にかなわない。

 

 近い未来、お姉ちゃんとまた恋人になるだろうことを予期しながら、私は微笑んだ。

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