星の願いごと
「きらきら光るお空の星よ。ひとときでも、そんな風に輝けたら良いのにね」
寒空の下で切らした息を整えながら歩く青年は、白い息越しに見上げた夜空を流れた星を見つけて呟いた。そして立ち止まって前を見据えた彼は、そっと息を吸って駆けて行った。
「お前まだ辞めてなかったのか。ここで走れるのは、速く走れる奴だけだ。決められた時間、決められた人数、決められた速さ。走るのが好きなのは良い事だ。だが、ここ以外で走れ」
朝になり学校へ行き授業を受けた後の部活動で、先生にそう告げられた青年は、顔を洗って拭った後家へ帰った。夕暮れ時に遊び帰りの小学生を横目に、彼は走っていた。前の日も、その前の日も。次の日も、そのまた次の日も。そんな風な日々を過ごして迎えたクリスマスの前日に、青年の前に彼は現れた。
「やあ、私はサンタクロース。君の願いを叶えに来たよ!」
「……はい?」
朝日を背に靴紐を結ぶ青年の前に立っていたのは、見た目も名前通りのサンタクロース。赤い服を身に纏って陽気で元気そうなそのお爺さんが、サンタクロースと違う所はプレゼントの袋を持っていない事と、トナカイや艝が無いことくらいだった。
「時間も無いから急ごうか。速く走る人の映像は見れるかね?」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。急にサンタクロースだなんて、そんな。今のところただの不審者ですよ、プレゼントも無いし」
「なーんだプレゼントが欲しいのかね。君は眠くても寝ないで走っていた悪い子だからなー。ホントは良い子にしかあげないんだよ?はい、これ」
「これ、靴……」
「さあ、それを履くのは後だ。映像を見に行こう」
青年がサンタクロースを追って振り返ると、彼の姿は無くなっていた。辺りを見て探すと、上の方から声がした。声の方を見上げるとサンタクロースが屋根の上へ登っていた。
「君の家には煙突も無いのかね?これじゃあサンタクロースも来ないわけだ」
「い、今時煙突のある家の方が珍しいよ。煙突が無いとサンタクロースは来ないの?」
「冗談だよ、冗談。サンタジョークってやつだ。煙突なんて無くたって、良い子の所には来るもんさ。じゃ、先に部屋で待ってるよー」
窓から入るサンタクロースを見て、慌てて青年は部屋へ戻った。そして二人でいくつかの映像を見たところで、サンタクロースは立ち上がった。
「さあ、やってみて」
「やるって、なにを?」
「だから、真似してみて、走り方。腕の振り方とか、足を上げる高さとか、手の形。色々あるでしょ」
「そんな、出来ないよ。だってこの人世界記録保持者だよ」
「出来るさ!真似出来るか、出来ないの前に、するか、しないかだよ。例外はあるけれどね。赤い服を身に纏ったって、サンタクロースにはなれないからね。でも走ることは、多くの人が出来ること。よく見て、思い浮かべて、やってみて。真似することすら出来ないなら、速く走ることは諦めた方がいい」
青年は渋々もう一度映像を見て、足を上げたり腕を振り上げたり、また映像を見たり。その朝は走らなかった。そして授業終わりの部活動で、彼はぎこちなく感じつつも、走り方を真似して走った。そうすると、いつもよりとても速く走れていた、なんて事にはならなかった。しかしこの日、彼は気付いていなかったが、先生が溜息をつくことは無かった。
家へ帰ってきてからはいつもと違って、彼は走りに出る準備をすることはなく、たくさんの映像を見て過ごした。そして気がついた時には、眠くなっていた。走っていないことをひととき不安に感じたが、彼の中ではサンタクロースの言葉が過ぎった事で、大人しく眠りについた。そして、クリスマスの朝。窓から見える景色は、辺り一面に雪が降り積もっていた。青年はストーブをつけて手も足も服も温めながら着替え終えた後、また一通り映像に目を通して準備万端と外へ出ると、彼は雪の中を走った。
「やあ、調子はどうだい」
青年が部屋へ戻って来ると、サンタクロースがストーブの前で靴下を乾かしながら、漫画を読んで寝転がり温まっていた。
「なんで居るんだよ!」
「そりゃあ居るよ!だって今日はクリスマスじゃろうて」
「そういう事じゃなくて……」
それからまた二人は走り方の映像を見た後、お昼には外へ出て走り方を試し始めた。青年が準備運動をした後映像を見ながら試行錯誤している横で、サンタクロースは雪だるまを作って遊んでいた。
「ちょっとサンタさん、一緒に居て何かこう、もっと何かないの」
「何だね、またプレゼントが欲しいのか?仕方ないな、じゃあこの雪だるまをあげよう。もう一つ作るから、そこの枝取って」
「違うよ!なんかこう、アドバイスみたいなのないの」
「ないよ、だってワシ、走るの嫌いじゃもん。普段艝に乗って、トナカイに引いてもらってるんだよ?」
「……」
「わかったわかった。じゃあ走りに行こう。私も一緒に、走るから」
「え、でも嫌いなんじゃ」
「君には言っていなかったが、嫌いなだけで走るのは得意だ。君を置いていって悲しませてしまうかと思ってね」
そして、二人は走り始めた。降り積もった雪を踏み締めて。青年が気がついた時には、一緒に走り始めたサンタクロースは、遠く後ろの方に居た。その姿に青年が呆れていると、また遊び帰りの小学生達とすれ違った。
「いいよなー。おれもあんなに速く走れるようになりたいな」
それが聞こえた走っている青年は、照れくさい気持ちと否定したい気持ちとが入り交じりて、そのまま振り返らずに走る事しか出来なかった。彼が家へ戻って来ると、サンタクロースは先に帰って来ていた。
「やあ、遅かったじゃないか。私なんてとっくに……」
「僕、そんなに速くないよね」
「嘘うそごめん、途中で疲れて走れなくって先に帰ったんだごめんよ」
「いや、そうじゃなくて。付き合ってくれてありがとう。家へ入って、温まろう」
うつむき加減に言った青年は、サンタクロースの足が雪でびっしょりと濡れていることに気がついた。二人は部屋のストーブの前で靴下を乾かしながら、小さくなって温まった。そして夜になる頃、サンタクロースは徐ろに立ち上がった。
「じゃ、そろそろ行くね」
「え、どこに?」
「帰るんだよ、クリスマスももうあと少しだ。サンタクロースは帰らないと。今夜は家族と過ごしてね」
「一緒に、一緒にご飯食べれば良いじゃん!サンタさんに、僕は何も出来ていない。プレゼントももらって、練習にもずっと付き合ってくれたのに」
「君が何も出来ていないだなんて、そんな事は全く無いよ。私は君に、恩返しをしに来たんだ」
「恩返しって、僕は何も……」
「少し前に、君は私を見つけてくれた。流れ星を見ただろう、あれは私だったんだ。広い広い夜空の中で、きらきら光る星々に埋もれている私を、君は見つけて声を掛けてくれた。君が見つけてくれなかったら、私は誰にも気が付かれることなく消えていってしまっていただろう。君が見つけてくれたから、今もこうして輝いて居られるんだ。でも私には、願いを叶える力も、何かを変える力もないから、手伝える事があればと思ってね。ありがとうって言いに来たんだ。本当に、私を見つけてくれてありがとう、ってね」
「そんな事ないよ、願いも叶えてもらったよ!速く走れるようになったもの。小学生だけれど、僕みたいに走りたいって言われるようになったもの。サンタさんのおかげだよ!」
「ありがとう。忘れないでね、君は輝いていることを、誰かの光になっている事を」
夜になり暗くなった部屋に明かりをつけると、サンタクロースは居なくなっていた。ストーブの前で乾かしていた、大きな靴下を忘れて。そして青年は窓から空を見た。雪となって降り積もった町並みの上にある、澄み切った夜空を。滲んだ満天の星空に、流れた星を見送りながら。