シグマ②
「乾杯」
「ありがとう、君のおかげだ」
社員たちとのパーティーが終わった後、僕は彼女と2人きりで、とあるバーを訪れた。これまで幾度となく足を運んだ、僕らの隠れ家だ。まだオフィスもろくに持てなかった頃、ここでよく打ち合わせをしたものだ。
「初めてここに来てからもう5年か……いや、まだ5年と言うべきなのかな……。あまりにもうまく行きすぎて怖くなるよ。これこそQの見せている夢なんじゃないかって」
「ふふっ、これはちゃんと“本当の現実”ですよ。社長が掴み取った未来です」
「ありがとう」
変わらないな。
彼女を見て僕は改めて思った。
あのパーティーで出会った時から今日まで、多少大人びてはいるものの、この子はずっと若いままだ。僕はすっかりおじさんになってしまったと言うのに。
いや、そもそも……
「なぁ、聞いちゃマズいかな。君って本当のところ、いくつ?」
「社長、モテないでしょ。そんなこと訊くなんて」
「いやいや、もう5年の付き合いになるじゃないか。年齢くらい教えてくれたっていいだろう」
微かに笑みを浮かべて、彼女はグラスに口をつけ、離し、またつけようとして、それを止めてこちらを向き、頬杖を突いた。
「23です」
「…………えっ?」
全く予測していなかった回答に、僕はすっかり思考が止まってしまった。
《《1年目じゃありません。》》
確かにそう言ったが、あれは新卒じゃありませんという意味ではなかったのか。
1年目ですらないということ、だったのか?
「う、嘘……?」
「これまでに私がウソをついたことがありましたか?」
「………いいえ、一度も」
「でしょう」
彼女は悪戯っぽく笑って、今度はクッと、お酒を飲み干した。
「ふぅ、飲みすぎちゃったかも」
そう言えば初めてここに来た時、彼女はアルコールを口にしなかった。
ジュースを飲んでいた。苦手だったんだな、と思ったが、いつからか彼女も一緒に飲むようになっていた。
そういうことだったのか。しかし……
「あの時は18だったというわけか……恐ろしいな。大人顔負けの振る舞いだったじゃないか」
「0歳からこの世界で戦っていましたので」
「それはさすがに嘘だろう」
彼女はまた、ふふっと笑った。
「そうか。君とは仕事の相談しかしてこなかったな……。ついでにもう一つ聞きたいんだが、君の社名、何故『ミス・ウェンズデー』なんだ?」
「ノンノン、ミスじゃなくて『ミズ』です。深い理由があるワケじゃないんです。登記したのが水曜日だったんですけど、全然名前が決まらなくて……『アベンジャーズ』に『フライデー』っていうAIが登場するんです。アイアンマンをサポートする……私もそんな感じで活躍できたらと思って、ウェンズデーにしたんです。それだけです。それにほら、ウェンズデーって何だか女性っぽいじゃないですか」
そうなのだろうか。
彼女はいつも深く物事を考えている。何事も深く考えた上で発言するからこそ、彼女の言葉を信頼できるのだ。
「………」
そこで僕は、かねてから考えていたことを彼女に伝えることにした。
「ANRアプリケーションの市場では我々はそれなりの地位を築けただろう。時間錯覚の技術でも特許が認められた。これはANRと同様に一つのパラダイム・シフトを起こすに違いない。君の言う通りにしたおかげだ。……そこでだ。これまでの協業パートナーという関係ではなく、FV社の取締役として参画してくれないか? もちろん君の望む条件で構わない。……ああ……可能な範囲でだけど……」
「…………」
彼女は頬杖をついたまま僕の顔を見つめていたが、やがてニヤリと悪戯げな表情を浮かべた。
「FV社の株式70%、年俸15億、私が好きに選んだ人を役員に連れてきて良いなら考えます」
「え……?」
「なんちゃって。《《まさか》》ですよね。……でも、考えてもみてください」
そんなに酔っているのか?
あまりにも馬鹿げた提示に言葉を失った僕に、声をあげて笑って彼女はすぐさま続けた。
「私の顧客はFV社だけじゃありません。もちろんね。あ、当然競合のお手伝いはしていませんよ。ただね……好きな仕事を、自由に振舞って、しがらみなく動くことができる。今の環境を捨てるなら、現実的な報酬じゃ割に合わないんです。だからこの話は実現不可能なんですよ」
まぁでも、本当にさっきの条件を飲んでくれるなら考えます。彼女は出会った時と同じ様に「あはは」と笑った。
「それより、今日は特別な日です。オフィスに戻ってもう少し飲みませんか?」
12話完結です。
 




